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系譜をたどれば、蜷川・京都府知事(1950年)、飛鳥田・横浜市長(1963年)、美濃部・東京都知事(1967年)が、改革派首長のはしりとのこと。その後、橋本(高知県知事)、北川(三重県知事)、田中(長野県知事)、中田(横浜市長)、東国原(宮城県知事)など、いろいろいますが、その後の評価がされていないのかもしれませんね。
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筆者の部分的な主張のうち、一部は?と思うこともあったが、全体の主張は、国と地方自治体の役割をクリアカットし、協働すべきだと一貫している。大阪都構想の道州制との絡みでの問題点や最近の改革を主張する首長の主張の矛盾も指摘されている。地方自治や地域主権に関する課題を知るためにはいい本だと思う。
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なかなか当事者では言いにくいことをズバズバ書いていて、爽快極まりなかった。
感情が迸りすぎている筆致も見受けられたが、概ね冷静に批判を加えていて読みやすい。
「改革派」首長の功罪の功の部分をもう少し書くべきとする意見もあろうが、筆者も言うようにそれはこれまで散々マスコミが強調し過ぎるほどに報じてきたもので、今更記述するに値しないだろう。むしろ今求められているのはこのような批判的観点からの議論なはずだ。
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現在問題となっている地方自治を、特に大阪、中京、新潟などにスポットを当てて批評した本。
ひたすら批判をしているが著者は解決案を何も持っていない(少なくとも本書では提示していない)。批評も深みがなく、批評の想定否定に対する解もないが、そもそもそこまで考えられていない様子。
4章の海外事例のみ参考になった。
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誰だったか忘れたがFBで取り上げられていて、一気に読んでしまった。
大阪市長によって、大都市制度が大きくクローズアップされている中で、自分自身の心の引っかかりがあったからだ。著者が感情的に書いている部分もなくはないが、大かた「改革派」と呼ばれる方たちを冷静に分析している。
自分が一番引っかかっていることをズバリと書いていた。それは、今のトレンドが改革そのものを断行すること自体が目的化していることだ。ただ、一方で、「どのような社会を実現していこうとするのか?」という未来を語る議論に結構不得手な方が多いのではないだろうか。「未来が描き切れていないけれども、とりあえず現状の悪いところをよくしていくアクションを継続させていくしかない」といったマインドに、社会全体が陥ってしまっているのかもしれない。まさに、原発再稼働はその最たる話だと思う。
改革派首長がうんぬんかんぬんではない。国内外が激動する中で、真剣に議論する余裕が、雰囲気が、社会全体になくなってしまっているのではないかと思う。
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いやー、なかなか痛快でした。
作者は職場の元後輩で、現在は新潟大学教授として各方面で活躍中の気鋭の行政法学者ですが、「守旧派」現役官僚が心では思っていても決して公には言う機会がなかったであろうことを、みんな代弁してくれたという感じ。
もちろん、必ずしもすべてのコメントに賛成というわけでもなく、「改革派」首長の功罪のうちの「功」の部分ももうちょっと評価してもよかったんではなかったかと思う部分もありますが、全体としてはほとんど全面的に共感。
「首長」自身については、結局のところは自らやったことの責任を全面的に負わなければならない立場なので、仮に「暴走」してもそれもまた民意の表れの一形態であり、民主主義のコストとして甘受しなければならないところもあるだろう、やむを得ない面もあるとは思うのですが、それをきちんと批判もせず煽るマスコミについては、「ジャーナリズム」として全くいかがなものかという点に関しては著者のコメントに激しく共感。
結構売れているようなので、今の偏った風潮にバランスを取るためにも、著者には今後いっそうがんばって発信を続けてほしいところです。
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本書は、2012年5月発刊。著者の田村秀氏は、東京大学工学部卒業後、自治省に入庁した元官僚で、現在は新潟大学の教授。
「改革派」と呼ばれる首長の改革は本当に意味があったのかと疑問を投げかける。また、海外の自治制度や道州制、国政の歴史などから、これからの日本の自治体がどうあるべきかを提案する。
歴史をひも解けば、情報公開、公的オンブズマン、環境アセスメント、行政評価など、自治体が先鞭をつけた先進的な政策があった。しかし、昨今の改革ブームは、改革自体が目的になっているのではないか。また、その改革路線に喝采を送る民衆は、国政への不安の裏返しとして、自治体の政策に期待しすぎているのではないか。
地方分権時代に突入し、道州制が議論されているいま、我々民衆も国のあり方を考える必要がある。目先の利益にばかり目をとらわれていては、判断を誤ってしまう。
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「改革派」と呼ばれる首長暴走の問題点、そしてこれを食い止めながら理想の地方自治への提言をしている好著。地方を変えるヒントはB-1にありというのは、さすがの指摘です。
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国政が混迷する中,市民に身近な「改革派」首長が注目を集めている。でもそれはやや暴走気味で危うい状況。諸外国の地方自治の仕組も照らしつつ現状を批判していく。
橋下氏,東国原氏,竹原氏,河村氏,田中康夫氏,などなど注目を浴びた地方首長の事績も紹介。まとめとしては多少役立つかも。やや一方的で反中色とかも感じられ,あまり冷静な議論ではないような気がした。中田宏氏のスキャンダルにもフォローはなしで,「賞味期限」切れだって。
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そうそう。地方に自治を移行したからよくなるかは慎重に。
単純に情報と人の流れをうまくまわせるか、機能
させることができるか否かだけだからね。
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国政の混迷と対比して地方の新たな「改革者」としてクローズアップされている大阪市の橋下市長、名古屋市の河村市長、新潟市の篠田市長等が掲げる大阪都構想・中京都構想・新潟州構想を中心に取り上げ、改革することが目的化した地方自治の暴走を止めなければならないという問題意識で書かれている本です。
全般的に感じたのは、住民自治重視としての地方議会のあり方を重視する点と地域経済的側面への配慮の少なさなどがあげられます。相当筆が走っている部分もあるので、良い指摘もあるのですがそれが霞んで見えてしまうのが残念なところです。
「じゃあどうするの?」という問いにはあまり答えられておらず、もう少し踏み込んだ議論をしてほしいなと感じました。という意味では問題提起の本なのかもしれません。
☆2なので特にオススメというレベルではありません。
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橋下市長や河村市長などの「改革派首長」は本当に地方を救うことが出来るのか、地方主権は本当に良いことなのか、なぜ地方主権が叫ばれるのか、どのような地方自治を目指すべきなのか、著者の主張はこの4点にまとめられる。難しい政治制度の名前が出てきたりするから、読みにくい部分はあったけど、なかなか論理的にまとめられていると思った。
論理的なんだけど、冷たい印象を受ける。読んで反感を持つ人も少なくないと思う。論理的すぎて、人間らしさがない。特に「原発について地方自治体は口を出すべきではない」という主張には驚いた。少しひいてしまった。
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タイトル通り現在の改革派首長たちの施策(本書では暴走と呼ぶ)を取り上げた本。今までの首長に対する「人格批判」のみに固執する本よりよっぽど読みやすい。(ただし著者の主張も極端で、そこまで言うと結局のところ改革なんてできないと思う)
将来的に道州制を目指す「大阪都構想」。となると最後は「大阪都」の解体となってしまうという著者の主張には危機感とともに納得させられた。
大阪の実情を考えるとやっぱり改革は必要であり二重行政の解消は必要!でも「one大阪」ではなく「no大阪」・・・う〜んそれでは困る。
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期待して手にとったが、拍子抜けするくらい軽い内容だった。地方で台頭する「改革派政治家」の主張の中身がダメなのはわかるが、まるで攻撃される側の官僚が愚痴を言うような姿勢にうんざりさせられる。筆者の考える地方行政の課題、その解決案というものが見えてこないのだ。
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最近流行りの地方公共団体の首長が、いろいろな公約を掲げて過激なことを言うことが多いが、筆者なりの立場での分析を行っている。しかしながら、題名にあるように、総じてそれらに否定的である。
冒頭には、大阪、中京、新潟の首長の分析をしたうえで、かつて革新自治体といわれていろいろな改革を行ったことをまとめている。個人名で言えば、美濃部、橋本大二郎、東国原、石原都政等。
その上で本当に地域主権(地方分権)すればよいのではなく、内容によっては国などが全体均一の方がよい場合もあることを指摘している。その上で、諸外国でも決して地域主権ではないことを指摘し、日本の政治を振りかけることで、これらがポピュリズム(大衆迎合主義)ではないかとしている。
それぞれの分析などは一刀両断的であり、どの首長に対しても手厳しい意見が多い。やはり行政の長が行ったことは、その後次の首長が継続よりも象徴的に撤去・撤回することもあり、その評価は難しい。甘い言葉や選挙公約に騙されず、しっかりとした首長選びが何よりも大切だと思う。