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正直、キワモノ興味で読んだのだが、実際読んでみたら、面白いルポだった。
著者は自ら「古美術に門外漢」というとおり、韓国語ができるライターというだけで最初この仕事を引き受けており、実際古版本について、文章による解説だけで「これほど酷似していて非なるものがあるだろうか。」(p.43)と頓珍漢なことを書いたり(印刷物だから元々複数の物が存在するのに)、「この頃[=高麗後期]の日本は、平安末期で、飛鳥時代に伝来した仏教は衰退していたが、次の鎌倉幕府で鎌倉仏教が盛んになると、中央、地方の豪族たちはこぞって寺院を建立し、仏像や絵巻物を求めて血眼になった。」(p.47)と驚くようなことを書いたり(平安末期に仏教が衰退!?)、さらには、金ぴかの仏像について「その派手な光沢がなんとも仏教にそぐわないように見えて」(p.106)と書いたり(金ぴかの仏像なんか日本を含め世界中にたくさんあって有り難がられていることも知らないんか?)、その金ぴか仏像にいくらかかったか誇らしげに言う韓国の僧侶の言葉に「仏教の理念とは、禁欲ではないのか。」(p.109)と信じがたいほどナイーヴなことを書いたり(昔から坊主丸儲けと言ってね…と諭したくなるわ)、突っ込み所は多々あれど、そんなものを吹き飛ばす意欲で、積極的に現場に赴いて突撃取材している。著者の新鮮な驚きも、生き生きした文章に表れているのかもしれない。
結局核心(特に高麗版大般若経と阿弥陀三尊像の現在の在り処)はわからないままで終わったが、窃盗の実行犯本人を含む取材相手(会えるまで何年もかかった相手もいた)たちは、普通だったら情報提供したいと思わないであろう日本人ライターに対して、結構いろいろなことを話しており、それも、少しでも手がかりがあれば現地に出向いて直接インタビューを試みる著者の粘りと行動力に呼応してのことだろう。
それにしても、元々自分たちの先祖(?)のものだったんだから犯罪で取り戻してもオッケ、と、泥棒が言うのは文字通り盗人猛々しいというだけのことだが、警官や果ては研究者(大学教授)まで平然と公言するお国柄には呆れ果て、改めて、倫理観や遵法意識の隔たりを感じさせる。窃盗実行犯の金国鎮が、自らが盗んだ高麗版経典について、「ああいう本は学会や図書館に保管して、万人が見られるようにしなければいけないのに。」(p.196)というのは正論だが、それができずに闇の世界に封じられることになったのは、不法手段でとってきたからだろ~に。しかも、何百年もの間(出来たときから数えれば千年!)纏まって継承されてきたものが、おそらく散逸してしまったのだ。自分らの貴重な文化的遺産の価値を自分らが損なっていることに気づけよ、と思う。
一方、金国鎮や「盗掘王」李泰圭(著者はこれにも直接取材している)のパワフルな経歴は、犯罪者ながら掘り下げれば非常に興味深い題材と思われるので、著者にはがんばって追及してほしいものだ。
被害者側では、鶴林寺の幹住職の阿弥陀像画奪回の執念と行動、叡福寺近藤住職の「拝んでくれる人のところにいかはったんなら、それはそれでええ思います。返ってきてくれたらとも思いますが、傷つけられずに残ってい���くれてるなら、うれしいです。」(p.121)という諦念(?)、共に貴重な高麗仏画を盗まれた両住職のあり方が、対象的ながらともに印象的だった。