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少し難しい
2013/02/13 07:03
5人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:南無 - この投稿者のレビュー一覧を見る
少し難しいかも
写真少ないせいか?
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言葉ですむなら言葉でいい。
言葉であらわせない美を
言葉で伝えようとすること、
そして、
その若い情熱が読み手にもたらすものについて。
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和辻哲郎氏27歳の作のためか筆跡が若々しく力がみなぎっている。宗教と性とのつながりなど驚くべき着眼点にも感服。
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岩波文庫の人気図書から選定。著者が30代前後の時に、奈良、京都の古美術を見てまわり、印象や文化的背景を述べる。
残念ながらある程度の周辺知識がなかったり、文の理論的構成の理解しにくさからいまいち、古美術がどれだけよいかかが頭に入らない箇所が多かった。
印象に残ったのは、
・風呂というのは、東洋では娯楽、味わいぶかい風流なものであるが、
西洋では、単に垢を流すだけなので便所と同じ扱い。
・国宝などは、多くの人々にみてもらうことこそ価値があるので、費用を存分にかけて
美術館などを造ったほうがよい。
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浦野所有。
文化財マニアにとってバイブルになっている名著。ですが、私は主に建築文化財と民俗文化財に興味があるので、仏像に主眼が置かれている本書は、それほどのめり込むことはなかったです。
建築好きからすれば、唐招提寺と法隆寺のくだりはいいですね。和辻哲郎が境内に入った瞬間に感じ取った空気や、目の前に建つ伽藍から受けた印象を描いているので楽しめました。
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若い時の情熱をもって書いた文章か。
あとがきの熱い支離滅裂な文章の方が良いな。
夢殿観音様をモナリザと似ているというのは、和辻さんの言うように、大間違いもいいところ。
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洋の美術史の基礎知識が無いと読んでいてつらいものがある。仏像や菩薩を観て美しいと感じることを契機に仏教の成り立ちや教義に興味を抱くことも充分にあり得るでしょう。私もそのような感性と知的好奇心を持ちたいです。
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和辻哲郎が若い頃に奈良の寺院を訪れた際の印象記。記載内容が現在の研究にそぐわない箇所もあるが、それを補ってあまりあるものになっている。同様の本に亀井勝一郎の大和古寺風物誌があるが、亀井は、仏像を仏として見ているが、和辻は美術品として見ている。同じ仏像を見ているはずなのだが、二人の興味はまるで違う。この2人の印象を頭に入れつつ、実際に自身の目で仏像と向き合った時、どう感じるのか…。
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若き日の和辻哲郎が、奈良の古寺をめぐった際の印象を書き留めたエッセイ。宗教的関心ではなく、美的関心に基づく感想がつづられている。
本書の出版から28年後に書かれた「改版序」で、和辻は本書に認められる若々しい情熱を「はずかしく感ずる気持ちの昂じてくるのを経験した」と述べている。彼はまた、若き日の「美的生活」からの「転向」をつづった文章で、「私がSollenを地に投げたと思ったのは錯覚に過ぎなかった……かくて私は一年後に、Aesthetのごとくふるまったゆえをもって烈しく自己を苛責する人となった」と言う。そこには、美に引き寄せられつつも、美に耽溺してしまうことを倫理的に拒否してしまう和辻の姿を認めることができる。こうした彼の内面の振幅が、本書のもつ奥行きを可能にしているのではないだろうか。
本書の始まりの方で、和辻は次のように書いている。「昨夜父は言った。お前の今やっていることは道のためにどれだけ役に立つのか……。この問いには返事ができなかった。……父がこの問いを発する気持ちに対して、頭を下げないではいられなかった。」厳格な父の前でみずからを恥じつつも、和辻は奈良の仏教美術がもつ美に魅かれてゆく。薬師寺の聖観音と薬師如来について記した文章はむしろ、これらの仏像のもつ艶かしい魅力から眼を背けることのできない和辻の姿を読者に印象づける。
本書で注目すべきもう一つのポイントは、のちの『風土』へと引き継がれてゆくような洞察が示されている点だろう。本書で和辻は、奈良の仏教美術の背後に、遠くギリシア、インドから中国、朝鮮を経て日本に至るまでの文化のつながりを認めると同時に、そうした文化的な影響を取り入れながら日本人が形成していった独自の美的感性に注目する。そこには、後年の和辻が必ずしも自由ではありえなかった偏狭な自国愛は存しない。「外来の様式を襲用することは、それ自身恥ずべきことではない」と和辻は言う。和辻は聖林寺十一面観音像の制作者が中国から来たという可能性を認めながらも、作者は「わが風光明媚な内海にはいって来た時に、何らかの心情の変異するのを感じないであろうか」と述べて、日本の風土によって観音像の与える印象が決定づけられていると主張している。
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一九一〇年(明治四十三年)頃、和辻は奈良の古美術調査にあたった岡倉天心の日本美術史の講義を東京帝国大学で聴き、奈良美術に興味を抱く。一九一七年、念願の奈良を訪れ、一九年に印象記「古寺巡礼」を出版。戦時中は絶版となっていたが、一九四六年、岩波書店より改訂版を出版。入江泰吉が撮影した仏像写真も載り、今では貴重な本である。
一八六八年(明治元年)に起こった廃仏毀釈は奈良の寺を荒廃させ、貴重な仏像や資料が焼かれた。和辻が奈良を訪れた一九一七年には奈良美術が再認識されてはいたが、まだまだ荒廃した寺は多かった。
鑑真によって建てられた戒檀院もそのひとつで、和辻は荒廃した堂内で塵にまみれた四天王像に出会う。
「四天王はその写実と類型化との手腕において実にすぐれた傑作である。例えばあの西北隅に立っている廣目天の眉をひそめた顔の如き、極めて微細な黙まで注意の届いた写実で、しかも白熱した意力の緊張をもっとも純粋化した形で現したものである。
その力強い雄大な感じは、力をありたけ表出しようとする力んだ努力からではなく、自然を見つめる静かな目の鋭さと、燻しをかけることを知ってゐる控へ目な腕の冴えとから生まれたものであらう」と天平彫刻に感嘆している。
和辻は次に三月堂(法華堂)に向かう。戒檀院から三月堂へは数種のコースがあるが、正倉院から龍蔵院を通っていくコースは築地塀の続く石畳の坂道で味わい深い。
三月堂は鎌倉時代に大改造され、堂内には十六躰の像が安置されている。本尊は三・七mもある不空羂索観世音菩薩の立像である。
「あの数の多い腕と、火焔をはさんだ背光の放射的な線と、静かに迂曲する天衣と、さうして宝石の塊のやうな宝冠と、-それらのすべては堂全体の調和のうちに、奇妙によく生きてゐる。前に此の美しさが解らなかったのは豊かなものの全体を見ないで、ただ局部にのみ目をとめたためかと思はれる」 和辻は心から不空羂索観世音菩薩と三月堂に頭を下げた。
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まあ日本人なら一般知識として読んでおかないとイケナイ本。でないと梅原猛センセの隠された十字架が解からないと思います。
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大変いい本をよみました。法隆寺展をみにいったので法隆寺のとこだけ読んだ。情熱的にかかれてたのが、結構面白かった。
壁画とか夢殿とか五重塔とか
小学から高校で、疑問を持ちつつテスト勉強のため言葉だけ覚えてたもののことが、最近ついに詳しく分かれてきてる よかった
日頃のどうしたらいいかわかんないことも、こんくらい昔の人たちのこと考えてると、面白く思えてきたりするので良い
一回も関西にいったことないのがなんかいやだ。今年中にいきたい。
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iPadのe国宝アプリなどチラチラ見ながら読んでた和辻哲郎の古寺巡礼をようやく読み終わった。
めっちゃ面白かったわ。
感性ってのは豊富な知識に裏打ちされるもんなんやねぇ
奈良の仏像や壁画から、朝鮮、中国はおろかインド、ギリシャまで見通す眼力がすごいね。
さっぱり知識ないんで、現在の研究と照らしあわせてどの程度あってるのかわからないけど、論理の運び方は気持ちよかった。
もっと小難しく書いてあるのかと思ってたけど、かなり明快で読みやすかったね。
奈良行きたくなるね。
ちなみにたまたまKindleでセールやってた見仏記と同時によみかけてたんだけど、同じもの見て真逆の反応すぎて、混乱してきてすぐやめたw
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小生の手元にあるのは、なんと!61刷!大正時代に著者が訪れた奈良付近の寺院巡礼記。筆致は今もなおみずみずしく読者に迫る。奈良に行きたくなる本。
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1979年刊行(改版前底本刊行1918年)。著者が若かりし頃、奈良を探訪し、見聞した神社仏閣、そして仏像等に関して、自らの意見と評価などを開陳した書。難しすぎた。多少、弁解すれば、仏像等の情報を知らず、知ろうともせずに読んだ自分が悪い。奈良にある仏像なんだけどなぁ…。いくつかは見たことがあるんだけどなぁ…(ただし、30年くらい前)。ただ一つ、著者に美術鑑定眼的素養があるとは思えないのに、その点を無視しつつ仏像の優劣・仏像制作者の優劣に関する評釈を下しているのは、いくらなんでも、どうかなぁ、と思う。