紙の本
スターリンの犯罪
2013/08/14 13:08
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投稿者:笑える山 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロシアでは、今日、スターリンの銅像が建つという。どこかの国に置き換えてみると、東条英機の銅像のようなものである。この本を読むと、鳥肌が立ってくる。さらには体が震えてくる。ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』と一緒に読まないほうがいい。
彼の国では、歴史認識問題のようなものは起きているのだろうか。起きていなくてはならない、と思うのだが。
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独裁者スターリンが自国民を殺したいくつもの大量殺戮の歴史を浮かび上がらせる最新の研究
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スターリンは大量殺人者として生まれたのでもなければ、そうなるように育てられたのでもなかった。コーカサス地方とグルジアで受けた教育では、かれのソヴィエト制度への君臨を特徴づけた極端な暴力を説明できない。スターリンは時間をへてジェノサイド実行者になった。そしてその人格形成にはいくつもの重要な契機があった。グルジアにおけるむずかしい家庭環境と青春時代、革命運動参加にいたる契機、レーニンとボルシェヴィズムへの献身、地下活動と流刑の経験、のちに来るべきことをそれとなく予感させた革命と、とくに内線で演じた役割、1920年代の権力闘争との関わりがそれである。1930年代初期の農業集団化運動で流された血でもさえ、スターリンとその配下のあいだで大量殺人をよしとする傾向を強めた。かれの経験と人格との累積効果は、前に立ちはだかって自分の成果を批判する人びとにたいする激しい憤怒と敵愾心を生んだ。ひとたび工業化と農業集団化の全国計画を開始すると、その避けがたい失敗は、政治的反対者にたいして抱いたとおなじ憎悪と敵愾心をもってソヴィエトの住民の全集団のせいにされた。
--ノーマン・M・ネイマーク(根岸隆夫訳)『スターリンのジェノサイド』みすず書房、2012年、145頁。
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本書は新しい史料を元に、独裁者スターリンが数百万におよぶ自国民を冷酷に殺した、いくつもの大量殺戮の歴史を浮かび上がらせる最新の研究だ。
著者のネイマークは冒頭で、国際法における「ジェノサイド」を取り上げる。国連は国連ジェノサイド条約を1948年に採択し、条約は1951年に発効した。ナチスによるユダヤ人の大量殺戮を契機とした法制化である。しかしジェノサイド対象からは、「政治的集団」や「社会集団」は排除されている。条約成立に際して当時のソ連が反対したためである。成立に至る経緯を振り返りながら、著者は政治・社会集団を盛り込むべきとの態度を主張する。現在の国連の定義では、スターリンのクラーク迫害、ホロドモル(飢餓殺人)、大粛正は、ジェノサイドの対象とはなっていない。評者はまずこのことに驚いた。
さて著者はジェノサイドの定義の拡大解釈の正当性を論じたうえで、1930年代のスターリンの大量虐殺のひとつひとつがそれに当てはまるのか検証する。それぞれの内容に応じて、ジェノサイド、ジェノサイド的、ジェノサイドに当てはまらない大量殺人と分類する。しかし、一貫してその背後に存在するのはスターリンの姿である。
20世紀は革命と暴力、そしてユートピア幻想にとりつかれた世紀であった。右の雄・ヒトラーの暴力については、おびただしい検証が積み重ねられ、当事者であるドイツ本国では、今なお、ナチ時代のドイツにいて国民が学習するという根気強い営みが続いている。しかし、それとは対照的に、ロシアではそんなことはないと訳者はいう。確かに言論の自由も情報の公開もない没後のソ連において歴史の見直しを進めるのは無理難題である。しかし「今世紀に入ってからも���史教育の指導要領で、スターリンの恐怖粛清政策は進歩と国防強化からみれば合理的だったとされているくらいだ」(訳者あとがき)とのことだ。
しかし、このドイツとの対比は、他人事ではないだろう。我が国において、先の大戦、そして戦争に限らず大日本帝国時代の負の遺産を根強く検証する営みは続けられているだろうかと誰何した場合、ロシアの現状を笑うことは決してできない。
スターリン時代の延長線上にロシアは存在する。だとすればスターリンとスターリン主義を理解することは現代を理解するうえでも必要不可欠である。だとすれば、私たち自身が歴史を検証することも同じように必要不可欠である。
ジェノサイドは決してなくなっていない。ルワンダやコソボの虐殺を例証するまでもない。そしてその検証をおこたることが何をもたらすのか--。考えておくべき今日的喫緊の課題である。
本書は翻訳で200頁と満たない薄くて軽い一書だが、その内容は重くのしかかってくる。
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著者のこの本の意見の骨子は、ナチスのホロコーストばかりがジェノサイドとして注目されるが、スターリンのジェノサイドも並ばずとも近い位置にはつけるだろうと
そしてスターリンのジェノサイドを150ページ程でコンパクトにまとめています
正直言って著者の意見には賛成なのですが、この本の読者層はスターリンの人生やその悪行など周知でしょうし、優れた研究書が数多く出ている今、更にこの一冊を付け加えるべきかはどうかと思います
スターリンをよく知らなくて、この本を初めてのとっかかりにする、というのなら素晴らしい本なのでしょうが
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<スターリン政権下での大量のソヴィエト国民の死を考える>
本文150ページ程度の本だが重い。
スターリン政権下で、非常に多くのソヴィエト国民が死亡したという。NKVDの数字では、1930年代から1953年までに処刑されたのが110~129万、特別移住地に強制移送されたのが600万(うち25パーセントが早期に死亡)、1600万~1700万が強制労働収容所に監禁され、有罪判決が300万、収容所の10%が早期死亡したという。途方もない数字だが、その他にもこれには含まれない少数民族の処刑や飢饉の犠牲者がいるという。
本書はこうした大量死を引き起こした計画の中心にいたのは常にスターリンであり、そしてこうした死がジェノサイドであることを主張している。
そもそも、スターリン独裁下での死は、国連によるジェノサイドの定義からは外れるという見方が大勢であるようであり、著者はその議論から始めている。
この辺り、学問的なことに加えて、政治的な意図が絡むようであり、門外漢としては安易に何かを言いにくい。大量殺人があり、スターリンがその原因であると考えるのが妥当であり、ジェノサイドと見なし得るものであろうけれども学者の見解も一致しているわけではない、という問題提起として、記憶に留めて置きたいと思う。
十分な議論が尽くされているように感じられないのは、スターリン時代の公文書が完全に公開されていないことにもよるのだろう。
具体的に事件として章が割かれているのは、
・富農(クラーク)撲滅
・飢餓殺人(ホロドモル)
・民族の強制移住
・「大恐怖政治」(大粛正)
である。
とりわけ印象に残るのは、農民を農地から強制的に排除した結果の穀物危機によるウクライナの大飢饉である。ただこの時期、ほかの地域でも飢饉は深刻であったようで、そのため、分析が困難である面もあるようだ。
巻末に参考文献が挙げられており、邦訳がある書籍もいくつかある。ここからはじめてさらに知るための出発点としても使える本だと思う。
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ジェノサイドという言葉はギリシャ語で人種を意味するgenosとラテン語の殺戮を意味するcaedesを合成した造語で、主にヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺を念頭に使用されるようになったらしい。そのためスターリンの命令により死へと追い込まれた多数の人々への結果として、この言葉を使うことに異論は多い。しかし著者はスターリンが行った虐殺はジェノサイドに当ると主張している。
この本は研究者を対象とした学術研究書なので、最初の一章をジェノサイドに関する定義づけに割いているが、一般読者にはあまり重要ではない。その後に述べられている悪行三昧のほうが興味深い。
ここから下は自分の独断と感想なので、著者の主張の要約ではないことを予めお断りしたい。理解不十分の面もお許し願いたい。
ヒトラーが効率的かつシステマティックにユダヤ人を殺戮していったのに対して、スターリンが行った虐殺のひとつは、ウクライナが飢饉に襲われときに何の救済もせず、さらには食料を求めての移動を禁止し、その当然の結果として数百万の餓死者を出したことだ。これは未必の故意と言っていいかもしれない。確かにこれをジェノサイドと言うのなら、金体制下の北朝鮮の飢餓もジェノサイドと言える。しかし、現代人がジェノサイドという言葉の響きから受ける印象とは若干外れている気がする。どちらかと言うと、ユダヤ人の知識人たちがジェノサイドという言葉を、絶滅収容所で行われたような殺戮だけに適用したいという考えに自分は近い。
また第二次大戦中にソ連内のカチンの森でポーランド将校約二万人を銃殺した事件も、スターリンのジェノサイドの一例として挙げられている。これも重大な戦争犯罪に違いないが、ヒトラーによるジェノサイドと比べると、規模だけに限れば小さい。
スターリンのジェノサイド例はまだ2つある。ロシア国内の富農(クラーク)の撲滅と、大粛清だ。こちらは現在でもどれだけの人が犠牲になったか正確には把握されていない。
ここも自分の勝手な感想だが、富農の撲滅というのはスターリンに限ったことではなく、中世の領主と農奴の関係のようで、または日本の地頭と小作農民のようなもので、考え方自体はとくに目新しい感じはしない。農民が飢えようが死のうが、非道な領主は搾取しつづける。これが一地方なら規模も小さいが、ソ連のような広大な領土の国家元首がやると悲惨なことになる。ソ連の場合はコルホーズやソフホーズと言った大規模農業に変革するために富農を排除したので状況は異なるが、その試みが失敗しても農民を救済しないところは、農民を所有物としか考えていない封建領主と同じと言っていい。
大粛清に関しては、もうほとんど中世の魔女狩りと一緒だ。スターリンに反対する者という告発がされたら、ほとんどの人間は助からない。罪を認めたら殺され、認めなくても死ぬまで拷問、または収容所送りで衰弱死する運命が待っている。スターリンはさながら異端審問の大審問官のごときだ。イデオロギーをいかようにでも解釈できる立場だ。どこの誰でも、側近でも、突然粛清の対象となる。そして疑心暗鬼が国民生活に覆いかぶさる告発社会とな��た。国民は平静を装いながら常に秘密警察の目を気にする生活だ。
全編を通して感じることは、スターリンは性急に人を殺したりしない、じわじわと追い込んでいく。激昂する代わりに冷笑して粛清する。凍った湖の中央に人々を追いやり、人々の重みで氷が割れるのを待ち、溺れ死ぬのを待つ。万に一つ、岸に泳ぎ着く者がいたなら、気分がよければ見逃すが、悪ければ櫂で再び突き落とすといったイメージだ。
ヒトラーは政敵を排除するときは本人だけを殺し、家族には手を出さなかったらしい。合理的で知能的な殺人者タイプと言える。スターリンは本人だけでなく、家族全員を殺したり収容所送りにした。極度の人間不信か、苦しむ人間を見るのが好きな性的サディズム型殺人者かもしれない。いずれにしろ二人はタイプが違う。
ヒトラーは効率的に一人種を絶滅させる方法を「考えた」が、スターリンの悪行は規模こそ違え、中世にその典型を見ることができる。
繰り返しになるが、ジェノサイドという言葉から受けるイメージとスターリンの悪行を重ねてみることには多少の違和感がある。ジェノサイドという言葉はヒトラーの悪魔的所業に当てはめて、スターリンにはまた別の、悪魔的所業にふさわしい言葉を当てればいいのではないかと思う。
それにしても怖いのは、いまだにスターリンの悪行の全貌がわからないことだ。ヒトラーの研究は戦後ドイツ国民の猛反省故に相当に進んでいるが、ロシアにはいまだに大粛清を社会主義国家建設のためには仕方ない必要悪だったという考え方があるらしい。
この明らかに危険な思想を蔓延させないためにも、スターリンの悪行の全容解明には更に力を入れるべきだし、日本の学校でも、もっと取り上げて教えてもいいのでないだろうか。