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犬と楽しく暮らしたことがある人なら誰しも同意するだろう。犬は人のよき友となる。
だが一方で、人が犬を「よく」理解してきたかと問えば、必ずしもそうとは言えない。
先祖である狼としての側面が強調され過ぎることもあるし、逆に過度に擬人化され過ぎることもある。
本書の原題は”Inside of a dog”。
犬であるとは一体どのような感じであるものなのか。犬がどのように外の世界を感じているのか。
犬の行動学の研究者でもあり、自身も犬を飼っている著者が、科学者の冷静な視点と飼い主の温かいまなざしを持って、考察している。
著者の見方は、二十世紀初頭の生物学者、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(著書に『生物から見た世界』など)が提唱する「環世界(ウムヴェルト)」に基盤を置いている。
たとえばマダニには視覚・聴覚が存在しないが嗅覚、触覚、温度感覚が優れている。ダニはひたすら、温血動物が発する脂肪酸の匂いを追い求め、暖かい方に向かい、「血」という食事にありつく。たとえ人とダニが同じ森の中にいたとしても、両者が感じる世界はずいぶんと違うことだろう。
この見方を、最近の研究とともに、犬に当てはめてみたらどうだろうか、というのが本書の主題である。
犬は嗅覚が優れている。犬がシャンプーを嫌うのは、自分の匂いが消され、(犬にとっては)刺激の強い匂いを付けられるからでもある。訓練された犬は時間の経過による時間の変化も感知する。病気(例えば癌)に罹患した人を犬に「嗅ぎ当てさせる」訓練を行っている研究者もいるという。これは産生される化学物質の組み合わせが疾患によって特徴的であるためだ。
犬はまた、嗅覚を補助する鋤鼻器を持っている。主にフェロモンを感じ取るもので、雌の尿に引き寄せられるのはこの器官の能力による。
犬の視覚はそれほど優れているわけではないが、「閃光融合(フリッカーフュージョン)」頻度は人よりも短い。これはいわば、目が「スナップショット」を撮影できる頻度のことで、人は毎秒60コマ分を区別できるのに対して、犬は70~80コマを認識する。フリスビーをキャッチできる能力はこれによる。犬は、ほんの何十分の1秒分だけ、世界を人より早く見ているのである。
著者が犬同士の遊びを撮影したビデオをゆっくりと再生してみたところ、犬たちは遊びに誘う仕草を遊びの合間に繰り返していたという。人には見えない素早さで。
こうした五感のほか、行動学の観点から、仲間と同じ行動をする「模倣」「刺激強化」、飼い主が何を考えているかを感じ取る「心の理論」といった興味深い話題が扱われている。
また、犬の体高に関する考察もおもしろい。高さ1m数十cmから見る世界と高さ20~30cmから見る世界は確かに違っていることだろう。
犬が使っている感覚と人が使っている感覚は、いささか異なっている。発展させてきたものが違うということは、同じ環境にいても感じるものが違うということだ。それでもなお、犬と人が仲良く暮らしているというのも不思議なことだ。
本書が与えてくれる楽しみは、本書に記載された事実を知��ことだけではない。
あなたがもしも犬を飼っているのなら、本書を読んだ後、犬と散歩に出掛けよう。鼻をうごめかしている犬・仲間の犬に会った犬・草むらに向かって狙いを定めた犬が、今、何を考えているのか、何を感じているのか、想像してみる喜びもまた、本書がくれる贈り物である。
あなたの犬と、楽しい暮らしを。
*著者によれば、動物研究において、往々にして、被験体は2~3頭であるという。少数の個体を研究して、それが種の代表であるとするわけだが、これは確かに危なっかしい。
*この著者のパートナーが『そして、僕はOEDを読んだ』のアモン・シェイなのだそうで。本と本はときに、思わぬ線で結ばれるのだった。
*『ステーキ!』でも言及されていたテンプル・グランディンにも少し触れられていた。そのうち読んでみよう・・・。
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犬を理解することは難しい。犬を人間の概念や感覚の差分で当てはめるものではない。犬の中に入り込むのだ。
そういう意味で、「擬人化」した話が多い中で、認知科学の視点で「犬から見た世界」を掘り下げた著書に出会えたことがうれしい。題名だけで買ってしまった。
インターフェースとしていわゆる五感の犬ならでの特有さを掘り下げ、人間とは違う環世界を想像してみる。例えば主な感覚が嗅覚であることや嗅覚というものが時間の変化までも表現しうること、視覚の役割も人間とは違うこと、などなど。さらにフィードバックとして言葉がないことの代わりに様々な形で表現をする。
一番気に入ったのは、犬は人を見て情報を得る、というところだ。そこが大きく他の生き物とは違うところ。
でも、どんなに犬の環世界を想像してもしょせん人間の理解できる範囲でしかわかった気になれない。でもそういうアプローチは大切。犬だけじゃなく他人でも、ノミでも、地球でも。。。
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後半が読みにくい。翻訳モノだから?
「人間が頂点にいて動物を支配する」考え方は古いフィクション。犬は人間の反応を鋭く観察する。(オオカミも、お互いを罰するのではなく、観察することで学習する。) 支配戦略でバツを与えるのは、弱い者いじめに似た関係を作るだけ。
犬の観察能力を使わせよう。望ましくない行動をしたら、飼い主の関心も、食べ物も、何ももらえない。ちゃんと行動すれば、全部手に入る。これこそが、犬と人間の「ギャング」が家族としてまとまるための方法である。
犬はオオカミではない。
犬は私たちの目を見る。オオカミはアイコンタクトを避ける。
犬は情報を求め、安心を求め、指示を求めて、私たちの顔を見つめたがるようだ。
肛門嚢…恐怖や不安を感じると自発的に分泌液が放出される。
排尿•排便後の地面ひっかき…足の肉球のエクリン腺からの匂いを加えるため?
鼻腔…この一ヶ所だけが動いている。情報を攪拌して穴の中に吸い込み、鼻の前の光景をじっくりと味わっているのだ。
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ブディアンスキーの「犬の科学」にユクスキュルの「生物から見た世界」(日本語のタイトルは、著者の考え方がこれに基づいていることから、それになぞらえてつけられたものらしい。原題は「Inside Of A Dog」)のエッセンスを加え、より生物学的動物行動学的な側面の考察を深めた感じの本書。
加えて、テンプル・グランディンやオリヴァー・サックス、ローレンツの著作、ロシアのベリャーエフのキツネの実験、ハーロウの実験、ネオテニーとしての犬など、見知ったことがらが多く引き合いに出されていたので非常に入り込みやすかったが、正直なところやや翻訳が読みにくかったかな…。
理路整然としていて、徹底的に公平に科学的に犬の世界を垣間見ようと努めた文章だったので、余計にそう感じられたのかもしれないけれど。
非常に興味深かったのは、犬にとっては、嗅覚というのが人間の視覚にあたる第一のもっとも頼れる感覚であり、それによって世界の捉え方が全く異なる、時間すらにおいで測る、というところ。犬の鼻が濡れている理由なんかにも触れられていて面白い。
また、いわゆる認知心理学でいうところの「心の理論」の犬にかかわる考察も非常に面白かった。具体的な実験の結果を見ると、なるほど、我が家の犬でも思い当るところがある。
長きにわたり、学者としての立場から犬の行動の観察・研究を続け、そこから導き出された結果は、犬は人が思う以上に「人に注目し観察している」ことであり、それこそが犬が人間のパートナーたり得た理由であり原点である、ということだ。
人間が犬と全く別の生き物である以上、彼らの世界をそのままに知ることは難しい。それでも、このよきパートナーを理解することを放棄せず、犬は犬だからと擬人的に捉えるのを過剰に恐れることなく、かといって必要以上に人間の偏見を押しつけることなく、持てる限りの想像力と愛情で、犬を観察してみよう、犬の世界を想像してみようよ、そんなふうに締めくくられている。
やっぱり著者は学者である以前に、パートナーとしての犬をこよなく愛しているのだな~。
そして私はというと、犬って意外とすごいんだ!と驚く同時に、意外とダメなのね、やっぱり、とも思ったのでした…。
まあ、ダメっぷりは、我が家の駄犬からも容易に想像してはいたけれども。それも含めて、仲間としての犬の存在に日々感謝し、幸せをもらっています。
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かなり読むのに時間がかかってしまった(笑)
内容としてはわかりやすい,というか犬を飼っている(飼ったことのある)人からすれば「そんなの当たり前じゃん」といいたくなるようなことだったりする。
でもそれを生物学的,心理学的な視点で解説してくれることで,私のような大の犬好きの理系人間が満足できるような本になっている。
章の構成と著者の愛犬「パンプ」のエピソードもイイ感じにリンクしており,良いスパイスとなっている。
文章を通して,著者の犬への愛が存分に感じられる一冊です
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犬を飼っていると、
「君の目には世界はどう映っているの?」
と、問いかけてしまいます。(答えが返ってくるわけではありませんが笑)
犬への理解が深まり、愛情も深まる本です。
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とにかく文章が読みにくくて苦痛でした。翻訳だから仕方ないの?
それにくわえ、犬の実験・研究結果の披露の前に、
・犬とのあるひとつのエピソードを紹介し、その研究をするきっかけを説明
・なぜその実験をするのか
・なぜその実験をするのかという説明をする理由の説明があり
・それは犬以外の動物の場合どうなのか
とくる。
そのあとやっと実験をして成果と仮説をたてる、という繰り返しの本です。
興味深いことも多々あったけど、肝心の犬の話にたどり着くまでがいちいち長いし、日本語が不自然だしで、読むのに時間がかかった割には頭に入らなかった・・・
それでももったいないからノートにまとめようと思ったけど、連続して再読するのは苦痛すぎてムリでした。
とりあえず、ほほーっ!!と思ったことだけちょろっと書いときます。。
**犬のねだり行動テストについて**
蓋付きの容器の中に食べ物を入れた人物A
それを見ていたB
そのときその部屋にいなかったC
目隠しをしていたD
バケツをかぶっていたE
などさまざまな人間を配置すると、チンパンジーはABさんに加え、DやEにもねだるが、犬はもっとちゃんと見ていてABにしかねだらない。
犬の観察力・洞察力はチンパンジー以上なのです。
自宅のワンコも、家族の事は何から何まで見てますよ~
**犬の反射神経について**
犬は、人間より動きに気がつくのが1/1000秒早いのだそうです。
犬がフリスビーを得意とする理由がわかりました!
(うちのワンコにはこの能力が備わってないけどね・・・)
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エッセイに近い動物学研究文献でした。
この人は犬と共存している。この生き方は清々しいなぁと思った。
※このレビューは自分用に文章長いから読まない方がイイよ。
愛犬家は字のごとく犬を愛でる。まるで人の子を扱うように。
けれど、可愛がる対象はイヌであって、ホモサピエンスではない。生物として全く異なるものである。けれど、人は犬を擬人化して愛でる。共に生きる。
なんで人は自分達とは似ても似つかない犬を近しいものとして扱うのだろう。という疑問。
なんで犬は人間にエゴを押し付けられているのに我慢していられるのだろう。という疑問。
そういった犬と人間の違いに迫った本である。
読めば「確かに」とか「ですよね」とか思うんだけど、そういえばここまで深くは考えていなかったわと思う。面白かったです。
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「アイコンタクト」
アイコンタクトはコミュニケーションの上で役割を発揮する一方、無意味なそれは、人を不安にさせる。(知らない人に見つめられたら、自分が何かおかしな格好をしているのかとか不安になる)
自然界の動物でも相手を凝視するのはタブーであることが多い。それは威嚇の意味だったり、友好的な社会性に結び付かなかったりする。
けれど、人は信頼関係があればアイコンタクトを使う。
犬は人を見つめる動物である。これは人と犬が近付いた一つの要因である。
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「観察眼」
犬は視覚的認識力は高くない。けれど、観察する能力は高い。
犬は物の形や名前なんて記憶はしない。けれど、ご主人の動きは注意深く観察している。
こういう行動をとればご主人はこういう対応をする。それをきちんと見ているのだ。
上手く芸ができたら褒めてくれる。靴を噛みちぎったら怒鳴ってくる。とかね。
犬は自分のことをよく観察しているということを知ろう。犬を擬人化して、言い聞かせられると思ってはいけない。行動で示すことで、理解させられる。
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「犬と音」
犬は人間の言葉を理解している。という願望がある。(事実というよりは飼い主の願望であるところが大きいだろう)
しかし、犬には言語はない。あるのは音のニュアンスだ。
犬も吠える声によって感情の変化を表現する。しかし、それに単語としての意味を持つとは考えられない。
人はよく犬に話かける際、赤ん坊に向けるような甲高い声をかける。
この高い音は、人間が好意を持って接していると犬に認識させている。
このように犬との会話は音のニュアンスで成り立っているところが大きい。それでも、十分に互いに通じ合うことができ、幸福を分かち合うことができる。
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「犬の視覚」
人は外界の情報をほとんど視覚から獲得している。犬はもちろん匂いから獲得する情報が非常に多い。
では犬にとって視覚とは何の役割を果たすのか。犬は赤色を細かく認識できない。また、目が人より側面に向いているので、視角や焦点も人とは違う。
犬は元はオオカミを祖先に持つ。ゆえに物体の動きに対する反応は鋭い。
以上のことから犬は視覚から細かい情報は得ようとしない。けれど、モノの動きには強い興味を向けるだろう。
このことを知っておけば、犬との関わり方も違ってくるだろう。
ひらひら舞うちょうちょに心奪われてもいいじゃないか。
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「犬と退屈」
人間は退屈できる唯一の存在だ--エーリッヒ・フロム
主観的に、猛烈な手持無沙汰、倦怠感、極度の無関心を感じた時、人は退屈と感じる。また、客観的に、エネルギーの衰え、活動の低下、繰り返しの動作などから、相手が退屈し始めたかを感じることができる。
例えば、犬はご主人がかまってくれなくなると、地べたに座り込み、活動を低下させる。または、遊び相手を靴下などに鞍替えし、独りでじゃれて時間をつぶし始める。
犬は退屈するのか。少なくとも言葉ではそれを表現しない。けれど、彼らが私たちを待っている間、何か自分だけで過ごせるアイテムをプレゼントすることはできるだろう。人で言えば本なんかがあるが、彼らにはそれが無い。代わりになる何かを見つけてあげてもいいのだろう。
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「犬の感覚器官」
犬と人間の感覚器官は異なる。人は自分達の価値観や感じ方をもって犬に触れる。それが犬にとってあたかも気持ちのいいものだと信じて。
人に比べて動物は触覚が鈍いらしい。だから撫でても実は気持ちいいとかないのかも(笑)
犬は頭撫でてもらうと嬉しいと言うけれど、犬にとって頭を抑えられることは、強者が弱者を押さえつけるのに似ている。もしかして、可愛がるつもりが実は怖がらせているなんてことがよくあるだろう。
本気で犬を可愛がりたいならもっと犬になるべきだよね。
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以上、面白いと感じたことまとめ。
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犬の見ている世界では、どんなものが見えていて、何に興味をそそられて、何に驚いているのか。そんな、人間にもっとも身近で人間とは全く違う“犬”の世界に踏み込んで探訪した本。
人間と共生(家畜化)している動物は数あれど、犬ほど人間に依存して生きている動物もいない。そして人間は犬を動物とは別物として接する。人間のような名前をつけ、人間の言葉で語りかけ、服を着せ、まるで人間に相対するように犬の考えを推測する。
でも、犬の本当の気持ち(そもそも気持ちというものが犬にあるかは疑問だけど)はどうなのだろうか?自分も小さい頃から犬を飼っているが、そういった犬の環世界に少しでも迫ることができた本で非常におもしろかった。また、著者の犬に対する愛情が溢れてる。実家に帰って愛犬を撫で回してあげたくなった(それを愛犬が嬉しがっているかはちゃんと観察しないといけないが)。
文章自体は訳文な上にちょっと長いから冗長に感じる。でも、犬の理解は深まるはず。
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本書によると、飼犬は自分がどのような行動を取れば、飼主がどのような反応をするかを、よく観察しながら行動しているという。それは最終的には、自分が餌にありつくためだという。そういえば、「犬の伊勢参り」で津軽・黒石から伊勢参りした犬は飼犬で、飼主に”伊勢参りに行け”と命令されて家から飛び出したと書かれていた。推測だが、飼主は無意識に普段から行なっている動作(大きな声を出すとか、手で家の外を指すなど)をしながら犬に命令したのではないか、そして犬にとってその動作に従うことは、餌を得ることに結び付くと学習されていたため、家を飛び出したのだろう。
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あまりにも身近にいるため、ついつい擬人化してしまったり、わかったつもりでいたりしがちだけれど、当たり前のことながら、全く別の種であるし、別の行動原理があり、別の視点がある。何を考えているかなんて、全く分からない。それでもお互いに分かりあいたい、寄り添いたいと思う気持ちは種を超える。彼らは私たちをじっと観察している。私も彼をしっかり見つめよう。
あれ?これは別に、人間同士でも言えることか・・・。
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観察を通して、犬の嗅覚、視覚、行動原理などをまとめていき、人間と相当に異なる彼らの見ている世界を照らし出す。
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読み終わって頭の中に残ったのは、「アイコンタクト」と「匂いの視覚」。
「アイコンタクト」:人が飼い犬を良く見ているように、犬も飼い主を注意深く見ている。
だから人が視線をそらすと、犬はその先にあるものにも関心が向く。
「匂いの視覚」:人は主に視覚によって現在を見ているが、犬は視覚と嗅覚によって見ている。
匂いの強弱によって新旧を感じるので現在と同時に過去も感じている。視覚だけからでは得られない距離感も「匂いの視覚」から得ている。
私は犬を飼っていないので犬の日常を知らない。犬を飼っている人が読むともっと面白いのかもしれませんね。
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翻訳の手抜きがひどい。レベル最下層の下訳を訳者がろくすっぽ読まずに世に出したとしか思えない。英語原文が透けて見える中学生レベルの直誤訳、そもそも日本語になってないフレーズ。まったく読むに堪えない。読み続けたら慣れるかと思ったが最後までそんなことはなかった。
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5年前に犬を飼うにあたり結構な数の本を読んだが、犬と生活して得た知見から考えると、「犬そのもののことを知りたい」場合は本書が一番おすすめできます。
自分の犬について書かれているパートなど特に冗長なのですが、犬を飼ってる方にとっては「あるある」な事例です。
本書には犬の行動がどのような意味なのか書かれています。犬という人ではない家族を理解する近道です。