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芸人マキタスポーツの新書。
普段、東京ポッド許可局で彼が語ってるが整理された感じ。
メタからベタへの転向を勧めながら、本書は、メタ視点で、ツッコミ高ボケ低をキーワードに現代をするどく語っている。
ツッコミが蔓延した息苦しい社会において、ボケ側に転じる新しい生き方を提案している。
お笑い好きは必読。そうじゃない人も、今の時代を理解する上で、非常に参考になる本でしょう。
奇しくも、一億総ツッコミ時代を作り出したダウンタウンの長寿番組が終わろうとしている。時代が変わろうとしている兆候なかもしれない。
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http://seigerecht.blog.fc2.com/blog-entry-265.html
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メタからベタへ。ツッコミからボケへ。
マキタスポーツは現代日本の文化を因数分解し、微分を積分し、笑を加味するプロだから、シンプルでユニークな内容となっている。
自分はどうかな?と、考える。神輿というのは、確実にボケだし。結婚というのはボケなのだが、ツッコミという防御は日常やSNSで好んで使う武器であったりするなあ。
ただ自らをボケにする行為は楽しいし、世界が広がるのは事実。そこをこれまたいくつもの実例をあげています。マキタさん、過剰奉仕。
メタなシトも、ベタなシトも、ツッコミなシトも、ボケなシトも読んで欲しい。さらりとわかりやすい良書。
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著者の芸名が「マキタスポーツ」であると知り即購入。
文筆活動もなさっていたとは。寡聞にして存じ上げませんでした。
現代の閉塞感を「お笑い」の観点から分析、そして提言。
今の世の中、とにかく何にでも批評を加えたがる人(ツッコミ)が多すぎる。彼らがツッコみたがるのは、ツッコむだけなら楽だから。そして何より、自分がツッコまれる事を恐れているから。
でもツッコまれる側(ボケ)の人達というのは、何かに夢中だったり一生懸命だったりするからこそツッコまれる余地があるのであって、本当はそっちの方がオイシくないですか?他人のアラ探しに終始するより、そんなの気にしないで主体的にガンガン生きた方が人生楽しくないですか?っていう。
完全に他罰的・攻撃的になってしまった「ツッコミ」の蔓延、という指摘に目から鱗。いやそれ通り越して猛省。やってる。私超やってる。テレビ見ながらめっちゃツッコんでる。違う、それはツッコミではなくただの文句。愚にもつかない感情的な言い掛かりをツッコミと混同している。恥じろ私。
槙田氏の仰る「減点法ではなく加点法による面白がり方」、ホント今日から実践します。
ちなみに星海社新書というレーベル自体も初体験だったのですが、目録に記された編集長の檄文「武器としての教養」にシビれました。
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・・・”何から何までツッコまれていく生きにくい社会”そうした中で”ボケ”に向かってみよう、というコンセプトの本書。
確かに、”噛んだ”程度でツッコミがくるような社会はうっとうしくもありますね。おおらかさがなくなってきているというか。そうした意味では私と意見を同一する書ともとれるのですが、こうした評自体もまた”上から目線のツッコミ”ということになるんでしょうね。自戒・自省を促された一冊でした。
・・・ちょっと生きにくさを感じている社会人・学生の方におすすめかと。
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1時間ちょっとで読了。
ヒトの思考行動様式を簡略化&分類しているこの本自体が単なるツッコミだけの本じゃないか!とツッコミたくなるのをぐっとこらえて読んだら、面白かった。
肥大化した自我でヘトヘトな自分には良いクスリ。
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リアルの場でも、SNSの場でも、身の回りには批判ばかりする人が多い現代。この本は、非常に窮屈で、息苦しい「一億総ツッコミ時代」を生き抜く指南書。もっと自由に、もっと楽に生きたい人にぜひ読んでいただきたい。自分のことを好きになれるはず。
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槙田 雄司という芸人の書いた本。
松本人志が登場してからお笑いは自分の力を誇示するための武器になった。
権力を崩すための笑いが、いつしか権力になっていた。
ボケに回されたらいじめられ、スクールカーストの下にされるという認識が社会に広まった。だからボケるときは「予防線を張りながら敢えてボケる」というスタンスを取るようになる。
意図的にボケたものは格好良いけれど、他者からボケを探り起こされたらカッコ悪い。
だから自分のボケを他人に見せないように、そして他人のボケを探り起こそうとする。
今はそれがどんどん過剰になってちょっとでも噛んだり、ベタなことに心酔したり、空気の読めないことをしたらボケ扱いされる。
おい、それって流石に行き過ぎじゃねーか、っていうかそうやって評論家面した斜に構えた奴らが蔓延した世の中が本当に「面白い」のか?
もっとベタに生きようぜ、もっと自分の道理に合わないことも受け入れようぜ、ボケにまわってツッコまれることを良しとしようぜっていうのが本著の言いたいことだ。
確かに江頭、出川、イモト、上島竜兵、AKB、アニマル浜口、太田光、戦場カメラマン、森三中などなどツッコミの餌食にされる人って重要だよね。
なんでもかんでも笑いのモノサシで人を評価する風潮は良くないよね。
それがしばらく過剰になりすぎた。
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世の中の「お笑い」指向になんとなくモヤモヤするものを感じていたのだが、それをきちんと言語化してくれた本。
話にオチを求めるのは関西(大阪?)文化なんじゃないの?と思うし、一般的に男性の方がオチもしくは結論のない話を嫌う傾向があると思うんだけど、ちょっと言葉を言い間違えたり、噛んだりしたくらいでいちいち指摘する傾向は確かに鬱陶しい。
ネットを見ているとメタ視線で評論家的なことを書いている人も多くて、私なんかはすごいなあといつも感心していたものだけど、そしてそんなふうに書けない自分が情けないなあと思っていたのだけれど、でも、そういう素人評論家は別になにかの理論や根拠を持っているわけじゃなく、単に自分の好き嫌いを客観的な書き方を使って表明しているだけなんだな。
私は自分の好き嫌いでしか語れない。
ブログを書くときは少しは他人の視線を気にするけれども。
「メタ視線」にあこがれていたけど、これからはベタで行こうかな。
最近よくテレビでマキタスポーツさんを見かけるようになって、この人おもしろいなと思っていた。本書の内容からすると、ご本人もまた「メタ」と「ベタ」の狭間で揺れてるような気がして、さらに親近感がわきました。
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たまたま書店で目に入って買った本。
槙田雄司って誰?と思ったけど、マキタスポーツのことだった。
本書では、ツッコミとボケという概念で現代社会を論じている。
ダウンタウンによって、一億総松本人志化が進み、お笑いのタームが一般化した。
その結果、一億総ツッコミ時代になったと。
なぜ、ボケではなくツッコミが多いのかというとツッコミの方がローリスクでお手軽に参加できるからだそうだ。
そのため、多くの人はツッコまれないよう――つまり、ボケ側にまわらないように常に気を張り詰めなければいけない生きづら社会になっている。
このようなツッコミ過多の時代では、今こそボケが必要だと著者は述べている。
ボケ=ベタという表現を用いて、著者はこのボケという概念を説明している。
ベタに生きる脇の甘い人になれ!と。
詳細は読んで確かめて。
後半のベタ押しはそこまで同意できなかったけれども、前半の一億総ツッコミ社会というのはすごく納得のいく表現だった。
確かにみんなつまらないくせにやけに笑いにもっていこうとする。
そこで使われている技術も要は『ダウンタウンのごっつええ感じ』で広まったもの。
つまり、15年以上も前の技術だ。
そんな古い笑いを無理矢理コミュニケーションに押し込もうとする世の流れには自分的も辟易していた。
なにもみんなおもしろくなる必要なんてないし、そもそもみんなつまらないんだから。
できもしない笑いに固執するのはやめるべきだと思う。
笑いという補助線で現代社会を見るというのは新しい発見でした。
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気の利いたブログ以下の内容 820円の価値はない
(追記)
最後の部分を読まずに以上の感想を書いてしまった事を反省。
自分が愚かだった。
内容というか論理的根拠の部分は本当に「個人の感想」以上でも以下でもないので気の利いたブログ以下の内容というのは変わりない。
でも「人と違う」事をひたすら賞賛する自己啓発本の類にはない、温かみというか著者の人徳が伝わった。
ベタでも埋もれても群衆の一人でもいいから、優しく大きな器であれというのは「実はかっこいい大人」にになるための必要な考え方なんだろう。
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世の中は「ツッコミ高ボケ低」(西高東低をもじった表現)だから、みんなもっとボケになっていきましょうよという話。
マキタスポーツさん(彼の芸名)のいう、自己防衛のための”ツッコミ”という発想がすごく面白いと思った。
絶妙な毒気と分析力にぐいぐい引き込まれて、さくっと読める1冊。
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現代を、息苦しいツッコミ時代と見る。ツッコミ過多でだれもが誰かを叩こうとする今、必要なのはボケでありベタだと。同感。
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変に一歩引いて,「こんなのはダメだ」と突っ込み目線で見るよりは,素直に自分の好きなことをやって,ベタなことも素直にやってみる方が楽しいよね.
自分も年をとったからか,マキタさんのいうことが身にしみてわかるような気がします.若いときに読んだら自分のこととして考えることはなかったかもしれないね.
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くだらないことが好きと言っておきながら、くだらないツッコミをいれていた自分に閉口したのは事実。それよりも誰からもツッコまれなくてもいいからボケ倒すようにくだらないことを考えなくては。
なんだこのタイトルはと思い、手に取ったが最期、槙田雄司は芸人マキタスポーツだった。
彼が何を言わんとすることは、両手を広げて届く範囲の世界から出てこいというところだろうか。何かを得るためにはその世界から出ないといけない、しかしその世界から出ることは同時に失う可能性もあるということ。そのリスク背負わずに、一生外野をやってる場合か!といったところだろう。
何かに一生懸命であることが素晴らしいボケだからこそ、他人はツッコミたくなる。そうなのだろう。どちらが美しいかは歴然だが。
ツッコミという観点で切ってみましたがいかがでしょうといった、作品でした。