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ハードボイルド,というものだろうけど,嫌な印象は全くなく,私が言うのもなんだが良質なんだろうなと思う。ただハードボイルドって男の理想というか願望なんじゃない?と言いたくなる。実際はもっと汚いものなんじゃないのか。あと東野圭吾が「時代小説」って言ってたけど,これもそれに近いんだろうな。
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こうじょう こう。
全く知らなかったが朝日書評で、この作家のことを知る。
バブル絶頂期の札幌ススキノ、何て最高な設定なのだ!
飲み代一回400万をポンと払う、居酒屋経営の社長。
彼のデパートでの買い物は一回で1000万。
この社長朝原が絡んでくる話、わいろばらまきでホテルのベッドに札束を敷き詰めるとこなどの描写が、リアルなバブル。
そして、語り口と展開がリアルなハードボイルド。
ススキノと言えば、東直己のシリーズもあるが、こちらの抑えたトーンも味わいがある。
一つ一つの描写が、ススキノ知っている人ならば分かるはず。
”ススキノ交番のタクシー乗り場には、長い列が出来ているはずだった”が
はるか遠い昔に感じるな。
「私はススキノのこの今の時間が一番好きだわ。夜がずっと続くような時間を感じているときが」
東京では味わえない、ススキノの感じがよく表れている一言です。
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ススキノの黒服、黒頭のスマートなタフさとどこか不器用なところが魅力。連作短編7編で、物語が進んでいくが、最後まだまだ続きが読みたくなる。
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(収録作品)引き屋の街角/預金残高一億一千万円也/フィリピン・パブの女/百万円の花籠/マンション・コレクター/赤ヘネと札束の日々/夜明け遠き街
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すすきのという北の不夜城は、ハードボイルドを展開させるのに決して向いていない街じゃない。常々ぼくはそう思ってきたし、東直己という作家も頑張ってそのことにこだわった作品作りを重ねてきてくれた。最近は同氏の『探偵はバーにいる』はシリーズとして二本も映画化されるに至り、このままシリーズ化されても当たるのではないかとの期待が入るくらい、フィルム・コミッションでも優れた価値を見出されているすすきのである。
でありながら、本格ハードボイルドの息づくすすきの小説としての決定打はなかなかなかったように思う。だからこそ、本書の価値はすすきのを舞台として信じてきたぼくのようなこだわり読者にはこの手の作品の価値がたまらなく高く感じられるのである。
高城高。釧路や仙台をそして札幌をハードボイルドの舞台として書いてきた、元道新のブンヤであった書き手。記者人生の後にふたたび戻ってきてくれた作家として日本ハードボイルドの読み手たちが手を拱いて見守っているこの注目すべき作家が、証明してくれたのである。すすきのがハードボイルドの街であることを。否、かつてそうであったことを、だろうか。
かつてバブルたけなわであった時代のすすきのを舞台に黒服として生きた男の、ストイックでたまらない人生の方式をきっちりと描ききってくれたのがこの小説。特にミステリーやハードボイルドの体裁を取っていない連作短編型式の小説群とは言え、一冊の長編として、次々に主人公の前に迫る様々な障害を彼なりの一流の流儀で解決してゆく有様は、他の凡百なドラマでは決して味わうことのできないビター・ストレートである。
ぼくが札幌に暮らし始めたとほぼ同時に、バブルははじけた。某大手金融機関が倒産し、少なからぬ影響が周囲にも出た。犠牲者も。それを弔う悲しい家族や関係者の姿も目撃した。バブルが遠くなる頃に使ったタクシー・チケットを見て運転手が懐かしいなあ、今時チケットも使われなくなったけれど、バブルの頃は誰も彼もがチケットを束ごと持っていた、と話すのを聞いた。
ぼくの知らないバブルのすすきのを再現してくれたのが本書である。その頃夜の街を通り過ぎていたいくつものの札束と、高級酒と、きらびやかな電飾に、美しい女たち。その裏側で対立する組織や警察の暗闘。経済の冷たい戦争。
当時の街を再現したかった、と作者があとがきで語る以上のことをこの小説はやっているような気がする。ぼくの知らなかった街と時代とを、この小説はそこらを歩いている若者たち以上に生き生きと魅力的な人間たちを再現することで、まるごと復活させているようにしか見えないのである。