紙の本
夜毎に紙の頁の上で出会える、過去の偉大な作家の想像力。極上の幻想小説に酔う。
2012/10/22 13:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
都市の一角を襲った災いの原因をさぐっていけば、ある男女の不義がある。そのような情報を、霊界の人から得た高徳の師は、災禍を鎮めるべく名のり出て懺悔せよと懇願する。しかし、応じる者はだれとていない。
仕方なく、さらに異人の助けを借り、犯人の特定をこころみる。いざ、いったい誰なのか種明かしがされると、正体は石橋の下でからみ合う人間ならざるものというのだから、何ともまあ、しょっぱなから人を喰った調子。
以下、「落ち」のある滑稽譚めいた章がつづいていく。ボケあって突っ込みもあり……。
訳者は、異端の文学、魔術・幻妖・神秘といった地下文化等にも通暁した種村季弘と同じイニシャルを持つ。それは単なる偶然なのか。かの独文学者さながらの小気味よさ・いさぎよさで登場人物たちの掛け合いは再現される。
加えてNachts unter der Steinernen Bruckeを「夜毎に石の橋の下で」とおもむきたっぷりの言葉に置き換えたセンスたるや、どうだろう。
幻想文学なるものを偏愛する人の霊魂はやはり不滅。種村氏の肉体で借りぐらしをしていた粋な江戸弁の翻訳魂(ほにゃくこん)は今、ネットやマーケットという魔界迷宮で暗躍する謎めいた人物の肉体に宿り、忘れられかけたユダヤ系作家の再隆に心血を注ぐ。
各章ごとにほぼ閉じられる小さな物語の時代は、おとなしく時系列には並ばず、あちらの時代へ、こちらの時代へと踊りまわる。ユダヤの大富豪マイスルが生まれた1528年から神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世が没した1612年までの100年近く、「黄金のプラハ」と呼ばれる都市の、正に黄金期に順不同に散りばめられたエピソード群なのである。
彼ら実在した人物ふたりを主要人物として登場させ、錬金術めいた構成力のみちびく先に、イマジネーションの極みと言える不思議な「愛のかたち」を用意する。
言うまでもなく愛をあつかった小説は古今東西、地上にあふれかえっているが、「天使アサエル」という終盤の章で明らかにされる、この奇異な愛には「何と、とんでもない想像力!」とふるえが走った。ついで陶然と物語から立ちのぼる「香」のけむりに酔う。
この奇異な愛についての記述こそが、それまで繰り広げられていたユーモラスな小説のつづれを「悲運な愛の物語」「際涯に追い詰められた孤独な人びとの彷徨の物語」に転化させてしまったのであった。
「石の橋」は小さな建造物ではない。聖人たちの像が数十メートルごと左右の欄干に並ぶ、幅広の大通りのようなカレル橋である。それはそれは見事なつくりの橋だ。あの特別な橋の下でなら、どのような不思議が起こっても違和感はない。
だが、魑魅魍魎の跋扈を超えたふしぎが、一冊の本の中のごく短い章、そこの数行に封じ込められ、60年の時を経て、わが小さな部屋にとどけられるなど、この世界は何という奇跡に満ちたものであろうか。幻想は時空を突き抜けた魂のまじわりの中でこそ息づく。
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15編の章(短編集?)からなる本書。
15歳の私が家庭教師の医学生ヤーコブ・マイスル(モルデカイ・マイスルの子孫)からこの14の話を聞いたという体裁をとっている。(15編目はエピローグ。これがまた上手いなと思わせる。)
この15の短編を読むと皇帝ルドルフ2世とユダヤ人の豪商モルデカイ・マイスルと高徳のラビの物語が16世紀から17世紀のプラハの街の様子とともに浮かび上がってくる。市井の人々の様子もいいし、なにしろ高徳のラビが出てくる章は怪しく妖艶で息をのむ。
神聖ローマ帝国とボヘミアの関係。スラブ系貴族が起こした白山の戦いやユダヤ人の歴史。馴染みのない舞台で戸惑うけれど、読み進めていくうちにのめり込んでしまった。最後の垂野創一郎氏の「そのうえなぜ愛などに---解説に代えて」を読むことでどうにか把握できた。
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史実に虚構を織り交ぜて……というよりも、史実の上澄みを掬い上げ、7幻想風味に味付けした感がある連作集。
時代もまちまちな幻想の魔都プラハを背景にした味わいも様々な
15の短篇、1篇それだけを取り出しても十分に満足なのだけど、
読み進めるうちに施されている仕掛けに気づかされ、嬉しい悲鳴をあげることに。
皇帝の道化の話もいいけど、やっぱり表題作が好き。
読み終えて澁澤のエッセイをもう一度読み返したくなったし、
枠物語が好きだなあとしみじみ思った。
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しみじみーと読み終えたのち、さざなみのように感動がやってきて、あちこち読み返しては、ああと嘆息する小説だった。いくつものレイヤーが重なり合ってやがて一枚の絵が浮かび上がってくるような構造になっている。このレイヤーになっている短編ひとつひとつが濃厚なので、寝る前に一編ずつゆっくり読んでいた。
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ルドルフ2世治世下のプラハを舞台にした幻想小説であり歴史小説であり、かつ見事なミステリ。
これが1950年代の物語とは信じられない。作者のことは全然知らなかったが、この分野では超有名な、しかも名作中の名作のようだが、いまでもまったく遜色ない。素晴らしいの一言。読み終わるにはたいそう時間がかかったが・・・
最後の解説も素晴らしい。
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神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世を中心に、彼の時代に生きた人々の姿を連作短編で描いた作品。人間の愚かさと悲しさが、ルドルフ2世を通して強く感じられる。
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一五八九年秋、プラハのユダヤ人街はペスト禍に見舞われていた。婚礼の席で余興を演じて金を稼いでいる二人組の芸人は仕事ができず、供え物の銅銭目当てに墓地に向かう。彼らはそこで顔見知りの少女の幽霊を目にし、高徳のラビの家を訪ねる。ラビに命じられ、再び墓地に赴いた二人は、少女の幽霊からユダヤ人街がペスト禍にある訳を訊く。災厄の因果を知ったラビは石橋のたもとに向かい、赤い薔薇に絡みつくローズマリーの白い花を引き抜き、河に投げすてる。この夜、ユダヤ人街からペストは消え、麗しのエステルは邸内で息を引きとり、ルドルフ二世は悲鳴を上げて夢から覚めた。(第一章「ユダヤ人街のペスト禍」)
標題にある「石の橋」とは、プラハ市中を流れるヴルタヴァ(モルダウ)河に架かるカレル橋のこと。物語の時代にはカレル橋という名はまだついておらず、単に「石の橋」もしくは「プラハ橋」と呼ばれていたらしい。第一章の粗筋からも分かるように、本書は一見すると十五の短篇小説で構成された短篇集のように見えるが、最後の章が「エピローグ」と名づけられているとおり、独自の短篇としても読める十五話は「緊密であるが時系列を乱した長篇小説の一部」なのだ。
主たる人物は、澁澤龍彦著『夢の宇宙誌』の巻頭を飾る、神聖ローマ皇帝ルドルフ二世。映画にもなった「ゴーレム」伝説の主、高徳のラビ・レーウ。そして私費を投じてユダヤ人街に救貧院や施療院を建てたユダヤ商人モルデカイ・マイスルの三人。ルドルフ二世が統治する当時のプラハについて、前掲の澁澤の本にはこうある。「『黄金小路』と呼ばれる細長い街の一角には、あやしげな占師、術者、カバラ学者がうろうろしていたし、狭苦しいゲットウには土偶ゴーレムにまつわる怪奇なユダヤの伝説が息づいていた」。
黄金小路のあるのが城を頂くフラチャヌイの丘。「狭苦しいゲットウ」即ちユダヤ人街で、城と旧市街を結ぶ堅牢な石造りの橋はプラハの観光名所として知られ、今も人通りが絶えない。百塔の街と呼ばれる古都プラハに幽霊や妖怪、悪鬼が跳梁跋扈し、魔法や呪文が力を持っていた時代の話である。面白くないわけがない。ペルッツは、もともとボヘミア地方に古くから伝わる伝説や歴史を巧みに換骨奪胎し、自分の小説を支えるエピソードとして用い、絶世の美女をめぐる悲恋と復讐の物語を創りあげた。
いまは『夜毎に石の橋の下で』と題されているこの本、原題は『マイスルの富』であった。エピローグで、ここに記された物語は、語り手がプラハのユダヤ人街にある一軒の屋根裏部屋で、土曜日の午後、家庭教師に聞かされた話であることが明かされる。家庭教師の名はマイスル。つまり、本書は『千一夜物語』の系譜を引く枠物語の形式を踏襲している。家に代々伝わる「マイスルの富」にまつわる因縁話が、それぞれの章にあたるわけである。
一六世紀のプラハに二人の男がいた。一人は国家財政が窮迫するのをしり目に錬金術に入れあげ、城内に数多の美術品を蒐集し続けた世評に名高い神聖ローマ皇帝ルドルフ二世。今一人は、莫大な富を手にしながら、ユダヤ人街の改修に私財を投じた挙句無一物となって死んだ奇特なユダヤ商人モルデカイ・マイスル。二人は何故そのように常軌を逸した道を選んだのか。この一見何の関係もない二人の生涯を包み込む謎を鮮やかに解いて見せる謎解き小説としても読めるのがこの本。
街角で見かけた美しい少女に心奪われ、夜毎夢での逢瀬を楽しんでいた皇帝は、ある夜を境にその姿を見失ってしまう。失意の皇帝はその傷痕を消そうとでもするかのように美術品を買いあさるのだった。愛する妻が死ぬ前に「お助けを」とすがった男の名「ルドルフ」が皇帝のことであることを知ったマイスルは、死後自分の財産が皇帝の懐に入ることを防ぐため、財産を蕩尽させることで恋敵に一矢を報いようとする。探偵小説に「シェルシェ・ラ・ファム(女を探せ)」という言葉があるが、犯罪の陰にだけでなく、愚行や奇行の陰にも女がいるのだ。
古(いにしえ)のプラハを舞台に、ユダヤのラビの魔法が操る稀世の美女と二人の男の哀しい恋物語に、数世紀の時を隔て、奇しき因縁が綾なす怪談・稀譚の数々。炉辺に椅子を引き寄せ、灯影にひもとくに絶好の奇書。一話読んでは栞を挟み、余韻に浸るもよし。一気呵成にエピローグまで読み進めるもよし。垂野創一郎の訳は平明な裡にも古色を漂わせた薫り高い訳文になっている。
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舞台は16世紀、ルドルフ2世の治世下であるプラハ。個々の不思議な物語が紡がれて、歴史を縦糸にさまざまな夢と幻想を散りばめたタペストリーが織り上げられていく。
モルダウの河のさざなみ、ユダヤ人街のざわめき、薔薇とローズマリーの香気。
古のプラハの街の濡れた石畳を歩いているような、夢の時間を過ごした。
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『最後の審判の巨匠』よりも好き。挿話が積み重なれ、ラストの二篇で皇帝とユダヤ美女との不思議な夢での逢瀬の謎が解かれ、物語の語り手と聞き手の正体が明かされる。それにしてもやはりヨーロッパの文学を心から味わうには、キリスト教とユダヤ教、旧約新訳聖書の知識が必要なのだなとつくづく感じた。
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シェイクスピアのようである、というのがこれを読んだ第一印象。
韻を踏んだ言葉の羅列は目に心地よく、よくわからないまま読み進めてしまう。(それがいいのかはさておき)
短い寓話がいくつも重なり、なんだろう?と疑問に思ううちに、「この名前に見覚えがある」と、同じ登場人物が、細い糸で物語をつなぐ。
詩のようで楽しかった。けど、本当は3~4回読むとより一層面白いんじゃないかなぁ。時間ができたら再読したい。
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1589年、ルドルフ2世統治下。プラハのユダヤ人街を疫病が襲った。子どもばかりが命を落とすその災厄は、「『モアブの罪』(姦通罪)によるものだ」とお告げがあった。高徳のラビ(ユダヤの宗教指導者)は「姦通を犯したものは申し出るように」と促す。しかし、該当者は現れなかった。再度の託宣は「主のほかにそれを知るのは汝(=ラビ)のみ」。ラビには1つ、思い当たる節があった。ラビが向かった石の橋の下にあったものは何だったのか。
謎めいた冒頭作(「ユダヤ人街のペスト禍」)を受け、神聖ローマ皇帝、ユダヤ人豪商、美しい若妻「麗しのエステル」、ボヘミア貴族、芸人、錬金術師、さまざまな人々の人生の一コマが交錯する、14の短編が収められる。それぞれは独立した話のように見えながら、時代を行きつ戻りつし、石橋の下の赤い薔薇と白いローズマリーが紡ぐ物語に集約される。
砂に隠れた細密画のように、こちらを一吹き、あちらを一吹きしていくうちに、次第に全体像が見えてくる、ミステリのような仕掛けも読み所だ。
しかし何と言っても中世プラハの耽美的で謎めいた雰囲気が本作の魅力だろう。芸術作品や宝飾品が豪奢に宮殿を彩り、錬金術と魔術が人々の魂を捉えていた時代。ユダヤ人街の石畳を行った奥に潜むものは闇だけではない。
「犬の会話」「サラバンド」「横取りされたターレル銀貨」は、元になった昔話や伝承が透けて見える印象。
「ヴァレンシュタインの星」「忘れられた錬金術師」は占星術や錬金術が主題。
伝承だけでなく、ルドルフ2世が芸術に浪費し、錬金術にのめり込んだという史実も盛り込まれ、またヨハネス・ケプラーなどの実在の人物も登場する。高徳のラビ、レーウは、ユダヤ神秘思想の謎めいた巨人だが、ルドルフ2世に謁見した記録が残るという。豪商マイスルも実在し、作中のように多くの慈善事業を行ったが、彼がなぜ巨万の富を築くにいたったかはまったくの謎のようである。ユダヤ人と皇帝の対比は、経済的に著しく発展した流離いの民ユダヤ人と、それを排斥しようとする市民の確執の暗喩に見えなくもない(実際のルドルフ2世はユダヤ人に対しては寛容政策をとったそうであるが)。
いずれにしろ、中世という時代は、現実と空想が入り交じった世界を紡ぎ出すには恰好の舞台なのかもしれない。
訳者解説は、チェコのユダヤ人街という、一般的に日本人にはいささか馴染みの薄い世界を、適確にディープに紹介して秀逸。かっちりした内容ながら、本文の続きのような重厚な印象を残す副題が心憎い。
さまざまな統治者を迎えつつ、中世文化の中心地として栄えたプラハという街は、一筋縄ではゆかぬ歴史を持つ。複雑な古都は、したたかな奥深さを秘める。
古き街の堅牢な石橋。夜の帳のねっとりとした濃密な空気が漂う。甘美な夜の夢である。
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史実と虚構を綯い交ぜにしながら、
キャラクターに厚手の肉付けを施して物語を組み立てた
レオ・ペルッツ(1882-1957)の、
短編連作の形式を取った幻想的な歴史絵巻。
16世紀末プラハのユダヤ人大富豪
モルデカイ・マイスル(1528-1601)は、
いかにして財を成したか、
どれほど若く美しい妻を愛していたか、
彼女が亡くなって深く嘆き悲しんだか――といったことが、
後世の人物によって語られる。
ストーリーはマイスル夫妻と三角関係を形成する、
ボヘミア国王にして神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世(1552-1612)、
及び皇帝を取り巻く人々の逸話で構成されている。
1589年、秋のプラハのユダヤ人街で
ペストが猛威を振るっていたが、
この災いは、ある罪によってもたらされたのだと、
死者の声を通して知ったユダヤ教の高徳のラビこと
イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレル(1525-1609)は、
石橋の下で絡み合う紅薔薇とローズマリーを引き離した。
だが、ラビは何故、
それらの植物が惨事の元凶の象徴だと知っていたのか……。
この謎が、数々のエピソードが開陳されるにつれて解き明かされていく。
天文学者にして占星術師ヨハネス・ケプラー(1571-1630)に
運勢を見てもらった青年貴族
アルブレヒト・ヴァーツラフ・エウゼビウス・ズ・ヴァルトシュテインの、
運命を変えた一夜の出来事、「ヴァレンシュタインの星」が、
誤解や行き違いが織り成す喜劇の様相だが、
当人は至って真剣――というところが、一層愉快。
短編映画になっても面白そう。
ちなみに、彼のモデルは
三十年戦争(1618-1648)期のボヘミアの傭兵隊長
アルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタイン
(1583-1634)。
彼はハプスブルク家に仕え、ハンガリーでオスマン帝国と戦いつつ、
裕福な未亡人と結婚し、
先立った彼女の遺産を元手に資産を増やして傭兵を集めたが、
ボヘミアの王位を狙っていると疑われ、暗殺されたという。
後代の人々の、主要登場人物たちの素晴らしさも愚かさも
ひっくるめて愛おしむような語り口が、胸に沁みた。
既読の小説ではキース・ロバーツ『パヴァーヌ』、
あるいはマンガに喩えると、
萩尾望都『ポーの一族』などのエンディングにも似た、
しんみりした雰囲気が物悲しくも心地よかった。
そして、様々な事件を黙って見守った石の橋は現在、
カレル橋と呼ばれている――。