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終わりの美学 歴史=物語をどう区切るか
2012/09/09 21:46
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
さすがだった。
歴史を描いた物語の、収め方のことである。
時間には始めも終わりもない。
歴史も本来そういうものだと思うが、
人間の解釈で時代という区切りはあって、ここでは武帝が死んで一つの時代が終わる。
この物語の主人公が武帝だとするとそこで終わりなのだが、
しかしまだ他に、三人の主人公がいて、その三人、
李陵と蘇武と司馬遷は、まだ生き続ける。
物語の終わりを主人公の死で区切るやり方があるとしても、
複数の主人公の場合、それが必ずしも揃うわけではない。
そこをどうするか。
匈奴との戦いはもはやなく、帝が皇太子を殺した以後は、漢にもこれという大事件もなくて、
物語は、全体が終わりに向けての緩やかな流れになる。
このまま淡々と静かに終わるのも一つのやり方だろうと思っていた。
だが、目にした結果はやはり一流だ。
直接に終わりを演出するのは、漢に連れ戻される蘇武と、代わって北に向かう李陵との別れである。
北方文学というのは、友情の文学でもあった、とあらためて実感する瞬間だった。
だがそれだけでもない。
全編、大きな動きはない。
しかし、不可解なものにみえた武帝の死に際の指示は、
やがて桑弘羊と霍光の間で、謎解きミステリーのようにスリリングに解き明かされる。
ほかにも、司馬遷が、李陵が、蘇武が、はては狼の徹までもが、
それぞれにいわば一度死を経た後に生き続け、
ここへ来てようやく、再生と呼ぶのはちょっと違うにしても、
ある種の調和、宿命との和解にたどり着き、それぞれの収まりを付ける。
その描き方はさすがというしかない。
見事な締めくくりだった。
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足かけ4年にわたる漢の武帝時代の大河小説の最終巻。
武帝の次代へのぎりぎりまでの見極め、その意思を忖度する桑弘羊、
次代を担う霍光、燃え尽きた司馬遷、匈奴の単于や頭屠、李陵と蘇武、
ここにきて、いつもの北方らしい血沸き肉躍る戦はないが、
抑えられた文章を通じて見事な大団円を迎えている。
架空の人物が多い「楊令伝」がグダグダな最後だったのとは対照的だ。
この作品も北方さんの代表作の一つになること間違いないと思います。
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ついに武帝紀も完結。
50年以上も帝位にいて前漢の全盛期を築いた皇帝。
ただ本作は武帝が主役なのかというとそうでもなく、
前半は衛青、霍去病といった武将中心の戦乱物。
後半は匈奴に投降した李陵や捕虜となった蘇武の匈奴での生き抜き方。
そして司馬遷による史記の執筆といった様々な要素が
絡み合った武帝の治世期のおはなし。
全巻通して出てきた匈奴の頭屠は影の主役か?
北方史実物としてはイマイチという感は否めない全体感でした。
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完結~巫蠱の乱で皇太子・劉拠が自死し,跡継ぎがいなくなった漢の異なり,単于・狐鹿姑を頭屠が軍事面で支えている匈奴は李陵の力もあって安定している。在位50年を超えた劉徹は李広利と孫広を使って北へ侵攻するが,孫広を誘き出して討ち果たし,李広利を押し包んで降伏に追い込んだ。立ち直れないほどの軍事的敗北を,劉徹は話題にせず,戻太子の死にも言及しないのを霍光は訝しんでいるが,桑弘羊や司馬遷は落ち着いたものだ。暫く戦がないと李陵は蘇武を訪ね,人が生き抜くのが困難な冬を過ごす。敗戦から1年,上機嫌で皇后を伴って離宮を訪れた劉徹は突然,皇后に死を命じ,都に帰って後継問題に口出しする臣下と敗戦の責任を取らない臣下を粛正する。霍光の立太子を求められた劉徹は末子の弗陵を指名し,補佐を桑弘羊と霍光に命じて没した。新帝の進講には太史公書が使われ,司馬遷は弟子とした孫信を伴って参内する日々に安らぎを憶える。匈奴も漢も和平を望んでいるが,歩み寄りは難しく,漢は匈奴に降った李陵の罪を赦すことを突破口としようとするが,賊滅された李陵には新しい家族と暮らしがあり戻りたくない。匈奴は俘囚となっていた蘇武を突破口とするため前面に押し出してきた~北海ことバイカル湖の北での暮らしが大変だけど愉しそう。北方劇場の男って大変そうで疲れるわぁ。読み終わってホッとしたが,また新しい物語が紡がれると読みたくなるんだろう
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漢が男として生きられた時代に運命に振り回された漢達の物語。皇帝として慇懃を極めながら、満たされぬ人生を流離う男。戦う事で矜恃を維持する男。生きる事が抗う事になる男。そんな漢達が奏で紡いだ物語。
静かな中にある輝きが美しい作品です。
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漢の7代皇帝、武帝こと劉徹が死ぬ7巻で終わり。武帝死ぬ間際に聡明さを取り戻すのは北方謙三さんの希望なんだろうか。司馬遷など登場人物にも愛情を感じ始めていたので、ハッピーエンドでよかったかな。
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漢の武帝(諡名)のまさに「紀伝」である武帝紀を、武帝自身が腐刑(宮刑)を命じた司馬遷が書いた「史記」を通じて小説化する、という…
前漢の時代の逼塞した政治状況と、北の民である匈奴(これは中華からみた蔑称で自分たちは別の呼び方をしたと思うが)のおおらかな制度の違いも描かれていた。本編はその大団円。
司馬遷は「黄帝」の時代からの歴史を書いたのだから、次は、有名な「項羽」と「劉邦」の時代の北方・史記を読めるのだろうか…
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最終巻で傑作に昇華させた北方先生の手腕は見事。
もう一度最初から読み返したい。
前半の衛青、霍去病より後半の李陵、蘇武の方がキャラがぐいぐい立ってきて好き。
最晩年の劉徹と桑弘羊のやり取りも涙ものです。
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北方版史記の完結編となります。史記・武帝紀というタイトルの割には司馬遷や武帝は登場人物の1人に過ぎず、多くの主人公たちがそれぞれの人生を精一杯生きる姿を描いています。個人的には、北に流され極寒の地で1人生き抜いた蘇武の生きざまに心揺さぶられました。史記について詳しくないので、史実とフィクションの境目がよく分かりませんが、北方節全開の一級エンターテインメント小説だと思います。
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前漢第7代の皇帝武帝の生涯を司馬遷の史記より小説に仕立てた筆者渾身の話題作。短気で独断的だといわれ前漢の国力を最も充実させた武帝。前半は天才戦術家衛青と霍去病の抜擢。そして繊細かつ慎重に中央集権体制を強化、外征にて成功を納め領域を拡大し東西交渉を盛んにしていく。繁栄が絶頂を迎えると今度は退廃への一歩。治世後半では絶大な権力に溺れ、体の衰えとともに絶対的な権力が侵される不安に晒されていく。時を経て揺れ動く心の様を匈奴の反攻と司馬遷による本紀完成とともに見事に描ききる。そしてなんといっても、水滸伝、楊家将でおなじみ迫力満点の騎兵戦。唸る歴史書!
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★2014年5月14日読了『史記 武帝紀7』北方謙三著 評価A
この巻で、話は大きく動く。この作品最大の山場を迎える。
治世55年に渡り漢を統治してきた武帝は、遂にその生涯を閉じる。最後の最後に後継者を選びこの世を去っていく。
そして、永きに渡りその武帝の中書令として仕え、武帝を見つめ、記録を残してきた司馬遷もその役割を終え、自らを律してきた厳しい日々も終わり、人に戻り若い弟子をとり、余生を送り始める。
また、極北の地で一人厳しく、自然と戦い生き抜いてきた蘇武は、降将として匈奴の将軍になり、漢と戦ってきた戦人である李陵を迎え、何回かの冬を過ごす。
そして、漢の新しい帝となった劉弗陵に仕える大司馬将軍に任じられた霍光は、匈奴に囚われの身となっている李陵とその一族の名誉を回復し、漢の地に戻すことを画策して、単于であった狐鹿姑の後継者たる新単于である壺衍革是に使節団を送る。
しかし、それが引き金となり、李陵は蘇武の住んでいた極北の地へ送られる事となってしまう。最後の機会に、李陵は、漢の使節団の前で、蘇武に向けての意味を込めて、舞を舞う。
万里を征き、沙漠を渡り
君が将となりて匈奴に奮う。
路、窮まり絶え、矢刀くだけ、
士衆滅びて名すでにおつ。
老母すでに死(ころ)さる。
恩を報ぜんと欲すといえども将に安(いずく)に帰せん。
なんと厳しい別れの歌でしょうか。男として李陵がその友である蘇武へ送る永遠の別れが万感を込めつつ、淡々と歌われています。
また、武帝の臣下であった桑弘羊は、その奉公の最後の仕上げとして、大変な芝居を打ち、新体制となった新帝の劉弗陵の統治安定のために、わざと霍光と対立し、不安分子のあぶり出しを行う。
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最後まで夢中で読み切った!面白かった。ここまで長いと途中飽きて来ること多いが、色々な個性のある人物が登場し、それぞれの立場でその時代を生ききっているという感があり、ワクワクしながら圧倒された。淡々とした文章に好感を持て読みやすかった!