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表題作は主人公の平尾砂羽と元夫の中井健吾,砂羽の友人の有子とその息子の昇太,平尾と中井の知り合いの葛井とその妹の夏.様々な人物が織りなす日常の物語が続く中で,海野十三の戦争中の日記が引用され,記載されている場所と現在の場所の差異が述べられている.とらえどころのない記述が続くが,いつの間にか読破した.不思議な感覚の長編だ.
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『自分たちの世界にあるものは、誰かがすでに作って手軽に楽しめるように用意されているもので、それらに触れるとそれなりに感動したり喜んだりして、でもその感じは長続きしない。そうしてまた誰かがいいと言っているものを確かめに行くことを繰り返すだけなんだけど、でも、今のこの楽しさは嘘でもない』-『わたしがいなかった街で』
柴崎友香の感じているらしい、この世の中、あるいは自分自身の人生というものに対する漠とした違和感というものを自分もまた感じ続けてきたような気がする。それは、何かに熱中していても常に誰かに冷水を浴びせかけられるのではないかという類いの、決して根拠のある訳ではない畏れだったり、何か別の選択肢があった訳でもないというのにどこかここではない場所に対するあいまいな思いであったりもする。そんなものを気にしても仕方がないし、多くの人々は気にしている風でもないけれど、それをうまくうっちゃることができないのである。
それにしても、柴崎友香の文章は、ますます物語性のようなものが削ぎ落とされ、ひたすら回り続けるカメラのように周囲の風景を撮り続けるドキュメンタリー風になってゆく。まるでそうすることで、自分が今ここにいるということを定着させ肯定しようとするかのように。そう書いてみて、それはそのまま自分自身が本を読んでこんな文章を書きつけている行為の意義付けのようでもあることに思い至る。
何もかもが読み手の読みたい気持ちの投影ということもないだろうとは思うけれど、本を読むという行為は結局のところ自分の中にある自分自身も気づいていない思いや考え、感情などというものと向き会ってしまう行為なのかと、改めて思う。もちろん、そんな風に自分自身に向き合っているということに気付かせてくれる作家ばかりでもないのだけれども。
柴崎友香は決して大げさな文章で読むものを振り回すわけでもないのに、静かにこちらの脳の中に忍び込んで来る。気を付けていないと、たった今読んだばかりの文章が何を言っていたのかさえ覚束なくなるくらいに控えめな文章であるというのに。少しずつ頭の中に入ってきて、折角目につかないところにきれいに収めておいたものを次々に開封しては脳のあちらこちらに散らかしては様々な思いを同時に立ち上がらせる。それもこれも柴崎友香が体から脳への入力と出力の関係に敏感だからであると思う。何度読んでみても、柴崎友香は身体性に優れた作家で、であるからこそそんな目に合うのだろうと思う。
自分の記憶のどこにも親和するところのない筈の大阪弁が、頭の中で不自然なイントネーションで立ち上がりながら、それでも不思議な懐かしさを引き出してゆく。柴崎友香は裏切らない。
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派遣で働くバツイチ女子のお話。いろんな場所やいろんな時代の出来事…それは戦争であったりふとした人との出会いであったり、様々な運命や偶然の上で今ここに生かされてると感じる。ごく普通な日常と悲惨なドキュメントの描写のギャップが恐くもあり印象的だった。
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私は砂羽と感覚が似てる。嘘がつけるようになりたい、とか、ソーシャルネットワークができない、とか。
私が住んでいる街は山だったらしい。防空壕が近くにあって、そこを使った人が、まだどこかで生きているのかもしれない。
そう、死んだ人は二度と会えない。もしかして会えるかもしれない人は、たまにつらい。
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長ければ長いほど、この人の良さが出る。いつまでも読んでいたくなる、迷い込みの文章。現代の内田百閒という感じすらする。現代の、小説、という感じがする。しかも、東京の、世田谷の。とても読んでいて、これはご近所の話をしているな、という感じがした。若林とかそこらへんの。においがちゃんとあったし、風景も浮かんだ。(12/6/23)
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この本は不思議だ。本を読んでいると、途端に頭の中で考えがたくさん浮かんでくる。それは、非日常的な徹夜明けのときに、日常の瑣末な事柄についてじっと考えてしまう現象と似ている。だから、わたしは、いつまで経ってもこの本を読み終えられない。でも、落ち込んだり、塞ぎ込む一歩手前にくるたび、わたしはこの本を手に取り、ひとりくだらないことに悩むのがとても好きだ。
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不思議な小説。ストーリーやラストに感動する、ということはなかったけど、主人公の思考や脳内会議は共感するところが結構あった。昔住んでいた場所にいくら思いを馳せてもそこはもう違う所で、実際に行ったとしてもそこに「その場所」はないんだろう。
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著者の新境地と思える一冊。
この本は、戦争記録のフィルムや紛争地のドキュメントDVDを愛好する30代半ばの一人暮らしの女性・砂羽の視点で、過去に住んだ町の「失われた記憶」を語るストーリーが主軸となっている。
主人公の住まいを東京・世田谷区の若林とした意図は、この町で終戦を迎えた小説家の記録『海野十三敗戦日記』を引用したい意図なのか?
主人公の思考は、出身地である大阪へも向かい、そこの写真教室で知り合った不思議な友人・中井との不定期な交流によって、たびたび漂流する。
さらには、中井の導きで、写真教室の同窓生で10数年も行方不明となっている男・クズイの妹が登場するに至って、この小説は一人の物語から複数の語り手の物語へと変化していく。
何やらスタートとゴールが一致しない飛躍した作品のように思えるのだが、過去と現在を思考が行き来するところに意味があるのだろう。
主人公が変わってからの、終盤の瀬戸内海を走る高速バスからの夕陽の描写は素晴らしい。
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もしどこかで誰かの人生が変わっていたら自分はいなかったんじゃないか、とか
「変わり者」枠を獲得してなんとかやっていった、とか
読み進めるうち、ああ私だ、私と一緒だ、と共感。
もやもやと考えていたこと、感じていたことを言葉にしてもらった気分。
そういう風に評価している人が思っていたよりも多くて
みんな一緒なんだな、と安心したり、
読者も似たような人が集まるのだろうか、と思ったりする。
中井の、話しかければいいんだというスタンスがわかりやすくてすっきりしていて、夏じゃないけどとてもいいよな、と思った。
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その時その時を、
実にうまく魅力的に描写できる人だな。
場所・時間・存在の不定性を付きつけられ、
過去から未来へのつながりを、
皮膚感覚で認識したような気がする。
青木淳悟の「私のいない高校」と三島賞を争ったのか。
受賞の日も近い気がする。
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『その街の今は』のような作品かと思ったら、作者の新境地、と銘打ってあって、残念ながら最後まで入り込めなかった。
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面白そうだなと思うのだけれど没頭できず。
過去の場所と現在の状況が気になるという感情は理解できるけれどなぁ。
祖父や祖母の生き様、両親がいたから自分がこの世に存在するという縁の不思議は確かにあるもんね。
過去ばかり追求せず、自分のこれからを一歩ずつ踏み出していければ、後ろに過去がついてくるものじゃないのかな。
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ある意味、完結していない話
砂羽の仕事はどうなったとか、坂上さんは塾をやめたのかとか、中井や葛井は…という疑問もわいてこないまま静かに終わりました
祖父の影響で戦争ドキュメンタリーを見る砂羽、砂羽の依頼で戦争の痕跡を知る中井、中井の影響で知りたいことがあれば赤の他人にも話しかけられるようになった夏
あの時あの場所にいなかったから…あの人と出会ったから…と、いろんな事がいろんな人につながるわけです
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大阪で生まれ東京で暮らす36歳のバツイチの砂羽の日常が独り言のように綴られている長編小説。戦争のドキュメンタリーを見るのが好きで自分のいなかった時代(戦時中)に思いを巡らせ、かつて住んでいた街や今住んでいる平和な街に悲惨な時代を重ね合わせてその痕跡を探すヒロインは3.11の地震後の誰かのようです。
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戦争ドキュメンタリーの中で殺される人間を見て、
なぜそれが自分ではないのだろう、という思いがかすめるのは
よく分かるけれど、それを羅列してみたり、
戦争ドキュメンタリーを見ることを自己分析したり、
「それは暇だからだ」と批判する登場人物を配置してみたり、
あれこれ結論なく考えたがる主人公をまた批判してみたりと、
世界のいろんなことが、ああでもあるし、こうでもあるし、
人によってさまざまである、なんてことを匂わすより
もっとじっくりはっきり深く、書くことがあるんでないだろうか。
砂羽という女の生活は、ああいうことだけなんだろうか、ほんとに。