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主人公の心を縛っていた女院の死を持って、西行の話としての前半生の一応の区切りを付けて話は終わる、ただし、同じものが見える女性がいなくなった後の西行の後半半生がどうなるのか、また、そもそも宿神の話をどう結ぶのか、心の制約をなくした主人公がこの先、どうなるのか、清盛の野望とその結末については先が見えているだけに、きになる。また、西行の逸話を見て見ると、本作においてそれらの多くが作者なりの物語として語られ、それらが矛盾なく主人公の心情と結びつきながら話が展開していることは実に見事である。最後に語れらる事になるのであろうが、辞世の歌である、願わくば花の下にて春死なん、に至るまでが、今後、どのように語られるか楽しみである。願わくば、最後までペースを落とさず、語っていただきたい。
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【色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず】
空海が作成した”いろは歌”なんだって。知らなかったよ。
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西行が主人公で清盛は脇役~熊野本宮で過ごす夜,鳥が啼くのに起き出した義清は楠の下で踊る申と鰍改め玉藻の周りに狐が舞っている様を見る。璋子を捜す女官の堀河と合流し,行方を捜すと3人の童子が義清と璋子を袈裟男・袈裟女と囃し立てている。京へ帰ると源季政が義清を守りたいと近づき,蹴鞠で共に陶酔した藤原成通が鞠の翁の話を始める。盛遠が殺した袈裟御前もそうなのかと母の衣川を訪ねると胞衣(えな)を被って生まれてきた者は,人にはみえぬものが見えるらしいことが判ってきた。傀儡・放下師の申に尋ねると,あれは宿神・式神・守宮神・石神・佐久神・後戸の神・魔外羅神・翁とも呼ばれ,特に何をするでもなく存在するのだと云う。2年間出会うことのなかった女院に会うために実能の屋敷に忍び込むが「あこぎが浦」と追い払われる。鳥羽上皇の御所の障子に書かれた絵の余白に歌を所望され,鴨川の河畔で高野の覚鑁と出会い「理趣経」ではあるがままの人の姿も仏であると説かれる。歌を披露する日,璋子女院の前で筆と墨を持ち,一気に思いを歌に込めて直接障子に書き込み,吹っ切れた義清は鴨川の河原で髪を下ろし,妻子を知り合いに預け,出家し,西行と名乗って嵯峨野に住み着いた。2年の歳月で,鳥羽上皇は得子(なりこ)を皇后とし,出来た子を崇徳の猶子にし,璋子は政治から遠ざけられた。関白藤原忠通・右大臣頼長の政争が宮中に及び,仲介者・源盛行・津守嶋子により得子を呪詛しようとして朱雀が摂津で動いたと嫌疑は璋子に及ぶ。西行の従者のように源季政も出家し,璋子の汚名を晴らそうと必死に立ち回るが,鳥羽上皇と璋子が出家し,崇徳も譲位して上皇となり近衛が即位したが,崇徳の院政は実現しなかった。政争は関白・忠通の勝利に近付く。女院の具合が悪いと聞いた西行は手を回して女院を見舞うが,疱瘡に罹患し,言葉を交わすことなく別れを告げる~「2年の歳月が流れた・・・」「この間・・・」という書き方はやめてくれないかなぁ。もう遅いか。「何某によると・・・」というのもやめてくれぇ
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全4巻中の第2巻。
女院と契りを交わした義清は、激しく恋い焦がれるが、会うことが叶わない。
申(さる)と呼ばれる傀儡子によって、上手による蹴鞠が続くとぞろぞろと出てくる常人には見えない鞠の精とでもいうようなものの正体が明かされる。
すべての物に宿る精、宿神。魔多羅神ともいう裏の神。人を救いもせず願いも叶えはしない。ただ豊作にさせ、凶作にさせ、生まれさせ、死なせる。
天照大神のような人格神と元は同じだと説明される。
これが見えるのは産まれた時に被り物をしていた、即ち出産時に胞衣が頭部にかかっていた者に多いこともわかってきた。
鳥羽上皇の御所の襖絵に合わせる和歌を詠むよう命じられて義清は、上皇や女院らの前で、女院への激しい恋の歌十首を直接襖に書きつける。
こう胸の内で叫びながら。「いいか。おれは、歌で、おまえを犯すのだ。皆の見ている前で、今、おまえはおれに犯されているのだ。皆の前で、おれとおまえは、今、誰よりも激しく睦みあっているのだ。」
そのまま義清は出家し西行と名乗るが、嵯峨野に住んで都や女院の様子を見守る。しかし、女院は西行を拒み続け、出家し、やがて病没する。
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1巻とあわせて一気に読みました。2巻で西行さんは出家しますが、出家するまでの心の葛藤の描写に力を入れている感じです。3巻はおそらく、平清盛との関係が強くなる予想。
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佐藤義清から西行へ。
己の内なる感情を、生のまま発現するための出家。
しがらみ捨てて一個人であること。
西行自身の人生の道筋は、出家でスタートしたけれど。この先の時代にうねりにあって、どんな関わりかたしていくのか。時代は保元・平治の乱に突入していくわけです。
平清盛や崇徳上皇など、関わりある人々が歴史のうねりの中で、翻弄されていくのを西行はどういう感情でみるんでしょうかね。
個人的には「雨月物語」の崇徳上皇との対話のシーンが、待ち遠しい。あるかどうかはおいといて。
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道ならぬ恋の情念が暗く激しく燃え上がる第二巻。ラストシーンの西行がたまらんなあ。第三巻と第四巻(完結巻)は11月発売予定。11月はまだか。
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佐藤清は出家して西行と名のる。文覚。仏教。
権力を望む清盛とは別の道を歩き出す。
漢(おとこ)同士の絆は強い。
女院との別れが哀しい。
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西行の出家、それに至るまでの心の動きがここまで描かれれば、きっと大河ドラマも低視聴率にならずに済んだのにと思わずにいられない。そして、西行と文覚の生みの親との問答と、宿の神についての問答、これが日本の精神なんだろうなぁと思ったりする。それにしても、西行が描いたという書画を猛烈に見たくなった、どこかに残ってるんだろうなぁ
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どうも、西行というと70歳を過ぎ、花と月をじっと眺めている姿を連想してしまうのですが、あるいは、銀の猫を道端で遊んでいる子供へプイッとくれてしまう姿を想像してしまうのですが、彼だった若い頃があったのだと、当然のことなのだけれど、熱い心と肉を血をもっていたのだと、気づかされました。
作者の、男二人で酒を酌み交わすシーンは、もうお決まりといってもいいほど絵になるものがあるのですが、陰陽師を彷彿させつつ、北面の武士と元北面の武士のシーンもなかなか良いものです。
これは、すぐに3巻に進まねば。
今巻末のシーンはなぜかデジャヴュ感があったのは、自分でもよくわからない。
これは星5つです。
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佐藤義清が出家して西行となるいきさつを中心に、義清の待賢門院璋子への報われぬ思いを描いている。
義清の思いは、御所の障子に歌を書きいれた時点で頂点に達し、その有様は鬼気迫るものだった。
一人の女性をここまで思うことができるということが、義清ならではのことなのか、あるいは、常人に感じ取れないものを見ることのできる者同士の共感ゆえということなのだろうか。
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清盛と義清の物語かと思っていたら、義清の物語だったことがわかった。
この巻で西行になる。
他の人には見えない不思議な物の正体にもかなり迫ってきているなぁと思いました。
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和歌山、紀の川からスタートしてとても嬉しい巻。宿神について、義清の恋の行方、障子激情の10歌、そして出家。待賢門院璋子逝く。面白さ加速してきた。
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義清は鳥羽上皇の御所の新しい襖10枚に歌を直接書いた時から髪を切り出家して西行と名乗った。待賢門院たま子への思いを歌に託したものであったから。西行と清盛。歴史ではどうであったかは知らないが、陰陽師の時の安倍晴明と源博雅と同じように男二人である。
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あの御簾の向こうに愛しき方がいる。
御簾の向こうから自分のことを少しは気にかけてくれているだろうか。
あの方の心の裡を知りたい…。
後ろめたさと裏腹に、義清の恋心が乱れ始める。
シリーズ第二巻。
義清の切ない恋心はやがて運命をも狂わせていき、出家し西行と名を改めることに。
今も昔も叶わぬ恋ほど人の心を燃え上がらせ理性を狂わせるものだ。
やがて訪れるあの方との今生の別れ。
無数の蛍が乱舞する中、愛しい女性の寝顔を見つめる西行。
生きる目的を失った西行の、今後の生き方がとても気になる。
そして
「この清盛は、おまえのためなら、いつでもこの剣を抜く」
危なっかしい西行をいつも側で支え、固い友情で結ばれた平清盛との今後の関係も気になる。