紙の本
「近代化」を怠ってきた、「土人」の群れ
2012/01/05 09:37
12人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ミルシェ - この投稿者のレビュー一覧を見る
実践的社会学者宮台真司氏と、実践的評論家
大塚英志氏による、震災を機に、一挙に様々な方面から噴出している、
これまで空気に縛られやすく、政治にしても、何にしても、不確かな何か
大きな存在に依存しようとし、依存し続けてきた日本人、つまり日本人はこれまで、
真の意味での日本の近代化を、怠ってきたという内容です。
さすがに、そろそろ宮台氏辺りも、日本の政治家・政党・有権者、
というか、全てひっくるめた、結局これまで体裁だけを整えたに過ぎなかった、
日本の民主主義自体?に対して、期待が低くなってきたように感じました。
確かに、現状を見ていると、しかたないかなという気は、しますが。
全体的に、悲観的な調子ですね。
特に、私はどちらかというと、より悲観的かつ、そのためより現実的とも感じた、
大塚英志氏に賛成でした。
震災や原発事故くらいでは、もう何百年にも渡り、
自らで考え行動するという、近代化を怠ってきた、日本人及び日本人は、
そう簡単には変わらないという。
やはり、西欧的近代化は、日本には無理じゃないの?など。
それから、私も以前から何かと苦々しく思っていた、
元テレビ朝日の女性キャスター出身で、
自民党の某女性議員などの、
(自己顕示欲・例によって、本職行き詰まりの結果の、
転職目的の出馬にしか見えない出馬、これまでの主張とは、正反対な自民党から出馬をし、
政権党・権力の側にいたいのが丸わかりな、見え透いた思惑。
当選当初「獅子身中の虫」となって、自民党を改革したいと、ご大層な決意を表明しておきながら、
間もなく最大派閥の町村派入り。この発言も、どうせ最初から、口先だけだと思っていましたが。
このように、立候補当初からの彼女の数々の言行不一致・一貫性のなさ、
国会議員としての見識を疑うような言動の数々。ニューヨークに住民票を移したまま、
そのまま出馬はするわ、そもそも、一度も投票した事すらないわ、数年前の新潟の地震時に、
ウェディングドレス姿で、まるで芸能人気取りで記者達を呼び、結婚会見だの。
そしてこの五年間の間に、何か具体的な実績を上げた訳でもなし。
本書を読んでやはり、ついに馬脚を現わしたという感じです。
そしてこれは、山内昌之氏も、有権者側の問題として指摘し、私もかなり以前から思っていた事ですが、なぜ普通の議員には、基本的に厳しいくせに、タレント・テレビ関係者出身の議員には、
甘い有権者が多いのでしょう?例え何もしていなくても。)
このような自民党の、女性保守議員達の、お前が言うな!的な、今回の原発事故に関して
国民の尻馬に乗った浅ましい言説について、「狂信的な振る舞い」・「卑怯」とずばりと、
批判・指摘してくれて、わずかに溜飲が下がる思いでした。
自分達自民党がこれまで国策とし、一向に収束する気配も見えない、
政策的・安全的・経済的にも、全く合理性のない原発政策をここまで推し進めてきた問題・責任は、
どう感じているんだ?とか、むしろ彼女達に、聞き返したい。
しかし、このように自分達の党の原発政策に関する
責任は、棚に上げて、一向に総合的な検証をする訳でもなく、ただ民主党や東電を批判するだけで、
事足りると思っている・支持が得られると思っている、
このような女性議員達のような、政治家を支持する有権者達の方も、
一体政治家にそもそも何を、求めているのだろう?と、思ってしまいます。
自民党保守議員の彼女達は、当然依然として原発推進派だろうし、代わりに今後安全な原発を、
国に作らせるような、能力もないんでしょうし。
ましてや、現在も進行形の、事態が悪化するばかりの福島原発を、正常な状態に復旧させていく、
具体的かつ有効な、アイディアや意見があるとも思えないし。復興の方に関しても同様でしょう。
ただ自分達と一緒になって、民主党や東電を批判して、
単に気持ちをすっきりとさせてくれる事、
日本はまだだいじょうぶだなどと、何も具体的根拠のない、無責任で勇ましいだけの
鼓舞・激励だけを、求めているんでしょうかね?コーチが欲しいのでしょうか?
私なら、そんな政治家いらないと思いますが。
私なら、実行・具体的な成果を、求めます。
このような、政治家といい有権者といい政党といい、日本を取り巻く政治の諸問題を思うと、
憂鬱になってきます。
それから、本書の中で印象的だった事として、
若干手法などの違いが見られるとはいえ、
基本的には宮台氏と大塚氏の日本人・日本に対する処方箋が、あまり違いがないように感じた事です。それだけ、保守・リベラルと、彼らの政治思想の違いも超えた、普遍的で大きな問題が、日本人及び日本社会には、数々存在しているという事ですね。
それにしても本文中で数多く紹介されている、
民俗学者柳田國男氏の慧眼には、つくづく感心しました。
もう、彼はずっと昔の時代から、
現在まで続く、日本及び日本人の問題点を、
数々指摘し、言及していますもの。そしてその対策に
ついてまで、思考しているし。ずっと、たいして進化し
ないマスコミの本質とか、補助金なしでやっていけない、農業問題や空気に縛られやすく、
いつまでも依存体質が抜けない、日本人の問題など。
紙の本
「日本はまだ始まっていない!」
2012/02/07 16:23
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hharu - この投稿者のレビュー一覧を見る
書籍の帯には、大きく「日本は既に終わっていた!」とあるわけだが、むしろ大塚氏が言う「日本の近代はまだ始まっていない」といった言葉をキャッチにした方が、ふさわしかった気がする。
本書の主題の一つは「日本は民主主義社会ではない」ということになるが、それはマスメディアなどがよく言う「政治に民意が反映されていない」とか「民意を問え」といった話では、もちろんない。何しろ、日本国民のことを宮台氏は「田子作」と呼び、大塚氏は「土人」と呼んでいるのだから、そのような「民意」を尊重すべきという話にはならないだろう。
民主主義論の一つに「熟議民主主義」というものがある。そこで重要とされるのは、「『ある意見を何人の人が賛成したか』ではなく、『その意見がいかなる根拠に基づいているか』である」だという(『語る—熟議/対話の政治学』風行社)。“愚民社会ではない社会”とは、一つには、“多数決に任せてしまうだけではない社会”と言えるのではないかと思う。
そのためには「田子作」であり「土人」である私たちはどうすればいいのだろうか。大塚氏は「知らねーよ」と答える。結局、ありきたりではあるけれども、誰かと時々は政治の話もしてみるとか、呟いてみるとかによって、少しずつ自分で考えていくしかないのだろうと思う。
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大塚氏が宮台氏に的確に切り込んでくださっており、いつもは推し量りながら距離をとっているような感のある、氏のその意図や真意を随分はっきりと聞き出して頂いている最新の対談に加え、過去の対談も見逃していたものが多く、酷く示唆に富む一冊となりました。
大塚氏は、個人的に、そして実に勝手ながら卑近過ぎるきらいがあってやや避けていたのですが、今回見事に、やはり一番近しかったのだということを明らかにされてしまった感です。また、もちろん天地の違いがあるわけで、”母”や“母系”の愚、弱点についても、母のファシズムについても、見ないようにしていた点を見事に描き出してもらいました。今年一番の猛省点、来年に向けての宿題が明確になった思いです。
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<愚民社会>
この本について多くを語ると、ただでさえ色々なことを想像させるタイトルなのに余計に読者の方に予断を与えてしまうかもしれないという気がしているので、この本の読み方のヒント、というか、頭を冷やしつつ真摯に読む助けになりそうだと思う部分を、新たに収録された大塚英志さんの言葉から引用させていただきます。
――「沖縄ノート」をめぐる裁判が象徴するように大江的な「戦後民主主義的言説」を「叩く」ことのほうがこの何年も世の中の「空気」だったのに、「反原発」になった瞬間、用いられるロジックは大江そのものである、という「気持ち悪さ」を、しかし感じないところが「気持ち悪い」。
【そもそも自身の「鏡像」に向かった「気持ち悪さ」を指摘することが「批評」】
なんだけれど、それが成立しない。つまり「土人」化と無自覚な「大江」化は同じ現象です。(第1章「全ての動員に抗して」より。【 】カッコは編集部による)
批評とは自身の鏡像に向かった気持ち悪さを指摘すること。
そこから私は、
◆『愚民社会』に書かれていることを自分に言われていることとして受け止めなくてはいけないということ(「バカどもの生態をあざ笑ってやる」という気持ちではなく!)
◆大塚さんと宮台さんご自身も、この社会に自身の鏡像を見るような思いをされているのではないか
ということを思いました。
誰よりも実践的である大塚さんと宮台さんですので、ただ上から「もう日本は終わっている」と言っているわけでは全くない、ということは、強く言えると思います。
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「オレ達以外バカばっか」といよいよ公言することで、著者の活動を自己肯定しているだけの企画
http://www.amazon.co.jp/review/R1NY4XLKZ75RLH/ref=cm_cr_rdp_perm
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書名が「愚民社会」と挑発的ですが、内容は「土人社会」ともっと挑発しています。BREXITやトランプなどのポピュリズムが吹き荒れる世界の流れに刺激を受けて、二人の論者と書名に惹かれて開いた本ですが、3・11きっかけでまとめられた日本論でした。西郷隆盛や福沢諭吉まで遡り、日本の近代化が可能なのかどうか、という、かなり日本ローカルの特殊な事情を語り合っています。なのですが、経済と国土だけじゃないもの、とか論理だけでは溢れ落ちちゃうもの、としての文化への向き合い、という意味では普遍性も感じました。タイミング的には最終章の憲法改正を巡る議論が大迫力。土人憲法の行方は、どうなるのでしょう。脚注満載なので、それだけでも知らなかったことが知れます。でも、正直、ちゃんと理解出来てないと思う土人でありました…大塚英志のあとがきの「教育」に未来を託すスタンスに、宮台真司のトリッキーなロジックよりも共感を覚えたことも、備忘しておきます。
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読み進めるごとに、宮台・大塚両氏の諦念というか覚悟というか、とても納得できます。
この国は、この国の人たちは、変わることなく流されるように生きていくんだな…
どうしてそうなんだろう?と考えるけど、風土とか歴史とか地理的条件とか日本語とか…色々複雑にありそうだな…一言では言えない。
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踏絵のごとき書。キミは愚民・土人じゃないよね?と。先の復興担当大臣・松本龍の「知恵出したトコは助けるけど、知恵出さないヤツは助けない」発言を、「実に正しい」と同意する二人による挑発的な刺激に満ちた対談。近年、宮台真司には「愛のむきだし」や「サウダーヂ」での怪演っぷりでしか触れてなかったし、大塚さんに至ってはとんとお見受けしていなかったのだが、本書によって70年代以降生まれの評論家たちとの格の違いを見せつけられた。キチンとフォローし実践します。
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エリートマッチョな宮台節と、偏屈童貞中年的な大塚が、大いに語る!
今んとこ、アクが強すぎて、途中て挫折(2012/2/29)。
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「土人」としての日本人。田吾作。
国益。
民度。
日米関係。
巨大システムとその非常時における不能性。
気づいたのは、この手の対談ものは原則一気に読むべきだということ。途中で他の本を読んだりもしていたが、それが理解を大きく妨げていたようだ。
あとがきの最後の一文を引用しておく。
“そうしていつかどこかでその群れが誰かを殺すことに比喩として、あるいは比喩としてでなく、あなたは加担することになるのである。”
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震災後の日本に渦巻く『空気』
常に日本に漂う『空気』
そしてその『空気』に流され続ける日本人。
自分で責任を取ることのできない国民が『空気』に流されるのだ。
『震災後』『脱原発』『非日常』どれも皆『空気』なのだ。
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震災後の極端な二項対立での反原発、がれき広域処理反対を冷ややかに見ていたけれど、それではいけないと感じた。自分も土人であると意識し、自力で思考する、どうすべきか考えるきっかけになると思う。
著者の両氏とも立場の変遷を素直に話し、誤ったと認めているので、地に足のついた内容になっていると感じた。自論を守るためにまた論を展開されると、ますますついていけなくなるので、、、。
また、それぞれの主張について、背景や詳細な説明、備考が豊富であるのがよい。難しいと感じた話でもなんとか読むことができた。
大塚氏が「人は教育によっていかようにも変わることができる」といっている。子供には「空気に従うのではなく自分で考える」習慣を身につけるよう促す。できれば周りにも広げていきたい。その点で私自身は弱いところがあるので、自分も意識していく。
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『トゥルーマンショー』や『マトリックス』ではないが、「外側」に気付くことなく「マターリ」生きるのは、それはそれで幸せなのかもしれない。でも、私は、たとえすべてを知覚するのは不可能だとしても、置かれた状況について「自分の頭で考える」ことを徹底的に実践し続けていきたい。また、そういう個人を応援していきたい。そのような意味において、宮台氏の「共同体自治」や大塚氏の「カリキュラム」への取り組みには今後も期待したい。
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──ぼくが震災後この国の言説に乗れないのはそこでつくり出されるものが相も変わらず「魚の群れ」たちによる「空気」であり、その「空気」を「愛国」と呼ぼうが「反原発」と呼ぼうが同じである──
──そして今や、大衆を動員するのではなく、「大衆」にメディアも知識人も「動員」されている。首相も東と西知事も、そしてある意味で「天皇」さえ「大衆」に動員されている。──
大塚英志氏のあとがき部分からの引用だが、その通りだと思う。今の日本人に絶望している大塚氏の「土人」と切って捨てる言説は耳に痛い。
よくある「日本人ダメ論」なので読んでて気持ちのいいものではないし、いちいち「○○によれば」「○○にもあるように」「○○的にいえば」などといった他人の言説をもってくるので、知っていればいいが知らないとさっぱりつたわらず、ややすると自分達だけがわかっているといったオナニープレイのような文章なので本としてはおススメとしにくい。
対談集なのでこのへんはしかたないのかもしれない。
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東日本大震災と福島原発事故をきっかけとしてこの国は変わる、いや変わらなければならない、とあのとき思った。そして東浩紀の「一般意志2.0」を読み、未来に対して希望を持った。しかし2年が経ち、日本の恥部の一部が露呈しただけで一向に変わる気配がない。どうもおかしい。
本書によると「たかだが地震ごとき、たかだが原発事故ごときで変わるはずがない」、それほどまでに深刻な状況に陥っているという。近代化への努力を怠った愚民、田吾作、土人が今更何を言うか!という痛烈な批判。
暗くなる未来予測だが、「今いる『土人』たちはどうしようもないが、次の世代までそのことにつきあわせる必要はない」という大塚氏のあとがきに、ほんの少しの救いを見、重い肩の荷を感じた。