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非常に感銘を受けた。戦時下の作家たちの生の声に、驚かされたり共感したり。
巻末の対談で平野啓一郎が「三部作」と読んでいる他の二冊、「私の20世紀のクロニクル(ドナルド・キーン自伝)」「昨日の戦地から」も読んでみよう。
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キーンさんの日本人の日記シリーズ。
太平洋戦争中の著名人の日記を紹介している。
永井荷風が面白い。
個人的な日記というものが、出版されてお金になるってのがさすが大作家というところか。内容も、軍部に対する皮肉や、スローガンのセンスを酷評したりと容赦ない。まあ、人に読ませることを意識して書いているという感じは否めないが。
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太平洋戦争開戦から戦後占領期まで、永井荷風、伊藤整、山田風太郎らの作家は何を想い、何を日記に記してきたか。
私が最も感銘を受けたのは、高見順の冷静な観察と前向きな思考だ。
膨大な史料からこの一冊を生みだしたキーン先生には只々感謝。
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作家の日記から第二次世界大戦を読む。これ読んでから村上龍の五分後の世界読み直すと、ゾッとする度が5倍増しだよ。
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2012年「マイ読んでよかった本」ランキング1位の本。
その時代を生きた人たちの考え方に触れて、色々衝撃を受けた。
みんな本当は戦争を嫌悪してたのかと思ってたら、そうでもない人がいたこと事が。
むしろ欧米の人たちに対する反感が当時強かったんだというのがびっくりだった。
好感を持ったのは高見整。ニュートラルな視線に感心させられたり共感したり。
逆に山田風太郎は腹が立った。戦争をすべきという考え方だが、医学生だった彼は戦地に送られる心配がないからそんな事言えたんじゃないかと思う。もし前線に送られてもそんな考えでいられたのか、疑問に思う。
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その時代の当事者の飾らない生の言葉。その後の結末を知っているだけに大変に切なくなる。
意外とみんな日米開戦にポジティブな印象。
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実は(常々興味はあったものの)ドナルド・キーンは読んだことがなくて、これが初読。高見順、山田風太郎、永井荷風、内田百間、渡辺一夫など作家の日記を紐解き、彼らが戦時中あるいは戦後に何をどう感じていたのかを解き明かす。
そこに描かれている作家の思いや印象は様々で、それはそれで面白い(特に、戦争に絶対的な賛美を送る山田風太郎)のだが、やはり特筆すべきはドナルド・キーンの日本に対する洞察の深さだろう。曰く、日本では平安時代から書かれ、読まれ続けている「日記文学」は、しかし、特異だ。そもそも米国人は日記を付ける習慣がある人が少なく、しかも読んで面白い日記というものが少ないため、「日記文学」というジャンルが成立していないそうなのだ(代わりにコラム文学は日本の素粒子だの天声人語だのを遙かに凌駕するけれど)。確かに言われてみると、日本の日記文学は平安時代の数々の〜日記をはじめとして、僕も最近読んだ「ローマ字日記」(啄木)や、本文でも触れられている「断腸亭日記」(荷風)、果ては現代の blog 日記の類まで様々だが、海外作品と言って思い出すのは「アンネの日記」くらいか。キーンはこれを、「日本人は普段あまり自分を語らず、思っていることとは逆の表情を見せることすらある(悲しいときに、人に心配をかけないように笑うなど)。しかし、『書くのはいい』とされており、しかも日本人はそれが非常に好きだ」と分解してみせる。確かに、日記はつけるもの読むのも面白い(この booklog も、日記みたいなものだ)。併録されている対談で、「典型的な〜人」という概念は繰り返し否定されているのだが、しかし、日記を読む楽しみの中には「典型的な日本の何か」があるのかもしれない。
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[ 内容 ]
開戦から戦後までの永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎らの日記に見る高潔と人間くささ。
非常時における日本人の魂に迫る評論。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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面白い。戦争時代の有名人が書いた日記を紹介したもの。戦争が始まった時に、どれだけ皆が興奮して喜んだかお祭り騒ぎだったか今言われている事と事実は違うとわかる。
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開戦前夜、戦中、戦後における作家の日記を追い、当時のインテリの戦争観をあぶりだす。取り上げられている主な作家は永井荷風、高見順、伊藤整、山田風太郎。終戦間際まで日本の勝利を信じる者、戦闘の行方に一喜一憂する者、皮肉と諦念で紙面を埋める者・・。
その捉え方は実に多様だ。また意外な作家が意外な所感を披歴していることにも驚く。
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太平洋戦争が始まった1941年から、連合国による占領から一年が過ぎた1946年までの激動期を、作家たちの日記にスポットを当てて描きだした一冊。
まず、戦争に対する考え方が人によってこれほどまでに違うのかと驚かされる。狂信的に好戦的な人、自分の良心に従いつつ葛藤する人、達観した人。著者が巻末の平野啓一郎との対談で言っている「いちばん深く感じたのは、当然のことですけれども、日本人にもいろいろいるということです」に強く頷く。
それから、もう一つ印象的だったのは戦争が終わったすぐ後のこと。これで自由に書ける!と思う一方で喜びを感じないとか、アメリカ兵と日本人女性の関係に顔をしかめつつも可能性を見出すとか、これから始まる「戦後」に対する戸惑いや希望が興味深い。
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過去を知る上で、日記というものに着目する観点にまず圧倒される。また、なによりも書き溜めた日記を守った事実に心を揺さぶられる。
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1941年から1946年にかけての5年間、日本社会は開戦、空襲、敗戦、占領と目まぐるしく変化した。この間、徴兵されなかった日本人作家たちは作品を発表する場を失ったが、「書く」という欲望を満たすために、日記をつけた。
誰に見せるつもりもなく、世間に発表するつもりもないが、再び作品を発表できる世の中に戻れば、日記を記したことの経験が意味を持つ。空襲で焼けた家から真っ先に日記帳を持ち出した作家もいた。
元アメリカ海軍の日本語通訳官の日本文学者ドナルド・キーンは、残された日記から、作家たちが戦争をどのように考えていたか、庶民の戦中生活はどのようなものだったのかを知ろうとする。
日記には個人的な著者の本音が記されているはずだが、当時の厳しい検閲を恐れてか、あえて自分の意見を伏せ、当時の社会や軍におもねる表現も多い。
本書で取り上げられる作家たちの中で異色なのは山田風太郎。戦中はまだ作家ではなく、大学生であった。多くの作家が戦争に対する倦怠、後悔、政府への批判を日記に記すのに比べて、山田の日記は元気で高揚感があり、日本の必勝を信じ、アメリカへの憎悪に満ちている。
プロ作家の日記だけじゃなく山田風太郎のような学生や一般市民、主婦、兵隊などの日記も取り上げてくれれば、戦中史としてもっと面白かったかも。
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1941からの1946年に書かれた作家たちの日記からみた当時の日本の状況について
特殊な時代をより良く理解するためにも、当時のインテリの日記は極めて得難い資料。
大きな情報統制がある中での、作家一人ひとりの多様で私的な言葉。