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実は本作を読むまで、ナンシー関の本業がテレビ番組のコラムを書く事だったとは知らなかった。テレビに関する仕事を選ぶ人たちって、テレビ業界に対する強い憧れがあって、スキあらば自分も出演したいと考えるのが普通だと思っていた。しかしナンシーは出演する事によって生ずるしがらみを嫌った。出演者とは一線を引き批評に徹する姿勢が、数々の名作コラムを生み出す結果になったのだ。もっと生きてほしかった。
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生前の超絶的に的を射た表現と、思わず膝を打つコラムで毎回メロメロになっていたものだ。しかしあまり彼女の私生活について触れているものがなかったことに気づいた。
この本はそんな彼女の生い立ちや、デビュー当時の様子、消しゴム版画家として大成してからの時期、亡くなる直前、亡くなった日のことに対し、あくまで客観的かつ丹念に関係者を取材している。
いままで知り得なかった事実や、晩年の多忙を極めた時期のことなどをじっくり知ることができた。
ナンシー関フリークには必読の本だ。
彼女亡き後、確実にテレビの質が劣化したように思える。
まだ存命ならば、もうちょっとテレビ番組はまともだったんじゃないだろうか。そんなことを時々考える。
ポストナンシー関、なんて言葉が時々出てくるけど、永久に埋まらないんじゃないだろうか。
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没後早いもので丁度今年で10年が経つ。どちらかと言うとサブカルのコラムニストに過ぎなかった彼女なのだが、偉大なる文豪にも匹敵するかの如くその功績を称える「伝記」が出た。
著者は此れまで経済紙の記者をしており、生前、ナンシー関との接点は無かったと言いながら彼女のコラムのファンで有ったと云う。彼女の没後改めて著作を読みその面白さの源泉を明確にしたいという欲求が高まり、出版の当てが無いにも関わらず彼女の生涯を記する本書の準備としての取材活動を始めたとの事だ。
そんな接点のない著者だが、逆に対象であるナンシー関との関係にのめりこむ事も無くナンシー関の著作を時系列に丹念に追いかけ、彼女の作品から必要と思われる部分の必要十分な分量を引用することで文章や思考の変遷を明らかにしている。その抑え気味の客観性が、まさに程よい対象との距離感を保っているように思える。
一方で、高校卒業までを過ごした青森時代、上京しナンシー関となるまで、そしてナンシー関としての位置を掴んだ以降、夫々の時期を知る肉親・友人・知人達そして果てはコラムで「批判」された人物への取材を通じてナンシー関への愛情を十二分に語らせる事で、等身大の彼女を浮かび上がらせると共に距離感を詰めることにも成功している。まさに見事な「伝記」になっている。
ナンシー関のテレビ批評コラムの良さについてはなかなか表現し難いところが有るのだが、山藤健章二が「コラムで100点。それに絵(消しゴム版画)を加えて120点。そして版画の脇に添える一言で130点」と見事な説明をしているのだが、この言質を引き出しただけで著者の功績は評価できるというものだ。
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没後10年の節目に刊行されたナンシー関の評伝にして、著者の労作。
関係者の言葉と、過去の雑誌連載や著書の引用を中心に構成している。
特筆すべきは、膨大なカギカッコの数が示す取材量。
出版関係者はもちろんのこと、宮部みゆきやいとうせいこう、リリー・フランキーなどの文化人から、川島なお美や毒蝮三太夫などのタレント、家族に友人、恩師まで広範にわたる。
一読しただけで気が遠くなりそうな取材数をこなしながら、単行本に散らばったコラムを時系列に整理して、人となりを淡々と解析している。本書が秀逸だと思うのはこの点。
伝記とはいっても、歴史上の偉人のそれと違って、目が覚めるような名言があるわけでも、成功者の人生訓が収録されているわけでもない。
サブカルチャーのセカイの、愉快でちょっとあやしげな仲間たちに囲まれたナンシー関の、華やかさとは程遠い成り上がり物語に、思わず顔がにやけてしまった。
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山際淳司、本田靖春、デイヴィッド・ハルバースタム、中島らも。順不同
ではあるが、彼ら物書きの訃報に接した時の衝撃は大きかった。
そんな彼らとは別次元だったのが、消しゴム版画家でコラムニストで
あったナンシー関の急逝だ。
第一報は確か友人からの電話だった。正直、うろたえた。周章狼狽し、
困惑し、度を失い、色を失い、そして右往左往した。ちょっと大袈裟か。
それくらいの超ド級の衝撃だった。「ナンシーがいなかったらテレビが
見られないじゃん」と途方に暮れた。それほどに彼女の書くテレビコラム
を愛していた。
自分の中でどうも座りの悪いタレントがいる。どこがどう座りが悪いのか
分からぬ。それがナンシーのコラムは明快に指摘してくれた。読みながら
何度膝を叩いたことか。
圧倒的で核心を突いたコラムと、消しゴム版画。版画に添えられたひと言
のゆる~い感じが絶妙の調和を保っていた。
コラムも対談も面白い。そんなナンシー関が逝ってしまって10年目に
評伝が出版された。彼女の突然の死から始まる本書は、両親や妹、
同級生、仕事関係者の証言を多く集め、また、ナンシー自身のコラム
を多数引用して構成されている。
あの独特の視線は早い時期に完成されていたものだったのか。凡人の
私には到底敵わないや、彼女の表現力には。
ただ、この著者じゃなかった方がよかったかもな。以前、大手ネット通販
のアマゾンの倉庫への「潜入ルポ」と銘打った社会科見学ルポを読んだ
のだけれど、その時の物足りなさが本書にもある。
稀なる才能を持ち合わせたナンシー関を描くには、この著者では少々
力不足を感じる。
鳩山由紀夫夫人が日本のファースト・レディになった時、船場吉兆の
おかみが記者会見で囁いた時、神田うのが何度も結婚式を挙げた時。
「ナンシーだったらどういう風に書いただろう」と思った。
あぁ、ナンシー。なんであんなに早く死んじまったんだよ~。ナンシーの
コラムが読みたいっ!モーレツに読みたいっ!!
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ナンシーさん、ムーンライダーズが活動休止してしまいましたよ…
多くの関係者に取材をされている割には、特に目新しいことは書かれていないと思う。
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今でもテレビで、モヤモヤするような感じの芸能人を見ると、「ナンシー関ならなんて表現するんだろう」と思うことがよくある。
週刊文春の「テレビ消灯時間」はずっと愛読していた。
「そうそうそう!そうなのよ!」という女子的共感を感じたわけではないが、「なるほどね、そういうことか」とニヤリとしたことは数知れずある。
うまく言葉にできないが、なんとはなしの違和感を持っているときなどは、まさにかゆいところに手が届くような感じですっきりしたものだ。
そんなナンシー関であるが、いったいどこからどういうふうにして世に出てきたのかは全然知らなかったので、この評伝はとても興味深く読んだ。
サブカル系に興味のないふつーの人が取材してまとめると、こんなふうになるんだなと。事情を知っている人なら、「あれはどうなったんだ」とか「なぜあの話が落ちてるんだ」と不満を持つのかもしれないが、そこがやはりサブカル系ということなんだろうな。
一般人からしたら、とても毒の強い、辛辣な批評をする人くらいに受け止められていると思うのだが、同じ業界の人からの評価は非常に高い。分かる人にはわかる、ということなのか。
面白かったのは高橋章子さんとは相性が悪かったらしいというエピソード。いかにもありそうな話である。ナンシー関はそういうタイプだと私は思う。
ナンシー関の文体には中毒性がある。読んでいると、なんとなく真似したくなるのだ。特に自分ツッコミのあたり。
もちろん、上っ面だけ真似ても無様なだけなんだが。
「心に一人のナンシーを」
常にあらゆることを相対化するべし、ということを忘れずにいたいと思う。
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スタンプ会(ナンシー版握手会のようなもの)にも参加したことがあり、著作もすべて買っているナンシー関の第3者による評伝。
淡々とした記述だが、ナンシー関への興味が勝って、あっという間に読了。そして、すぐにナンシーの過去の著作を読み返しました。
やはり、ナンシー関本人の文章はグルーヴ感があって、的確ですばらしい!(この本の評価と関係なくなってしまった…笑)
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ナンシー関をリアルタイムで記憶していないんだよね。しかしながら「なんだか面白そうである」ということで読んでみる。
ものすごく観察眼の鋭い客観視点のある人なんだなぁ……と。これを読むと、ナンシー関が今も存命なら、韓流ブームやらインターネットやらをどう語っていたんだろうと思う。
そしてこの書き手の人の距離感がまた面白い。
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日経新聞書評 難波功士 7.8.12
烏兎の庭 第四部 書評 8.18.12
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/diary/d1208.html#0818
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おもしろいひとだった、知ってるけど著作はあまりよんだことなくて、もっぱら雑誌のひとこまとか、連載を読んでいたので、ちゃんとよんでみようと思った。あのマツコさんとも対談してたのにはびっくり。
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ナンシー関の訃報を聞いて愕然としたことをありありと覚えているのに、この6月で没後10年たったそうである。
ナンシー関がいたらどう書いた(もしくは描いた)だろう…と、折にふれもどかしく思っている人は多いに違いない(沢尻とか、のりぴーとか、AKBとか!)。
本書は「ナンシー関」という人物像に肉薄した力作で面白く読んだ、…やっぱりナンシーの文章がよみたくなった。
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著者が全くナンシーと面識もなく、またサブカルチャーにもさほどの知識もないからこそ書けた評伝。
ナンシー関のコラムを年代ごとに分け、彼女自身の歴史と対比させつつ書き記した彼女の逸話から、なぜあれほどの客観性をもってコラムを書けたのか、その理由が垣間見える。
実に面白い本である。
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もやもやしていることや、言葉にできないことを的確に表現してくれていたナンシーさん。何度膝を打ったことか。没後10年を経ても、いまだにナンシーさんがいたら何て言っただろう…と思うなんて、すごいことです。
心に一人のナンシーを、自分にツッコミを入れる、自分を客観視する…ことを肝に命じていたいと思う。
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そう、ナンシー関は亡くなっている。ついこないだのことのように思っていたが、もう10年にもなるのだ。
今までそれほどナンシー関の書いたものに触れていたわけでもなく、たまに雑誌などであの消しゴム版画をちらりと見る程度であった。
この評伝を読んだら物凄い引きこまれました。これは読まねばと思った。
この評伝の良いところのひとつは、生前の友人・知人が思い入れたっぷりにべた褒め且つ感傷的な回想録を書いたのではなく、生前の繋がりが薄く、客観的に多くの取材情報をもとに書かれていることだ。また、もうひとつの良い点としては、客観的な筆致ながらナンシー関の面白さがよく出ていること。
久々に面白い本を読みました。