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日本の鎖国時代、船が遭難して危うく助かり外国を見てしまった船乗りや漁師はたくさんいたのだろう。
ジョン万次郎は有名だが、この小説の主人公音吉も世界を見てしまったために日本に帰れなくなってしまう不幸を味わった。実話だそうである。
地球を一周するように世界を見てしまうのはそもそも太平洋を1年2ヵ月も漂流し、北アメリカに着いてしまったからだ。
14人居た乗組員たちも3人となってしまう過酷な漂流、流れ着いた北アメリカもインデアンの住むところで奴隷にされてしまう辛い経験の後、イギリスの商社に助けられた。
しかし簡単には帰国できないのである。すなわち鎖国の日本、イギリスが日本との通商を望む思惑、などあり西回りの世界一周とも言える船旅をする5年の歳月がかかったのだ。
そしてたどり着いた日本は3人に酷い仕打ちをする。送って貰ったイギリスの商船に江戸時代も終わらんとする幕府は砲撃するのである。
結局日本には帰れなかった3人の運命はこの小説にはない。
19世紀のはじめころ、キリシタンを禁じている鎖国時代、音吉14歳から19歳、英語を習得し、キリスト教の精神欧風の精神を学び、人間が人間らしいというのはどういうことかを知り、日本を外から見てしまったのだ。
世界を見てしまう、今なら造作もないかどうか?
鎖国時代の音吉たちが愕いた世界、相変わらずわたし達もいまだに愕いているのではないか!
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救われたいがために信じるのに、その信じるものの違いで裏切られることになるのはなんとも悲しい、酷い結末の話だと思った。
とはいえ、幕府がキリスト教を禁じていたのは日本の神仏への信心というよりは権力の維持のためだというのが不条理だと思う。人間は身勝手な存在だと思った。
その他にもいろいろ考えさせられた。自分が岩吉のように、子どもや親との一時のつもりの別れが今生の別れとなった際にどんな気分になるか。なかなか耐え難い。
あとはやっぱ、マカオに戻ってその後の人生を生きた音吉のように自分もどんなに辛い状況でも前向きに生きる人でありたいと思った。祖国に裏切られた後、音吉を支えたのはなんなのか気になる。キリスト教の教え?もしくは音吉たちに尽くした欧米の人たちの存在?
名古屋に住んでいるときに読んでおけばよかった。小野浦行ってみたくなった。
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フィクションであればどれだけよかっただろうと、思わずにはいられないラスト。
恥ずかしながら、「異国船船打払令」のために二度と祖国の地を踏むことが許されなかった方々が実際にいたということをこの作品を読んで初めて知りました。
いつ命を落としてもおかしくはない苛酷な状況下で、音吉たちが何度も生き抜くことができたのは、「家族にまた逢いたい」というたった一つの願いを持ち続けたからであるにも関わらず、目の前にまできた祖国に迎えられるどころか、砲撃された音吉たちの絶望と痛みは私たちの想像を絶するものであったと思います。
引き裂かれるような裏切りにあっても、その後も異国で懸命に生き続けた音吉たちに、尊敬の念に堪えません。
小説なので、ところどころフィクションや作者の三浦綾子さんの創作エッセンスが加えられているとは思いますが、作中には心に留めておきたい言葉もたくさん散りばめられています。
「焼かれても、焼けないものが残ります」
「辛いことでも、過ぎ去れば懐かしいもの」
「何もかも、今に思い出になる」
こういったフレーズは、音吉たちの生き様を表しているようで、とても哀しいけれど、美しく強い言葉だと思います。
音吉たちの1/100でも強くなりたい。
ちなみに、音吉の遺灰は2005年、遠州灘での遭難後実に173年ぶりに故郷の小野浦に還ることができたそうです。
音吉たちの知っている小野浦はもうないかもしれないけど、きっと どこかで 家族と会えていますようにと 願わずにはいられません。
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本作は、2006年に読んだ作品。
今から16年前になります。
本作が刊行されたのは1981年ですが、1983年には映画化されていました。
その映画について、ちょっと触れておきます。
監督---貞永方久(1931~2011)
岩吉---西郷輝彦(1947~2022)
久吉---井上純一(1958~)
音吉---松本秀人
で、本作(下巻)の内容は、次のとおり。
---引用開始
ゼネラル・パーマー号でマカオに送り届けられた岩松改め岩吉、久吉、音吉は、祖国の地を踏む日を待ち続けていた。彼らは日本で固く禁じられているキリスト教に出会い理解する中で、過去現在と自分たちを支えてくれた異国の人々の無償の愛に、心から感謝するのだった。そしてようやく日本を目前にする日がくるが、祖国は彼らに冷たすぎる仕打ちをした…。運命に翻弄される人間の真の強さを問う壮大な物語、涙の完結巻。
---引用終了
●2023年1月15日、追記。
音吉達は、モリソン号に乗って、日本に戻ってきたが、当時の日本は、異国船打払令により、外国船には砲撃するという体制になっていた。
よって、モリソン号も追い返されてしまったという。
1837年のことである。