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民俗学の若き研究者として活躍していた著者だが、ある時点で大学を辞し、特別養護老人ホームで介護職員として働くことになる(このあたりの事情は本書の主題ではなく、したがって詳しいことはわからない。ただ民俗学のバックグラウンドを持つ人が介護職に就くことになった、ということになる)。
利用者には認知症の症状を抱えている人も多い。慣れない仕事に奮闘しながら、しかし、著者は利用者たちの思い出話が非常に興味深いものを孕むことに気付いていく。丁寧に話を聞いていくと、問題行動とされていたことも、昔の記憶と深く結びついており、実は理由があることがわかった例もあった。例えば、排泄時に使用した紙を汚物入れに入れていた人。実は、人肥に紙が混ざると後で畑で使用したときに風で舞い上がってしまうことから、便とは分ける習慣があった。話を聞いていくうちに、居住区域がどの辺りで、そのような習慣があったのはいつ頃で、と話が具体的に広がっていく。
場合によっては、他の利用者の記憶と話がつながっていくこともある。
こうした広がりは、テーマを決めて聞き取っていたのでは生まれてこない。
お年寄りの話を、興味を持って「驚き」ながら聞くことで、当時の暮らしの中では当たり前だったのに、今やまったく知られていない埋もれた話が聞き出されていく。
それはまた一方で、語り手が語る意欲も刺激する。それが利用者の生き甲斐や支えにつながる例もあったようだ。
ただ、認知症の人に限らず、話を「おもしろく」作ってしまうことは誰しもありうることで、どこまでが事実の部分なのか、見極めはなかなか難しそうだ。
実際問題として、介護の仕事と、民俗学的な聞き書きを平行して行うのには、さまざまな困難があることだろう。他の介護者・被介護者との関わり、さまざまな決まりや制約、先例がないことによる障壁。聞き取る側の個人の資質や、語り手と聞き手の間の相性、どうしても推量が入ってしまう部分があることなども問題になりそうだ。
しかし、著者にはそれでも、この仕事を続けてほしいなぁと思う。そしていつか、一般読者向けのこうした本をまた書いてほしい。
澄んだ「驚き」と怜悧さを備えた目で見つめた、「その頃」の暮らしを。読者の眼前に生き生きと立ち上がるその姿を。
可能ならば、また読ませてほしいと思う。
とにかく、頗るおもしろかった。
*『一〇〇年前の女の子』をちょっと思い出した。
私事だが、先日帰省した際に、うちの両親が昔の話を滔々とし始めて少々驚いた。2人とも教員だったのだが、実家のあたりは若いうちに何年かは僻地に赴任する決まりになっている。そのころの山の村の話などなのだが、これが非常におもしろくて重ねて驚いた。思い出話には語り手の記憶の表側に浮かび上がる「時」があるのかもしれない、なんてことも本書を読んでいて思ったのだった。
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http://www.amazon.co.jp/dp/4260015494/ref=cm_sw_r_tw_dp_xdYSpb037DRP1
『神、人を喰う』でサントリー学芸賞を受賞した気鋭の民俗学者は、あるとき大学をやめ、老人ホームで働きはじめる。
そこで出会った「忘れられた日本人」たちの語りに身を委ねていると、やがて目の前に新しい世界が開けてきた……。
「事実を聞く」という行為がなぜ人を力づけるのか。聞き書きの圧倒的な可能性を活写し、高齢者ケアを革新する話題の書。
出版社からのコメント
☆新聞で紹介されました!
《そこに浮かび上がってきたのは、「傾聴」「共感」「受容」という観念にがんじがらめになったケア(「聴き取り」)の歪(いびつ)さであり、一方でテーマを先に設定する民俗学調査のまなざしの狭さだった。》-鷲田清一(大谷大学教授・哲学)
(『朝日新聞』2012年4月1日 書評欄)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012040100011.html
《介護する側と介護される側とが共に蘇生していく過程が、短編小説のような味わいで描かれる。ついのめりこんで読まずにはいられない。》-上野千鶴子(東京大学名誉教授・社会学)
(共同通信社配信、『北日本新聞』2012年4月1日 書評欄、ほか)
http://wan.or.jp/ueno/?p=1506
《介護職員としての仕事の傍ら、高齢者から聞き取った話をまとめたのが本書だ。……昭和初期の会社勤めなど都市生活をの様子を語る人もおり、本書はさながら宮本常一『忘れられた日本人』の現代版とでもいえそうな趣だ。》
(『日本経済新聞』2012年4月15日 書評欄「あとがきのあと」より)
《六車さんは、日本中の寒村を歩いた民俗学者宮本常一の書名を引き合いに「まさに『忘れられた日本人』がいた」と驚いた。六車さんは「介護民俗学」という新しい発想を提唱するようになった。》
(『中日新聞』・CHUNICHI Web 2012年4月3日 より)
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120403/CK2012040302000204.html
☆雑誌で紹介されました!
《「常民の研究といいつつ、フィールドワークではある特別な人たちの特別な話を聞いていたことに気づかされました。お年寄りの話にじっくり耳を傾けるとみなさんすごく喜びます、家族には話しづらいこともおおいですから(笑)」》
(『週刊文春』2012年4月5日号 文春図書館「著者は語る」 より)
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1169
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読みたいと思っていた本の一つで、ようやく読めた。それほど期待していなかったけれど、想像以上に面白かった。民俗学の研究者であり、現在は特養の介護職である筆者だからかける、論理的であり、さまざまなエピソードがちりばめられていて読みやすい本だと思う。
介護民俗学という名称は大層な感じがしてしまうが、回想法との違いについてはすごく納得した。介護職が聞き書きをすることの難しさは、現場にいる筆者は百も承知だろう。それでも100年近くを生きる高齢者の人生は驚きに溢れていて、学びとしても、楽しみとしても魅力あるものであり、重度の要介護であったとしても、敬うべき存在であるという筆者の訴えは、介護職に限らずすべての人が持つべき姿勢だと思う。
90歳の要介護1の祖母の自分史を作ったことがあるが、その作業はとても面白く、本人もその子どもである父や叔母も喜んでくれたことを思い出した。
意味性認知症の母の自分史も作りたかったが、聞き書きは言葉が喋れないと難しく、母の人生を聴けずじまいなのは悔しい。
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とても読みやすい。
はじめて耳にする「介護民俗学」と言う言葉。
民俗学で介護とはどうであったのかということではなく、介護しながら聞き書きをすることだった。
お年寄りからの情報収集は貴重ではあるが、民俗学専攻の学生の就職先が限られているから介護のほうに流れて楽しみながら仕事をして欲しいというのは難しいかな~
著者はたまたま介護士と研究と両方できたけど、介護に興味がないとツライ職場だと思う。
著者の言わんとすることもわかるのだが・・・
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気鋭の民俗学者が、自ら介護職員として介護の現場で実際にケアの仕事をしながら民俗学のフィールドワークとしての「聞き書き」を行っていく。「聞き書き」と介護での成果をあげるための「回想法」との違い。またケアの非対称性など、実に現場からでないと分析できない様々な発見と分析、提言がある。
私は読みながら、自ら労働の只中に踏み込んでいった哲学者詩もーぬ・ヴウイユのことを想起していた。彼女の優しい視点がこころを和ませる。
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今まで違った方向性で考えていた要素(民俗学、語り、
聞き書き、介護など)が、それぞれ通じあって、また、
ある異なった様相を帯びてきたようにも感じられ、
大変興味深かった。
心に残ったのは、
介護されなければならない(生きていけない)側と
介護する技術を身につけた側との関係性についてで、
どんなに介護者の倫理をもってしても、助ける助けられる
という非対称の関係で成り立たざるをえないなか、
介護される側はそれをどのように受け入れているの
だろうか、という当然といえば当然である疑問について。
それを著者は、民俗学の聞き書きにおける、調査者と
調査対象者の関係にまで話を繋げて、
アカデミックな知識はあるが経験を有してない調査者が、
民俗学的な知識が豊富な調査対象者に「教えを受ける」
という関係性こそが「聞き書き」である、と捉え直す。
そこまで読んで、すべてのエピソードが更に新たな光彩を
放って輝きだし、著者が、またしても「教えを乞う」ために
聞き書きに伺おうとする気持ちが、素晴らしさがよく理解できる。
「聞き書き」をしばらく行った者としては、まさに同感。
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元民俗学者の著者が、老人ホームに転職して、高齢者と接した日々の記録。
民俗学を融合した独自の介護理論「介護民俗学」を提唱しているのだが、これがとにかくユニークで、目から鱗が落ちまくり。
記者でいう取材のような民俗学の手法「聞き書き」を駆使。認知症の高齢者の、一見支離滅裂と思われる言動を分析して、史実を紐解いていくプロセスは、まるで推理小説を読み進めるかのような快楽を味わえる。なかでもトイレ介助のエピソードはおもしろすぎて、快哉を叫びたくなった。
知的好奇心や探究心がくすぐられる一冊。タイトルから高尚な専門書をイメージしていたが、誰でも楽しめる。
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老人介護施設の利用者(痴呆症患者や統合失調症患者を含む)から聞き取りをして民俗学の記録を残すことが、学問と施設利用者のどちらにも有益だという「驚きの」介護民俗学。
介護の実践または勉強をしている人なら、「そんなこともあるかもしれない」とけっこう受け入れてくれそうな気がするが、民俗学者はどうかなあ。村の古老は知恵の宝庫でも、養老院のぼけた年寄りの言うことを真に受けてくれるかしら。
幻聴幻視妄想の中から、過去の真実を見極めるのは難しいが、真実に近いものはきっとある。そしてそれは「100%真実でないから価値がない」わけではないと思う。健常者の過去の話だって、意図しない虚飾や自衛のための改変が混じり込むのだから。
介護民俗学が介護者の支えになることだってあるかもしれない。
もしかしたら今自分が読んだ本は介護界(?)の革命を呼ぶ本かもしれないと思いつつ、読了。
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現在介護福祉士養成の専門学校に通う私にとって、この本は非常に面白く、また驚きの内容であった。まだデイケアセンターに5日間ほどしか実習に行っただけであるが、そこには本書で語られているように、利用者の方のさまざまな人生が感じられる場であったのだ。また学校で教えられているいわゆる正しいとされていることと、現場で著者が感じることの差がとても興味深く、考えさせられた。これから介護の現場ではたらく人すべてに読んでもらいたい1冊である。
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「問題」にするかどうかは、自分しだい。
例えば
病気や障害によって、他の人たちと同じように「できない」ことがあるとき、
「できない」ことを「問題」だと捉えると、なんだか息苦しい。
「できない」ことは、「問題」じゃなくて、
「できない」ことは、ただ、「できない」だけ。
もちろん、「できる」に向かって努力してもいいし、
「できない」ことは、そのままにして、他の「できる」ことを頑張ってもいい。
無理して、他人にあわせる必要はないし、
自分らしく生きていけば、それでいい。と思います。
「問題」って、何でしょう?
自分自身が、「問題」だって思ったとき、それが「問題」。
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「驚きの介護民俗学」(六車由実・著,医学書院)を読んでいて、
こんなことを考えました。
この本は、民俗学者が、老人ホームで高齢者から聞き取ったことを、民俗学的な視点でまとめたもの。
認知症による幻覚や幻聴について、著者は次のように書いています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
認知症という病気やその治療を否定しようとしているわけではない。
ただ、今、こうして介護の世界で認知症の利用者と関わりながら見えてきたことがひとつあるのだ。
それは、年をとるとは、個人差はあるにせよ、それまでは見えなかったものが見えたり、
聞こえなかったものが聞こえるようになることであり、そうして跋扈する狐や死者たちを拒絶せず、否定せず、彼らとともに腰を据えて生きていくことではないか、ということなのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
認知症の高齢者の「幻覚」や「幻聴」は、
周囲の人には見えず、聞こえないので、
「問題」と捉えられるかもしれません。
でも、「幻覚」や「幻聴」といわれるものも、
ご本人には見えたり、聞こえたりしているもので、
その人にとってはリアルな世界、リアルな経験かもしれません。
その世界で、ちゃんと生きているのだと考えると、
(ご本人に苦痛がないことが前提ですが)、
幻覚や幻聴も「問題」ではないといえるのかもしれません。
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かつて民俗学を教え、今は介護の現場にいる著者の、「介護」と「民俗学」の相互関係を解く本。介護者と非介護者の相互行為を見つけていく本。でありながら、単に、どんな人にも歴史があるのだと、ちょっと泣けてさえしまう本でもあります。
僕の血の繋がった祖父・祖母はみな鬼籍に入りましたが、結局、僕にとって「忘れられた日本人」だったのです。何も聞き出すことも、語りかけることもできませんでした。後悔先に立たず。
常に人手不足、労働方気味の介護現場に、こうしたゆっくりとした関係が根付くのは難しいかもしれないけれど、動かされる人はきっといるはず。
たまたま、著作権フリー化された漫画「ブラックジャックによろしく」を同時期に読んだので、甘いけど尚更のそんな感想です。
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以前の「神、人を喰う―人身御供の民俗学」が学術的で厳密な感じだったのに比べると、こちらは雑誌連載の内容を読みやすく束ねた内容になっている。介護施設という一見すると排除され、何も残されていない対象に目をあて、むしろそこから我々が失いかけている何かを拾いだそうとしている。続きはブログ→http://hiderot.blogspot.jp/2012/05/2012.html
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ようやく読んだ積読本。あっという間に読めた。やらないといけないとわかっていてもできない要介護老人の話をゆっくり聞くこと。それを著者は「民俗学」の手法で聞き(書き)した。驚き(興味)を持って聞くことが共感につながり、書き留めることが記録することではなく、「傾聴」につながっているのではないかと思う。回想法との違いを論じていたが、回想法は技術になった途端、聴くことを忘れているのかもしれない。最後に大学准教授を辞めて介護現場に飛び込んだこの著者の人生を聞き書きしてみたいものである。
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さて、少しずつ反響が広がっている介護民俗学です。全ての状況でこの『民俗学』をおこなうことはやはり困難なのでしょうが、介護する側とされる側が時代観を共有できている現在は、非常に幸福な時代なのかもしれません。ますます時代の変化が加速して、ボクが介護されるころには『スマホ』なんて若者に言ってもチンプンカンプンだったりして(笑)
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民俗学の先生がなぜ福祉の現場に?
介護の現場をフィールドワークの場にした、すごい本です
それぞれのエピソードももちろん刺激的ですが
面白かったのは、社会科学における調査者(研究者)と対象者(話者)の権力関係についての考察。
調査者の方が上なのがふつう?と思っていたけれども
実際のインタビューの場においては、立場が対等になったり、逆転したりすることもあるのだそうです
そしてこの語りの場は、問題解決、治療的効果などは目的とせず、相手の暮らし、経験に純粋に興味を持ち「教えを受ける」ことで成り立っている
(そこまでの関係性が築けるかどうかというのが研究者の技量ということなのかな?)
これは「介護者(支援者)と被介護者(当事者)との関係のダイナミズム」という言葉で表現されています
福祉の場では支援者―当事者という関係についとらわれがちだけど、視野がひらけそうな一冊でした