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山本ふみこさんの文章には、はっとさせられるものがいつもたくさんある。さっぱりと身の回りをととのえながら、それでもいろんなことにうんうんと悩んでいる山本さんの率直さが好ましい。以下、抜粋。
「結果ばかりを追い求めるのは、うまくない。…と思う。うまくないといいより、てんでおもしろくない。(…)結果ばかりを考えない生き方とは?それは積み重ねを味わう、おもしろがる、というのに他ならない。もっと云えば、そうした過程のなかない待ち構えている“うまくゆかなさ”さえ、たいした贈りものなのだということもわかってくる」
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3.11の地震の後、備えについて考えはじめた人も多いかもしれません。
わたしもその一人で、これだけは、と思われるものをリュックに詰めています。
その、必要なものを考えて詰めるときのなんともいえない変な気持ち。
それについての表現がすごくしっくりきて、自分の気持ちにも納得することができました。
また、著者の生活ぶりから伝わってくる、少ないものでも(というより、少ないものだからこそ)できる豊かな暮らし、豊かな気持ちが、とても心地よく、気持ちのいい一冊でした。
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山本ふみこさん初めて知りました。本屋さんでたまたま手にとってページをめくったら震災のあとの考え方の変化や、暮らしについて考えさせられることが書いてありました。それは私にも今の中途半端な状態から抜け出させる言葉が沢山ありました。
私も避難用リュックを作ってみたものの、なんだかんだ必要だと入れてみたら入りきらずに引くバックまで入っている有様で、本当に逃げるとなったら無理だと感じていたものの、その先を考えずにいました。
だからこそ私も脱皮しなくてはと思いました。
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大好きな山本ふみこさんのエッセイ(とうとう頭冠に「大好きな」がついちゃったよ。ぷぷ。)
いっぱい引用しました。
まだまだ引用したいですよ。「いっしょに困る」とか「他人の幸せを喜ぶ=練習の積み重ね」とか。
さつさつと、こつこつと台所仕事をし、生活をしながら山本さんが紡ぎ出す言葉に、いつも「はっ」とさせられます。
今回は震災後初のエッセイ。
山本さんのエッセイを読んだことがない人、山本さんを知らない人、
肌が合わない人も、
「はっ」となるんじゃないかな。
そんな感じがします。
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当時のわたしの片づけの動機は、時間の節約だった。その目標が消えたわけではないけれど、いまはもっと胸に迫るものがある。風通しのよさといったようなもの。
妬むところまでゆかなくても、他人のしあわせ、よろこびごとをよろこべないのが、さびしい。ふと、ほんとうにふと、「他人のしあわせをよろこぶ」こともまた、練習の積みかさねなのではないかという気がしてきた。
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妻が「この本、好き!」と言いながら読んでいたので、つられて読みました。
家族や仕事など、日常についてのエッセイです。
書かれている文体は、一文一文が短め。僕の好きなリズムです。
猫のこと、夫の仕事のこと、祖父のこと。
心の機微を伝える言葉の選び方が、何とも味があります。
ゆっくりと読み進んでいきたい、そんな本でした。
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非常に共感するところの多い本だった。飾らない文体もここちよい。
(共感した部分を「引用」に登録しておく)
震災を経験して「何かが変わった」あるいは「変わらなければ」という気持ちを抱いている人にぜひ読んでもらいたい。
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震災後。日々の連なりを大切につづっている。素朴だけれど、とてもこころが熱くなる。手を空ける=余地を残しながらゆくというはなしがわたしのお気に入り。
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震災を通して、日々の生活を見つめ直していく思考の過程がつづられた本。うつろいゆくかけがえのない日々を慈しむことやいっしょに困ることの大切さなど、山本さんがたどり着く価値観を私の中にも取り入れたい。
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なぜか縁がある山本ふみこさんの本。生活の仕方や考え方が素敵だなと思う。実践は難しいところもあるけれど。
今回は震災後に変化した自身の生活や考え方を綴った本。
楽に読める章と、小説よりもずっと小説的な章とあって、買って手元に置いておきたい本でした。
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気にいった部分、抜粋。(読んでないひと、読まないでね、ごめんね)
・危険には不可抗力のものもある。東日本大震災がそうだった。がその後の放射性物質漏れは天災ではなく人災で、突きつめればわたしのせいである。
原子力に頼る行き方を積極的にではなかったにしろ、選んで、甘んじて暮らしてきたわたしに加担の責任があるという意味で。
このように、選んだ覚えがないのに、いつの間にか選んだことになってしまう選択がある。わたしたちは、選択肢のふえたことに調子づき、選択のときに緊張感はおろか、自覚さえせぬまま素通りする術を身につけた。素通りはそして選択したことを意味する。
・年をかさねるたびに、荷を持つことにためらいを覚えるようになり、身軽がどんどん好きになってゆく。それは暮らしそのものに対しても同じだ。
暮らしの身軽さが余地を生む。
少し手(からだ)を空けておきたい。
空けた手で、咄嗟のことに応じたい。
空けた手で、出来るだけ自分のことを自分でしたい。
空けた手で、誰かの小さな助けをしたい。
・つぐ日(翌日の意、次ぐ日なのか、継ぐ日なのか)
・人間関係を長く大切にする。
切れたと思ったつながりの先へ向かって目を凝らし、感謝することはできる。思いをはせることは出来る。
・一歩一歩
結果ばかりを追い求めるのは、うまくない。てんで面白くない。
人生の上に起るあらゆることの結果ばかりを考えていれば、早晩、毎日毎日の繰り返しにうんざりするようになるだろう。 結果ばかりを考えない生き方とは? それは過程の積み重ねを味わう、おもしろがる、というのに他ならない。
もっといえば、その過程の中に待ちかまえている「うまくゆかなさ」さえ本当はたいした贈り物なのだということもわかってくる。
「うまくゆかなさ」は、人生にゆとりをもたらし色々の事に対する理解を深める。何より、「うまくゆかなさ」は結果ではなく過程にこそ値打ちがあることを教える。
・よかれと思ってしてやり過ぎること、心配し過ぎることは、相手の人生の道の上の瘤を、せっせと取り除いているようなものかもしれない。たまには転ぶのがいいのだ。瘤あっての人生をおしえることもしないで、あわてて瘤を取り除いた結果、相手の人生から「気づき」を奪っていたとしたら・・・?相手が子どもだった場合には成長の邪魔というほか、ない。
・なんの変哲もない日常 はない。
生活はつみかさなって出来ているけれど、変化している。人は同じところにとどまってはいられないのだ、生活はうつろってゆく。
うつろうことを思えば、生活の積み重ねをもっとありがたがらねばならない。
うつろっていくかけがえのない日々を慈しんでいきたい。
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山本家の普段の生活が綴られている本。
持っているモノひとつひとつと向き合いたかった、という言葉に同感!
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変わっていくから、流れに乗って変化していくから
人も、暮らしも
だから。
あっさりと読みやすいようで、熱い思いもこもった、素敵な本です。
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いそいそと読んでしまった、ちょっともったいなかったな。
震災が起きて三日後の出来ごとからこの本は始まっていくんだけど、スーパーでも買占めが起きていて、それをみたふみこさんは買い物をやめてしまうんだよね。
私はその買占めの様子を見たら急に不安になってしまって、恥ずかしながらその買占めに参加してしまった。(といっても牛乳一本余計に買っただけだけど)
みんなが買い占めたら私の分が無くなっちゃう、テレビでも買い占めで商品がなくなるってやってる、だから私も、って。
思い出すと、つまんないことしたなぁ。
本当にモノがないのは東京じゃなかったのにね。
私はこのエピソードがなぜだかぐさっとささって、読み終わっても残っていた。
あの大きな流れの中でどうして自分を見失わずにいれたのだろう、すごいな、って。
ふだんから物を多く持たない生活をしてきていたから、そう思えたのかな。
そなえることは、へらすこと。
この言葉は好きだ。
普段の日常は必要なものだけなるべく最低限のものだけにしておけば、有事の際にもその心がきっと役に立つ、という意味なんだと受け取って大切にしようと思った。
最低限とはちょっと違うけど、毎日お昼は蕎麦っていうのもなんかいいなと思った。
毎日の献立を考えなくてもいいのか、同じものでもいいんだと気付けた。
そうだよね、毎日ごちそうをつくるわけじゃないんだから、そんなふうにしたって家族がいいって言うならいいんだよな。
家事の力の抜きどころを見た気がする。
ふみこさんのこのシリーズはほんとに読みやすい、寝ぼけた頭でも読めてしまう。
だからこそ、また今度はシャキッとしたときにも読み直すのが吉な本でもあるよう二思うので、そうしてみようかと思います。
雨の日の朝に。
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図書館で出会う。
すいすいと山本さんの日常を読めて楽しかった。
夫婦ふたりだと朝の支度は7分でや、
お昼は決まって「おそば」どちらかが茹で始めるなど、これは真似しようというものもありました。