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福沢諭吉が女性の地位向上に関心を寄せていたということを、何となくは知ってはいたが、本書を読むとその努力が並大抵のものではなかったことに驚かされる。同時に、明治19年に出版された『男女交際論』など、多くの偽版が出回るほど人気をよんでいたことを考えると、人びとの関心も思いのほか高かったことがわかる。本書は、福沢諭吉の女性観についてその著作を丹念に読み解く一方、実際の行動面にも目を向けた力作であり、もうひとつの福沢諭吉像をわれわれの前に提示している。
福沢は、当時としては行き過ぎとも思えるほど近代的な女性観を一貫して説いているが、実際面ではそれと矛盾するような行動もとっていたことを筆者は明らかにする。たとえば、慶應義塾はごく初期に女子を幼稚舎に入れたことはあったが、その後は男子教育専門の学校になってしまった。また、福沢の娘も一時期、横浜のの全寮制学校に入学したもののすぐに退学してしまった。
筆者は、本当は福沢が女子教育に強い関心を持っていたこと、ただし、娘の教育については妻・お錦の意見の方が影響力を持ったことを明らかにして、そのあたりの矛盾を説明する。さらに、福沢より身分の高い家の出身である妻・お錦とは一種の「格差婚」であったという指摘も非常に面白く、福沢への新しい見方も可能にする。
なお、本書の帯にある「男子またこの書を読むべし」とは、福沢が晩年、情熱を燃やして書き上げた『女大学評論・新女大学』の献呈にあたって扉に好んでサインしたことばである。女性論は同時に男性論であると説いた福沢の考えは、なお新鮮さを保っており、今またその意味を問うべきだろう。