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シベリア・シリーズで著名な山口県長門市出身の画家・香月泰男さんは、こう書いていたという。「わたしには家族がある。わたしは国より家族のほうが大切であると思う」。この本を読み終わったときに、このことばが思い浮かんだ。一人一人、みんながこう思えば、戦争は起きないのに・・。そんなことを感じさせられる。
読み進めるほどに、途中からやめられなくなる構成もおもしろいし、地方の放送局のディレクターの悩みも率直に伝わってきて、感銘を受けた。
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静岡放送の記者、岸本達也氏のドキュメンタリー番組「日本兵サカイタイゾーの真実」を基にした作品。戦争中に米国人が預かった写真を日本人の関係者に戻したいと言うエピソードを、単純な美談として追うのではなく、真摯に時代の背景や、人の存在そのものに関心を寄せ、誠実に事実を重ねた上でのノンフィクション作品。
あの戦争を知っている人たちは、年々少なくなっている中で、一人の記者として誠実に事実をたぐっていく筆者の姿勢と人に対するあたたかな心が伝わってくる。
様々な思いを持って、あの戦争を生きた人が居たこと、しかし、語ることができない世間との軋轢。同じ思いを、この同質性を求める社会で、現代でも思っている人は居るに違いない。
写真の裏に書かれたボードレールの詩 「悪の華」から
おお、わが「苦悩」よ、ききわけて、静かなれ。
印象的な詩が持つイメージが、読後に広がってきた。
出版社の幻戯書房というのが辺見じゅんさんが作られた出版社であったことも初めて知った。地味だけれども良い仕事をしている人たちにもっと光が当たってほしい。
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硫黄島の最後の総攻撃中に自らの意思で捕虜になり、栗林中将の通信員として知り得た軍機を進んでアメリカ軍に提供した行為は、同じく硫黄島で戦い、戦陣訓に縛られて戦死した、意識不明・行動不能な状態で心ならずも捕虜となった戦友からすれば、銃殺に値する利敵行為と責められても仕方ない。しかし、彼は自らの持つ価値を認識し、それ利用することで、自らの命を生かしつつ、戦争を一刻も早く終わらせようという意思をもって、捕虜となった。その行為は、日本軍人としては責められるべき行為かもしれないが、戦陣訓ではなく、(アテネフランセで培われた?)平和、自由を選んだ(望んだ)ひとりの日本人としてその意思は、戦死者と同様、尊重されるべきであると思う。
憶測ではあるが、彼は戦後もアメリカの情報提供者として活動していた時期があったと思う。
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硫黄島で捕虜になった「サカイタイゾー」には秘密があった。
米兵に託された一枚の写真を元に、その秘密に迫っていくさまはスリリングだ。
最終章では「真実らしきもの」にきっちり到達するので読んでいる側にもカタルシスがある。
ところどころ感傷的なのが気になるが、調査が難航し、対象に思い入れも強かったことを考えると仕方ないのかもしれない。