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「棺一基」大道寺将司全句集を読む
ネットで、購入を申し込んでから、何と、珍しく、10日以上も、入手に時間を要した。約1200句程度に、選ばれた句集の出版である。作者の存在自体が、既に、一部の団塊の世代か、全共闘世代の記憶の片隅にしか、遺されていないようであろうし、又、1974年丸の内三菱重工本社ビルの爆弾テロ自体を、今や、覚えている人も、少ないであろう。そして、作者は、その為に、死者8名、負傷者376名を出した一連の爆弾テロの実行犯で、1987年死刑が確定したものである。5・7・5の17文字に、想いを託した俳句は、その情景美を、或いは、その時の心情を、凝縮させて、表現するものであり、それは、実際に、眼の前で、観られたり感じられたものをベースにするものの、作者は、既に、29歳の時には、獄舎に繋がれ、今日まで、日々、処刑の執行を迫られながら、作句したものである。出版に尽力した辺見庸が、跋文や、序文で、言っているように、忘却する者が、記憶する者を裁くことが出来るであろうか?忘却が記憶を食い破っている。私達は、辺見の言うように、確かに、単に記憶をごっそり抜かれた人の群れ(モッブ)ではないかと、、、、、、。この句集を詠みながら、考えさせられる。言葉の裏の裏を、作者との戦いの中で、一言一句を慮らないと、心情の底の底が、なかなか、読み取れない。確かに、作者は、花や動物や昆虫や景色になぞらえて、その獄舎の中にある心情や懺悔を、その記憶と想像力の中で、言葉を、推敲し、紡ぎながら、作句してゆく。桜、紅葉、梅、柿、紫陽花、木の芽、麦、蓮、向日葵、萩、百合、椿、木犀の香、木の実、各種の草、彼岸花、竜胆、銀杏、矢車草、コスモス、菜の花、百日草、実南天、こぶし、すすき、等、夜の星、雲、春夏秋冬の太陽、夕焼け、茜空、色々な雨、風、雪、満月、三日月、明かり、霧、霞、朧、つらら、氷、露、闇、暁、象徴的な「虹」(ヒロヒト暗殺未遂作戦)、枯野、十字路、空の色、そして、数多くの動物、昆虫、ヒキガエル、みみず、蝉、蛍、なめくじ、かたつむり、毛虫、蜘蛛、かまどうま、赤とんぼ、てんとう虫、蟻、蝿、ひぐらし、つくつくほうし、もず、つばめ、野ウサギ、ふくろう、雁、鷹、カラス、海鳥、なまこ、蛇、猫、象徴的な「狼」、そして、それらは、やがて、東日本大震災と原発事故へと、拡がりをみせる。置き去りにされた牛、犬、錆に、放射能に、海の底へ、どれ一つをとっても、油断がならない。そこに、香りを、匂いを、色を、光と陰を、そして、その「記憶の底に宿る心情」を、17文字に凝縮して、極限の自由を塗り込めているようである。自分勝手に、選んだ句を整理、抜粋してみたが、多すぎて、ここでは、敢えて、是非、皆さんに、自由に、読んで選んでもらいたいものである。それでも、やはり、敢えて、数句選べば、本書の題名になったこの句他、下記のものであろうか、
「棺一基四顧茫々と霞みけり」
「実存を賭して手を擦る冬の蝿」
「暗闇の陰翳刻む初蛍」
「時として思ひの滾(たぎ)る寒茜」
結局、だんだん、多くなってきてしまったので、止めることにしよう。
「しがらみを捨つれば開く蓮の花」
「うつそみの置きどころなき花吹雪」
���再びは還り来ぬ日の木の実かな」
「海鳥の一声高く海氷る」
「鈍(にび)色(いろ)の空置き去りに帰る雁」
「紫陽花の哀しみ色の尽くしけり」
「彼岸花別して黙すことひとつ」
多発性骨髄腫を患う作者は、自らを、敢えて、子規に、なぞらえてもよいのではないだろうか
「よるべなきことのは紡ぐほととぎす」
昔のことになるが、投獄された詩人の金芝河や、収容所列島のソルジェニーツェンや永山則夫を、想わざるを得ない。是非、事件に記憶のない若い人にこそ、読んでもらいたい句集である。事件の被害者との関係性に於いてしか存在し得ない作者の立ち位置を、改めて考えながら、読む必要があろうが、、、、、。世に送り出した辺見庸氏と発行元の太田出版に、改めて、敬意を表したいものである。
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「看守みな吾を避ける梅雨寒し」なぜ、看守が受刑者を避けるのか、それは大道寺が死刑を宣告されているからだ。この句には死刑執行ありと副題がつけられている。
「死はいつも不意打ちなりしか十二月」これも、2名の死刑が執行された日の句だ。死刑囚はいつも死と隣り合わせの生活をしてる。
「棺一基四顧茫々と霞みけり」棺一基は大道寺の造語だというが、これも死刑執行を覚悟した上の句である。
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「死刑囚の句集」というセンセーショナルなうたい文句を知らず、ただ純粋にタイトルに惹かれて書店で手に取った。
CDアルバムの評で、「全曲捨て曲ナシ!」という褒め言葉を目にすることがあるが、それがこの本には当てはまる。
凛とした凄みがある句が多く、末永く手元に置いておきたい一冊である。
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大道寺将司さんのことを読んだのは、松下竜一の『狼煙を見よ』だった。戦後、政治犯として初めて死刑が確定した人だ。
大道寺さんの『死刑確定中』は1997年の本で、この句集には、ほぼその後の期間にあたる1996年から今年まで、大道寺さんのよんだ数千句のうちから、1200句ほどを収めている。タイトルは、2007年夏によまれた「棺一基四顧茫々と霞みけり」の上五からとられている。
友が病む獄舎の冬の安けしを
夏深し魂消る声の残りけり
大逆の刑徒偲ぶる寒暮かな
母の日や差し入れらるる本二冊
それぞれの命輝く冬木の芽
狼や見果てぬ夢を追ひ続け
冬ざれの空アフガンに続きをり
いくたりを犯さば忠か敗戦忌
死はいつも不意打ちなりし十二月
日月を試練と思ふ木の葉かな
ゆきしものみなはしけやし初桜
国家より一人一人ぞ霜の声
ははそはのははのいまさぬ四月尽
異なものを除く世間ぞすさまじき
日を仰ぐその喜びや寒に入る
衣更着や存ふことは痛むこと
揺れ動く壁鳴り止まぬ浅き春
胸底は海のとどろやあらえみし
秋の水百年の忌を修しけり
新玉の年や原発捨てきらず
跋文の「虹を見てから」で、辺見庸が記憶について書いている。この本に収められている1996年から今年までの句を読みながら、忘れそうになっているいくつものことに気づく。
▼…娑婆は、大道寺将司の逮捕当時よりもっと、永山則夫が生きてそこにあったころよりはさらにもっと、思惟する力を衰頽させ、病的なまでに記憶力を失いつつある。逆にいえば、東拘の住人にこそ、とりわけて、死刑囚たちにこそ、滾[たぎ]る思弁があり、煮え立つ記憶があるのだ。(p.195)
(略)
…獄外の私たちは、たくさんのことを忘れている。日々、記憶をかなぐり捨てている。…ミミズ化した私たちは、記憶をも、日々、大量に排泄しているといっていいかもしれない。記憶の廃棄と商品の蕩尽を不可欠の動力とする消費資本主義のゴミ捨て場。…一方、獄外を支配する廃棄と蕩尽の法則から辛うじて免れている獄中の大道寺将司は、いうまでもなくミミズ化はせず、たくさんのことを覚えている。日々、記憶と格闘している。(pp.199-200)
1974年8月14日、東アジア反日武装戦線"狼"は、一年かけて準備した虹作戦計画を中止した(お召し列車爆破未遂事件)。まかりまちがえば、この日は、歴史の教科書にゴチックで記載される項目になったかもしれない。そのことを、辺見庸は「ついにかからなかった虹」と書く。
▼…七四・八・一四はしたがって、歴史でなかったし、歴史でないことにされてきたし、今後とも歴史ではありえないだろう。
七四・八・一四は、しかし、記憶である。小さな燠火のような記憶である。そうありつづけるべきである。記憶は、かならず、歴史に対立する。記憶は、歴史の紙くさい平面に、垂直に食いこもうとする意思のようなものである。食いこもうとしては、はね返される記憶。だが、この記憶さえもいずれは消されるかもしれない。かすかな燠さえ消される危惧を私は抱いている。この先、大道寺を処刑することにより、あったのになかったように装われてきたことどもが、さらに完璧になかったことにされるかもしれない。記憶が完全に漂白され、消却されるかもしれない。(pp.207-208)
死刑となる罪のうち、内乱罪と外患罪は、刑法にこうある。
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(内乱)
第七十七条 国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
一 首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。
(外患誘致)
第八十一条 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。
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大道寺さんは、刑法77条によって死刑なのか? あるいは? そして、大道寺さんを処刑することは、あったかもしれない歴史をすっかり消却することなのか。
▼獄外の現在が、とても乱暴な現在が、たえず記憶を食い破っている。忘却が記憶を黙らせようとしている。記憶を日々奪われている世間の無意識のヒューブリス(無知の傲慢、暴力)が、死刑の連発と記憶殺しを後押ししている。ヒューブリスが、いま、司法をも社会をも動かしている.平気で世界を裁いている。…市民でも民衆でもない、私たちは単に、記憶をごっそり抜かれた人の群れ、モッブ(暴徒)ではないか。(pp.213-214)
大道寺さんの句を読んでいて思い起こされるのは、数年前に知った西武雄さんの獄中句。
叫びたし寒満月の割れるほど
西さんは福岡事件の無実を訴えながら、1975年に死刑を執行された。
この10月に出た『70年代 若者が「若者」だった時代』に、「"狼"大道寺将司と東アジア反日武装戦線」というのが入っているらしい。1974年、大道寺さんは26歳である。26歳のときに、自分はどんなことを考え、何をしていただろうと記憶をさぐる。1995年、歴史の年表にゴチックで載るようなことはいくつもあるけれど、あったかもしれない何ごとかについて今は考えたい。
※ ※ ※
『棺一基』に施されているルビなど
友が病む獄舎の冬の安けしを(p.20、1996年)
夏深し魂消[たまぎ]る声の残りけり(p.26、1997年)
…東京拘置所で永山則夫君ら二名の処刑があった朝
大逆[たいぎゃく]の刑徒偲[しの]ぶる寒暮[かんぼ]かな(p.31、1998年)
母の日や差し入れらるる本二冊(p.35、1998年)
それぞれの命輝く冬木[ふゆき]の芽(p.48、2000年)
狼や見果てぬ夢を追ひ続け(p.65、2000年)
冬ざれの空アフガンに続きをり(p.75、2001年)
いくたりを犯さば忠か敗戦忌(p.82、2002年)
死はいつも不意打ちなりし十二月(p.85、2002年)
…昨年の十二月二十七日、二名の死刑が執行される
日月[じつげつ]を試練と思ふ木の葉かな(p.94、2003年)
ゆきしものみなはしけやし初桜(p.98、2004年)
国家より一人一人ぞ霜の声(p.103、2004年)
ははそはのははのいまさぬ四月尽[しがつじん](p.107、2005年)
異なものを除く世間ぞすさまじき(p.119、2006年)
日を仰ぐその喜びや寒に入る(p.164、2009年)
衣更着[きさらぎ]や存[ながら]ふことは痛むこと(p.167、2010年)
揺れ動く壁鳴り止まぬ浅き春(p.173、2011年)
胸底は海のとどろやあらえみし(p.179、2011年)
秋の水百年の忌[き]を修[しゅう]しけり(p.182、2011年)
…大逆事件百年
新玉[あらたま]の年や原発捨てきらず(p.185、2012年)
(12/4了)