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英国の数学者アラン・チューリングが1936年に発表した「計算可能数とその決定問題への応用」という論文は、現在の理論計算機科学の草分けと呼べる存在である。本書は解説を加えながらこの論文を読み進めていくという形態をとっており、チューリングマシン・計算可能性というトピックについて理解を深めることができる。(電子情報学専攻)
配架場所:工2・図書室
請求記号:007.1:P47
◆東京大学附属図書館の所蔵情報はこちら
https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2003061441&opkey=B149033342510692&start=1&totalnum=1&listnum=0&place=&list_disp=20&list_sort=6&cmode=0&chk_st=0&check=0
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この本の最初と最後に古代ギリシャのディオファントスという数学者が登場する。
ディオファントスが数学に傾倒した動機は、息子を失った悲しみを癒すためだという。
有名な数学者が数学をやるようになったきっかけは大抵の場合、純粋な好奇心や偉大な功績を残したいがための野心だと思う。
ディオファントスの例は個人的にかなり驚きだった。
ただ自分にも心当たる節がある。
数字の事を考えている時は、日々の生活の苦しみを忘れて、少しだけ高尚な次元にいられるような気がする。
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チューリングの原論文に著者の注釈をつけた形式で書かれている。
注釈が非常に読み応えがあり素晴らしい。
(以下、私が一読した上での理解と感想を書きます。なにか間違った記述があったとしたら私の理解不足によるものです。)
「一階述語論理に関する決定手続き問題」を証明するために、「計算可能性とはなにか」をチューリングは考え
「人間が計算できるすべての数を計算できる機械」を考え出し
チューリングは、その機械のプログラムにあたる記述を論文で与えている。
チューリングマシンは、「人間が行う計算とはどんなものなのか」を分析して生まれていたという点が興味深かった。
そして、そのチューリングマシンが現代のコンピュータの原理的なモデルになっている点にさらに驚かされる。
チューリングマシンにできないことは、どうやら現代のコンピュータにとっても原理的に不可能だということらしい。
そして未来のマシンたる量子コンピュータもこの限界を超えることはできない。
歴史的な論文を直接読むことができるのも本書の魅了だと思う。
チューリングの論文は単なる理論の展開だけを行っているのではなく
そこには哲学的考察や深い問題提起が含まれていた。
「学問を突き詰めていくと哲学に行き着く」とは聞いたことがあったが、その言葉の意味をより理解できた気がする。
チューリングマシンの考察は、自ずから「人間とはなにか、機械とは違うのか」を問いかけてくる。
また、チューリングほどの天才でも、論文の中に小さな(計算ミス程度の)誤りがあることを知れてすこし勇気づけられた。
またもう一度読み直す日が来たら感想を加えたい。