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本1冊かけて 脳についての解らなさを証明している。
どれくらい解っていないかが 解ってちょっと前進といった感じ。
私たちの脳が理解できるくらい 単純であるならば、それを理解できるほど 賢くはないだろう。
そうだね。
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本書は、著者があまりにも雄弁であるが故に、逆に疑わしく感じてしまう。何かを見落としていないだろうかと考えてしまう。
(P205)
ホイットマンの遺体はモルグに運ばれ、頭蓋骨がのこぎりにかけられて、検視官が頭蓋から脳を取り出した。ホイットマンの脳には直径二センチほどの腫瘍ができていた。
(P205)
扁桃体は感情の制御の関与していて、とくに恐怖と攻撃性をコントロールする。19世紀末までに、扁桃体の損傷が感情と社会性の混乱を引き起こすことを、研究者は発見していた。
脳の腫瘍によって、分別も知性もある若者が25歳の青年がタワーから人を殺したという事件については、腫瘍が本当に事件の引き金となってしまったかどうか疑わしい部分も多い。はたして、犯行は腫瘍による作用といえるのだろうか。
(P217)
法制度のしてから見る限り、人間には「実践理性」がある。私たちはどう行動するかを決定するとき、意図的に思案する。自分で決断を下す。したがって法制度において、検察官は有罪な行為だけではなく、有罪な心も立証しなければならない。
著者が言いたかったことはここであろう。
法制度の対象としているのは行為と犯意である。しかしながら、「意識」が行動の行為者ではない場合、選択の自由があったとは言えない。したがって、非難に値すべきは「意識」ではないというわけだ。
しかしながら、私たちは社会的な欲求として犯罪者に罰を要求する。この論法はまずいのではないのかと警戒する。だが、この警戒感は感覚的なものに近い。
今後の法制度はどうあるべきなのか。脳科学という分野からのアプローチがあるという点については非常に興味深い。
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『意識とは何か?』
科学で扱えるものなのかどうかも漠然としたこのテーマ、だけれども、きっと誰もが一度は不思議に思ったことのあるテーマのはず。
この本は、いわゆるポピュラーサイエンスの本とのことで、難易度もそんなに高くなく、わかりやすい。
人が何か意識的な活動をするときには、そのバックグラウンドで、『意識からはアクセスできない』、複数の微小プロセスがせめぎ合っていて、意識というのは、それらを仲介、調停して一つの結論をだしているようだ、ということが書かれていて、非常に興味深かった。
これについて、とても興味深い事例が紹介されていた:
『セグロカモメの巣の中に赤い卵を入れると、カモメは暴れだす。赤い色は鳥の中の攻撃性を刺激するが、卵の形は孵化行動を誘発する―その結果、カモメは卵を攻撃しようとすると同時に抱こうとする。二つのプログラムを同時に実行しているが、不毛な結果に終わる。』
これは、もしかしたら、たとえば『猫はこころ(意識)を持つのか?』というテストに応用できるのではないか?と思えて面白い。
全般的に心身一元論のスタンスなのかな?と思いつつもラストを読むと心身二元論的な含みも残している。
心身一元論/二元論、自由意志、、、などなどに興味がある人は、読んでみると面白いと思います。
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この本は少なくとも今年のマイベスト10には間違いなくランキングする。人の意識に関する新たな洞察を与えてくれる。だから、この本の内容に関する評論はあまりに膨大かつ多面的になる可能性が高いので、それはブログにおいてまとめておきたい。
さしあたって、本書の要点を括ると、
・脳の組織は宇宙の天体の相互作用と同等かそれ以上に複雑な有機体である。
・人間の行動、思考、感覚はほとんど意識化の支配下には無い。
・無意識は人間のほとんど全てを支配するが、その無意識は外界からの感覚刺激をそれほど受容していない
・無意識は不完全な感覚情報を錯覚によって補填する
・その錯覚は人間の進化的時間経過の中で生存優位性を高める、あるいは劣化させないと考えられる蓋然性をもったシステムによる。
・感覚は外的刺激を受容してから感じるのでは無く、予想して感じることがある
・感覚は意識していない情報も知覚し、記憶する
・意識は無意識反応による予測が当てはまらないときに発生する
・時間の認識も脳の生体反応として作られる。(物理的に同時に受容していない感覚も無意識の反応によって同時に起こったように錯覚させる)
・自己愛の意識はモノや判断にまで影響する(軽井沢出身で3月生まれの青木さんは、大型車より軽を好み、3番目に載っているメニューを選び、赤より青色の携帯を選ぶ傾向がある)
・脳は生活上のルーティンな活動を無意識のアルゴリズムに構成することにより、判断作業に伴うエネルギー消費を削減しようとする。
・共感覚によって、1つの感覚に複数の感覚意識を付随させようとする。(例えば赤色に暖かみ、2に母性、右に従順性、時間に曲線性、笑いに【ん】性、落ちることに【E】性)
・人間が動物と比べて環境の変化に対して柔軟なのは、本能の数が少ないからで無く、圧倒的に多いからである。
・男はちらっと見た女性を美しいと錯覚するようにできている
・不倫する気質は遺伝子による影響が大きい
・意識の決定には、多くの無意識かつ独立的、相互依存的な判断ルーチンの多数決的過程が影響する。
・大きく分けると判断は理性と感情に分かれる
・理性は長期的視野、感情は短期的視野に影響し、通常感情が理性に勝る
・感情が独断専行した行動に対して、理性はその意識的理由付け(正当化)を行う。
・人間の意識の存在が大きいのは、人間の生存環境(社会)が動物と比べて不安定で変化が大きいからである。
・秘密(話したいアクセルと話せないブレーキを同時に踏んでいる状態)は生体にとって有害であり、それを他人に暴露(告解、懺悔)することでストレスが減少する。
・知能は民主的機構であり、人工知能の研究がうまくいっていないのは、意思決定をひとつ(独裁)にしようとしたことが原因
・自由意思は仮に存在したとしても、人に行動を起こす要因の極めて微少な割合でしか無い
・犯罪者は脳になんらかの先天的、後天的異常を持っている場合が多い
・「こうしたい」と意識する四分の一秒前に無意識がすでにそうすることを決定して��る
・宗教指導者(教祖)、予言者、殉教者は側頭葉てんかん患者であった可能性が高い
・僅かな分子(アルコール、麻薬等)で人の意識、気分は大きく変化する
・脳の仕組みは還元論からではほとんど解明出来ない
・意識、無意識の決定過程は遺伝、環境の僅かで様々な要因で複雑に変化する
・
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行動の大半が(全部かも?)自分の意識でコントロールできていないことは、冷静に考えるとわかりそうなものですが、大半の人が自分で自分をコントロールできているかのように話しますね
そうあってほしいという願望なんでしょうけどね
色んな意味で、その発想故に解決できない事象が多いのだと感じます
極端な考え方だと思いますが、仮説は検証されていないから教えられないとしても、この本に書かれている事実情報は小中学校で教えてもいい位です
頭の固い大人は放っておいていいから、未来のある子供たちには知ってほしいですね
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極東ブログの書評につられて読んだ。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/04/post-a5e0.html
書評にあるように、非常に楽しく読み進めることができる。面白かったエピソードは、ひよこの雌雄鑑定のくだりと、最後の部分にあるオッカムのカミソリ批判。オッカムのカミソリってのは、最も単純な説明があるならそっちを採用すべきという科学における基本パラダイム。パラダイムシフトが起こっているという宣言にも読める。精神病者の犯行をどう罰するのか?という最後のほうの下りはちょっとドキドキしてしまって冷静には判断できない。あと、右脳と左脳を切り離したり、ロボトミー手術を発明したりした人たちがノーベル賞をもらっているって話は知りませんでした。スウェーデンの人たちは脳の話は好きみたい。マービンミンスキーの心の社会とかに衝撃を受けた自分としては大好きな本。個人というパラダイムの終わりが、脳科学からも要請されていると僕には読めるのでわくわく。
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意識は傍観者である
書評を見かけてなんだか面白そうなので購入して読んでみた。
極東ブログ~[書評]意識は傍観者である: 脳の知られざる営み
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/04/post-a5e0.html
書中では、普段「自分の意識」と言っているものが、
いかに的はずれなものであるか、といったことが
様々な事例に絡めて(この事例がとにかく面白い)
説明されている。
要約すると、「自分の意識」と言っているものは、
全ての感覚のほんの一部であり、そんな一部をみて
「自分の意識」などというのは傲慢な考えと言ってもよい。
例えば腕を動かすことを例にとった場合は、
実は体が勝手に動かしてくれていて、
「自分の意識」が出来ることと言えば、
その行動に対して「やめるor続けさせる」の選択をするぐらい
しかやっていない。
このあたりの「自分の意識」などという固定観念
否定されていく過程は、まさに自分の立っている地面が
ガラガラと突き崩されていく感じがして、
ともすれば非常に不安な気持ちになる。
ただ、ふと思ったのは、
「自分の意識」に上がらない処(脳、しいては体)で、
いろいろ勝手に働いているという事実は、
大きな味方がいるような気が急にしてきてなんだか心強い。
さらには、脳について未開のぶぶんが多くて、
その広さは観察する技術の進歩次第と言える。
それはまさに宇宙を思わせてくれて、
自分の中にそれがあると思うと温かい気持ちになる。
このあたりはインナースペース、仏教に通づるものがある。
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『自分』
このもっともわかっていそうで、わからない存在。
自由意志とは存在するのか。
かつて400年前一人の男が、「それでも地球は回っている』と云った。
その時、人間は宇宙の中心から転落した。
そして400年後、我々は自分自身の中心からも転落するのだ。
心とは意識とは、そして意志とは。
我々は操舵手ではなく、脳によって操舵される存在でしかないのだ。
ただ自然淘汰の記憶によって。
そして生命保存の法則によって。
我々がアクセスできる意識とは、新聞の見出し程度なのだ。
何かを掴むとき、我々の脳は既に掴んでいるのだ。
脳とは心の座ではなく、心そのものなのだ。
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意識は直観的に感じているほど自分をコントロールしていないし、外界をあるがままに認識しているわけでもない、という話。
であれば、自分でコントロールできない要因で犯罪を犯した人間に、行動の責任を問うて罰することは不適当なのではないか…という第6章の議論は刺激的。
けど、ここで提唱されている『「非難に値するか」ではなく「修正が可能か」によって犯罪者への措置をとる』という考え方は、一歩間違うと今以上に抑圧的な社会を生んでしまうようにも感じる。それに犯罪以外の行動が「修正」対象になる危険は?
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あなたは何かを見つめているつもりでも、それは現実のままではない。あなたの時間感覚も、現実とは微妙にズレている。
意識が動作を命じたとき、その動作はすでに行われているのだ!巧妙な設定の実験によってたしかめられている。これらのことが事実なら、結果が原因の先にあることになり、ものごとの因果関係が逆転してしまわないか。さらには、ヒトが自分の行動を意識でコントロールできないなら、その行動の責任は誰が、どう取るべきなのか…
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脳科学の現状の解釈がどの段階に来ているのかを知るのに有用。
科学の進歩は人間を、自分を、特別な存在からどんどん格下げするが、それが故に思いもよらない世界の広がりに感動できる。
本書は自分の意識は自分の主人公である、という「常識」を引きずりおろす。
悲観的には良く考えることであり、最近よく聞くスイッチを押すタイミング云々の話でもある。
自分で決めたこと、自分が見たこと、自分らしく、の空虚さを感じ取り、その上で自分、そして人への理解を放棄しないこと。
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邦訳の副題の「脳の知られざる営み」が内容をよく表している。(原題はincognitoなので副題の方が近い。)
意識は無意識のゾンビたちを従えるCEOであり、ゾンビに適切に仕事を与えるために存在するが、ゾンビが仕事をどうやっているかは知らない。知る必要もない。
男性が金髪美女を好むのはなぜか、など、無意識がいかに影響を与えるかの話は面白い。以前に見聞きした(ウソだと教えられている)言説を信じてしまうなど、常識に反するような話もあり、無意識の恐ろしさを感じる。
神経科学が進むにつれ、自由意志の存在を前提とした刑法の考え方に違和感を覚え、「修正可能性」に基づき、適切な刑罰を定めるよう提言している点が新しく、また、この本の主題である。より良い社会制度がつくられることに期待している。
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よくある脳科学の本かと思いきや、意識とは複数からなる意識のせめぎ合いであり、その発現はホルモンバランス(そのときの体調や服薬などで左右)やもちろん遺伝子、育ちなどの要因が複雑に絡み合うものである。つまり、メルギブソンのユダヤ人蔑視発言はメルの本心というよりもそのような考えを持った意識が多くの人間と同様彼の意識の一部にも存在しており、それが飲酒によって発現したということであり、意識の中にはそのようなものを抑制する部分が普段はあるはずだし、どれが本心かというのは意味がないとしている。行動経済学では、よく短期的/動物的な意識と長期的/計算高い意識があるという話をするが、この本ではもっと複雑な集合体が人間の意識を形作っており、本人にも全体像は全くわからないものであるとしている。
この人が専門的に関わっている法律との絡みであるでは犯罪者は環境要因が大きい中で責任を取るのかという問いを投げかける。彼は、責任云々よりも再犯を犯さないようにすることを主眼にすべきだと述べている。
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原題は、"Incognito: The Secret Lives of the Brain"。Incognitoは「匿名で」という意味("(of a person) having one's true identity concealed", Oxford Dictionary)で、われわれの多くの行動や判断が個々人の意識の外で行われていることを示している。「私たちがやること、考えること、そして感じることの大半は、私たちの意識の支配下にはない」(P.13)ということが、この本が示そうとしていることである。
著者は、錯視の例などを使って、丁寧に意識の特権をはぎとっていく。「何かに目を向けても、必ずしもそれを見ることにはならない」(P.42)例がいくつも提示される。視覚も時間の感覚もすべて脳の中で、かつ意識のコントロールの外で、行われた後の処理の結果である。「あなたの脳が知っていることと、あなたの心がアクセスできることのあいだには、底知れない溝がある」(P.79)のである。その溝は、一般に意識と無意識というくくりで片付けられていた領域とは様相が異なり、もっと具体的でかつ支配的なものであることがわかる。
同意できる結論として、人間の複雑な動作は、脳のハードウェアに事後的に「書き込まれている」ということである。遺伝子で決定されるハードウェアとその仕様があり、後で動作をプログラミングできるFPGA (field-programmable gate array)みたいなものというとイメージが湧くだろうか(湧かない人もいるだろうけど)。
さらに脳の中では、複数の処理が独立して実行され互いに競争する状況にあり、それらの処理と競争も全て意識の外で行われている。著者はそれらを「エイリアン・サブルーチン」と呼ぶ。意識とは、その複数の処理の結果について話をでっちあげて、まるで自分が成し遂げたかのように正当化するだけである。「私たちはエイリアン・サブルーチンを実行するだけでなく、それを正当化する。自分の行動について、まるでそれが前からずっと自分の考えだったかのように、過去にさかのぼって話をでっち上げる方法があるのだ」(P.180)。そして意識は、「自動化されたエイリアン・システムを制御する - そして制御を分配する - ために存在する」(P.190)。かように「意識」が占める位置は思いのほか少ない、ということが著者の主張である。
この論に沿って、動物に意識があるかないかという問題について、「第一に、意識はおそらく全か無かのものではなく、段階的に生じるものである。第二に、動物の意識度は、その知的柔軟性に対応しているのではないだろうか。動物がもつサブルーチンが多ければ多いほど、組織を導くCEOが必要になる」(P.193)と推定する。意識があるかないかを、イチかゼロで決めないといけないとすること自体が問題の立て方が間違っているのだ。そもそもそ「意識」の定義をする必要はあるが、言わんとするところは理解できる。
著者は前半の第5章までの間に、「私たちには自分の行動、動機、さらには信念を、選択したり説明したりする能力はほとんどなく、舵を取っているのは、無数の世代にわたる進化的淘汰と生涯の経験によってつくり上げられた無意識の脳であることを見てきた」という主張を組み立てる。
後半は、その議論を受けて、「自由意思」と「責任」の問題に議論を移行させ���。トゥーレット症候群などの例を挙げて、高度な行動が「自由意思」がなくても実行しうることを示す。「自由意思があるという私たちの希望や直感に反して、その存在を納得のいくように確定する論拠はいまのところない」(P.226)
「自由意思」が問題に上がるときについてまわる問題のひとつが刑罰=有責性の問題だ。現状では、刑罰の対象とするべきは自由意志により行われた行為にある。有名なリベットの実験にも触れられているが、自由意思の「自由性」についてはこの本にも語られている通り怪しいことになっている。著者はそれでもどこかに有責性の線を引きたがっているように見えるが、それは無理だという結論になるのが自然ではないだろうか。一方、刑罰の問題については自由意思の有無による有責性を問うのではなく、素人考えではあるが、それがその対象に対して抑止力があるかどうかで決めるという視点が必要なのではないだろうか。
生まれか育ちかという問題や、還元主義問題など危うい問題については、はっきりせず結論を先送りしているところがあるが、おおむね著者がこの本で述べるところには同意できる。「意識」の問題についての現段階での有力な見方だろう。読みにくいところもあったが、興味深い本だった。
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最後の文、「脳とは、なんと奇怪な傑作なのか。そしてそれを研究する技術と意志をもつ世代にいる私たちは、なんと幸運なことか。それは私たちが宇宙で発見したなかでももっとも素晴らしいものであり、私たち自身なのである」(P.297) - 同感。
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第1章 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない
第2章 五感の証言―経験とは本当はどんなふうなのか
第3章 脳と心の隙間に注意
第4章 考えられる考えの種類
第5章 脳はライバルからなるチーム
第6章 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的はずれなのか
第7章 君主制後の世界