紙の本
涙流れるまま。しかし、それでも。
2012/03/02 22:06
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
誰も経験したことのない、過酷な、あまりにも過酷な現実。
つい今の今まで、普通の暮しを営み、普通の明日が来ることを何一つ疑っていなかった人々を襲った災害。
ページをめくると、早くも冒頭からこみ上げてくるものがあって、涙も鼻水も止めることが出来ない。鼻をすすり涙流れるままに読む。
新聞記者として、地元紙として、何が出来るのかを問い続け、現実に向い続けた、河北新報の記録である。
「われわれはみな被災者だ。今は誰かを責めることは絶対にするな」と戒める報道部長。自分たちも被災しながら、時には無力感と自責に駆られながら、伝え続ける。
生活も、慣れ親しんだ土地も、電気も通信手段も奪われ、自分も九死に一生を得ながら、それを押さえ、昔のように紙にペンで気仙沼総局長が綴る記事からは、苦渋がしたたってくる。
建物の屋上で助けを求める人々に「ごめんなさいね(略)僕たちは撮ることしかできない。助けてあげられないんだ」と呟きながら空中のヘリコプターから写真を撮るカメラマンからにじみ出てくるのは、こらえ難いほどの悔しさだ。
中程からは、冷静に読む。
感情的な部分を極力押さえ、記録として淡々と綴っていこうとしている姿勢がわかってくるので。
「死者『万単位に』」の見出しをどうしても打つことが出来ず「犠牲『万単位に』」とした時、そして、津波が人々の命を奪った瞬間を捉えたスクープ写真を被災地の人々が目にすることを苦慮しボツにした時、河北新報は、被災者に寄り添い、被災者と共にあることを選んだのだ。
1年がたとうとしているが、復興への道程はまだまだ続く。時間の経過とともに、状況も人々の要求することも思うことも変化していく。
新聞の、河北新報の、役果たす役割は、変化しながら続いていくだろう。
紙の本
震災の惨さと、「使命」を持つ仕事と。
2012/02/15 10:18
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう1年が経ってしまうんですね、あの震災から。まさに「現地」である宮城県の県紙「河北新報」が、「その時」から「それから」で何を思い、何をして、何を残してきたか、という「真実」が語られます。
自らが被災者でもあり、当日の新聞発行が危ぶまれた中で、他の新聞社の協力や輸送、配達にかかわる人たちの「プロ意識」に支えられ、永く続いた「発行」を止めることなく動き続けた彼ら。震災という経験のない場を前にして、彼らが考え行動した記録が残されています。
首都圏にしか居住したことがないので、「地方紙」「県紙」という位置づけがいまひとつ分かっていません。そもそも「河北」という名称が何を指すのかすら...これは、福島県の「白河以北」、つまり「東北」を意味しており、ある意味では東北に対する侮蔑的な表現でもあるのだが、敢えてこれを題字としている、という。もともと気概あふれる精神がそこにあるのだ。
震災当日の「発行が危ぶまれた社内」、翌日以降の「被災地の取材」、インフラが壊滅状態の中での配達。これらは震災の惨さが現実のものとして生々しく突き刺さってくるが、若干は「新聞社目線」があるなあ、と感じた。「情報を伝える」という使命を担い、それに邁進する姿だが、それも必要だが、被災者への取材ってどうなの、って思ってしまう自分もいる。取材に行くんだったら支援物資を持って行ったほうが...とか、取材のための資源(ガソリンなど)を確保することがホントに正しいのか...って思ってしまう。
...という考えがアタマのどこかに居座っていたんだけど、実際に現場に赴いた記者の中にもそのような感情を持っている人が大多数であることがわかった。上空からの撮影のためのヘリから、屋上で助けを求めている人たちを見たカメラマン、原発事故により避難をして、避難をした場所から「現地」に電話取材をした記者がもった違和感、避難所で「私たちはもう頑張っている」と言われた記者...
中でも、刺激的な「その時」の写真を掲載しないことを決断したこと(全国紙は躊躇なく使用)とか、「死者」という言葉を「犠牲」に置き換えて掲載したとか、原発事故と同等あるいはそれ以上に津波被害について追いかけ続けたとか。
そこには新聞社としてのプロフェッショナルと、被災者としての同じ気持ちがある。そしてなにより、地元の新聞社として、そこに住んでいる読者のことを考える、彼らのことを想う気持ちがある。「地域密着型」なんて陳腐な言葉で言い表せない、本当の意味で「一緒に」なっている姿が浮かんでくる。
いいたいことはたくさんあるのだろう。特に「国」に対して、とか。もちろん本書にないだけで、本紙にはあるのかもしれないけれど。でも、本書ではそれを封印して、自社の考え方、地元のためを思う心、仕事に対する責任感、そんなことが繰り返される。
震災そのものの惨劇、そしていまだ戦っている被災者、まだ数多く残る行方不明者、これらを風化させてはならない、そのために「記録」を「報道」することに、そして地元の人たちとともに「復興」にむけて「ふんばる」ことを決意した新聞社。
本書に登場する記者やデスク、関係者の方は(実名で記載されているんだけど)、40代前半の方が非常に多い。苦しいだろうけれど、頑張っている姿に、同じ年代として、そこまでできていない自分に悔しさもある。
震災で被災した方がまだ戦い続けている中で、被災していない自分がいうのも失礼かもしれないが、自分の中でも「震災」によって、考え方が変わってきているんだよね。だから何ができるかわからないけれど、自分にできることをしていきたい。なんらかのカタチで回りくどくても、同じ日本人として何かできることはあるはずだから。
【ことば】全国紙や在京キー局は...一段落したら潮が引くように震災報道から切り上げる。だが地元紙はその後も長く被災者に寄りそい続ける。震災発生直後は見えなかった問題が、数ヵ月後に...苦しめることもある。
ドキっとする。「当時」も大変だったと思うけれども、「その後」も相当な苦難なのだろう。そんなときにこそできることもあるはずだ。それを思い起こさせてくれる役割もあるんだね。そういう情報は、既に入ってこない。たまにTVニュースで「特集」されるだけだ。何ができるか...考えてみる。
紙の本
忘れられないこと、忘れちゃいけないことを思い出した本
2012/01/24 21:22
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽんち - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は当時北海道にいたので、人ごとには思えず
一気に読みました。
3.11の河北新報の方達の様子が
手に取るようにわかりました。
「共に生きる」というのを強く感じました。
10ヶ月以上が過ぎ、ニュースでも
取り上げられる時間が短くなりましたが、
改めて、震災のことは忘れちゃいけないと
思わせてくれた1冊でした。
紙の本
地元新聞社の記者たちの震災報道
2015/09/18 17:10
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投稿者:ミキ - この投稿者のレビュー一覧を見る
地元新聞社の記者たちが震災の混乱の中、各自真摯に孤軍奮闘しながら記事を書き上げていく様子が書かれています。
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未曽有の大震災により亡くなられました方々のお冥福をお祈りいたしますとともに、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。また東電事故により被害が今もって続いておられる皆様の心中いかばかりかと、悲しみに堪えません。一日も早い復旧復興を心より願っております。
伝 え る と は?
伝 わ る と は?
その2文字を深く考えさせられる著作でした。
不肖小生も昔新聞社勤めした経験があるので、大震災に見舞われながらも、報道の使命を果たした河北新報さんに深く敬意を表します。
以前から「不羈独立」と「東北振興」を社是として掲げ、今でも本質的なジャーナリズムの精神を残す新聞社としてあまたある新聞社のなかでも格別の存在感を示していると思います。
震災、津波といった「コト(事象)」ではなく「ヒト(人)」にスポットを当てた編集姿勢に敬意を表します。
官製発表に頼らず、足で取材した姿勢にも感銘を受けました。
わたくしごとになりますが、小生の大学時代のゼミ生が勤めており、その後どうしているかな?と気になっていたところ、ちゃんと登場していました。家族ともども元気そうで、かつ部下にも信頼されているようで、嬉しくなりました。
以下印象に残った文章。
「われわれは地域の住民に支えられて百年以上、 この地で新聞を出すことができた。その住民が大震災で苦しんでいる。今こそ恩に報いる時だ。わが社も計り知れない打撃を受けるだろう。 だが、いかなる状況になっても新聞を発行し続ける。それが使命であり、読者への恩返しだ」
一力(社主)はそう会議を締めくくった。
ヘッドライトの光線の中に、突然、浮かび上がったものがあった。
恐怖のあまり、思わず悲鳴を上げた。
それは何と形容したらよいのだろうか。墓場だった。全てのものが破壊されている。流されたのだろうか。無数の車がある。
署名記事を増やすことは報道部長の武田のこだわりがあった。私達の東北が、一千年に一度と言われる大震災に直面している。無表情な「客観報道」で紙幅を埋めることなど考えられない。被災地に入った記者たちの思いと感性を前面に出したい。誰がどこに足を踏み入れ、何を見て、どう感じたかが重要だ。
「備える」
河北は宮城県沖地震二十五年目に当たる二〇〇三年から、防災関連記事に必ずこのカットを付け、防災啓発に力を入れてきた。
(中略)
「それでも死者・行方不明者合わせて約二万人もの多大な犠牲者が出てしまった。いったい自分たちは何をしてきたのだろう?」
(中略)
啓発に努めるだけで良かったのか。より直接的で実際的なアプローチがあったのではないか。自分たちはほんとうに地元の力になりえたのか。
そして、そもそも報道とは何か?
武田の自問は続く。
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被災者とともに歩む。地方紙の気概と決意。
河北新報社は、仙台を本拠地とし東北6県をカバーするブロック紙である。創刊は1897年であり、社名は明治維新の際、薩長が東北を蔑視して「白河以北一山百文」と称したことに発憤してつけられたものという。
地方に密着した筋金入りの地方紙である。
3月11日に被災した後の河北新報社の奮闘の日々を振り返る。
混乱の中、河北新報は、何とか新聞を出そうと奮闘し、休刊することなく、震災当日の号外も翌日の新聞も発行する。他紙への協力要請、被害が軽かった支社からの全面支援、社員の空腹を満たす「おにぎり」隊の活動等、全社体制で事にあたり、ライフラインが整わぬ中、何とか紙齢をつないでいく。その顛末を描く前半は、連帯感と達成感に満ちており、ある種、希望と勢いを感じさせる。
しかし、後半には、社員各人の心の傷も描き出されていく。
原発事故直後、社の指令で福島から避難したことをどうしても乗り越えられず、記者の仕事を辞めた社員がいた。震災当日、ヘリコプターから助けを求める人々の写真を撮ったものの、それが速やかな救助にはつながらなかったことを知って苦しむカメラマンがいた。
購読地域内の震災に対する温度差も徐々に明らかになっていく。
震災の話はもう見たくない、テレビ欄を元に戻して欲しいという読者もいる。一方で、いまだ不自由な生活を強いられる被災者も多い。
震災による困難はなお続く。
河北新報は息の長い検証記事を載せ続けているという。
誠実に真摯に、「被災者とともに歩む報道」とは何かを問い続ける姿勢に敬意を表したい。
*「白河以北一山百文」--ひどいことを言うもんだ(誰が言い始めたのか、あまりはっきりした記録は残っていないようだが)。
でもこんな蔑称があったなんて知らなかったな。東北の歴史にあまり思いを致すこともなかった自分にも反省。
*同じ地方紙である石巻日日新聞の『6枚の壁新聞』が思い浮かぶ。石巻日日は、宮城県東部をカバーし、社員30人弱というから、東北地方をカバーし社員550人余の河北新報よりは一回り小さい。河北が休刊しなかったのを知って石巻日日の記者が忸怩たる想いを抱く場面が確かあったが、これだけ規模に差があると、致し方なかったことだろうと思う。
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あの大震災から、8カ月が経とうとしている。
僕たちの暮らしは変わりましたか?
あんなに被災地の報道で埋め尽くされていた紙面から徐々に、生の声が消えている気がする。
いま、伝えなければならないこと、伝えていきたいこと、これから寒さが厳しくなるからこそ、改めてやらないといけないことがある。
また、「次」への備えはどうなっているのだろうか?
もう8カ月が経とうとしているが、わが社は目に見えての変化はない。「備えあれば…」という言葉を噛み締めたい。
今年一番の本です。
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だいぶ以前に本屋で見つけて
本棚に登録しておいた本でした。
この前テレビでやっているのを
みたので読んでみようと思いました。
あまりに、演出されている事象のような気がしましたが
これもやはり読んでおいたほうが
いい内容だと思いました。。
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地元紙河北新聞記者たちの文字通りの極限下の体験記です。
1897年創刊以来、休刊日を除いて一日も休まず新聞を出し続けてきた地元の新聞社としての強い使命感が、自らも被災者として数々の困難を抱えながらの新聞作りを支え、途絶えることなく新聞を発行し、そして配達を続けました。
あの時を多かれ少なかれ体験してきた被災地宮城県に住む者なら誰もが
この本に書かれていることに心を揺さぶられ読み進むことでしょう。
私も、記者さんたちや販売店の方々の気持ちが胸に深く沁みこんできました。
震災関連の報道では、全国紙の紙面やテレビなどの報道の内容に中央寄りで不満を募らせていましたから、「東北の人たちと歩む」スタンスにあらためて拍手喝采します。
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震災で被災した地方紙大手の河北新報社のお話。
大新聞社といえど未曾有の震災には無力で、自らのライフライン確保や震災時の報道のあり方に苦慮する姿などが描かれる。
同じ被災者とは言ってもとりあえず生き死にからは離れたところの話なので、所詮マスコミの・・って言えなくもないけど、全国紙とは違った視点で情報を送り続けるという地方紙の役割や、ネット隆盛のいま紙媒体の有効性などを考えさせられる1冊でした。
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大地震後の混乱が思い出された。
ヘリから写真を撮ることしかできなかった、カメラマンたちの件ではグッとこみ上げるものがあった。
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翌日に届けていただいた新聞のありがたかったこと。
決して忘れることはないと思います。
「河北新報」の名前の由来。
わたしは知らなかったのですが、子供たちは皆知っていました。
地元の誇りです。
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被災の現実を伝える苦しさ。地元に寄り添うことを心に刻みながら状況をつぶさに伝え続けた河北新報グループも被災し、多くの人命を失っていた。被災地を被災者が見る目に胸を打たれた。(評者 中野不二男 ノンフィクション作家)
読後感。記者たちの被災者に寄り添おうとする気持ち、大手メディアとの立ち位地の違い、しかし結局は、被災者個々人にはなにもしてあげられないという苦悩する謙虚な姿に感銘を受けた。
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「河北新報」
その紙名からして、意気地を感じる。
同紙が、東日本大震災に際して社としてどのように応じたのか、その記録。
確かに地元紙ならではの独自の報道・独自の報道を知ることができる。
他方で、記者たちの生の感情をもう少し知りたかったのも確か。
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今年一番心に残る本。東日本大震災の極限状態の中で、自らも被災した記者たちが、情報を求める被災者に寄り添うために、新聞をつくり届けたのが河北新報社。宮城県・石巻に視察に行って、仙台の本屋さんで買った。買って、帰りの飛行機で一気に読んだ。
地震発生当日から、取材体制を敷き、余震が遅い、危険な被災地で取材を行い、記事にする。新聞を刷ったところで、販売店も被災し、新聞を届けることができない・・。そうした混乱の中で、紙の調達から、販売店へと届けるルートまでを確保し、新聞を届けた。心に残ったのは、被災地を空撮するヘリコプターに乗って、現場に向かう途中で、SOSを出して助けを求める校舎。
物資を運んできてくれたのだ、助けに来てくれたのだと、思った人々が手を振る。そこを通りすぎるしかなかった記者の苦悩。
新聞に載せることが、その事実を伝え、支援につながるのかもしれないと望みをかけて、掲載してもSOSを出していた当事者には、物資は届かなかった。
被災者が求める情報と、被災地でない人々が知りたい情報。
センセーショナルな出来事を伝えることが新聞なのか、
被災者がほしい、生活に必要な情報を伝えるのが新聞なのか。
いつも被災者の立場に立ち、選択をし、発信をした。
震災は今も、被災地では続いている。
マスメディアが、人を動かし、空気をつくる。
マスメディアが報じなくなれば、自然と、人々の関心も薄れていく。
被災地は頑張っているよ的な、暖かなニュースではなく、現実をどれだけ伝えているんだろう?と思った。
半年たって、石巻の現地に立って、暮らす人の話をきいて、こうしたリアルをどれだけ伝えているのかしら?
発信する側も受け取る側も同じだと思う。
だから、メディアだけを責められない。
知ろうとしない市民がいるということ。
事実とリアルな体験、リアルな声、埋もれている声を拾っていきたい。
そして、同じ陸続きの日本で起きていて、同じ空の下で暮らしていることに共感して、暮らしていきたいと思った。
河北新報って、名古屋で手に入れることはできないのかな?