紙の本
誉められすぎてなんだかこそばゆいけれど、いいところは大事にしよう
2012/04/27 11:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんだか名前がご大層過ぎて・・・著者はチェスター・リーブス、カルチュラル・ランドスケープ史が専門とか。カタカナはよくわからない。「自然」と「文化」に育まれた景観やコミュニティや暮らしのことらしい。訳者は『道路整備事業の大罪』を書いた服部圭郎氏。
ママチャリ(スポーツ用ではない。子ども用の座席のあるなしは関係ない。日本ではごく普通のタイプだが、世界的には珍しいらしい)と自転車町内、公共交通の3つは世界にとっても重要な資産だって。誉められすぎてなんだかこそばゆいけれど、友人とも、「自転車と湯たんぽは偉大な発明だよねぇ」と話したことがある。なんたって、便利。毎日お世話になっている。無駄がない。超お得。この本によると「地球に優しい」。温暖化対策でもあるなんて、意識していなかった。CO2を出さないって、当然過ぎるものだから・・・場所もとらない。そういわれれば、なるほどです。
「ママチャリはまた、人間の身体的なサイズというべきヒューマンスケールとコンパクトな生活圏を維持しているという面から、人々の生活に影響を与えています。」アメリカの買物は自動車で・・・自動車の購入、ガソリン、でかいショッピングカートに大量の食品、駐車スペースにでかい冷蔵庫、でかい台所、幅広い道路・信号・右折レーンも整備。「こうして、自動車の利用は、エネルギーを大量消費するコンパクトでない建物、街区、そして都市をつくりだします。それはまた、運動不足、食べ物の大量摂取、より太い腹回りと、医療費の高騰をもたらすことになるのです」。しかし、今の日本もアメリカの後を追っている・・・メタボ検診、スポーツジム通い・・・
自転車町内という呼び方、なるほど、自転車でいける範囲に、買物先、銀行、郵便局、病院、仕事場、公民館、すべて揃っているなぁ。生活圏=自転車町内ねぇ。だから、ウサギ小屋でも快適だったと、著者は言う。だから籠っていてはもったいない。自転車町内を有効に活用しないと。ただ、それも、自転車に乗れるうち。自分の高齢化に伴い、歩ける範囲にある程度揃っていないと、暮らしが成り立たない。もっとコンパクトになって欲しい。
「国によって、モータリゼーションが進展する時期は異なりますが、その結果はほとんど同じです。都市内の街路を自動車のために転用するという事例は、日本の都市を含めて世界中で見られる現象です。都市内の幹線道路は、高価な信号機や標識、立体交差、ガードレールなどさまざまな設備を設置することで、道路における最も広い空間が自動車に提供され、それ以外のものは端に追いやられることになります。自動車こそが王様であり、道路のほとんどの部分を占有することを許されています。そして、我々はこれが正しい状態であると認めるよう洗脳されてしまっているのです。」
自宅近くを通る予定の都道小平338。説明会での都の職員の対応を見ていると、頭固すぎ。住民の意見を聞こうという態度がまったくない。きっと洗脳されちゃっているんだね。道路を造ることがいいことだと思い込んでいて、それを前提にしちゃって、アセスをやっている。順序が逆なんだよねぇ。人間にとってどうなのかという発想に切り替えて欲しい。
「自転車の駐輪場での管理人が重要であるとの同様に、その仕事に献身的で、礼儀正しく、責任感がきわめて高い勤労者たちは、日本の公共交通システムを人の顔が見えるものにし、安全性、予測性、そして使い勝手のよさを提供しているのです」。
著者は、人間に重きを置いている。ママチャリが、スピードがさほど出ないし、周りを見ながら走れるようになっている点に着目している。すれ違う時も日本ではお互いに無言のコミュニケーションで上手に行き交うって。また、戸建の低層住宅地は高層の建物と違って、人の眼があるから、防犯上もいいって。そう、大事なのは、人間なんだ。そこを忘れちゃぁいけないと思う。
この頃、大騒ぎしている地震対策について、下町の木造住宅が槍玉に上がっているけれど、コンクリートの建物には、私は住みたくない。木造が日本の気候にあっていると思う。震災の時には、まずはいのちを守って逃げる。家が焼けちゃったらまた建てればいい。高層のコンクリートは撤去するにもやっかいだよ。そう言えば「コンクリートから人へ」って標語はどこへ行ったんだか。「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」っていうのもあったっけ。いい言葉は大事にしたいね。
コマーシャルに、携帯の道案内を見て歩く人だらけというのがある。あれでは行き交うのも難しくなるだろう。実際、自転車で携帯を操作している若者にぶつけられ指を痛めたことがある。目の前の人間を見ていない。著者が褒めてくれた日本の財産、人間を大事にする視点も今の日本ではとても危うい。自転車は車道を走れというが、現実には狭い車道では怖い。歩道を走る際には、小さなベルを早めに鳴らし、道を譲ってくれた人には「ありがとう」「すみません」の挨拶を心がけている。ほんの小さなことでもいい、できることから変えていこう。
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職場の本屋の平積みから購入。
町とか街とか都市とかついていると、つい買ってしまう。この本はあたり。
アメリカのプランナーが、日本のママチャリ(スポーツ自転車ではなくて)について、その効率性、自然へのやさしさを指摘している。
著者は、日本の大都市を視察したようなので、日本の地方都市では、ママチャリだけでは生活できない都市、自動車に頼っている都市も多いが、大都市でのママチャリの効果に着目してくれたのはうれしい。
東日本大震災9ヶ月目の今日、この本を読みながら考えた点。
①新しい復興まちづくりでは、アシスト付きママチャリが通行できるぐらいの規模、道路配置、勾配のまちづくりが大事ではないか。
自分の父母もまだ田舎で生活しているが、自動車での買い物は不安。それも自宅が勾配率の高い道路のある団地にあるせいなので、勾配をおさえて電動ママチャリで異動できる街であれば、高齢者であっても、健康で買い物とか病院がよいが、自動車よりは安心してできる。
②都市部での歩道と車道での自転車の通行規制については、まず、夜間時の明かりの点灯などを徹底した上で、ままちゃりは歩道、スポーツ自転車は車道というのが実態にあっていないか。
自分も、歩道を歩いていて、自動車と衝突してけがをしたことがあるが、その場合でも、相手はスピードを出しすぎた(というか簡単にスピードのでる)スポーツ自転車だった。ままちゃりに、歩道の幅員がせまいから車道で自動車と一緒にはしるというのは無理だろう。
③著者は、森ビルの再開発モデルや、高速道路建設を批判している。この問題は、ゼロか百かではなく、やはり木造密集地域のように防火など防災上危険な区域を再開発するためには、高層化もやむをえない。しかし、どこもかしこも、まちの趣をこわして再開発すべきではない、といった、ちょっとぱっとしないが、中庸な判断が必要。
高速道路も同じ。今のように物流が都心部まで入り込んでいるのだから、環状線は必要だろう。ただし、多額の負担を将来に残す高速道路の整備は、やはり、選択と集中が必要だし、現世代で、運営コスト、修繕コストぐらいは料金できちんと負担すべきだろう。
外国人のプランナーの目で再評価することは大事だが、政策に落とすときには、そんなに際だって極端なものにはならない、という格好わるさも受け止めたい。
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地方の都市計画に携わる者は必読!
自転車で移動ができる範囲に衣食住があれば、高齢者にも子ども達にも暮らしやすいまちとなる。
まだ間に合う、車からママチャリに乗り換えれば、今のインフラで十分まちは活性化できるはず。
平地が少ない地形であっても、アシスト付き自転車なら有効。エコカー減税よりもアシスト付き自転車購入助成があればいいのに。
・自転車町内はトランジットモールより現実的
・駐輪スペースが至るところにあれば、賑わい創出可能性
・スポーツ自転車は車道路肩を左側通行が原則、しかしママチャリは?
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アメリカ人による、日本のママチャリが、ママチャリで行ける範囲にすべてが収まる自転車町内が、そして公共交通がいかに素晴らしいか説き、それを根底に日本の都市づくりに疑問を呈する。いかに自分たちが恵まれた環境にいるか実感できる。(長江貴士)
▼『ジセダイ』140文字レビューより
http://ji-sedai.jp/special/140review/20120210.html
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地区交通計画と自転車の関係をランドスケープの専門化が考察した良書。特に空間のフレキシブルな使い方についての考察は秀逸。公共空間を民間や市民がマネジメントすることで可能性が広がることを示している。環境のための自転車ではなく、ヒューマンスケールな空間における自転車や土地利用と自転車の関係などもっと多角的に自転車を考えないといけない。走行空間と駐輪施設だけの問題ではない。
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日本には世界に誇れる多くのクール・ジャパンがある。技術力・伝統文化・食文化・自然美etc。しかし本書で紹介されるクール・ジャパンはなんと「ママチャリ」なのである。この実用的な自転車と、生活を維持していくのに必要なほとんどすべてを確保できる「自転車町内」を実現している日本の都市構造を、著者は絶賛する。またママチャリを軸に環境問題や自動車社会への問題提起もなされた深い一冊になっている。外国人から見た日本の中に、当たり前で気づかなかったすばらしさがあると教えてくれます。ママチャリに付属しているカゴやベル、ハンドルカバーですら絶賛しているのですから!!
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小林成基氏、疋田智氏、古倉宗治史らとは異なる視線、いわばママチャリ目線から日本が作り上げてきた「自転車町内」を、理想的なスモールコミュニティと考え、その持続性の高さ、エコ、コンパクトさを賞賛した本書。
これからの自転車走行空間や駐輪場整備の問題点について、違った目線からの論評であり、また違った文化から問題点を切り取っており、勉強になる部分も多かったです。
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「エコ」で「サステイナブル」で「コンパクト」!未来の理想の町は日本にあった!/
Secrets of Japanese Cities the World Admires. ―
http://www.yosensha.co.jp/book/b94920.html
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一言でいうと?
”スマートシティ”よりも
”スマート『いまあるもの』”
概要:
本書の前半と後半に強いギャップを感じた。
後半の、海外からの視点から日本における自転車交通について論じている箇所が読み応えがあったため、前半の軽さ(?)がもったいなく感じた。
第1部:
ジャパニーズ・ママチャリ、スゲー
第2部:
日本の都市構造をきちんと説明し、ローカルな自転車交通の現状を解き明かしている。
日本と欧米諸国を比較すると、そもそも自転車交通に対する概念が異なっていることを指摘されて、確かにそうかもしれないと思った。
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この書名では絶対に手に取らなかったが、安藤昌也先生がスライドで挙げていたので読んでみた本。ママチャリを愛するアメリカの「カルチュラル・ランドスケープ」史家の先生がそのすばらしさをほぼ手放し(もしかしたら天然ボケで嫌味を言ってるのかもしれないけど)で褒め称えつつ、最終的にはアメリカに代表される自動車最適化社会を糾弾する。先ほどまで読んでいた不便益の本とも通ずるところがある一方で、時刻に正確で顧客サービスが丁寧すぎるかもしれない公共交通機構への賞賛については、最終的な筆者の論点(自動車最適化社会がもたらす弊害)とは少し離れている気がする。ここがんばっちゃうことで疲弊する社会が日本には生まれているのだから。自転車に寛容であるとともに、多少電車が遅れても完璧なサービスでも無くてもオッケーな余裕ができれば、日本はもっと住みやすくなる?