紙の本
読者のツボを外す作家
2012/12/01 14:07
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投稿者:アカゴン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「信長」「秀吉」「左馬助」の3部作を読み、すっかり作者の虜になっている。
その作者が、時代は同じではあるが違うターゲットにしたのが「宮本武蔵」。
宮本武蔵のクライマックスである「巌流島の戦い」に向かって進むのかと思いきや、
「巌流島の戦い」は上巻であっさりと描かれてしまう。
本当に、「読者のツボを外すのがうまい」作家だと思う。
一気に下巻に突入してしまった。
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早々に小次郎との試合。これまでの宮本武蔵の小説とは趣が異なる。小次郎がキリシタン故仕官先から狙われたというのも目新しい。2017.2.19
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歴史ミステリーの俊英、加藤廣の描く宮本武蔵。佐々木小次郎をキリシタンにして刺客にする設定は面白いと感じた。巌流島の決闘にもいろいろな逸話があるけど、こー設定したのかと唸ってしまった。上巻は巌流島の決闘を経て、武蔵が「武」への固執からいわゆる求道者になっていく様子を描く。他の宮本武蔵像との比較してみたら楽しいと感じた。
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1 宮本武蔵の人生ってどんなものか知らないなぁ。
2 バガボンドの宮本武蔵が面白かったなぁ。
上記の理由から読むことにした。
宮本武蔵といえば佐々木小次郎との巌流島での戦いが有名でむしろ他の時に何をしたのかあまり知らない人だと思う。
漫画「バガボンド」を読んだことのある人なら感じると思うが、この漫画の宮本武蔵はとてもかっこよく、その、イメージで読み始めた。
ただこの本は巌流島の戦いは前半で終わる。
宮本武蔵の話としては、巌流島の戦いは分厚く書かれる部分だと思っていた私としては、あっけなく終わるこの戦いの内容にちょっと驚いた。
ただそこは加藤廣の小説。
この本の核は宮本武蔵が苦しみながら生きていた理由は何か。なかなか上手くいかない宮本武蔵の人生に焦点が当ててあった。
現在まで名を残した宮本武蔵。
かっこいい人生を送ったのか。と思っていたら、そうでなく、悩みの連続だった人生だった。
歴史に名を残した人でも普通の人並みに悩んでいたことが分かる本だった。
最後に、とがっていた宮本武蔵が他の人から学ぶ(真似ぶ)ことによって変わっていく様はとても勉強になった。
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《本文より》
「剣は愚者の慰み物だ!恥を知るがよい。」
「なぜ愚者の慰み物だ。理由を言え!」
「ほう。坊主、言うな」
「坊主に坊主と言われる理由はない」
「では、名を言え」
「平田弁之助だ」
「剣は一人の敵、学ぶに足らず(剣一人敵不足学)」
「俺は多数を相手に戦える。いや、今度の関ヶ原の戦いでも実際戦ってきたぞ」
「多数?」
「若い者が曖昧な言葉を使うな。その多数とは、何千じゃ、何万じゃ」
・・・・・・
「それみろ。答えられまい。たかだか十人までであろうが。そんな虫けらの返り血ぐらいのものじゃろうが」
「あの座敷の上を歩けるかな」
「お許しをいただければ、歩けると存じます」
「構わぬ、踏んでよい」
「ならば、歩けます」
「では、あの座敷が目の高さまで上がったらどうだ」
「はて、それは、なかなか難しゅうございます」
「では、敷居の幅を一尺に拡げたらどうだ」
「それなら、容易でございます」
「では、その幅広は一尺の敷居を、百丈の高さに上げたらどうじゃ。それでも渡れるか」
「それは、また難しゅうございます」
「なぜじゃ」
「恐いからです」
「正直で宜しい。だが、同じ敷居が目の高さなら恐くなく、百丈だと恐くなる。なぜじゃ」
「さて」
「目か。そなたの恐さを招くのは」
「いえ、目をつぶれば、かえって恐ろしい」
「では、なんだ。その恐ろしさの元は」
「高いところを渡っているという心のなせるわざでございましょう」
「そうだ。なれば、その心を消せ。心を無にしたらどうか」
「さて、どうでしょうか。したくても、回りの百丈の光景が頭にちらついてできぬとぞんじます」
「当り前だ。今の若さで心が簡単に無にできるなら、この妙心寺も坊主も要らぬな。
わはははは」
剣も同じだと武蔵は思った。
自分の技を信じ、心を無にすれば恐怖心が消える。恐怖心が消えれば、相手の心が読めてくる。
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宮本武蔵といえば吉川英治だよなと思いつつ手に取った。著者は歴史小説の大家のようで、初めて読むのだが、色々解説が散りばめられていて大家の雰囲気を漂わせている。中年のならず者感漂う武蔵像と、細川家の切支丹対策の事情とが折り重なって描かれており、なかなか読み応えがあった。上巻で佐々木小次郎を破り細川家を脱して京都に戻ってしまうのだが、下巻は何を描くんだろうか。食指が動かない。