紙の本
楽しみです
2018/10/31 08:22
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投稿者:リョウ - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画の方を観たことがあり、映画の原作があると知り、購入しました。
映画と原作ではどういう部分が違うのかなど、読むのが楽しみです。
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上巻で、ケヴィンがあまりにも可愛くない子供で、可愛くないどころか、憎たらしい子供で、まったく好意が持てなかった。
だけど、下巻に入って少しづつケヴィンに対する感情が揺らぐ。
ケヴィンが高熱を出したとき、それまでのケヴィンとは思えないほど可愛い普通の子供になった。その時になってエヴァは、ケヴィンが今まで、物凄いエネルギーを持って、憎たらしい子供を演じていた事に気付く。
そんな可愛らしさを持っているのに、どうしてあんな結果に終わってしまったのかと、切なくて涙した。
でも、ケヴィンのした事はやはり酷くて、妹にした行為は、(おそらくケヴィンが悪意を持って行ったのだと思うが)絶対に許せない。
だけど、全て、母親エヴァの想像でしかない。確たる証拠はない。
もしかしたら全て、エヴァがケヴィンを嫌うが故、憎むが故の思いこみなのかもしれない。だけどたぶん、そうじゃないんだと思う。
ケヴィンは、エヴァに愛されたかったんだろうか。
愛されたくてあんなことをしたんだろうか。
ツンデレにもほどがある。
罪を償って出てきたケヴィンとエヴァは、今度は普通の親子関係を築けるんだろうか。
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スクールシューティング(学校における無差別殺人)の犯人である少年の母親による、妊娠から事件後までの記録。ティルダ・スウィントン主演の同名の映画の原作。
息子とは何者なのか、なぜこのような凶行に及ばなければならなかったのかと自問し続ける母親の思考に寄り添って進む小説で、幕引きの衝撃は本当に大きい。
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the source of being afraid of commitment, under the beneath of the ground I am standing; being a mother unable to love her own child. That thought has been always freaked me out.
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読み終えた後に責任は母か子かを自分なりに考えましたが、本当に分かりませんでした。文章は母親のエヴァが事件後に夫宛に手紙を綴る形なので、読み進めているうちは、自然と母親の目線に同情して非はやはり息子にあるかなと思いましたが、贔屓目なしに見ると、息子のケヴィンも幾度となく救難信号を出してたのでは、と思ってきます。
ライオネルの憎たらしい子供の描写は的確で、男の僕でも思い当たる節が幾つもありました。
少し内容以上にページ数が多いかなとも思いましたが、面白かったです。
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コロンバイン高校銃乱射事件と言えば、日本でも聞き覚えのある方は多いかと思います。
本書はこの様なスクールシューティングをテーマにした小説で、読者は、加害者の母親が別れた夫に向けて書いた手紙を読むことにより、何が起こったのか、どうしてこの様な事件が発生したのかと言った疑問に迫るストーリーとなっています。
尚、本書を原作とした映画も制作されており、既に日本でも公開中です。
では、前置きはこの位にしてあらすじをご紹介。
周囲に疎まれ、一人孤独にあばら屋に住む女性、エヴァ。
彼女は別れた夫に向けた手紙を書き続ける。
読者はその手紙を読むことにより、夫への深い愛情、彼女の今の生活、かつて生き生きと取り組んでいた仕事の事、誕生以来の息子との確執、そして・・・彼が犯した罪を知る・・・
"
#前置きの文章そのままな気もしてくるあらすじ紹介になってしまいましたね・・・"
人それぞれ本書の感想は違うでしょうが、私が本書を読んで思ったことは「認識の違い」でした。
自分は他の人のことをその人自身よりも客観的に理解できていると思う一方で、他人が自分の事を自分よりも深く理解できているとは思わない様子。
自分のことを特別だと考えているが、周囲から見ると特別では無い様子。
この様な認識の違いは誰にでもある事ではないでしょうか?
尚、ネタバレになるので詳細は書きませんが、巻末近くでは本書を支えていた¨特別¨が特別でなくなると言う、正直読んでいてカタストロフィー的な感じを抱いた(そしてある意味そうだろうなとも思った)終わりを迎えています。
著者自身の後書きによれば、本書の読者は母子の関係を巡って大きく2分された感想を抱き、それぞれに自身の経験や考えを重ねた活発な議論を行って、作品をより深いものへと変えて行ってくれたとの事。
興味をお持ちになられれば、あなたも本書の深みを深めてみませんか?
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最初は、ケヴィンはデミアン?って思いながら読んでた。読み進めるうちに、ケヴィンが邪悪に生まれついたのかエヴァの冷たさのせいなのかわからなくなった。ただ二人はいがみあいながらも愛しあってる。こんな事件が起こっても。自分も子育てしてて、子供にひどいこと言ったり感情的になったりはたくさんある。なんて自分は冷たい人間なんだと自己嫌悪に陥ったことも。子供が産まれたときからその仕打ちを覚えていて傷つき怒っていたとしたら、どんな子供もケヴィンになってしまうかもしれない。でも母親はモンスターを作り出し憎みながらも愛することは辞められない。
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雑誌でたまたま映画版の試写会レビュー読んだ何週間後かに、いつも行く図書館でたまたま見つけて借りて読んだ。表紙に惹かれたのもある。写真じゃないだと!?
最後の方まで気づかずに「やられた!」っていう、とある設定があった。たいていの伏線は途中で気づく自信があるんだけど、これには気づかなかった。油断してたからショックだった。
まさかまさか、とぞわっとして、うわまじで!そこまでするか!あんまりじゃないか!と泣きそうだった正直。
三つ子の魂百まで、とか、やっぱ性悪説か、いいや性善説のが、とかいろいろ考えさせられた。
映画版もDVD出たら観る。母親役の人、コンスタンティンのときから好きだった。どこまで映像化してるのかも楽しみ。
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主人公の女性の独白におなかいっぱいになってきた下巻。でも事件当日のあたりになると、さすがに目が離せない展開です。このタイトルは抽象的な比喩ではなかったのですね。衝撃でした。最後はそれなりにじーんとしました。
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エヴァが手紙で語りかけるフランクリンがどこにいるのか、バカな私は最後まで想像できなかった。
上巻は、先が知りたくてたまらないのに、身につまされるエピソードの羅列が苦しくて、数ページ、時には数行ごとに本を閉じて、気持ちを落ち着けないといられなかった。なぜおっぱいを飲んでくれないのか、どうして泣きやまないのか・・・子育てに四苦八苦していたあの頃の気持ちがよみがえって、その晩はよく眠れなかった。
逆に下巻は本を置くことが出来ず、一気に最後まで読み、しばらく放心してしまった。
第一子の子育ては、お互い意地の張り合いでうまくいかないということは良くあることだと自分の経験からも想像できるけれど、こんなにこじれてしまう2人だったら、ここまで頑張らずに離れてしまえば良かったのにと思った。でも、この本の中での二人の最後の会話を読むと、むしろ決着は早くついたほうで、離れていればいるほどケヴィンが母を求める力は強くなり、この世で2人っきりになってしまうまで、親子の葛藤は続いたのかもしれないとも思った。確かにエヴァは息子を愛するのが下手だったけれど、誰がどんなにうまくやったとしてもケヴィンを満足させることはできなかったのではないだろうか。エヴァの愛し方の下手さが責められるのなら、ケヴィンの愛され方の下手さも同等に責められるべきだ。
それよりも、エヴァとフランクリンの夫婦関係。これだけ違う方向を見ている夫婦でありながら、修正をしようとしなかったことが、この家族の一番の問題だったのではないだろうか。
先日、結婚式のスピーチで聞いたヘルマン・ヘッセの言葉が思い出される。「夫婦とは、お互いに見つめ合う存在でなく、ひとつの星を二人で眺めるものである。」
この星は遠ければ遠いほどいいのではないかと私は思う。目標は同じくし、近くを並走しながらも、最後の一点までは交わらない、お互いに自立した道を行くこと・・・。
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だんだんと少年が大人になるにつれ、妹という登場人物も出てくるし、母親との関係も変わるのかと思いつつ、そんなことはなかった。
ラスト、まぁ予想通りやはりそうきたか。
翻訳がとても読みやすいのですらすら読める。
内容も共感できるできないは別として、話はとても面白かった。
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ケヴィンはどうしようもないのに愛しくて愛しくて、2012年愛しいランキング堂々の第1位。望まない子供でも愛せるなんて希望的観測に過ぎない、でもそう言って簡単に失ってしまえるものでもなくて、安易な考えが如何なる結果を残すのかまざまざと思い知らされる。匂いが、空気が、ぶちまけられたジュースの、葡萄の香りと色とが、押し寄せてくる。表紙のデザイン通りの、うつくしい絵の通りの、そして髑髏の妖しさを裏切らない内容で、何よりその題名に惹きつけられた。
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母親が感じる息子の悪意は妄想なのか現実のものなのか、最後まで揺れながら読んだ。
誰が、何が、原因かとは判断出来るものではないのか。
自己中心的な母親、悪意ある息子、善良な見方しか出来ない父親。
どの順番で悪いと思うかで心理テスト出来そうですね。
訳が読み易いです。
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上巻は、ねちねちゆっくりとした描写で、外堀から埋めていく。
それに比べて、下巻は1/3ほどのところから、避けて通れない話の核心へと急速になだれ込んでいく。
あれほど上巻で「それで?それで?」と知りたかった核心なのに、そこからはもう出来れば知りたくない、絶対絶対よくないことだから見ないで済ませたい、と願ってしまう。
そして、その厭な予感は外れない。
こんなこと、誰の手にも負えない。どこでどうしたらよかったというのか、どうしようもない。
妊娠してお腹の中の子どもを異物のように感じたり、生れてきた子どもに愛情を感じられなかったりすることは、ないことではない。程度と努力の差こそあれ、誰が感じても不思議ではない。
でも、その全てがわるい出来事へと連なっていくわけではない。
かと言って、子どもの持って生まれた性質と言ってしまうのは、何かに負けたような気がする。
一番違和感を覚えたのは、夫の父親としての態度。
子どもを愛するということは、なんでも許すことでも、こんなに手放しで肯定することでもないのではないか。まあ、はっきり言って楽観的すぎる。
子どもはイノセントなだけではないし、嘘だってつくし負の感情だってある。
なんでも肯定的に捉え御機嫌をとり許すことが、本当に子どもに、人と人として対峙していることではないでしょうに。
救いがない。あまりにも救いがなくて、読み終えてどう考えていいか困窮する。
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結末はわかってるし、出来れば読み進めたくない。でも読んでしまう。前々から思っていたけど、子供を心底愛することができるなんていう保証、何処にもないんだな、と。