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加藤清正公の一代記。
雑誌連載を再編集されているだけに、各章のエピソードが飛んでいる感が否めない。
賤ヶ岳、朝鮮の役、関ヶ原あたりをもっと読みたかった。
タイトルとなっている清正公の夢見しものは結局なんだったのか。
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津本陽の作品は、史実(特に登場人物)を淡々と記述しているためか、司馬遼太郎、池波正太郎などの作品に比べ面白さが足らないので、読後感の満足度は低い。
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今読み進めてますが著者が「下天は夢か」から剥けてないのか何読んでても同じかんじなのよね。時代背景が同じと言われればそれまでだけど。
→やはり小説にするだけの華が加藤清正にはなかったか。
それともこれまでのイメージを覆す清正像をつくるべきだったか。
題材が難しかったかな。
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家康が恐れた加藤清正の話だ。清正がいたため、家康は豊臣秀吉亡き後、秀吉の子、秀頼を二条城で殺すことがきなかったという。
清正の父、弾正右衛門清忠は、信長の家来ではないが、織田家の奉行に誘われて傭兵として強力していた。清正の祖父は、因幡守清信といい、尾張犬山に住み、斉藤道三の侍大将であった。道三と信長が犬山で合戦したとき、清信は討ち死にを遂げた。その後、清忠は尾張中村へ移住したのが、三十八歳で病死した。清正の母いとは、秀吉の母なかの従姉妹であったため、清正を秀吉に預けることにしたのである。そのころ秀吉は近江長浜で十二万石の領地を有し、権勢をふるっていた。ただ、秀吉は百姓あがりのため、子飼いの家来が少なく、この清正を見て気に入り、二つ返事でうけおい、清正の烏帽子親として元服させた。
清正と言うと、賤ヶ岳七本槍の一人と、すぐに思い浮かぶが、そのほかの人を書くと、加藤孫六(嘉明)、福島市松(正則)、脇坂甚内(安治)、糟屋助右衛門尉(武則)、平野権平(長泰)、片桐助作(且元)、石河兵助(一光)、桜井佐吉(家一)である。よく見ると、全部で8人だが、このうち、石河兵助は相討ちになったため、これから外れている。清正はこの賤ヶ岳の戦いの手柄により5千石の身代となり、鉄砲5百挺を預けられ、極めて強力な鉄砲隊長となった。
清正は武人として、生死を問わない進退を自分に課する判断基準をさだめていたようである。豊臣政権で働くうえは、秀吉の命令によって、危険のただなかに身を投じることを当然と考えていた。ただ、死を急がない。全能力を傾けて敵を倒し、できるだけ生き延びてゆく。清正はまた、凶暴な性格ではなかった。家来に些細な失策があると、その場で手討ちをするのが常であった、井伊直政、福島正則とはまったく違った。家来が戦場で卑怯な振る舞いをしたときは、追い払うのみである。正則の家中には暗いかげりがわだかまっており、清正のような人気が乏しかった。秀吉に対して常に謹直で忠実であったのは、清正が幼くして父を失ったので、秀吉を父のように慕っていたのであろう。
清正は、家康から誅殺されかねない二条城の会見を無事に終わらせたのち、熊本に帰った。熊本に帰る途上で病気になり、帰城後、享年50歳で没した。清正は熊本城内に、秀頼を大阪から落ち延びさせてきたときに用いるための居間を作っていた。”昭君の間”と呼ばれ、広さは十八畳で、この部屋からは天守石垣下の門への抜け道が作られていたという。
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津本陽の戦国夢シリーズ(信長・秀吉・家康)に連なる加藤清正をテーマにした作品。
武勇に秀でた猛将のイメージが強い清正だが、智将でもあり人間的にも優れた人物像が描かれている。
登場人物の会話がお国訛りで生き生きと書かれていておもしろい。