紙の本
ルイ16世の最期の姿はあまりにも痛々しく哀しい
2012/11/02 17:17
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投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
1792年8月10日の蜂起は奇跡的に成功し、ここでサン・キュロット階級は一気に巻き返したが、続く9月は法を無視した虐殺の季節だった。ダントンの演説から始まった反革命派狩りではモッブと化した民衆が敵対的な政治家たちを見境なしに血祭りに上げる。革命とは今も昔も問答無用の敵の殺戮なのである。
その後サン・キュロットたちはやっさもっさの挙句にようやく王制を廃止し、共和制を樹立したものの、国王ルイ16世をどう裁くのかという難問に直面する。有罪だからといって市民ルイ・カペーを死刑に処していいものだろうか、とさすがのダントンやロベスピエールも胸に手を当ててためらうのだ。
そんななか、中庸のジロンド派に押されに押されていたジャコバン派が息を吹き返したのは、田舎者の最年少議員サン・ジュストの「人民の敵であり虐殺者、簒奪者、反逆者である王は仏蘭西に無関係の外国人として即刻裁かれるべし」という洗練されない論理による問答無用のどんくさい演説からだった。
衆寡敵せずというのに、議会で少数派の一議員の名演説が中間派のみならず多数派を論理的に圧倒して公論が逆転するなどわが国では到底考えられないことだが、それが18世紀の仏蘭西では実際に起こったのである。革命の進行過程では、現状を固定せず無理矢理敵に向かって前進しようとする勢力が優位に立つことが多いが、これがまさにその時だった。これ以降ジャコバン派の盟主ロベスピエールさえももはや過激派の暴走をとめることは出来なくなり、革命の本質は日を追って見失われてゆくのである。
パリ大学医学部教授ジョセフ・イグナス・ギヨタンによって開発された最新式の処刑機械ギロチンによって処刑されてゆくルイ16世の最期の姿はあまりにも痛々しく哀しい。彼は教授に助言して三カ月状の丸いデザインであった刃を鋭い3角形に修正したギロチンで首をはねられたのであった。
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ルイ16世 断頭台の露と消える。フランス革命の残酷史
2012/10/13 15:25
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投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
カバーの装幀画では槍、斧を振りかざした群衆の中、一人の男が槍先に貴婦人の生首を刺し、これ見よがしに掲げている。この首はマリー・アントワネットの友人であるランバル大公妃である。
1792年、9月2日から6日までのいわゆる9月虐殺。
この絵は9月3日の出来事であった。
タンプル塔に幽閉されたルイ16世一家の目前、人々は槍の先に刺したランバル大公妃の首を、ぜひお見せしたいというのです。撲殺され死体をバラバラにされた貴婦人の首………王にというより王妃にと。そう言われて「(ルイは)窓枠をよぎる黒いものが、はじめて人間の首にみえたからだ。しかもなるほど女だ。ブロンドの髪の毛が煉瓦色の血で汚れている。声はなかった。が、王妃が悲鳴を上げたのがわかった。」
そして1792年12月、ラストのルイ16世の断頭台まで、本著「共和政の樹立」で描かれた5か月は流血の惨劇が連続する。とくに9月の反革命主義者に対する虐殺行為は公安当局ではなく、粗暴で野卑な大衆の手によるものだけに読んでいて、やりきれなさが募る。どこかおかしい。「正義」が貫かれているとは思えないこの暴動である。やりすぎではないかと、犠牲者には同情の念を禁じ得ない。
「フランス革命とは。ブルボン王朝の圧政下にあった市民が、啓蒙思想の影響、アメリカの独立に刺激されて起こしたブルジョア革命」という教科書的な受け止め方はダメ押し的にここで一蹴された。
フランス革命は始まりであるバスチーユ襲撃から、1792年の惨劇など血なまぐさい暴力を伴いながら推進されたが、その暴力的側面はサン・キュロットと呼ばれる階層(主に手工業者、職人、小店主、賃金労働者などの当時のパリの貧困層)が担ってきた。王侯貴族・聖教者対第三身分という革命初期の対立構図は変化し、第三身分の中で資産階級とサン・キュロットの対立が先鋭化してくる。
佐藤賢一はこの対立と妥協の構図を詳細に語るのである。ここがすこぶる面白いのだ。
サン・キュロットのエネルギーはそれが無定見な殺戮へ暴走するとしても革命推進にとっては欠かせないものである。
政治舞台でのリーダーたちは、革命初期のミラボーも含めて、「共和政の樹立」の主役であるダントン、ロベスピエールはもとよりブルジョワ寄りのジロンド派の面々、ルイ16世に至るまで、サン・キュロットとどう向き合うかに政治生命がかかっていたのだった。
あのミラボーとはなんであったのかをわたしは遅ればせながらこの巻で具体的に理解できたような気がする。ミラボーはやがて先鋭化するブルジョワとサン・キュロットの対立を緩衝する装置として王権維持に固執したのだと。
彼らは、ある時はサン・キュロットの不満を煽りそのエネルギーの矛先を誘導し、しかし明日には暴走によって自分の首が絞まることにもなる、そして暴発を抑える作戦も必要になった。ある面、暴力に政治が振り回されているのだ。ダントン、デムーラン、ロベスピエール、ロラン夫人、ロラン、ルイ16世がそれぞれの立場にある微妙な心理の綾をじっくりと味わおう。
サン・キュロットは多数者であり、貧しい。教養は低く、情緒的であり感情的である。富める者をうらやみ、買収や煽動を受けやすい。素朴で常識的で感動をよぶカッコイイ言葉に弱い。自分の言葉は持たないが、腕力だけはある。何が正義か不正義かを知らず、ただ直感的に「不正を正す」。近視眼的で付和雷同。烏合の衆と化して政策決定に多大の影響を及ぼす。
「小説フランス革命」を読むといつものことながら、遠い昔のよその国のお話とは思えなくなるのだ。
そこでこれから日本はどうなるのだろうと。
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シリーズ第8巻目。
本巻では、1792年の8月10日事件に始まり9月虐殺を経て共和政が成立してルイ16世処刑までを描く。
政争から戦争へ、派閥争いからやがては次巻以降の殺し合いになっていく悲劇の始まりでもある。
各章それぞれ登場人物の視点で描かれ、フランス革命とはなんと愚かしく荒々しいものだったのかを臨場感たっぷりに実感させられる。
特にルイ16世視点での革命の理不尽さへの無力感と諦観の描写はさすがです。
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表紙を飾るのはダントンとランバル大公妃,裏はギョテイーヌとルイ16世~警鐘が鳴り響く8月10日,マルセイユからの連盟兵を接待し終えたデムーランはコンドリエ街のダントンと合流し,市庁舎で蜂起の自治委員会の立ち上げを宣言し,ラ・マルセイエーズを歌いながら,テュイルリ宮へと向かった。ルイ16世は指揮官不在の国民衛兵隊を観閲したが,暴徒の姿に逃げ出し,大時計棟から議場裏の書記控室に身を移した。大時計台の車寄せに迫ったデムーランはスイス傭兵隊の組織的反撃に戦死しかけるが,連盟兵の砲撃でこれを斥け,命も拾った。王権は停止され,内閣改造で法務大臣となったダントンの補佐として書記官となり国璽を預かる身にデムーランはなったが,ロランが内務大臣に返り咲き,他のポストもジロンドは占めた。王一家はタンプル小塔に軟禁され,束の間の自由を感じていた。プロイセンとの戦いは苦しく,志願兵を募集するマラは全戸一斉家宅捜索で捕らえた王党派ら反革命分子がアベイ(大修道院)監獄から釈放される人々を血祭りに挙げてから前線へ送り出す。遂にジロンド派の大物にまで監視委員会による収監命令が出ると聞いて止められるのはダントンしかいないとデムーランは走り回った。21歳男子による普通選挙で国民公会の議員が決まり,兼職が禁止され,法務大臣を辞任したダントンは大臣時代の散財を糾弾されジロンド派と妥協せざるを得ないが,議員を辞職したロランは右傾化したジロンド派の力を増すため,地方出身の議員と地方連盟兵をパリに呼び寄せ,ジャコバン派の封じ込めを画策し始めた。王の処遇を巡り裁判所が無効だと判断は一致し,国民公会こそが裁判を担当すべきだとなった。ロベスピエールは王の処刑で革命を推進しなくてはならず,25歳のサン・ジェスト議員が,王は人民の敵であるから国際法で裁くべきだと期待以上の演説に力を得るものの,ジロンド派や平原派は裁判を長引かせ,人民投票にかけるべきだ,評決は2/3以上だ,執行猶予をつけるべきだと妨害に乗り出してくる。家族に類が及ばなければ受け入れるべきだとした王は,果たして有罪,量刑は死刑,執行猶予はなしと決まり,ルイ15世広場で従容として自分が改良を示唆した刃により首を落とした~小説すばるに2010年6月~11月に連載された。ちょいと彼の書き方に疲れてきた
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ジロンド派とモンテーニュ派の対決から、ルイ十六世の処刑へと劇的な展開を記す第四巻。絶対王制が過酷であった故に、特に悪辣な国王でもなかったのに処刑されざるを得なかった歴史の不条理だね。次号はいよいよモンテーニュ派(ジャコバン派)独裁へ。
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やはり革命は行き着くところまで行かざるを得ないのか。人民裁判に名を借りた虐殺が横行するパリ。革命の主人公たちは、許される一線までは遠慮なくやると言い切る。そして、ルイ16世、王政廃止後ルイ・カペー、は国民公会における投票で一票差の死刑となり、バスティーユの陥落から僅か4年後、自ら刃の形に改良を加えた断頭台ギヨティーヌの露と消える。「私は無実の罪で死にます。けれど、私は私の死を演出した人々を許します。このような方法で流れる血が、私のあと、二度とフランスに流れることがないようにも祈ります」との言葉を残して。
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シリーズ第8巻。前巻のロベスピエールから、あれ?と思う展開でしたが楽しめました。今回の主役(独白者)はデムーラン、ルイ16世、ロラン夫人、ほんのちょっとロベスピエールです。
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小説フランス革命の第8巻。革命はいよいよ第2フェーズへ。政党の乱立、決められない議会。煽り煽られ、爆発する民衆の感情(このあたり、どこぞの国の状況に似ているかも)。そして王政の廃止、ルイ16世の処刑へと暴走する感情の流れ。。
息もつかせぬスピード感は、フランス革命物語の一つのクライマックス的場面だからというのもあるが、様々な登場人物のそれぞれの視点から描かれた生々しい感情の描写がすごい。ルイ16世が議会の証言台で覚悟を決める場面などは、特にシビれた。ここまでの8巻の中での最高傑作だと思います。
全12巻(予定)で残り4巻。12月、3月、6月、9月に刊行予定という。海外に住む身ながら、発刊と同時に買うしかない♪
今年100冊目。
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この巻はルイ16世が捕らえられ、処刑されるまでの間の話ですが、登場回数が一番多いのはデムーランでしょうか。もう少しロベスピエールやマリー・アントワネットの心情も書いて欲しかったなあと思いました。
無政府状態となり、たがの外れた大衆の恐ろしさに戦慄します。
ルイ16世が最後の処刑される段階で、国王としてのあるべき姿を悟る場面に何とももの悲しさを覚えます。
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とうとうルイ十六世が断頭台の露に。二巻かけてジリジリさせてから、八巻後半での王の断罪までの展開の早さ。緩急が見事。
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いよいよフランスがきな臭くなってきた1792年。民衆は熱狂し、総選挙で選ばれた議員たちもその熱狂に乗せられる。わずか2日の審議で800年間続いた王朝は消滅し、フランスは共和制国家となる。さらにはルイ16世の死刑判決。
強烈な世論の後押しで政治が極論に走ってしまうのは、日本で民主党政権が誕生したときとよく似ている。鳩山首相の立場にいるのが、ロベスピエール&サン・ジュストの師弟コンビか。
そんな国内の熱狂を覚めた目で見つめながら、ギロチン台に向かうルイ16世。彼は自分を死罪にした人民を許し、フランスを愛し続けた。彼の願いは自らの死によってフランスに冷静さを取り戻してほしかった。しかし、彼の願いは叶うことがない。ルイ16世の処刑は、今後の恐怖政治のはじまりだ。
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ジロンド派が自分たちの政権を守る為に王を温存し、共和制の樹立を阻止するのに対抗して、ダントンは、サン・キュロット達と共に蜂起する。
そして、今度は蜂起を成功させ、ルイ16世一家をタンプル塔に押し込めることに成功する。
しかし、ジロンド派の勢力は強く中立を望む者も多くて、王制を完全に廃止する為の、ルイ16世の処刑は難航する。
ロベスピエールが万策尽きたかの時に、登場したのが、美貌のサン・ジェスト。
彼の「王であったこと自体が罪である。」という演説によって、形勢は変わり、ついにルイ16世の処刑が決定する。
それまでの処刑方法があまりに残酷だったので、ギロチンが発明された。という話は知っていましたが、撲殺だとかはあまりにひどすぎて信じられませんでした。
又、自分を処刑することになるギロチンの発明に、ルイ16世が本当に手を貸していたのか?これは大いに疑問に思いました。
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ルイ16世が処刑されてしまった…。5巻「王の逃亡」の感想でルイのこと中二ってこき下ろしたけど、ここまで革命側と対峙し、裏工作も使って、逃げずに無気力にならずによくやったと思う。戦争やインフレ、飢え、格差など、いろんな要素がカチカチとはまっていき、王の処刑は必然の流れになってしまった。転がり始めてしまった歴史の恐ろしい動きに、ミラボーが死んだ4巻「議会の迷走」と同じくらいの衝撃を受け、読み終わった後、しばらく力が入らなかった。
1792年8月10日の蜂起により国王一家は捕らえられ、議会も停止。新たに普通選挙が行われ、国民公会が開かれる。ブルジョワ以外も議員として選ばれる国民公会はこれまでより過激になり、王政が廃止され共和政が樹立、ルイは裁判にかけられ、1793年1月21日処刑される。
さまざまな要素がはまったのはしかし偶然ではない、人々の、雲のように形がないけれどうねるような思いを、先に立っておこなって見せる人、言葉として形にすることができた人がいたから。ダントン、デムーラン、ロベスピエール。ここにきてようやく3人が超重要な役割を果たすのだが、それが決して1つの思いではなかったのが悲しい。いや最終的に見ているところは同じなのかもしれないけれど、程度感や方策は必ずしも一致していない。そしてそれはそのまま溝になっていく。
前の巻から登場したロラン夫人がここでは素晴らしい観察者として読者の目の代わりになってくれている。もちろん彼女こそがジロンド派のさまざまな施策立案者であり、当事者そのものだが、表立って動けない(女だから)こともあって、傍観者の役割も果たしている。彼女だけがロベスピエールの恐ろしさをわかっていた(直感していた?)ようで、ジロンド派のほかのメンバーが見えてないところまで見えている。
ダントンは田中角栄みたいな自民党の首領みたいな人物。パワーバランスの中で生き抜くのが上手いし、下手してもしぶとく生き延びる。こういうの政治家っていうんだろう。デムーランが弱さと優しさ正義感と愚かしさをあわせ持ち、いちばん共感できる。いちばんまともだが新聞記者はそういう部分がないと。ロベスピエールのすごさをいちばん言い表しているのはここ→「行動なら自分たちでもできる。できないのは、その正しさを言葉に置き換えることだ。ロベスピエールは、これまでも言葉をくれた。」そうなのだ、行動するダントンやデムーランよりもすごいのはそこなのだ。虐殺行為が正しいと、裏付けをしてくれる。民衆が熱狂する理由がわかって言葉ってなんて恐ろしいものだろうと身震いしてしまった。
力を持った民衆はやはり怖い。狂ってしまったパリの凄惨な様子とでたらめな判決。人を殺して少しは気が咎めるだろうに、「それで良い」と認める言葉により人々の行為は肯定される。言葉により先導されるのはポピュリズムではないだろうか。サン=ジュストの「国王は敵だ」という演説もそう。こんな恐ろしいことにならないためには人の言葉に頼るのではなく、
自分の言葉を持つこと(自分で考えること)だと強く思った。
ルイは王政の象徴として死んでいった。「人は人を所有するという考えは間違いである」という事実を明らかにするための生贄だった。ギロチンにかけられた一瞬の刹那、アントワネットを思いながら、彼女が自分の所有物ではないこと、フランス国民は自分のものではないこと、人間が人間を所有することはできないということに気づく。頭ではわかっていても実感できていなかった、ただ愛すればよかったのだということに最後の最後に気づく。彼が家族を思い、家族の無事を願って早く裁判を終わらせて犠牲になろうと考えたことに涙が出る。だって結局家族は救われなかったのだから。
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ジロンド派とジャコバン派が争いを繰り広げているなかで、ついにこの巻の最後でルイ16世がギロチン台にかけられる。フランス革命のギロチン台というとマリーアントワネットのイメージが強かったが、ルイ16世が次第にその運命を受け入れてゆく、自分のことを見直してゆくシーンが印象的だった。この小説を通じてルイ16世の存在感は大きい。