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安部公房関連で手にした公房の母、安倍ヨリミによる唯一の作家作品。なんと言っていいのか壮絶だ。誰が悪いのかなぜこうなるのか、答えのようなものはあってもそうでないような気がする。人間とは複雑な心情を隠したり表に出したりしながら伝わったり伝わらなかったり伝えられなかったり、こじれてこじれて思わぬ方に飛んで行く。
有産階級の女が友に宛てた手紙に始まり、愛か友情かというような白樺派よろしくのメロドラマがあり、やがて絶対的悪の登場による悲劇が明るみになると主人公が冒頭の手紙を宛てられた友である女に変わり、その悲劇から逃れるように農耕プロレタリアとでも言うべき苦難の手記で幕を閉じる。
季節が溶け込んだ背景描写が着実と月日の流れを感じさせる。その間に登場人物たちは何度も前を向こうとしては振り返り、立ち止まりながらもまた歩き出す。心は常に後ろめたさに支配されていてとてもじゃないが明るい気持ちなど繕うことはできても幸福を持ち合わせていない。幸福はないが強さがある。立ち上がろうという強さ、開き直る強さ、特に女たちは鬼気迫る文章や台詞を用いて強強としている。男たちの暴力が何度降りかかろうと、自分たちを憂い嘆き悲しもうと、それでも強さは捨てない。
“私は生活に敗残した!私はそれを是認したく無い。私はもう一度野田の心を取り返し、此生活をどうかして生かして行きたい。払って来た多くの犠牲、経て来た多くの苦しみ、それを意義あるものにしたい。私は其のためには、どんな苦痛でも忍ぶだろう。只、野田が私の子供を愛してくれるならば、私は奴隷の境遇にも甘んじよう。”(241、242ページ)
ブルジョワ出身の文学少女だった女が吐くにはあまりに痛烈な叫びである。その強さだけが救いである。農村の寒い朝に響く雲雀の鳴き声が印象に残る。