投稿元:
レビューを見る
福沢諭吉とはどんな人物で、どういう考えを持っていたかがよくわかるものだった。福沢諭吉という人物の持つ面白さに目覚めさせられました。
投稿元:
レビューを見る
『天は人の上に人を造らず…』で有名な著書ですが
幕末の時代に生きた福沢の思想、哲学が凝縮されている1冊のように思いました。
幕末とは違えど時代の転換点に生きる我々にとって大切なのは、自分がどう生きていくのか…。
坂本や高杉、西郷や勝といった政治や武士とは違う志士としての心を感じました。
投稿元:
レビューを見る
おすすめ度:80点
福沢諭吉『学問のすゝめ』解説本。
福沢諭吉は「明治の人間」の代表というべき人物だ。まっすぐ前を向いてどんどん進んでいく明るさ、勇気、胆力。
国とわたりあえる人物たれ。
独立自尊で生きよ。
識見をもって行動せよ。
原文のその小気味よいリズムから、福沢の気概と信念とカラッとした明るさが伝わってくる。
投稿元:
レビューを見る
仇討ちはなぜダメなのか、と、事を成すには怠けたり遊んだりしていてはダメだというのが、特に印象に残った。
国民としてどうあるべきか、学問をいかにするべきかを厳しくお説教された気分になった。
勉強しよ・・・。
投稿元:
レビューを見る
斎藤さんの他の本で「学問のすすめ」が勧められていたのと、例に漏れずタイトルだけで中身を知らなかったのとで手に取った本。震災のことを思い出しながら読むと、私も学問せねば国を進展させねばと、心の底がぼっと熱くなる。格差社会というけれど、明治維新後のような国民皆学の意気込みで勉強すればなんとかなる!とさえも思えてしまう。がんばろう。
投稿元:
レビューを見る
実は読んだことなかったので、改めて書かれている内容を知ってその斬新さに驚いた。
原文→現代語訳→解説という流れが簡潔でよいけど、全文網羅されてるわけではない。
投稿元:
レビューを見る
『人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない。』
結びでこんなにインパクトのあるメッセージを持ってくるユーモアが福澤諭吉さんの人間性がうかがえる。
投稿元:
レビューを見る
わかりやすい。
時代の変わり目に、明るく新しいものに順応し、性根を据えて進んでいく行き方は、現代にも習うところがあると説いている。
投稿元:
レビューを見る
賢人と愚人の違いには学んでいるか、いないかで決まる。
はっきりとかかれているが、読んでいくとふと腑に落ちる。
とても原文でもわかるところはわかるし、注釈もあるのでとてもわかりやすかった。
投稿元:
レビューを見る
私自身「天は人の上に人を作らず…」位しか知らなかったので、読んでビックリ!
随分と合理的というか、当時の日本人としては非常に革新的な考えを出来る人だったみたいですね。
彼の持つスピリットは、現代に生きる日本人において、当時以上に求められているのではないだろうか?
投稿元:
レビューを見る
「学問のすゝめ」の タイトルは知っているが、内容を知らないので、内容を知りたくて読んだ本。齋藤孝先生の解説で「学問のすゝめ 」の内容と福沢諭吉のことを知ることができて良かった。また齋藤孝先生の解説で名著を解説してくれた本が読みたいと思った。
投稿元:
レビューを見る
福沢諭吉の「勉強する意味」とは「自分の頭で考え、物事を判断する力を得ること」。
信じる、疑うというときには、取捨選択のための判断力が必要になる。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのだはないだろうか、と説く。
また「学問こそ周囲に流されないための術」。
勉学に限らず、仕事や人生において、どの分岐点にいる人にも刺さる言葉が沢山あり、これぞ指南書と呼べるものだと感じている。
〜特に印象的な言葉〜
・天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
=not人間の平等を説いたbut「人間の競争原理」
人間は学問をするかしないかで大きく差がつく。人の地位や財産は、その人の働き次第で決まるという競争原理を説いたもの。
・我心をもって他人の身を制すべからず
自分なりのこだわりや軸を相手に押し付けてしまうと、その人の考えややり方を否定することになる。良好な人間関係を気づく上では肝に銘じたい言葉。
・人に先立って事をなすは正にこれを我輩の任と言うべきなり
リーダーというのは先頭に立って道を切り開いていく存在だから苦労が多いもの。人が切り開いたあとを歩こうとしても、新しい発見や進歩は生まれない。人がやっていない分野に挑戦する気概が大切。いつの時代も新たなことにチャレンジできる人が成功を掴むもの。
個人的には、仕事は仕事。馬鹿にせず手を抜かずにやればこれも経験として積み重なるはずだ、という考えに感銘を受け、また救われた。
学問をする事で、自分の足で立って、考え、行動する力を養える。なんのために働いているのか、生きているのか迷った際は、そんなときこそ目の前のことを全力でこなしていくこと。するとその時の経験が自分の成長の糧となり、財産へとなっていく。
この言葉を肝に銘じたい。
投稿元:
レビューを見る
100頁にも満たない本だが「学問のすすめ」未読者には学びが多い。著者も本文で述べているが、福沢諭吉とその著書「学問のすすめ」は日本人であれば知らない人はいないが、ではそこに何が書かれているかと問われると答えれる人が逆に見つからなくなる。自分にしても今まで本書を学んだことがなく、多くの他の人と同じようにただ冒頭の有名な一節を知っている程度であった。本書は現代語訳も出されている齋藤孝氏が、学問のすすめが出版された明治という時代背景も交えながら概要を解説するダイジェスト的な本である。
福澤の勧める学問とは、趣味的な一般教養ではなく、徹底した実学である。机上の学問ではなく、実生活や仕事に直結した学びだ。
個人の独立と国の独立が強く相関し、「官」と「私」が非常に近いものとして常に対比して語られる。現代日本では、国(=政府)と個人との結びつきはほぼ感じることができないほど薄いが、当時は国自体がまだ出来たばかりで、個々人の独立や成長が、国が国として維持し続けるために必須であり、人々の発奮を促した本であることがわかる。
投稿元:
レビューを見る
私も以前、学問のすすめを読み、途中で投げ出してしまいましたが、100分で名著により、だいぶ認識が変わりました。
投稿元:
レビューを見る
さて、そこで、今回の主人公である福沢諭吉です。彼こそはその「明治の人間」の代表というべき人物です。まっすぐ前を向いてどんどん進んでいく明るさ、勇気、胆力。新しいものに順応し、ものにしていく意欲が、まさに明治時代のカラーです。慶應義塾という私立学校を作り、新聞社などの事業を興し、多数の著作をものした一級の評論家・ジャーナリストでもあります。 私はよく思うのですが、「日本人らしさ」というものについて語るとき、そこには大ざっぱに言って二種類のものがある気がするのです。一つは、『古今和歌集』や『源氏物語』に代表されるような「もののあはれ」の心を持った日本人。古代から脈々と受け継がれてきた日本人のオリジナルの精神です。しみじみとした情感を好む、言ってみれば「湿度の高い心」です。 もう一つは、勤勉で器用で、「働きバチ」のような日本人。こちらは、主に明治以降に発揮された精神といえると思います。言ってみれば、前者は情緒的で感性優位の精神、後者は論理的で合理的な精神です。このうち、福沢は後者も後者。合理的精神の極北のようなところがあります。
まず、福沢は人間の平等を説いたわけではありません、そうではなく、人間は学問をするかしないかによって大きく差がつく。だから、みんな頑張って学問に精を出せ──、と言ったのです。
このように、福沢諭吉は「人は生まれながらにして平等である」といった単純な平等思想を説いたのではなく、人の富貴(地位や財産)はその人の働き次第で決まるのだと、むしろキビシイ競争原理のほうを説いたのです。
この本が世に出たのは、明治に改元されて間もないころです。二百五十年以上続いた幕府は崩壊し、藩も解体し、それまで刀を腰にさしていばっていた武士のほとんどが失業しました。「新しい政府」というものが東京にできたというけれども、それがどういうものなのか、一般の国民にはほとんどわからなかったころです。鎖国も解かれたため、これからは海の向こうの国々ともどんどんつきあっていかなければならなくなりました。これは想像を絶する変化です。この本は、そのような世の中を生き抜いていくための指南書でもあったのです。
(嘉永年間(一八四八―五四)にアメリカからペリーが来て外国との交わりがはじまった。そして今日に至ったわけだ。なお、開港した後でも、「鎖国」や「攘夷」などとうるさく言っていた者もいるが、たいへん狭いものの見方であり、ことわざに言う「井の中の蛙」のようなものだ。こういう議論はとるにたらない。日本といっても、西洋諸国といっても、同じ天地の間にあり、同じ太陽に照らされ、同じ月を眺めて、海を共にし、空気を共にし、人情が同じように通い合う人間同士である。こちらで余っているものは向こうに渡し、向こうで余っているものはこちらにもらう。お互いに教え学びあい、恥じることもいばることもない。お互いに便利がいいようにし、お互いの幸福を祈る。「天理人道(天が定めた自由平等の原理)」にしたがって交わり、合理性があるならばアフリカの黒人奴隷の意見もきちんと聞き、道理のためにはイギリスやアメリカの軍艦を恐れることもない。国がはず���しめられるときには、日本国中のみなが命を投げ出しても国の威厳を保とうとする。これが一国の自由独立ということなのだ)
福沢自身、自分は政治は得意でない(「政治の下戸」)と言っているのですが、要するに、西郷や龍馬といった志士たちは、時代を変える流れの中でも、新しい国家のあり方、政治のしくみを作る、いわばハードの部分を担ったのです。倒幕という武の要素も担いましたが、むしろ政治のシステムを作ることに功がありました。それに対して福沢は、新しい精神のあり方のほうを作りました。新しい国の中で、日本人一人ひとりの精神はどうあればよいのかという、ソフトの部分の改革を担ったのです。 ですから、福沢は一般に「志士」とは呼ばれませんが、彼もまた志士の一人であったことには変わりはないと思います。吉田松陰などのような「やまとだましい」の志士ではありませんが、ちょっと毛色の違う志士だったわけです。
学問とは難しい本を読み、和歌や詩の世界に遊ぶことではないと福沢は言っています。むしろ、心ある親は、子どもがそういうことに精を出しはじめると身を持ち崩すのではないかと心配すると言っているのが面白い。そして、「このような実のない学問はとりあえず脇に置いて」、として、次のように続けます。
(そうだとすれば、いま、こうした実用性のない学問はとりあえず後回しにし、一生懸命にやるべきは、普通の生活に役に立つ実学である。たとえば、いろは四十七文字を習って、手紙の言葉や帳簿の付け方、そろばんの稽古や天秤の取り扱い方などを身につけることをはじめとして、学ぶべきことは非常に多い。地理学とは、日本国中だけでなく、世界中の国々の風土の案内をしてくれるものだ。物理学というのは、この宇宙のすべてのものの性質を見て、その働きを知る学問である。歴史学とは、年代記を詳しくしたもので世界の歴史のようすを研究するものだ。経済学というのは、個人や一つの家庭の家計から世の中全体の会計までを説明するものである。修身学とは、行動の仕方を学び、人との交わり方や世間での振るまうべき自然の「道理(倫理)」を述べたものである。(……)こういった学問は、人間にとって当たり前の実学であり、身分の上下なく、みなが身につけるべきものである。この心得があった上で、士農工商それぞれの自分の責務を尽くしていくというのが大事だ。そのようにしてこそ、それぞれの家業を営んで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができるだろう) 読んでいただくとわかるように、福沢がまず大事だと言っているのは、正しい読み書きや、商いのための帳簿の計算、品物の目方の測り方などです。それをより充実させ、その道のエキスパートとなるために、地理学や物理学や経済学といった学問を学べと言っているのです。福沢が重視しているのは、現実を作っていく力があって、社会を発展させ進化させることに直接寄与するような、いわゆる科学的な学問です。しかもそれを、「学問のための学問」として学ぶのではなく、自分のたずさわる仕事に役立てる形で学べと言ったのです。
長い年月をかけて、高い授業料を払って学業を修めても、現実の生計が立てられないような者は「文字の問屋」であり、「飯を食ふ字引」���あり、国のためには「無用の長物」であり、「経済を妨ぐる食客」だそうです。まったくケチョンケチョンです。 学問をするのならば実社会に役立つことをやらねばならないというのが、福沢にとってはまずもっての大前提でした。そして、やるのならば本気でやれ、大きくやれ、中途半端な気持ちでやるな、と拳を振りあげて力説しました。
というと、いまの人たちはむりやり勉強の義務を背負わされるようでイヤな感じがするかもしれませんが、当時の人たちはそうではなかったと思います。庶民のほとんどは、どうやったら上の学校に行けるのだろうか、勉強できないのが悔しくて仕方ないという時代でしたから、みんなが学んでいいのだよと言われることは、勇気づけられ、希望を与えられることだったのです。
特筆すべきは、福沢のこの本を読んで、東京に出ようと思った人が非常に多かったことです。たくさんの若者が『学問のすゝめ』に刺激されて、「オレも一旗揚げてやろう」という気になって上京しました。実際、明治日本は、藩の解体後に全国から集まってきた地方出身の若者たちによって作り上げられた側面が大きいのですから、その意味では、「恐るべし、『学問のすゝめ』」なのです。
そういえば、遺伝子工学の村上和雄(*5)先生から伺った面白いお話があります。人間という生きものは、身体の中にいろいろな可能性の因子を遺伝子として持っているのですが、持っているだけではダメで、その遺伝子が「スイッチ・オン」にならないと働かないそうです。そのスイッチはなにか大きな刺激を受けたときにはじめてオンになるのだそうで、たとえば、版画家の棟方志功はゴッホの絵を見てスイッチが入り、「わだばゴッホになる」と言ったのでしょう。長嶋茂雄を見て感動してスイッチが入り、野球選手になった人は数多くいるでしょう。同じように、イチロー選手を見てスイッチ・オンした人もいるでしょうし、モーツァルトを聴いてスイッチ・オンした人もいるでしょう。
間違っていると思うことがあったら泣き寝入りするな、きちんと筋道を立てて、冷静に、しかし身を棄てる覚悟で異議を申し立てよと福沢は言います。
世の中で学問のない国民ほど哀れで憎むべきものはない。知恵がないのが極まると恥を知らなくなる。自分の無知ゆえに貧乏になり、経済的に追い込まれたときに、自分の身を反省せずに金持ちをうらんだり、はなはだしくなると、集団で乱暴をするということもある。これは恥知らずであり、法を恐れない行為である。(……)こうした愚かな民を支配するには、道理で諭しても無理なので、威力でおどすしかない。西洋のことわざにある「愚かな民の上には厳しい政府がある」というのはこのことだ。これは政府が厳しいというより、民が愚かであることから自ら招いたわざわいである。愚かな民の上に厳しい政府があるとするならば、よい民の上にはよい政府がある、という理屈になる) 国民が正しい知識と判断力を持っていれば、政府のほうもおのずと正しい方法で対応するようになると言っているのです。
昔の政府は、ただ「力」で圧政を敷いただけだったからまだましだったけれども、このたびの新政府は力に加えてなまじ「智恵」があるから始末が悪いというのです。当時���世の中には、鉄道や学校、軍隊、近代建築といった、それまでは想像だに及ばなかった文明の利器が次々に登場していました。そこで、こんな魔法のようなものを見せられたら、人びとは手もなくひれ伏してしまうに違いない、人民はかつて政府を「鬼」のように恐れていたが、いまは「神」のごとく拝んでいる、ヘタをすると、国民は自主的に行動する気力をもっとそがれるかもしれない――と福沢は危惧したのです。 そのような状況を打破して、「独立の気風を全国に充満させる」ことが、福沢にとっての使命だったのです。
かくして、福沢は民力を存分に発揮していくのですが、その活動の柱の一つは、教育者として慶應義塾という私立学校を作ったことです。彼は、自分はこれを真に独立した学校のつもりで作ったと言っています。というのも、「私立」以外の学校は「官立」ということになりますが、福沢に言わせれば、「官立」というのは「国のお金(税金)に養われて生きていく」ことであり、真の独立ではありません。逆に、国のお金の世話にならないでやっていくなら、完全に独立した、国と対等な立場だというわけです。
志を高く持ち、学術の真髄に達し、独立して他人に頼ることなく、もし志を同じくする仲間がなければ、一人で日本を背負って立つくらいの意気込みをもって世の中に尽くさなくてはいけない) 志を高く持って、誰も賛同者がいなくてもやれ、仲間がいなければ一人でもやれ、日本を背負って立つ気分でやれ、と言っています。やや大風呂敷ですが、この頼もしい感じが、明治日本の人びとに大いに受けたのだと思います。
(独立の気概がない者は、必ず人に頼ることになる。人に頼る者は、必ずその人を恐れることになる。人を恐れる者は、必ずその人間にへつらうようになる。常に人を恐れ、へつらう者は、だんだんとそれに慣れ、面の皮だけがどんどんと厚くなり、恥じるべきことを恥じず、論じるべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばかりとなる。いわゆる「習い性となる」というのはこのことで、習慣となってしまったことは容易には改められない)
念のため付言しますと、自分はチームの一員であり、チームの一翼を担っているのだという気概こそが、独立心です。周囲と関わりを持たず、一人ぽつねんと存在することは独立ではありません。それは孤立と言います。
幕末の志士と呼ばれる人たちはみなそうで、どの人間も己の身一つのために生きていませんでした。志士だけではありません。新選組(*2)の人たちだってそうです。彼らの場合は野心と志と目的とがごっちゃになって、訳がわからなくなって悲惨な最期を遂げましたが、彼らとて、基本的にはこの国を守らねばならないという熱情に衝き動かされていたのです。決して個人のワガママで生きていたわけではありません。
『学問のすゝめ』の中には、福沢が、まさに「自由とワガママはどこが違うのか」について述べているくだりがあります。それは、自分の分限(身の程と義務)をわきまえ、他人に迷惑をかけずに行動できるかどうかだと言っています。
自由とわがままの境目というのは、他人の害となることをするかしないかにある)
また、人間交際(社会)には大小さまざまなレベルがあ���て、会社もそうであるし、家庭もそうであるし、学校もそうです。政府や国家もそうです。この文脈で考えると、いままで述べてきた「個人の独立」というものが、好き勝手に生きることではなく、公共的存在として責任をもって生きることを目指していた理由がよくわかります。これが独立自尊であり、そのような人間をこの国中に満たして社会全体の成熟度を上げていくことが、福沢が理想として描いたことだったのです。
学問には内外両様――、すなわち内側で思考を熟成させることと、それを外に向かってアピールすることの二つの区別がある。いまの学者たちは、内はいいけれども、外はヘタクソでいけないと言っています。
社会の中で自分の考えをはっきりと表明し、人とコミュニケーションを取り、ディスカッションをする。また多くの人の意見を聞いて、自分の考えにフィードバックする。そんな社会的活発さを求めたのです。
自分自身が自立していて、自足していて、自信をもって行動できていれば、他人を恨んだりねたんだりすることはないはずです。というよりも、そういう人はそもそも他人のことは気にならないと思います。ですから、そのような個人の前向きな考え方を促進するためにも、福沢は「開いていく」ことを奨励したわけです。 気持ちを開いて、考え方を開いて、心の窓を開いて、どんどん光を取り入れていったのが福沢諭吉です。「啓蒙」という言葉がありますが、これもまさに彼のためにあるような言葉ではないでしょうか。啓蒙とは、暗い部分を開いて明かりを入れていくという意味です。福沢はまさにそれを行った人なのです。
「いやしくも愛国の意あらん者は……独立を謀り」まではいいのですが、「余力あらば」という言い方にひっかかります。そして、最後の「人を束縛して独り心配を求むるより、人を放ちてともに苦楽を与にするにしかざるなり」まで行くと、ほんとに福沢という人は独特の考え方をする人なのだなと、しみじみ思います。すなわち、人にぴったりとくっついて面倒をみてやるよりも、つき放して別個に歩き、お互いに苦労するほうがいいじゃないかと言っているのです。これは、従来の日本人的な精神からすると「異色」と言えるくらい、一線を画しているように思えます。 このあたりの福沢のパーソナリティについては、彼の自伝である『福翁自伝』が面白いので、興味のある方はあわせて読んでみてください。たとえば、私には「いわゆる莫逆の友というような人は一人もない」とか、「世間にないのみならず親類中にもない」などと言い切っているので、びっくりしてしまいます。
ただ、『学問のすゝめ』全十七編の最後の文章が、ちょっと面白い。なかなか意味深長なのです。それは――、「人にして人を毛嫌ひするなかれ」です。
「識見と行動力」は、『学問のすゝめ』の第十六編で述べられており、その趣旨は、人間には物事を考える知識(識見)と、それを実行する力(行動力)が両方備わっていなければならない、というものです。これも福沢の主張の核の一つであり、彼はいろいろなたとえを用いて、繰り返し述べています。言葉を言い換えて、「心事と働き」といった言い方もしています。すなわち、いくら理想のようなものを頭に思い描いて���、実行しなければ意味がないということです。
「石の地蔵に飛脚の魂」とは非常にユニークな表現です。また、寝たきりで動けない病人が、神経ばかり穎敏(鋭敏)になったらそれこそ悲劇といえましょう。要するに、識見と行動力のどちらに偏ってもうまくないわけであり、大切なのは「バランス」だということになります。 この福沢の主張を眺めながら、私はあることを考えました。それは、つい最近までわれわれの周囲で流行語的に語られていた「品格」というものについてです。もし「福沢的な品格」というものがあるとしたら、インテリジェンスとアクティビティがほどよく拮抗した、この「識見と行動力」が、まさにそれなのではないか――と。
(他人の仕事を見て物足りないなあ、と思えば、自分でその仕事を引き受けて、試しにやってみるのがよい。他人の商売を見て、下手だなあ、と思えば、自分でその商売を試してみるのがよい。隣の家がだらしない生活をしていると思えば、自分はしっかりと生活してみよ。他人が書いた本を批判したかったら、自分でも筆をとって本を書いてみよ。学者を評しようとするなら、学者となれ。医者を評しようとするなら、医者となれ。非常に大きなことからとても細かいことまで、他人の働きに口を出そうとするならば、試しに自分をその働きの立場において、そこで反省してみなければいけない) つまり、「反対するなら代案を出せ」ということです。人を評するほどの考えがあるのならば、自分でやってみろ、不平不満があるなら自分で試みろというわけです。 識見と行動力、その両面のバランスが問われる場面は、現実社会でもたくさんあります。たとえば、会社で何かの事業やプロジェクトを起こそうというときもそうです。まずはプランナーやデザイナーといった人たちが、こうあったらいいなという計画を作ります。むろん、その段階の作業も大事です。しかし、どんなに素晴らしいプランでも、実現できなければ意味がありません。理想と現実の間にはギャップがあるのですから、さまざまな制限の中ですりあわせをして、実現可能な落とし所を模索していかねばなりません。 そして、すりあわせの議論自体も、できるだけ無駄なく効率的にするべきです。「議論のための議論」をえんえん続けるようなことは、福沢はとても嫌いました。
ちなみに、福沢はのちに、『福翁自伝』の中で、いまだから打ち明けるけれども、と前置きして、日本は独立できないかもしれないので、自分の子は「耶蘇宗の坊主」(キリスト教の神父・牧師)にでもしたらどうだろうかと迷ったと言っています。そのくらい、危機感を持っていたのです。 第1章で、私は『学問のすゝめ』によって日本じゅうがスイッチ・オンの状態になったと言いましたが、それは、その前段階として国全体がすでに「危機」というものによって臨戦態勢に入っていたからとも言えます。
また、人間というのはエネルギーの限られた有機体ですから、スーパーマンのように何でもかんでもできるわけではありません。ここにも、なんらかの方策が必要になってきます。 それはずばり、「優先順位」です。これが、今回の二つ目の要点です。では、福沢がどのような主張をしているか、見てみましょう。
「物事に優先順位をつ��る」とは、自分の中にあるいろいろな予定や、計画や、懸案事項や、未解決事項を取捨選択して、何をどのような順番でやっていくか決めることです。福沢はそれを「棚卸し」という面白い表現で表しています。
棚卸しとは、何が売れるのか、何が売れないのか、何を仕入れなければならないのか、何が不要であるのかを逐一調べることです。これをやると、自分がなすべきこととなさざるべきことがはっきりするわけです。福沢が言うには、人間が失敗をしないためには、この整理をいつも心の中でしておくのがよいそうです。 「心の店の取り締まり」は行き届いているか? とか、「遊冶懶惰など名づくる召使」に穴をあけられたりしていないか? などという表現は、いかにも福沢らしく独創的です。
例が飛躍するようですが、たとえば福沢の時代に起こった西郷隆盛の西南戦争(*2)などもそうです。あれも、ある意味では優先順位を間違えたのです。西郷も福沢と同じく近代日本を築いた立役者の一人であり、優秀な人間でした。にもかかわらず、「あのとき」に「やるべきこと」を間違えたのです。彼は福沢とは対照的に古い美学を持った日本人であり、「情」というようなものを最優先してしまったのです。
かたや現代人は、よくわからない暇と保障と豊かさによって逆に心が暗くなり、「やる気」や「行動」にスイッチが入らない体質になってしまったのです。
福沢式にあっさりと割り切って、「傷つきやすい心の問題」だとか、「いま考えてもしようがないこと」などは風呂敷に包んで、まとめて押し入れに入れてしまいましょう。即座に答えの出ないことは、とりあえず見えないところに片づけるのです。そして、今日やること、今月やること、今年やること、と、優先的にやるべきことを目の前に並べて、一つずつとりかかっていきます。これは、実際にやってみると、なかなかいい方法ではあるのです。
福沢には合理的な強い精神があります。その「精神」を取り入れることで「心」の問題を減らしていくことができると私は思います。なんとなく元気が出ないという人は、福沢式で心の問題を回避していくルートを試してみてください。
福沢なら、いまこそできることからやっていけ、とにかく前に進めと言うでしょう。不活発はダメだ、悩んでいるだけ時間の無駄だ、さあ元気出していけ――と、はっぱをかけるでしょう。
そして、私はこうも思います。そもそもこのような時代は、ヘタにやさしい言葉やなぐさめの言葉をかけられるよりも、味噌汁をすすりながらでも前進せよと背中を押されるほうが、逆に癒されるものなのではないか、と。 福沢が日本中の人びとに向かって、「さあ行け、頑張れ」と呼びかけた、あの時代の明るさを思い出してみたいと思います。青空をカラリと澄んだ風が吹き渡っていったような、明治の明るさを思い出してみたいと思います。 「風通しのいい人」福沢諭吉から、風通しのいい生き方、考え方を学びましょう。
要するに、それぞれの国にはそれぞれの風習や伝統や国民性など、その国の人間性とか風土とか歴史などに合ったものがある。そしてそれらはみんな、整合性を持って機能している。従って、どこかの���のをいきなり持って来て接ぎ木しても、一見、良さそうに見えてもそうはうまく行きませんよ、と戒めているわけです。軽挙妄動してはいけないと。 『学問のすゝめ』では、日本が昔から持っているような制度や習俗を、古臭いというだけであっけなく他国のものに置き換えるなんてことをしてはいけない、と戒めているんですね。よくよく考えて、新しいもののほうが本当にいいということがわかってから変えるべきだと。明治の頃から現在に至るまで、日本人はずっとこの過ちを犯しつづけています。福沢は今の人たちにも、同じようなことを言うと思いますね。
精神の不安感は、学ぶことで払拭できる。前へ一歩でも進んでいると自覚できれば、人は暗くならないですから。そういう意味では、学生だけではなく中高年になった方も、この言葉を胸に刻み付けて日々学べば、気分も晴れてくるのではないでしょうか。 福沢は、もっとみんなが本を読んで、もっと向上心を持っている日本を、おそらくは想像していただろうと思います。
この素晴らしい事例のもとには、釜石市の教育委員会が専門家の協力を得て「避難三原則」というのを、徹底して子どもに教えていたということがあります。まず、第一に「想定にとらわれない」。「ここで大丈夫」と思っていたり、言われていたりしていても、今回のは普通じゃないぞと思ったら、「想定にとらわれずに、自分で判断しろ!」ということですね。次の第二原則は、「状況下で最善を尽くす」。これは、その都度状況は変わるので、「状況を見て、自分で最善の判断をせよ!」というものです。最後の第三原則が「自らが率先避難者になる」ということ。この場合は、中学生が自分が率先して避難した。そして小学生の手を引いて移動したわけですね。
その学問の要は「活用にあり」ということです。身につけて、活用しなくては学問ではない、と。 もちろん彼らがこのような素晴らしい行動に出られたのは、何度も具体的に説明されて、身に付くように徹底されていたことが背景にあると思います。それによって、独立した判断力が養われたんですね。
福沢の言う「学問をしろ」ということは、いまで言えば、「読書をせよ」ということと、ほとんど同じことを意味していると私は思います。読書をすることによって、きちんとした論理的思考ができるようになる。つまり、今回の震災直後にはさまざまな風評が起きましたが、そういうものに惑わされないような科学的思考ができるようになる。あるいは歴史等を勉強して大局観などを持てるようになる。人間のもつ深い情緒を理解できるようになる。そうなると、それは人生の武器になるんです。
情報の真偽が判断しにくく、政治の混迷も収まらないようないまの状況下では、福沢の言う「一身独立して一国独立」、つまり一人ひとりの人間がみんな一所懸命に学問をして、成熟した判断を下せるようになる、ということが大事なんです。そうしないと民主国家というのは成立しない──、そういうことを考えさせられましたね。
苦しみはにげるとおいかけてくるぐずぐず言わず黙って本を一生懸命読んで、論理と情緒とそして言葉というものをきちんと身につけて、そして奮い立て──と。震災からの復興も、現在まで��っとこの日本が抱えている種々の困難も、一気に怒濤の如く解決しつつ前に向かって突き進めと、檄を飛ばしてくれるのではないかと思いますね。 齋藤 何事も不退転の決意で、本気でやれということですね。
『新訂 福翁自伝』福沢諭吉著 富田正文校訂 岩波文庫 『福翁自伝 福澤全集緒言』福澤諭吉著 松崎欣一編 慶應義塾大学出版会 福沢本人による自伝です。幕末から維新を経て、新しい明治という時代を自由な魂で駆け抜けた、福沢諭吉という才能ある若者の人生が小気味よく描かれています。 日本に生まれながら神も仏も何者をも怖れない、科学的・合理的精神を生まれながらに持っていた青年が、西洋を知り、新しい時代の先頭を羽ばたいていった。その時代の空気を感じ取りながら読んでいただくと、これほど面白い「自伝文学」もないと思います。自伝でありながら古典文学となりえている稀有な書です。
漱石は、その飄々とした作風のイメージとは異なり、幕末の志士のような強い意識をもって「独立国・日本」というものを考えた人物でした。留学先のロンドンで漱石が感じた焦り、苦しみ、閉塞感は、日本という国の先行きを我が事として背負った、民主主義を体現する正しい人間の苦しみでもあったのです。
デカルトは、理性というものを正しく用いて、自分自身で考え抜いて生きていけばそこに不安はなくなる――と考え、それを実践したのです。その結果がたとえ間違っていたとしても、自分自身で考え抜いた結果であればそこに後悔はない。自分で考えてきっちりと判断しろ――というシンプルな主張を説いた本書を、福沢諭吉の「独立」の思想を理解するための参考文献として最後に挙げておきます。
新時代の興奮とともに、みんながこの本を貪り読み、向学心をかき立てられ、奮い立ちました。学べ、そして奮起せよ――。そんなミッション(使命)を与えられ、日本全体がワクワクと浮き立つような、そんな時代の空気を想像しながら読んでもらえれば、いかにこの『学問のすゝめ』が当時センセーショナルで、かつ現代にも通じる普遍的な内容を含んでいるかがわかっていただけると思います。
『学問のすゝめ』と『第三身分とは何か』は、ともにそれまで虐げられてきた一般の人びと(平民)こそが、新たな時代の主役である、と論じている点がよく似ています。しかし、『第三身分とは何か』が革命前夜に読まれたものなのに対し、『学問のすゝめ』は明治維新という革命後の人びとの生き方、考え方を説いたところに大きな違いがあるでしょう。『第三身分とは何か』が熱い怒りに満ちたアジテーションであるとすれば、『学問のすゝめ』は新しい時代への希望に満ちた、明るい叱咤激励の本だと言えるかもしれません。
にわたっているのです。 同時代の福沢評として、芯が強いのに人当たりが柔らかく、お酒が大好きだけれども飲まれることは決してない、器の大きな人物だったといいます。そんな福沢諭吉という人物の大きさも、いまの日本人は身につける必要があるのではないでしょうか。
『学問のすゝめ』と『福翁自伝』を両の車輪として併読すると、そんな著者の息遣い、気質までもが伝わってきます。「古典」を読むときには、内容ももちろんですが、そういった���人の「身体性」を受けとることがとても大切です。 『学問のすゝめ』から『福翁自伝』刊行までの間には、およそ二十年の隔たりがありましたが、時代が経ったいまであれば、この二冊の「古典」を併行して読むことができます。それによってさらに理解は深まるわけですから、それを体験できる私たちは幸運だと思います。
私自身、大学では入学してきた一年生に『学問のすゝめ』を読むように薦めています。すると、現代の学生も福沢の熱を感じ取って、読むたびに気合いが入ると好評です。彼の文章には、若い人を奮い立たせるエネルギーのようなものがあふれているのでしょう。 学生たちは、福沢が本の中で繰り返し述べている「ミッションを持って生きなければならない」「独立することと学ぶことはワンセットである」というメッセージをしっかりと受けとめています。「精神の骨格」を形成していく年代の大学一年生にとって、『学問のすゝめ』はちょうどよい教材なのです。