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「小説NON」に「破邪の剣」と題して連載したものの改題加筆。
『黄金の太刀』では、刀好きの旗本の息子が詐欺師を追いかけて全国の名刀の産地を旅する設定だったが、本作は正面から刀匠の姿を描いた。
信州小諸の郷士の次男山浦環は刀匠である兄に作刀を習うが天性の才があり、婿入りしても刀を打ちたくて家を出てしまう。
藩のお抱えにはなれなかったが、江戸に連れて行ってもらい、当代きっての名人に弟子入りさせてもらうことになったが、手抜きの数打ちを見て嫌気がさして一日で辞め、大御番組の旗本で武道と兵学に精通する窪田清音に認められて屋敷で、材料を吟味し覇気に溢れる刀作りに励む。
やがて毛利家に招かれ萩で3年間刀を打つが鉄砲を作れと言われて辞め、
江戸へ戻って四谷に鍛治場を開いて誰の援助、口出しも受けない自由な立場で名刀を作るが、病のため若くして没する。
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主人公の生き様に共感できるかどうかで、かなり評価が分かれそうな作品。
私には面白かったけど、女性票は、たぶん入らないだろうなぁ。
刀を打つことに全てを賭けた、と言えば格好いいけれど、待たされる、捨てられる女性にしてみれば堪ったものじゃないだろうなぁ、と。
でも、自分の打つ刀に妥協しない、スポンサーにも決して媚びないその職人気質は、いっそ潔いほどでした。
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「いっしん虎撤」と同様、刀鍛冶の物語で、刀の話としては興味深く読んだ。
ただ、清麿自身に惹かれないのよねー(これまた虎撤同様)(笑)。
それが残念。
何年後かに読んだら評価は変わるのか?な。
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幕末の刀鍛冶、源清麿の生涯を描いた作品。
山岡鉄舟の時と同様、自分の成すべきことに対して、ただひたすらに一途である主人公は、方々で反感をかいながらもあまりにも魅力的。
一途と言うには酷いわがままではあるわけだが、これも純粋に一途であるがゆえ彼を一流の刀匠たらしめているとも理解できる。
かぶってしまうことはわかりつつ、次は「いっしん虎撤」を読んでみたい。
史実ではなぜ自害したかはわかっていないようだが、その理由の描かれ方もも純粋であるがゆえということなのだろう。
まだまだこれからもこの作者の新作を見てみたかった。
作者の早世が残念でならない。
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山浦環正行、後年、源清麿とも言われる刀匠の物語である。
正行は、兄を手伝いながら刀への造詣を深くするが、田舎の百姓を束ねるような家へ婿に入る。妻を持ち、子供も生まれ、幸せではあったが、物足りない。正行は、兄を手伝うことで、知らず知らずのうちに鍛刀の魅力に虜にされていた。結局家を飛び出し、様々なところで修行をしながら流れていく。
そんな中でも、正行は常に、鉄、炭といった材料は惜しげもなく金を使い、良い刀ができないときは、自分の腕が悪いのだと思って、仕事に精進した。鈍らを打った時は、決して売りはせず、潰して次の材料に使った。
材料にも炎にも一切妥協せず、常に前向きに、常に闘争心を燃やし、常に最高の刀を打つんだと信念を貫き通したまさにプロフェッショナルな生き方をした男である。
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刀工としてこれほどまでに人は愛された人がいるのだろうか?名主の次男として生まれたということは農民としての立場であった山浦環が佐久間象山や真田家の家臣の助けをへて藩主真田幸貫の斡旋から江戸において剣術家の窪田清音の手を借り鍛冶場修業を始めるとは言っても修行と言っても誰かに師事するのではなく己が己を極めていく。
その後長州藩士である村田清風の知遇を得て徴収で作刀することになるのだが、これは近年分かったことである。
「おれは清麿」
のちに作刀した刀に銘を打った源清麿という名前が正式な名前になるのかもしれないが、この辺も歴史は語ってくれない。新撰組を追っていくと必ずこの清麿にあたる。有名な話で言えば近藤勇の愛刀の虎徹は清麿の打った刀に偽銘を施した偽物であったとする説が有力であるとされている。いずれにしても近藤勇が幕末に不逞浪士を切っていた刀は尋常じゃないものだったのですね。
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初めて山本兼一氏の作を読んだ。最初に「利休にたずねよ」を読むのはなんとなく癪なの(利休は好きじゃない)で、刀鍛冶の話と知って、こちらを。
まったく知らなかったけど、主人公の刀鍛冶、清麿の妥協しない姿勢は、読んでいて心地よく、こうありたいものだとしみじみ思う、サラリーマンおじさんなのだった。久々にスカッとした、また読み応えのある良作だった。いいものを読んだ。感謝。
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物事に集中することで達人になれるのはわかるが、妻子をこれだけおきざりにするのは、我儘だと思う。不愉快である。