紙の本
交錯する時間と視点
2019/02/26 20:28
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投稿者:kobugi - この投稿者のレビュー一覧を見る
レビューでは、全体的に不評。文章への違和感が指摘されている。しかし、語りのごとき文章に惹かれ、一気に読了。交錯する時間と視点が、うまく組み合わさっている。謎は謎のまま。真実は関わった人の数だけ存在。これが戦争の本質ではないか、そんな風に思う。どこで何が起きているか知されない昨今、誰もが自分の目の前の現実しか見ていない。読み進みながら、現実を投影し、背筋が寒くなる。作者の別の作品にも触れてみたい。
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読まなくても良かった。まず、訳が気持ち悪い。と思いながら読める。でも、
原文がそもそも読みづらいのかもと思い始める。そして、お話は進まない。
私的な結論として、著訳両者、ともに、果てしない希望に満ちあふれている、
という所感となった。もうね。どうでも良いんですよ。
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ジャングルと都会の両方が登場する小説が好きなので、架空の国とはいえそこがペルー出身の作家らしくていい。現代的なタイトルに似合わず、とても落ち着いた語り口で、クラシックな作品だと感じた。パズルのピースが埋まっていく様が「パチン」ではなくて「じわっ」としていて、たまらない。
http://www.cafebleu.net/blog/archives/2012/02/post-297.html
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内戦終結後の架空の国が舞台となっている。
ラジオ局の行方不明者の呼びかけ、内戦のせいで名前を消された村、少年兵・・・現実世界を反映していて、空想世界の中に、しっかりとリアリティが浮かび上がる。
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戦乱渦巻く地区の、名もない一つの村から、行方不明者リストを持った一人の少年が、ロストシティレディオのパーソナリティを務める「希望の声」を持つノーマを訪ねてきた。
そこから二人の物語が、過去・現在を行き来しながら結末へと一筋の道となって重なっていく。
ドキュメンタリーのような、それでいてフィクションのような体裁を持った小説だが、いかんせん物語の登場人物たちに血肉が通っていない。
文章としてもスムーズに読めないし、ストーリーも飛び飛びで今どんな状況なのかいまいち把握しずらい。
著者初の長編小説らしいが、ある程度未熟なのは仕方ないにしても、次回作を期待させるような「光る部分」も見つけることができなかった。
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ダニエル・アラルコン(藤井光・訳)『ロスト・シティ・レディオ』。
中南米の架空の国が舞台のお話。
冷戦期の中南米諸国の軍政時代を少しでも知っている者なら、
この話の意図するところはわかるんじゃないかと思う。
主人公はラジオキャスターの女性、内戦期の行方不明者を探す番組に携わっている。
行方不明者の名前を読みあげる仕事をしながら、行方が分からなくなった夫を探している。
過去と現在が錯綜しつつ緊密な文体で綴られるのは、
いま生きている彼ら自身も「行方不明」になっているということ。
そこで「名を呼ぶ」ことの重要性が語られる。
もう少し構成がこなれているといいんだけどな。
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内戦が続く架空の国。そこで深夜に流れるラジオ「ロスト・シティ・レディオ」
行方不明の人々を探す人々からのメッセージを届ける人気番組。
パーソナリティの女性ノーマのもとに、一人の少年が訪れる。少年が手にしていた行方不明者のリストには、姿を消した彼女の夫の名前も含まれていた。
明かされていく夫の過去。少年の生い立ち。ノーマの回想。
何が正しいのか、誰が正しいのかもわからなくなった泥沼の内戦。
そこでいきる人々の心情が丁寧に描き出されている。
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「ロスト・シティ・レディオ」読んだ。http://www.shinchosha.co.jp/book/590093/ やけに現実味がある話だった(いや、こういう経験はないけど)。内戦下で生き別れた肉親やパートナーを捜し求める田舎の人々と、聴取率のために形式だけの人探し番組をつくる都心部のラジオ局の温度差とか(つづく
とても映画的(映像的?)だけど、ハリウッドの安手の音楽も効果音もコマ割もなく、淡々と重く暗いトーンで語られる。終わりもいきなりのシャットダウン。エンドロールも無音だな。このあっさりがよかった。後半の人間関係のつながりはややオースター的だけど伏線がしっかりあるので納得できる(つづく
レイの人生が翻弄されるに至った原因を知り愕然とする。初期学習者の自己顕示というか無知って恐ろしい。訳者は藤井光さん。最近、気になる本は気づいたらこの人の訳だったということが多い。わたしは作家と同じくらい訳者で本を選ぶ(柴田元幸の新訳だ、読まなきゃ!とか)今後この人にも注目(おわり
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ペルー出身の作家にしては何ともすわりが悪い文章。じんわりとしていて、泥沼化している内戦が底知れぬ恐ろしさではあるが。何とも稚拙な感じが否めない。所詮遠い、というか。しかし思うにクレスト・ブックスで当たったためしが私にはない。どれもこれもなんとなく「良い本」、推薦図書、的な。そういう企画なのならもうクレストはないな、と思う。
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マナウという両手を失った男に、読者が感じる人間味がありすぎます。ダニエル・アラルコンという作家に期待。
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だらだらと10年も続いた戦争、実体のない無法組織、その組織に関わっているから夫はいなくなったのか、そもそもそんな組織あるのかないのか。すべてが曖昧なまま、主人公がパーソナリティを務める、戦争で行方不明になった肉親や友人を読み上げるラジオ番組「ロスト・シティ・レディオ」を通じて孤児になってしまったジャングルの奥地の少年とかかわることによって徐々に真実のようなものにたどり着くという物語。
結局主人公はなぜ夫がいなくなったのか、正確に知ることはできない。待つことのつらさ、とか心情の核心よりも何故だかこの小説のメインになっている架空の国の妙なリアリティ、映画のような映像を喚起される描写に心惹かれた。
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主人公は人気ラジオ番組のパーソナリティを務める女性。戒厳令下にある南米の架空の国が舞台としていますが、ペルー出身の作家ならペルーらしき国なのでしょうね、多分。行ったこともないのでよくわかりませんが。
面白い小説でした。独裁政権、テロリスト、未開のジャングル、男女の関わり合い、ザラザラとした肌触りの首都の風景。そういったものがヒリヒリするというか、緊張感を持って語られていきます。
錯綜する過去との時間軸や、登場人物たちの重なり具合といったところが、読者をあえて混乱に陥れるような話の進め方と相まって、これをできのいい映画で観たとしたらもっと楽しめそうです。
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題名の「ロスト・シティ・レディオ」は、主人公のノーマがホストをつとめる、この国でもっとも人気のあるラジオ番組のタイトル。人々が女神のように崇める甘い声で、彼女は、失われた人々の名前を読み上げる。ジャングルの村から首都に出ていったまま戻らない若者たち、そして、内戦中にどこかに連行されたまま姿を消した人たち。生きているのか死んでいるのかもわからない状態のまま、行方不明者たちも、彼らを待つ人たちも、ノーマ自身も、宙づりにされているのだ。
現在と過去を不断に行き来する文章が描き出す内戦は、始まりも終わりもはっきりしていないように見える。暴力が劇的に噴出する以前から、人々はある日突然姿を消すことがあったし、終結が宣言されたあとも、名前を読んではならない人々がおり、どこからか報復の手が伸びてくる。そういえば、ビクトルが住んでいた1797村では、女たちは、夫や息子が実際に行方不明になる前から、失われた人の思い出となる肖像画を頼んでいたのだった。
この連続、みえない暴力が保障する沈黙を、ノーマの甘い声は覆い隠し、そうすることによって証明している。そして、禁じられた名前を含む1797村のリストを読み上げるという行為も、彼女に破滅と同時に解放をもたらすことになるのかもしれない。最後の放送のためにラジオ局に向かう3人が兵士たちの検問に遭うシーン、放送を終えて電話をまつシーンにはらまれる緊張と慰め、恐怖と美しさは、作品全体を通して、複雑な魅力を生み出している。レイが死をむかえるシーンでさえ、美しく不思議な慰めがある。同時に、この日常が優しくくるむ暴力と恐怖の種について考えをさそわれる。
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南米のある国のある戦争の後。
行方不明者を探すラジオ番組「ロスト・シティ・レディオ」でパーソナリティを務めるノーマは、戦争中に行方不明になった夫レイの無事を祈りながら日々を過ごしていた。
ある日、ジャングルの村から出て来た一人の少年が、ノーマの前に現れる。
村の行方不明者のリストを持って。
戦争を描いた小説。
登場人物それぞれの視点から描き出される戦争の姿。
そこにある出来事を、その時の心の動きを、淡々と描くことに徹していて、得体のしれない恐怖や、不安定な人々の日常の様子がヒリヒリと伝わってくる。
消えつつあるジャングルの村と混沌とした首都の対比も効果的。
少し間延びしている感もあるけれど、読んでいて心がざわつく感じは独特でした。
南米的世界のありよう、がフィクションながら実感できる小説です。
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舞台はペルーの首都リマを思わせる架空の都市。反政府勢力との戦争が終ってから十年、首都は再建下にある。たった一つ残ったラジオ局のアナウンサー、ノーマは、政府による検閲済みのニュースを読むほかに日曜深夜の人気番組のパーソナリティーをつとめている。「ロスト・シティ・レディオ」は、聴取者からの電話を受けて、探したい人の情報を流し再会を仲介する、かつての日本にもあった「尋ね人」コーナーだ。戦争は終わったが、戦争に狩りだされた男たちの多くが家に帰ってきてはいなかった。
ある日ラジオ局に、ジャングルの村から、村を出て行ったまま消息不明の者たちのリストを携えて少年ビクトルがやってくる。戦争終了後、政府は戦争をなかったことにするため、かつての地図をすべて回収、焼却し、地名は数字に変わった。一七九七村は大量虐殺が噂された村であった。そのリストには、民族植物学者としてジャングルに出かけたまま帰らないノーマの夫レイの名があった。首都への旅に同行した教師なら知っているはずだ、という少年の言葉にすがり、ノーマはマナウというその教師を探す。
リアルタイムで行なわれるノーマとビクトルの首都における探索行についての叙述に、ノーマとレイの出会いから結婚、別離に至るまでの回想、レイの視点から説き起こされる、政府とその転覆を図る勢力「不法集団」(IL)との戦い、ビクトルの村での「タデク」にまつわるエピソード、といった複数の視点人物による複数のストーリーが、改行もなく突然に入り込んでくるポリフォニックな語りは、多数のピースで構成されたジグソウパズルを思わせる。あるピースが、全く関わりを持たないパートとパートを結びつけ、最後のピースを嵌めた時点で一枚の絵柄が完成する。
パズルの主題は戦争だ。不正選挙で再選を果たした大統領は買収によって集められた大群衆を前に「混乱を引き起こして公共の秩序を崩壊させる扇動者どもの不法集団」と戦うことを宣言する。政権が権力を維持するために仮想敵を持ち出すのはどこの国でも同じだ。敵が国外の場合もあれば国内にいる場合もある。「不法集団」とされるのは、リーダーもいなければ、組織さえはっきりしない、無数のゲリラやテロリストたちだ。首都から離れた土地で警察を焼き討ちしたり、騒動を起こしたりしながら首都に迫る。
一方、政府は軍を使って、検問や民衆による互いの密告、通報を受け、逮捕、拘留、拷問による転向といった手段で対応する。そのやり方に整合性などない。何か人と異なって目に付く表徴があれば、それが起きる。対象は誰でもいい。恐怖が疑心暗鬼を引き起こし、民衆は声を出すことをしなくなり、支配は容易になる。互いの勢力に供給できる人員が続く限り戦争は継続する。どちらかが人員を供給できなくなった時点が戦争の終わる時だ。
過去に逮捕歴を持つレイは、ノーマとの初デートの最中検問に引っかかり、矯正施設である「月」に送られる。そこは、無数のクレーターで地表を覆われた地雷原で、直立姿勢でいるしかない狭い穴に七日間放り込まれたレイは、政治運動から手を引くことを受け入れるしかなかった。しかし、そんなレイを「不法集団」は��っておいてはくれなかった。執拗に接近し連絡係にしてしまう。こうしてレイはいくつもの名前を持ち、首都とジャングルを定期的に行き来するようになり、首都ではノーマと、ジャングルの一七九七村ではアデルと暮らす二重生活者となる。
ビクトルにも触れたくない過去がある。戦争が終わった頃、村に食料を求めて現われたILの兵士が、タデクを行なった。麻薬効果のある植物を服用させ、譫妄状態になった少年を使って泥棒の犯人を当てさせる、古くからある方法だ。名指しされた者は両手を切り落とされる罰を受ける。ビクトルは友人の父、ザイールの両手を切らせた過去を持つ。そのザイールにも人に言えぬ秘密があった。金のため情報を流していたのだ。しかも犯罪小説ファンだったザイールは、自分が拵えた物語をその中に混ぜてしまうという罪を犯したのだ。
因果は因果を生んで、めぐりめぐる。ギリシア悲劇かシェイクスピアのそれを思わせる悲劇が、封建主義には遅すぎ、民主主義には早すぎる国家を舞台に繰り広げられる。王や為政者ではない名もない民衆が国家の戦争に巻き込まれ、傷つきながら、人としての思いを次の世代に託す。英雄でもない賢者でもない、どちらかといえば好い加減な生き方で身を処す男たちの等身大の人生を、押し殺したような声音で、息をつめ、ひっそりと物語った、ダニエル・アラルコンの長篇第一作である。
ヨーロッパと変わりない首都と、未開の自然を残し官能的な魅力溢れるジャングルの村。二つの土地を対比的に描き、そのどちらにも愛着を覚えながら、戦争という機械を動かし続けるための歯車のひとつになるしかなかった男。男を愛したために悲劇の主人公にならねばならなかった女。架空の都市といったが、どこの国のことでもある。
国民が知っておかねばならないニュースは流れることがなく、独立騒ぎや不倫騒動、学歴詐称のタレントを次々と名指ししつつ公開処刑にかける裏側で、着々と事態は進展している。権力によって「不法集団」とされた勢力は、とうの昔に壊滅され、この国では「戦争」の起きることを憂慮することさえできない。限りなく民主主義から遠ざかりつつある国にいながらこの小説を読むと、その超がつくほどのリアルさが身にしみる。ダニエル・アラルコンの罪は、小説をフィクションとして読む愉しさを奪ってしまうところにあるのかもしれない。