紙の本
無意識の暴走
2015/08/16 20:23
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜそう考える、なぜそっちのほうへ行くのか?主人公の無意識の暴走は止まることを知らない。全編に溢れる笑いとそこはかとない悲しみ。この人は救われることはあるのだろうか?
紙の本
冴えない作家の日々
2020/03/08 09:06
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
巻末に「登場する人物・団体名は全て架空」と書かれていて、辛うじて小説だと理解できました。カメラと犬が大好きな小説家の、お金の遣り繰りが淡々と綴られていて独特な味わいです。
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"くっすん大黒"以来の町田康ですが、相変わらず意味不明な文章と訳わからない笑いが混在し楽しめた。"ばい貝"とは"Buy買"と思われます、消費する事でストレス解消するつもりが数百円の草刈鎌に始まり中華鍋、デジカメとどんどんエスカレートして行く様はまさに鬱なる行動かも知れない。
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非日常のようであって、
まぎれもなくわたしたちの日常にぐぐぐいと迫るものがある。
日常というものとの向き合い方、
生活を紡いでいく上で、わたしはもっと、
考えて堕落してそれでも可笑しく生きるということ。
この世界のすべてをうつくしく感じなくともよいということ。
絶望したって、しぶとく、ずるずると、生きていれば、
ふとなにかがひらめくときがくるのだろう。
なんてことを思って、
なんでわたしはこんなに、
町田康さんの描く小説を欲しているのか、
この本を読んで、やっと分かったような気がしました。
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町田節炸裂。例によって何度も笑った。著者によると、テニスとは「そうして意地悪に翻弄されて、相手は右往左往、やがてやり損なって打ち返すことができなくなり困惑したり消沈したりする様を見て喜ぶ、というスポーツなのである」。そんな定義あるかえ! 星4つは「告白」「宿屋めぐり」が卒倒するくらい面白かったから。
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『くっすん大黒』に始まり、『パンク侍斬られて候』にハマり、そして、『告白』で決定打を浴びた町田康だったが、以降の作品にはことごとく裏切られ続けてきた。で、今作で見切りをつけよう。もう、買わんよ。
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タイトルが良いです。買い物をして鬱をはらす。鬱がお金に換算されており、買い物をして鬱がはれれば減ったり、鬱がはれなれけば増えたりします。途中から日々に鬱々としない使い勝手のよい道具に買い替えをしていくことから、鬱をためないよう趣味にお金を投じることに変わっていきます。しかしながら、鬱を減じることを明確にするあまり、お金に換算していけば、鬱はつもりにつもっていくことばかりであることに気付きます。
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働きながらカネと鬱をため、カネを使うことでそれらを減じる
という理論をもとに、○○円分の鬱がたまったので買い物をして○○円減らし……と計算してグチグチする本。
カネと鬱のバランスを取りながら一喜一憂する主人公
しかし彼の買い物はなかなか成功しない。
そんなことを考えても絶対ろくなことにならないだろう…と思いながら見守っていると、
案の定、主人公はエンドレス“鬱たまるカネ使う”のどつぼにはまっていく。
情けなくも必死な姿、そして静かに終わるラストの数行に、人間の悲しさを感じるけれど、
まぁ過去作品と比べてしまうと『夫婦茶碗』や『きれぎれ』ほどの切羽つまった状況ではなく
「お前は自分から頭を突っ込んでは悲劇ぶってるだけだろ!」と少し醒めてしまった。
ただ中毒性のある奇怪な言い回しにはあいかわらずニヤニヤしてしまった。
「哀しみの国でジャンキーのぬらりひょんが腹を刺されて苦悶しているような感じ」ってどんなやねん。
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満員列車の中で、図らずしも笑いを堪えきれず吹き出したる私に向けられる冷たい視線。ぷぷぷ。めっさツボでした。
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お願いです町田康さん、あんまり笑わせないでください・・笑
パーッと買い物してウサ晴らしするとは、よくあることですが、バイ貝方式で考えると恐ろしい。買い物SFとでもいおうか。
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溜まった鬱を買い物によって発散しようとする。しかし、目の前に安いものと高いものが提示されると迷ってしまうのが人の常。鎌を買い、フライパンを買い、カメラを買う著者が、学んだことは……。
「心にうかぶよしなしごと」を書き綴った作品。
町田節健在。
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久しぶりの町田康。町田節炸裂!
それしかなかった笑
特に内容らしい内容はない。
久しく会っていない友人と呑んだような感じ。
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うつ病を金額に換算するといくらぐらいか。憂さ晴らしに買ってしまったものから金額を推定する。
でも、この発想ってどうなんだろう。
もし、うつ病を金額に換算するなら、鬱でなかった場合に何か楽しむ経費、好きな事で稼げたらいくらくらいか、などのほうが現実的でないだろうか。
どうせなら、片山さつきあたりにうつ、生活保護を理解させる数値の小説とか出ないものか。
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物語はドストエフスキーの「貨幣は鋳造された自由である」からはじまる。
といっても決して難しいことではなく
おカネを稼ぐ→なにものかに縛られる→鬱が蓄積する→鬱を散ずる(解放される)ためにカネを遣う
で、「私」は自分自身の中にどれくらいの鬱があるのかを点検し…なぜかホームセンターへ向かったのであった。
大好きな町田氏本の中ではかなり読みやすく、笑わずにはいられない表現、リズム、パンク。ぜひ体感していただきたい。
「本当のこと本当のことを言うと、人間が本当にわかることができるのは、いまこの瞬間のことだけで、この瞬間のことだけで、マジで一寸先は闇でどうなるかわからないのである。だから後になって、バカなことをしたなあ、と思うことはできても、バカなことをするなあとは思えない。だから人間はバカなことをしてしまうのである。」 共感。
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仕事などで溜まった「鬱」を減ずるため、庭に生い茂る草を刈る鎌を買い、こげつきやすいフライパンの代わりに中華鍋を買い、趣味を謳歌するためデジカメを買う。
消費による快楽を求めては失敗を繰り返す様は、貨幣経済を批判しているわけでもなく、ただまぁ面白いのであります。この微妙な笑いのセンスはやっぱツボにハマっちゃうなぁ。
しかし、くだらないお馬鹿エッセイ風でありながら、そこはやはり小説として成立させてしまう筆力にもあらためて感心する。