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戦前の価値観=軍国主義、そんな単純なものではないと思います。敗戦で全否定された戦前の道徳教育。「思いやり」や「寛容の精神」、「生き物に対する憐憫の情」、あるいは「蒼天在上」人が見ていなくてもルールを守ることの大切さなど、人として、日本人として守りたい規範が極めて簡潔な文章で綴られています。全否定する前にまず読んでみて考えたい一冊。
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戦前には「修身」という授業があったと、小学校(今から30年以上も前ですが)時代に先生から聞いたことがありましたので、以前からその内容に興味がありました。図書館に行ったときに、たまたまこの本を見つけたので、読んでみることにしました。
小学校では、「道徳」という授業が週に1回あったと思いますが、これが修身の流れを汲んでいるのでしょうか。この本によれば、修身という授業は、小学校では週に2時間、中学校でも1時間あったようです。
以下は気になったポイントです。
・天下を治めるには、まず自分の国、そのためには自分の家を平和に保つ、そのためには、自分自身が修養して立派な人格を作らなければならないというのが朱子学のエッセンス(p12)
・昭和20年12月に連合軍が、修身・日本歴史・地理の授業停止と従来教科書の破棄を指令した、連合軍指令はポツダム宣言違反、国際法無視の命令である(p15)
・どんなものでも、それを探すときのことを思ったならば、しまう時に気をつけなければなりません。入れるときに少しの面倒はあっても、入用の時に早く出せる方がよい(p137)
・我が国の祝日は、新年・紀元節・天長節・明治節である、新年は年の初めを祝い、紀元節は神武天皇が即位、天長節は天皇陛下誕生日、明治節は明治天皇の御代の栄えを祝う(p155)
・よい日本人になるには、天皇陛下・皇后陛下の御徳を仰ぎ、またつねに
皇大神宮を敬って、忠告愛国の心を起こさねばならない(p189)
・教育勅語の第二段:父母には孝行を尽くし、兄弟姉妹仲良くし、夫婦互いに分を守って睦まじく、朋友には信義を以って交わり、誰に対しても礼儀を守り、わが身を謹んで気ままにせず、世間の人には慈愛を及ぼすことが大切(p196)
2012年12月1日作成
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自分の子どもに教えるべきだったのに、今まで教えていなかったことが幾つも見つかりました。この教科書にある、「親を大切にする」こと、「親の言いつけを守る」ことなどを教えるには、子供との接し方を考えて、重みのある言葉をかけて行かなければならないことに気づきました。
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今の機械化した文明によって、忘れてしまいがちな礼節、大切な面もある、所作や、心意気から感じる日本の心。ちょっとした事。だけど、忘れてはならないな、ああそうだったのか、これは良いな、そう思える物は残していきたいし、継承していきたいと思いました。
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戦前の教育=軍国主義、というイメージがありましたが、とんでもない!
日本人(人間として)として大切なことが書いてありました。
原文の後に、現代語訳もあるので、子どもにも読ませたいです。
道徳の教科書もこれで充分だと思います。
高学年用もぜひ読みたいですね。
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とても読みやすい修身の教科書です。
昔のイラストが面白いです。言葉も美しく素敵です。
学年別になっています。
今風に改訂して、
ぜひ修身の授業を授業に入れて欲しいと思います。
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自分の親はこれを学んだと思うと感慨深いものがあります。
今の子ども達の様子を見るに
先生や親への敬意と感謝の念がありません。
親は親に感謝しろと教えるわけではないですし
先生は先生を尊敬せよと教えるわけではありません。
しかし、道徳と学問は年長者への感謝と敬意があって成り立つものではないか、と思うのです。
外国では宗教がその任を担いますが、
修身を教えない今、日本ではどうやって子ども達を導いてあげられるのか、心配です。
道徳を教科とすることすら反対する人がいますが
その人達は大昔の外国語である漢語が教科であることに異を唱えないのは不思議です。
今の時代に合っていないというなら論語も同じ。論語に触れるなら寧ろ修身に触れて欲しいと思います。
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修身や教育勅語に対して、ネガティブなイメージを植え付けられている世代も多かろうと思います。
斯く言う自分もきちんと全てを読んだことはありませんでした。
こちらの本はカタカナ表記の後に漢字平仮名混じりで書き下し文も掲載されており、大変読みやすいです。
明治維新により藩校がなくなり、修身科はあったが実際は欧米の新知識を与えることに熱心で、小学校の先生の為の師範学校も指導者はアメリカ人だったという現状。
明治12年の教育令は自由を重んじ放任すら認める感じで、授業を視察された明治天皇がこれでよいのかとご心配になるほどだったというのも空恐ろしさを感じます。
明治14年に小学校教則綱領が出されて修身が各教科の首位とされましたが、実際は格言や史実の良い話、作法を教える内容のものであり、不十分ということで明治23年に教育勅語が下賜されました。
これにより日本の道徳教育問題が安定していたにも関わらず、戦後アメリカの占領政策の中で禁止され、またしても日本の美徳は失われました。
個人的には、アメリカ以外の歴史ある国であれば話はまた違ったのではないかと思っています。
アメリカでは道徳教育と言えば教会でやるものであり、一神教ですから、八百万の神がいてその中にキリストすら含めるようなおおらかさがあり、武士道があった国とは根本的に考え方が相容れないのが当たり前でしょう。
教育勅語は訳本も作られて諸外国に配布されましたが、どこからも反対・批判はなく、称賛の反響のみがあったそうです。日本の学校での道徳教育は修身と称され、教育勅語に則ったものとなりました。
この本の中に、ある校長先生の話として
「非行少年が出た場合、その親が教育勅語や修身を教えられた世代の場合は指導に成果が上がりました。しかし親が教育勅語も知らず、修身も教えられていない世代になると手の施しようがありません」というものがありました。
明治以降の欧米礼賛を捨てやっと基本に立ち返ろうとしているかと思えば、「日本礼賛ブームは気持ち悪い」と言い出す人もいる現代。
いろいろなことが難しくなっているなと思います。
藩校や寺子屋の時代には考えられない、礼儀や常識の無い親子供が増えてきているのが、残念ながら現代の日本です。
もちろんこの本の内容が全く現代に当てはまるわけではないので、昔の話だという前置きをするなり、多少の追加修正をするなりは必要にはなるとは思いますが、この内容は確かに時代や場所を越えて普遍・不変の価値があり、この内容を目標として修身に心がけることに、普遍・不変の価値があるでしょう。
外であるきながらものを食べ、地べたに座る『欧米化』が進んだ現代では、上下の区別がつけられない人も増えています。
自分の親はきちんと躾けてくれたので、文吉の母のようにものを跨いではいけないと教えてくれましたし、剣術の師範も入門初日にたとえ木刀でも刀を跨いではいけないと教えてくださいました。
この絵本を跨がないという話の他、徳川光圀が紙を粗末にするのをやめさせるために、女中たちを紙すき場に見せにやる話や、馬子が馬のことを「この馬のおかげで暮らしているから」と親方と呼んで大事にしている話が、いかにも日本らしく感じ特に印象に残りました。
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大学生ぶりに読んでみたが、今の教育の根本なるようなことが多く書かれている。しかし、教授型の授業が多くなっていると感じた。また昔の人はこれを使ってどのように子どもたちに発問をしているのか興味を持った。