紙の本
20世紀のフランスを代表する記録文学の名作です!
2020/07/11 14:56
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、フランスの社会学者で、文化人類学者であったレヴィー・ストロースが1930年代にブラジルの少数民族を訪ねた旅の記録をまとめた紀行文です。同書は、そこに含まれた思想だけでなく、当時のヨーロッパ中心主義に対する批判によって、世界中に議論を巻き起こした作品でもあります。著者による「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という有名な一節でも有名です。実は、同書は優れた記録文学としても受容され、20世紀を代表する文学作品のひとつとしてあげられることも多いのですが、フランスの権威ある文学賞のひとつであるゴンクール賞を選考するアカデミー・ゴンクールは「フィクションでないために同作品を受賞の対象外とされたのは、非常に残念である」との声明が出されたとの逸話もあります。中公クラシックスは2巻シリーズで刊行されており、同書下巻は、全9部のうち、後半の4部が収録されています。「第6部 ボロロ族」、「第7部 ナンビクワラ族」、「第8部 トゥピ=カワイブ族」、「第9部 回帰」です。
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上巻よりも集中して読めました。レヴィ=ストロースが相当過酷な実地調査をしたことが一読でわかる。思想的には自分とは反対ですが、ジレンマにさいなまれながらも文化人類学の進歩に使命感を持って進んでいることは尊敬します。正直最後の章のイスラム教と仏教に対する考察が一番印象深かったので、そこまでの部分とは別の読み物のように感じてしまいます。仏教→キリスト教→イスラム教と、五百年の隔たりをそれぞれたもちながら、時代の流れとともにその本質が退化しているとの考察になるほどと感心しながらも、納得はしていません。イスラム教の自家撞着ということをクローズアップしていたけど、結局信仰を持たずには宗教をどのようにも理解しえないので、やっぱりここもふに落ちません。「この地球は人類なしで始まり、人類なくして終わる」というのは何とも悲しい。使命感の熱も行き場がなく、上空を漂うようにゆっくりと温められながら、下がる温度に抗い息巻く本人が感じている本質はカタルシスか。
09/6/16
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ブラジルでの旅の記録をまとめた紀行文
未開社会の分析と、ヨーロッパ中心主義に対する批判により文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつとなる。
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実家になぜか2巻だけあった。内容は東南アジアでのフィールドワークをもとにしているようだ。構造主義という抽象概念がフィールドワークに立脚している点が文化人類学的だと思う。
自分としては、まず構造主義の理論について何かでさらっと理解してからこのような本を読んでみたいと思う。
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ようやく読み終えた。読みやすい本ではないし、今読むと偏見にしか思えない表記もあるし、論旨も実はそう明確でもない。かつて大学生の頃、挫折したのもそんな理由だったのかもしれない。
今回は少しずつ読んだのだけれど、何よりもものすごい知識を貯えてしまった人が世の中を悲しみつつ、生き方がより多様なことの大切さを語っているんだなと思った。
イスラム教社会の存在と実は根っこのつながっているキリスト教社会の問題について言及しつつ、もしもキリスト教社会と仏教社会がまっすぐに出会っていたら世界は違っていただろうと夢想して終わっていくのは今の時代にも通じることだと思う。
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[ 内容 ]
放任すると人間は争乱に陥る。
性悪説に立つ筍子は、善意を判断する感性を磨くための学習の必要性を説く。
[ 目次 ]
第6部 ボロロ族(金とダイヤモンド;善い野蛮人 ほか)
第7部 ナンビクワラ族(失われた世界;荒野で ほか)
第8部 トゥピ=カワイブ族(カヌーで;ロビンソン ほか)
第9部 回帰(神にされたアウグストゥス;一杯のラム ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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未開部族社会への冒険や観察も面白いが、壮大な回帰の物語。
特に、フィールドワークの記録を経た後に辿り着く2巻最終章の考察。伸びやかな深みと拡がりは圧巻。
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ナンビクワラ族の姿に真の人間を見出し、トゥピ族のあまりの野蛮人ぶりに後悔を覚える。そうしながらイスラム、ひいては西洋社会から全ての人間を視野に入れ結論に至ろうとするこの本はもはや単なる旅行記ではなくなっている。人間としてあるべき姿がなんなのか、自然とそう考えたくなる。旅に出る前にまた読みたい一冊。
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以前に2度ほど読みかけては、続かずに途中で投げ出してしまっていたのに、3度目の挑戦であらためて読んでみたら非常に面白くて、すっかり魅了されてしまった。
しかしこれは、どういう種類の本と言えばいいんだろう。旅のエッセイといえなくもないけれど、この人は、なんと遠くまで旅することか。中心となっているのは、1930年代のブラジルへの調査旅行だが、その筆は別の時間、別の場所への旅を行き来しながら、はっとさせる深い考察と同時に、とても美しく優しい描写を織り込ませる。最後の方に、不純物の滓を含むがゆえに香り高いラム酒というたとえが出てくるが、まさにそんな感じの文章だ。
たとえば、「最も単純な表現にまで還元された社会を、私は探していたのではなかったか。ナンビクワラ族の社会がそれであった。私はもうそこに人間の姿しか見出さなかった」という感動的な言葉でしめくくられるナンビクワラ族に関する数章。重厚でときに陰鬱な思索が織りなす本書の中で、めずらしく著者の深い感動と愛情が吐露されていて印象深い部分だが、かといって、決して対象にのめりこむんだりはしていない。最も単純な社会構造をもつ彼らとの接触から、レヴィ=ストロースは、人類社会における文字の機能や社会におけるリーダーのありかたについて、ぞくぞくするほど面白い考察をめぐらせている。
最後の数章では、自らの属する社会に背を向けて、他の社会に向かった人類学者がつきあたる虚しさと矛盾という陰鬱な告白から始まり、不純物を除去しながら、進歩への熱狂に駆られて突き進んできた西洋文明の矛盾に触れる。はっきりと書かれてはいないけれど、ここには、そうした西洋文明の行きついた先ともいえるナチスの経験が、やはり深く影を落としているように思われる。
しかしその沈鬱ともいえる考察は、やがて思いがけなくも優しい明るみのさす地点に読者を運んでくれる。人間が生きられる社会を創るために常に同じ働きかけを繰り返してきたにすぎないとすれば、「何も手は打たれていず、われわれにはすべてをまた始めることが可能だ」。
ここには、同じようにナチスの迫害を受けたユダヤ人の思想家ハンナ・アーレントが『全体主義の起源』の最後においた、「一人ひとりの人間の誕生が新しい始りなのだ」という言葉のこだまを聞く思いがする。そして本書をしめくくる数行の美しさ。人間の力を過信せず、世界に謙虚に向き合うレヴィ=ストロースの態度が示されている。
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たまたま手にしたレヴィ・ストロース。しかも2巻しかなかった。民俗・文化人類学としての南米での調査記録。構造主義というものがわかっていないので、また読み返してレビューする予定。
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基本的には南米への調査旅行に関する旅行記とその中の出来事に関する随想という体だが、南米の記述は必ずしも南米の記述に終始せず南米とは異なる別の都市、文化、生活などとの対比によって語られ、また記述内容も具体的な記述からかなり抽象的な思考へ大きく飛躍することもしばしば。まさに章によって受ける印象が全く異なる。文章自体は翻訳が良いのかそれほど疲れないが、その縦横無尽さが手伝ってか、本書の印象は一言でまとめきれないという感じ。。ただ、ところどころにはっとするインスピレーションに富む文章があり、考えの助けになる。元々なんとなく手に取った本だったが、最近個人的になんとなく気にかかっている「社会と自然」の構造のあり方に関して、思いかけず無関係なものではなかったような気もする。特に2巻は拾い読みが多かったのだが、気づいた点では特にボロロ族の生(社会)と死(自然)に関する考察は、人が自然を恐れていながらも象徴交換を行うことによって人間がかつて自然と有機的な関係性にあったことを物語っているように感じられたりした。また、レヴィ=ストロースは本書において社会と自然に関する言説の多くの部分をルソーの言葉の引用によっている。ただ、このあたり抽象的で少しぴんと来なかったというのが正直なところ。近く、ルソーも読んでみたい・・
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大部分は中南米について。一口にインディオと言っても部族によって生活スタイルも様々。その様子が分かって興味深い。
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この本を読む限り、レヴィ=ストロースの文には生命が宿っている。感動そのものを擬人的に生々しく表現している。(特に前半「日没」などは)比喩の洪水だった。比喩が比喩になっているようで混乱が混乱を招いた。
「文学」という響きに興ざめすることもある。文学のような揺らぎや撓みは人の心を揺動するけれども、本質的・明瞭的な理解には至りにくいのである。コーヒーは飲んでこそであるが、その芳醇な香りを味わうのにも意味がある、ということか。
この著作は文学であり、且つ記録文書であり、紀行文であり、人類史であり…こういうものに巡り合ったことは大きな収穫。再読を誓おう。今、私がこれに直面したことによって生じた心のありようと、少し(それが数年後かもしれないし、1週間後かもしれない)経ってからのそのありよう。それを較べてみたい。
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文化相対主義は今の世から見るとわりと「当たり前」のことなので、第二巻のほうが第一巻よりも驚きは小さい。むろん、旅行記としては抜群に面白いし、一文一文読み返したいところも多い。
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最後の「回帰」の章がいい。日本語で読めるものがなくなってきたので、フランス語の勉強をはじめようかと迷わせるぐらいの魅力はある。
未開状態の無為と思われるわれわれの自己愛の手に負えない活動とのちょうど中間
一つの多面性
イスラム
両立しない感情の板挟みになると「彼らの抱く劣等感」を彼らは人が昔からアラブの魂と結び合わせている伝統的な昇華のさせ方ー嫉妬、誇りだかさ、ヒロイズムーによって補う。
人間の精神が作り出したものについていえば、それらの意味は人間精神の関わりにおいてしか存在せず、従って人間の精神が姿を消すと同時に無秩序のうちに溶け込んでしまう。