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明治維新とはなんであったのか?近代化の光が映し出す影絵の物語
2013/01/08 13:34
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投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
分厚い農民層からなる社会を支配する核としての機構は「藩」であった。一般の人々からみれば一番えらいのはお殿様、一国一城の主であって、徳川家の将軍は眼前になかった。日本国などという概念はなかった。すなわち藩主が生活の全てを統治していたのだ。ところがある日、薩長の食いつめものたちが新政府をつくり、おらがの殿さまを排除し地元の実情など全く知らない中央政府が統治にすることになった。困った困ったと………何が困ったかは具体的にはこの7編からなる短編が語るのだが、藩中心の分権体制から中央集権体制へと統治機構が変った明治初期。しかも「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」はどこへやら、生活基盤を強奪される大衆の混乱振りを、冷酷に、だが哀しく描いた力作揃いである。
江戸時代から明治時代に入った年は1868年である。わたしなどはうっかりするとここを境目に日本は近代国家になったと錯覚するのだが、そんなことではなかったと、この物語はじっくりと語ってくれます。単に慶応から明治へと元号が変っただけであとはなにも変らないと受けとめたものの、やがて居心地が悪くなるだけだと気がつくのが、この物語の登場人物たちです。しかもそれぞれがシンボリックな変革局面に立ち会っているのです。7篇とも物語の進行役には名前がつけられていません。重要な歴史事象に歴史上無名の人物がなんらかの痕跡を残したかもしれないという体裁をとっています。
シンボリックな歴史事象のつまみ出し方が実に巧妙である。史実を丹念に検証したものでなければこういう叙述はできないものだ。わたしは松本清張の初期の秀作短編を思い浮かべた。さらに言えば明治史のおさらいをしながら読むことになった。実在の人物が多数登場し、通説にある行動をとるのであるが、彼らと接点をもつ「ある男」を含め著者が創った人々が見事にこの枠組みでいきいきと動いている。時代小説のようだが、はるかに史実に重みを持たせている。歴史小説にみえて、はるかに人物がクリエイティブなのだ。
どこまでが史実でどこからが創作なのか、じっくりと理解したくなるから、通説を一通りあたってみる手間は惜しまなかった。
第一話 「蝉」 (背景:尾去沢疑獄事件)
第二話 食違坂 (背景:征韓論 不平士族 警察機構)
とにかく明治の歴史をよく知らないんだと痛感します。
第三話 一両札 (背景:奥羽越列藩同盟 反政府活動 雲井竜雄)
第四話 女の面 (背景:藩政改革 藩治職制 版籍奉還 梅村騒動)
第五話 猿芝居 (背景:条約改正と反対運動 ノルマントン号事件)
第六話 道理 (背景:会津藩の矜持 自由民権運動 三島事件)
第七話 「フレーヘードル」 (自由民権運動 国会開設請願運動 明治14年の政変 私擬憲法)
7篇とも濃密である。それぞれが一個の長編小説に仕上げることもできただろうに。珠玉の短編集である。
急激な時の流れがある。その流れに気がつかないものがいる。流れを遡上しようとするもの、そこに止まろうとする者がいる。流れに乗り遅れまいとする、あるいはうまく乗りこなすものがいる。流れをつくるもの、流れを変える者がいる。明治初期を背景に7篇に描かれたこれら群像はそれぞれがみな痛ましい。そして読者はこれが明治初期に特有の群像ではなさそうだ、現代を生きるわたしたちも同じ哀しさの境遇にある………と気づかされるだろう。
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とても良かった。明治直後の時代の小説ってあまりないと思いますが。
そういう意味でも珍しい設定。
著者の設定や切り取り方が素晴らしいと思います。
中短編集でそれぞれ主人公に名前がなく、すべて「男」と記載しれてあり
その分、余計に話にひきこまれていく感じがあります。
中でも気に入ったのが、京都見回り組の生き残りの男が民権活動に
引き込まれていく『道理』と、岡山のかくれた俊才の男が国会開設に対しての
檄文を書きその裏で民衆を憎む『フレーヘードル』
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明治維新直後が舞台で、名は歴史に残らないがその時代を生きた男たちの話だ。 激動の時代にあって、中央政府や官吏たちに翻弄されながらも、自分の信念を貫いていく様は、現代を生きる私も学ぶことは多い気がした。 特に印象に残ったのは、見廻組だった男が主人公の「道理」。
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事あるごとに姑が説いたのが、「人には 、世で定められた身分とは異なる位がある」という教えだったという。中農よりも豪農や庄屋が、庄屋よりも武家が偉い、というのは世の順序ではあるけれど、その順序はたいした意味を持たぬ。どういった心根で生きているか、作り物ではない品位を身につけているか、どんな志をもって、どのように日を送っているかーそれがおのおのの位をきめるのだ、と。
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明治初期の社会が混沌としていた時期に、国家の転機という時代に翻弄されながらもひたむきに生きる7人の男を綴った7編からなる短編集。
この作品が最も成功している点は内容はもちろんのこと、それぞれの話の主人公に名前を与えていなくて“男”と表記している点である。
実在したのか作者の創作なのかは若干わかりづらいのですが、少なくとも具体的な名前を出さないことによって読者である私たちが主人公に成り代わって読み進めることが出来ます。
もちろんすべての“男”たちがいわゆる共感できることをしているわけではないのですが、そのあたり目線を低くすることによって感動度が増しているように思えます。
そしてそれぞれの人物が総じて“要領が悪くって社交的じゃない”ので何となく読者自身を投影して読むことを余儀なくされます。
そのあたりは暗澹とした時代、国家と言う存在の大きな時代で
それぞれの物語の結末も結構やるせない終わり方が多く、それが却って余韻が残るのです。
もっとも印象的に残ったのは「女の面」、脇役である妻と嫁との対比が秀逸です。私は洞察力の鋭い妻より健気な嫁を応援したいです(笑)
私の口から言うのも何ですがそれにしても木内さん、確かな筆力です。
無駄な言葉等一切なく、他の作家では表現できない領域の作品だと確信しています。
作者が寡作であることも含めて何度も味わって読むべき作品です。
初出 オール讀物。
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それほど多く時代小説を読んでいるわけではないので、言い切ってしまうのもどうかと思うが、多くの時代小説はエンターテインメント作品であり、時にはファンタジーですらあると思っている。
もともと時代小説家じゃない作家が時代小説を執筆したりするのをその「正」の部分とすると、ベストセラーになって、TVドラマや映画化までされても、いわゆる文壇からは評価されにくい(?)のが「負」の部分じゃあないかと……異論は認める(笑)
「歴史」はエンターテインメントとして広く受け入れられるコンテンツであるからして、新たな書き手が参入してきても不思議でもなんでもない。だって「歴史」には、ロマンがあるのですもの——。
ただ、質の高い歴史小説・時代小説を求めるとなると、これがなかなか難しい。そして、木内昇は間違いなく、質の高い時代小説家の一人だ(賞がすべてじゃないけど、受賞わりと早かったし)。
前々作「漂砂のうたう」では、幕府瓦解後の侍の果てを薄悲しく描いていたけれど、今回は登場人物の幅が広がって、ご一新の外側にいた人々——名もなき貧しい金工だったり、名もなき細工職人だったり、名もなき地方の小役人だったり、名もなきかつての見回り組の隊士だったり……皆うちに何かを秘めつつ、激変の世と折り合いをつけようと必死に生きている、と「ある男」たちが主人公だ。
中には到底共感できない男もいる。しかし、それもひとつの生き方。この人の人物描写はいつもどこか薄暗いのだが、本書でもそれは健在だ。
彼らは彼らなりの「信」をもって世と対峙しているが、魔物でも棲んでいるかのごとくうねるそれは、個人をいとも容易く翻弄し歪めてしまう。なんとも救いのない話ばかりである。
「女の面」「猿芝居」「道理」「フレーヘードル」が気に入っているが、やはり「道理」がベスト。題材的には従来作品に近いけど。
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短編集。7編。
維新後のそれぞれの男(ある男)の物語。
ある男の振る舞い生き方に維新の裏側が覗く仕掛けが面白い。そしてそれぞれの男の有り様が、現在にそっくり当てはまるのも面白い。だが、今では絶滅してしまった『蝉』における井上馨に物申しに行った男や『道理』の先生を慕う百姓の勘助など、本当に生きるということの意味を考えさせられた。
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江戸幕府が倒れ、明治新政府による日本の夜明けが始まった。日本中の国民は新しい政治・社会の期待に心躍らせる。が、倒幕のために全精力をつぎ込んだものの、幕府後の新体制まで頭が回らなかった新政府はやることなすこと空回り。あげくに江戸幕府が残した残務整理だとばかりに庶民に増税を課す。
この短編集は「前のほうがよかった?」とぼやく庶民たちの中の名もなき男7人の生きざまを描いた小説。時代に逆らう男もいれば、なすがままの男もいる。そんな彼らを見ていると、激動の時代の中で生きていくのはつくづく大変であり、運次第なんだなって、思う。
ところで、この小説って、民主党政権を皮肉ってるんじゃないよね。
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相変わらず著者の作品は地味だ。
地味だけれど、人間の鬱屈や本質などの描写がやたらと巧い!
どの短編も身近にいる人間であり、人々の悩みの一つ。
個人的には最後に収録されている短編が好み。
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明治政府の成立から国会開設あたりまでの時代。新しく権力を握った者たちが、既存の地方社会に支配の手をねじこむ。それに反発する地方の旧勢力や庶民は、民権運動や一揆にはしる。そんな時代を背景に、今までの生き方や社会を大切にしようとする者がいる一方、新しい社会の動きに自身の新しい生き方を見いだしていく者もいる。この連作短編集は、そうした人間の様々な姿を描き出している。主人公の「男」の性格付けは、いくつかの話で似通っている。「男」の傍らにいる「女」たちの性格付けも同様である。しかし、話の行き着くところは、それぞれ違っていておもしろい。全編に共通するのは、権力を握った者の奢りとそれに有効に反撃し得ない活動家や庶民への諦念であろうか。「女の面」「猿芝居」「フレーヘードル」がよかった。どの話も最後は苦い。それがよい。
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『「うちの爺さんが昔、よーう言いよったがじゃ。暴挙をしでかす輩と、そつないだけの者は、同じっちゃ」まるきり逆に思えるがのう、と武市は無精髭を揺らして笑う。「つまりはどちらも、一刻も早う思い通りに事を運ぶだけに囚われて、物の芯なるところを見ちょらんのじゃと」』
木内昇の短篇は、これまでの連作短篇でもそうだったように、いつも密度が高いという印象が残る。時代背景、人物の生まれ育ち、暮らしている場所などの細々とした説明がある訳ではないのに、頁の上にその気配がいつの間にか満ちている。視覚以外の感覚が刺激される。そんな雰囲気の中、どこかでかすかに聞いたことのある歴史上の出来事が、急に二次元世界から飛び出してきて立体的になる。単に年表の中で時系列に並んでいた無味乾燥な短い言葉の列が、物語となる。当たり前のことなど一つもない中で偶然に選び取られていく様をみる。
そんな感想は、もちろん歴史小説と呼ばれるものを読んでも同じように湧くかもしれないけれど、そこには答えの解っている話を面白く仕立てるような、あるいは面白がるような構図があるように感じてしまう。例えば、毎回印籠が出てきて問題が全て解決したり、投げ銭で危機を脱したりすると解っているのに、問題が大きくなるのを敢えてはらはらしてみたり。歴史小説を読んだりするとそんな風に思ってしまうことが多いのだけれど、木内昇の描く短篇には、これといった解決編は用意されていないし、大上段に皆の知っている歴史の中の人物を動かしたりもしない。ひたすら淡々と時が流れる。そこに思わず頁を見入ってしまうような何かを感じる。
ある男、と呼ばれる主人公は、歴史の中では生まれた時も場所も育ちも異なる男たちだけれど、彼らはまるで一人の男の生まれ変わりのように揃いもそろって顔のない人物だ。比喩で、歴史上に埋もれた人物、などと言えば言い当てたような気にもなるけれど、実はそれは物理的な重さを持ち血も通った存在を、ただ単に無視して抹殺するだけのことに過ぎない。そんな人物を拾い上げる為には、大仰な起承転結のある物語をこしらえてそこにはめ込むというやり方はそぐわない。むしろ木内昇がやってみせるように、ただ淡々と日々を追いかけて見せるようなやり方しかない気がする。すると顔のない人物は急に生き生きとした人間となる。それでも顔のないことには変わりはないけれど。
それは必ずしも歴史上の人物にだけ当て嵌まることではなく、現代を生きる一人ひとりの物語についても同じこと。自分たちもしょせんは顔のない人物に過ぎないのだから。木内昇の一つ一つの短篇が妙に今の自分の小さな悩みと共鳴し、描いている物語があたかも現在の日本の混乱を準えているようにも見えてしまう。それは木内昇の物語がものごとの芯を間違いなく捉えているからであり、語られる言葉を身近に起こっていることにすうっと引き寄せてしまうからだと思う。いくら木内昇が描く幕末から明治の混乱の中の物語が、今の日本の混乱と二重写しに見えてしまうとしても、そんな預言者めいた力が木内昇にあるということでは、決してないのだ。それは読む側に勝手に起こる現象。そして木内昇の言葉にその現象を起こさせる力があるという���けのこと。
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最後の一話、エンディングには、ぞくっとしますね。
全編を通して、人の弱さの描写がうまいと感じました。
女性らしい感性が織り込まれているようにも思います。
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明治初期、政府も人民もまだまだ未熟で、右往左往しながら近代国家への道を歩み始めたばかりの頃を舞台に、史実を絡めつつ、翻弄されながらもその時代を生きる「ある男」たちを主人公にした「蝉」「喰違坂」「一両札」「女の面」「猿芝居」「道理」「フレーヘードル」の7編の短編集。
決して読みやすいとは言えないだろう。
各編とも、すっきりとした結末が用意されているわけでもない。
だけれども、ざわざわと動いていた当時の日本という国で、こんな風にとまどい、悩み、苦しみ、また考え、貫き、働きかけ、世を動かす小さいけれども何かの一助をなした、市井の人々がきっといたのに違いない、そう確かに思わせてくれる。
「女の面」「道理」「フレーヘードル」が特に印象的。
読み進むにつれどんどん木内女史の世界に引き込まれた、なかなかの名著であった。
ところで…なんだか、このご時世、なんとなく現在の政治のあり方、それを許している私たちを揶揄したものにも見えてしまうのだが、よもやそれを意図されたのではあるまいか…???
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徳川時代の終わりを告げる戊辰戦争後の混沌とした時代、全国各地で新しい世の到来に目を覚ました男たちがいた。
綿密な史実調査の上に登場させたのが、この物語に取り上げられた有名無名の人物たち。地方在住の名もない男たちが、中央政府の無茶苦茶ぶりに異議を申し立て始める。その様を生き生きと活写した物語群。
すべての物語で、他の登場人物に名前が与えられているのに、主人公だけが「男」と称されているのが象徴的。
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最後に収録されていたからかもしれないが、フレーへードルが小気味良い。あるいは一両札。読みやすく、読後感のいい作品ばかりだった。