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確認先:品川区立大崎図書館
巷に存在する陰謀論。その陰謀論を「単なる妄想」と切り捨てるのはたやすい。特にアカデミシャンや陰謀論のバックヤードに存在する問題の基礎知識を有する人にその傾向が見て取れる。
吉本が本書で指摘するのは、そうした切捨ての行為が陰謀論の存続と延命を幇助する結果になっていることに自覚するべきであろうという指摘である。換言すれば「陰謀論を否定することそれ自体が陰謀論に回収される」というメカニズムなのである。吉本はそれを説明するために『JFK』などといった映画をツールに、そうした映画に寄せられたさまざまな批評の言説それ自体を陰謀論が転用するタームに捉えなおすことによって、陰謀論がなぜ持続し、一定の支持を得てしまうのかについて逆説的な説明を試みている。
この試みは、ある部分では成功している。というのも、吉本が援用するアメリカ映画は映画批評の現場では酷評の憂き目に会った作品、それも「あてずっぽうな」酷評を受けた映画が中心にすえられている。つまり、その「あてずっぽう」な酷評の出所として位置づけられている陰謀論を丹念に因数分解した、ということなのである。
もちろん、この試みはアメリカ映画の文法に多大に影響されており、欧州映画やボリウッド、あるいは映画で無いもの(例:お笑いの舞台、テレビのセット、脚本家の脳みそなど)といった影響はあるが自我の強い文法たちにはどのように転じるのかという課題は指摘せざるを得ないだろう。
とにもかくにも、陰謀論とどのように付き合うのかという冷静にして当たり前の問いに真摯に答える、という最低限の知の営みを放棄しやすい地の存在とは何か―評者はおそらく数日、この問いに悶々とすることは決定である。