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後半部分の紙本と電子書籍を使いわけようという内容はありきたり。
前半部分が価値あり。言語脳科学というフロンティア的な分野で活躍している著者が、言語と脳・認知機能の基本的な関係を解説している。
なぜチョムスキーの生成文法理論が重要なのかについての説明が、今言語科学を受講している身からすれば役に立った。
言語に始まり数学や音楽まで広がっていく、人間の認知機能と想像力について聞かされるのは刺激的。
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紙の本と電子書籍、一方が他方を食いつぶすのではなく適宜使い分けることが必要。紙の本が完全に消えてしまうことを危惧して闇雲に電子書籍を批難していましたが、この本読んで頭冷やしました。
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同じ東大の酒井先生が書いた、紙と電子書籍についての本と言うことで手に取る。前半は脳科学入門、後半は酒井先生本人のデジアナ論といった内容ですっと読めました。後半はよく聞く話も多く、アナログへの愛を感じるやや強引な所もありましたが、利点と問題両面を挙げておりバランスは良い本でした。
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読書法の本かと思いきやそうではない。この本は面白い。
入力は情報量の多い活字。
出力は情報量の多い会話。なるほど。
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想像していた内容とちょっと違ってました。
「自分で考えて書き、書いて考える--そうした時間がないと、知識は自分のものにならない。電子化された手段に頼らなければ、効率が犠牲になる代わりに、考える時間と考える余裕をもたらしてくれる。電子化が悪いのではない。使い方が悪いだけだ。人間が書くことで考えることを取り戻せれば、コンピュータを賢く使うことに何ら問題はない。」
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同感です。
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言語能力と想像力を鍛えるには、読書が最も効果的である。「入力」の情報量が少ないほど脳は想像して補うからだ。私たちが普段受け取る情報は、基本的には映像、音声、活字の3つである。
そしてその情報量は映像>音声>活字の順番だ。活字を読むという行為は、足りない情報を想像力で補い、曖昧な部分を解決していくことである。
したがって脳の想像力を向上されるためには読書が最適であるということができる。
では「出力」の場合はどうかというと、今度は逆で出力情報が多いほど脳は想像して補う。出力の情報の種類は、会話>電話>手紙>電子メールの順番になる。つまり、読書量と会話量に比例して脳の想像力は鍛えられるということができるのである。
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「紙の本」と電子書籍の使い分けという結論はありきたりかな。その結論にいたる話も、「紙の本」へ思い入れが強いのか、ちょっと実証的でないような。翻って、前半部は言語脳科学について。言語と脳の関係、認知機能についてなど、興味深い内容。
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副題にある『なぜ『紙の本」がひとにとって必要なのか』に
対する答えが知りたくて、本書を手にとった。
一覧性に優れていたり、キーワードを位置で記憶していたり、
書き込みができることは想像できたことで、科学者らしい答えを
期待していたのに、残念だ。
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サブタイトル「なぜ紙の本が人にとって必要なのか」。
電子書籍が少しずつ浸透してきた今、考えさせられる内容。
「何でも機械化し電子化できるという表面的な見方に対して、人間が大切で譲れないものは何かと考え、未来にどのように向かうべきか決断することが、あらゆる方面で問われている。そういう過渡期を我々が賢く乗り切るためには、人間とはどういう生き物であって、どこが愚かでどこが素晴らしいのかということに我々自身が気づかなくてはならない。そうすれば、人間は人工物に振り回されることなく、古き良きものを大切にしながら新しいものを創り続けることができるに違いない。」
「板書の筆写などは効率が悪いと思うかもしれないが、それは記憶に定着させるための最良の方法なのである。自分で考えて書き、書いて考える。そうした時間がないと知識は自分のものにならない。」
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サブタイトルで、なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか、ということに誘われて読んだ。しかし、書いてあることは実証的ではないので、いまひとつしっくりこない。残念ながら、この本を読んでも、デジタル本よりもアナログ本の方がいいということで論文を書こうとする学生の参考にはならないであろう。
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美の三要素「単純・対象・意外性」自然法則。人間の脳が心地よいと感じる。
読書は想像力が働く。
想像力がある方が記憶出来る。
読書は脳を創る。
紙の本と電子書籍の使い分けが大切。
「多読」「精読」の両方が有効。
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以前読んだ「科学者という仕事」がよかったので読んでみた.
副題は「なぜ『紙の本』が人にとって必要なのか」.
3章まではとても面白い.文章,数式,美などを認識するには脳の想像力が不可欠であり,その脳の想像力を高めるために受動的に大量の情報を得るのではなく,入力を制限する必要がある.そのためのメディアとしての読むことと書くことの重要性を説いている.
一方,4章からは電子書籍がこの想像力を高めるメディアとしていかに物足りないかが書いている.この論拠が弱い.技術的に未熟なことを指摘したり,紙へのノスタルジーに頼ったりして論を進めているが,まったく弱い.いくら電子書籍が普及しても,紙のメディアはコレクターと専門家のためには残るだろうから,このあたりの議論はかなりむなしい.そして最後の結論が紙の本と電子書籍のうまい使い分けをというのは全く当たり前のような気がする.
本論と外れるが,p.64 あたりで「美の三要素」として「単純性,対称性,意外性」をあげて,数学の数式や文章の美しさをこの原理で分析している箇所がある.これはちょっと感心した.ここにあげられた要素自身は言われてみれば当たり前のことのように思えるし,たぶん美を研究する学問では美の要素というのは当然考えられているだろうが,その美の対象を数学や言語にまでは広げていないのではないか.知らないけど.
「この式は美しい」とか「この作家の日本語は美しい」という表現を見かけると,具体性にかけていて何も伝わってこないことに私はもどかしく感じていたので,それを少しでも具体的な形にしてくれたこの部分には考えるためのヒントをもらった気分になった.
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電子書籍礼賛に警鐘をならす内容の書。
わからないでもない。私も辞書で言えば「電子」より「紙」派だ。
…という同じことを著者もこの書の中で述べていた。
要するにどちらも「使い方」の問題であり、一辺倒になる、あるいはどちらかが残ってどちらかが消える、という話ではない。
これをこの書では「使う側の意識が鍵を握っている」と結論付けている。
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これからは日本も電子書籍の時代だ、と言われるようになって久しい。2007年にAmazonが電子書籍リーダー「Kindle」を発売し、米国で電子書籍のブームを巻き起こして以来だろうか。しかしその後日本国内においてはなかなかどうして普及が進んでいない。
もともと電子書籍というのは結構昔からあるものなのだ。1990年頃にはソニーから専用機器が発売されていた。その頃から電子書籍の時代が来ると言われていたが、著作権関係の複雑さや出版流通業界の反発(食いぶちが無くなるかも知れないのだから当然だ)等の要因もあって国内では本格的な電子書籍の時代はまだ訪れていない。
それでもようやく、今度こそ本当に電子書籍が日本の出版業界を席巻する時代が来るのではないかと巷で囁かれているのは「Kindle年内に日本で電子書籍スタート」「Amazonと日本の出版社数十社が合意」といった報道が今年に入って相次いでいるせいだ。
個人的には書籍の電子化の波は抗えないものだと思う。携帯性や紙資源の節約など、時流的に電子化は致し方ないのではないか。
そんな訳で前置きが長くなったが、電子書籍の波が押し寄せる中あえて「紙の本」の重要性を問うのが本書。著者は東京大学大学院総合文化研究科の准教授。素人には何だかよくわからない肩書に思えるが、言語脳科学および脳機能イメージングが専門分野らしい。本人は本書中で「主に言語脳科学を専門とする科学者であり、大学で物理学と脳科学と言語学を教えている」(p3)と述べている。そんな研究者が本書では脳科学の観点から「読書」の重要性を、それも紙の本を読むことの重要性を訴えている。
著者は「読む」という事は人間の脳の驚くべき能力であるとした上で、脳の機能の解明から始める。言語学者のN・チョムスキーの研究(=言語という視点から人間の本質を科学的に解明する)をC・ダーウィン(進化論)やJ・ワトソン&F・クリック(DNAの二重らせんの発見)の業績に並ぶ程の科学における革命であると絶賛する。
人間の言語に共通する「再帰性」という性質、その例となる楽譜と言語の共通性、そして数学はなぜ難しいのかの理由、そして「美の三要素」など、様々な実験や研究の成果を紹介しながら、興味深い言語の世界へ読者を誘う。
その中では思わぬ発見がたくさんあって、僕のような文系人間には目からウロコが落ちるような事ばかり。例えば「一般に「左脳は論理、右脳は感性」などと言われるが、そもそも論理や感性の「座」が脳のどこにあるのか未だわかっていないのだから、脳の左右差に関するほとんどの議論は科学的裏付けがない。唯一はっきりしている左右差は、言語機能くらいのものである」(p72)という部分にはびっくりした。
驚くべきは著者が繰り出す話題の豊富さだ。専門的な内容を扱いながら音楽をはじめとした様々な芸術を例えに出し、言葉の不思議さを紐解いていく。堅苦しい話題になり始めるとすかさず柔らかい話題を繰り出して読者の興味を離さないテクニックは見事。読んでいるうちに、そういえばメールにおける顔文字というのは日本古来の「へのへのもへじ」と基本的に同じものなのだなあ等と思わされる。この雰囲気は脳科学という理系ど真ん中の分野の研究をしなが��も芸術分野にも造詣の深い著者ならでは。またこの柔軟さが脳科学と言語学という文理を横断する研究を結実させているのかもしれない。
そして電子書籍と紙の読書である。著者は電子書籍より紙の本の方が情報量が多い、という。ディスプレイ上ではどうしても再現できない「紙の質感」や「本の厚み」「装丁」といった情報は記憶に大きく影響を与え、想像力を育てる上でも大きな意味を持つという。効率を最優先した電子書籍ではそこらへんの情報がそぎ落とされてしまうのだ。この主張にはハッとさせられた。辞書へのリンクをはったりイラストを挿入したりできる電子書籍の方がなんとなく情報量が多いように思っていたが実際にはそうでないのだ(もっとも本来は手書きの直筆の原稿を読む事が一番情報量が豊かなのだが)。
音楽に詳しい人は以上の話を読んである事を思い出すかもしれない。そう、これって「CDとアナログレコード」の関係とそっくりなのだ。CDは周波数をカットしているため音質がアナログレコードに比べて劣っていると言われる。
著者はそんな例も取り上げつつ、紙の本で得る読書体験の素晴らしさを主張している。もちろん、電子書籍が全面的に悪いと主張している訳ではない。電子書籍と紙の本の良い所を共存させればよい、と主張しているのだ。そしてただ流されるように電子化に向かっていく現代に警告している。
脳の想像力を鍛えることは感性を豊かにする。その出発点は知的好奇心だ。電子書籍も紙の本も、良さを活かすのは使用する人間の側だ。
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副題「なぜ『紙の本』が人にとって必要なのか」というのを見て期待した内容とは異なっていた。
紙の本の優位性については、なんだか情緒的な話になっていた。使い込んだ本は財産であるだとか、初版本に価値があるとか。
確かにそうなのかもしれないが、言ってしまえば個人の趣味の問題であって、逆に紙の本の優位性がそれくらいしかないのであれば、電子書籍のほうが場所を取らないしいいなあと思ってしまう。