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「日本の社会では、依存症は本人の意志ややる気ではどうにもできない病気なんだっていうことは、いまだ理解されていない」(p.107)。そういう、どうにもできない病気とともに生きてきた人たちが、ひとつひとつの言葉を発し、仲間とわかちあいながら考えたこと、感じてきたことが書かれている本。
ちょっと誤解を受けそうなタイトルが案じられるけれど、これは『その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち』につながる内容。「嵐」のあとをどう生きていくかは、多かれ少なかれ、この同じ社会に生きていれば、誰にも通じるところがある。
とはいうものの、子どもとして守られるとか、自分を大切にする経験を積んでくることができなかったために、たとえば「人権」といっても、この本を書いた人たちのなかには、学校で習ってもそんなのは全然実感がなかった、という記憶がある。
それが、〈人権(仮)〉の研究という章にいろいろと書いてある。人権に(仮)とつける感覚、そういう感覚をもつ人たちがいるということは、人権教育が大事とか人権ナントカが必要とかいうときに、ほとんど全く考えられてなかったんちゃうかと思う。
憲法には基本的人権とか書いてあるし、誰にとっても当然の権利だと言われるそれが、アタリマエのものだと言われるそれが、自分のこととは思えなかった、自分にそんなものがあるとは思えなかったと。そういう人にとって、(仮)と付けずにいられない人権とは、どんなものだったか。
▼「社会の授業で「基本的人権」ということばを学んだけど、ぜんぜん実感がなかった。学校でも家でも、私にはそんなものはないんだ、としか思えなかったから」。
みんなが共感した。学校で習うことや、世の中で正しいと言われること、つまりみんながあたりまえだと思っていることと、あたしたちの現実とのあいだには、大きなへだたりや矛盾があった。それを仲間たちは小さいころから身に染みて感じてきたということ。(p.106)
▼…あたしたちには、自分が大事にされたり、自分を大事にすることへの根深いなじめなさのようなものがある。だから、世の中と自分へのうしろめたさのようなものをつねに抱えてしまい、結果、「権利」なんてとてもじゃないけど主張できるわけないじゃん…って思ってしまう、ってことなんだ。
〈人権〉ということばは、そんなあたしたちにとって、遠い遠いかなたにあるようなものに、どうしても感じてしまうというわけ。このことばのあとに、カッコ仮、とつけてしまうのは、こんな理由があるからなんだ。(p.109)
▼こどもとして守られた、という経験の蓄積がなければ、「信頼」や「安全」、まして〈人権(仮)〉ということばを、リアリティをもって理解することや感覚としてわかることは、とてもむずかしいんじゃないかと、あたしたちは、今回の「研究」の中で話し合った。そういうことばにどれだけリアリティがあるかは、自分が大切にされた回数とも関係あるんじゃないかという意見も出た。与えられたモノの量とは関係ないよね、という発言もあった。(p.131)
▼こころのなかにしまい込んだた���さんの気持ちを、ひとつずつこうしてことばにして、みんなで分かち合っていくうちに、あたしたちに必要なこと、そして新しい生きかたが少しずつ見えてくる。
こういう作業は、自分じしんのいままでを見つめることにも重なって、少しつらい気持ちになることのほうが多い。でも、こうしてみると、あたしたちが必要だったもの、いま、必要なもの、そしてこれから生きのびていくために必要なもの。それは、あたりまえの、人間としての権利、つまり、正々堂々ともとめていってもいいことなんじゃないか、と思えてくる。「じ・ん・け・ん・く・だ・さ・い」って言っても、ぜんぜんいいんじゃないかって、思えてくる。(p。146)
そう思えてくるまでには、長い長い長い時間がかかる。そうして、自分も正々堂々と「人権ください」と言ってもいいのだと思えたとしても、それは思いのほか危ういものなのだと、震災を経て、川畑知江さんが"「林」と「広場」のあいだから"と題して書いている。
この川端さんの文章を読んでいて、『We』173号でくにやんが言うてたことが、いろいろと思い出された。支援て何やろっていうことも、「地域で生きる」とか「地域移行」とかいうことも。「地域で生きる」という、その場へ支援に来る人たちは、仕事が終わるとどこかへ帰っていく。ここと、支援者の帰る先は、同じ「地域」なん?それとも違うところなのか?
▼…支援者として林へ来てくれるひとたちとも、友だちみたいになかよくなった、でも彼らは、時間がくれば広場の明るいおうちへ帰れるんだよな、とうらやましく思う。私に帰るところはない。森の記憶は身体の中にずうっとあって、のがれられない。(p.150)
▼…震災までは、私は広場にいたよね? 私もおなじ人間なんだ、って思えてたよね?
でも、〈人権〉ってこんなにも、あやういものなんだ…そう思い知ったときに、ハウスでみんなとしてた話を思い出した。〈人権〉は私たちにとって、ついたり消えたりするものだ、って話を。
「みっついっぺんになくした人をたすけるしくみは、この国にはないんだ」って、日雇いの工場の仕事へ向かう電車の中で、よく考えた。
「住むところ」「家族、実家」「仕事」「お金」「健康」のうち、なくすのがふたつくらいまではなんとかなる。でも、みっつ重なるともう自分では抜け出せない、なのにこの国に、みっつ重なった人を助けるしくみはない。ハウスの仲間たちみたいな暴力サバイバーは「家族」「健康」をそもそも失っていることが多いのに。
「この国に生きていてはいけない人間なんだ」。毎日そう思った。すると、からだから生きていく力が漏れていくんだ。わき腹に穴があいていて、エネルギーがどぼどぼこぼれてる感じがした。
…(略)…
〈人権〉は、困ったときに困ったと言えて、それが聞きとどけられて、立ち上がるのに必要な助けがあることだ。(pp.152-153)
川端さんの、「みっついっぺんになくした人をたすけるしくみは、この国にはないんだ」という言葉がつきささる。「住むところ」「家族、実家」「仕事」「お金」「健康」、このうちなくすのがふたつくらいまではなんとかなる。でも、みっつになると、なんとかなるとは言いがたい���
「仲間たちの話の中で、あたりちゃんが、虐待と記憶ということや、暴力について支援者が諭す相手を間違えてるんちゃうかと話してるところ、そしてハルエさんが、依存がどれだけよく効くクスリか、自分が楽しんではいけないと思っていた理由について話してるところは、とくに書きとめておこうと思った。
・あたりちゃんの話
▼最近、私がちょっと傷ついたのは、授業中に、記憶といつわりの話になったときかな。父親から性虐待を受けてきたっていう女の子の話なんだけど、先生が言うには、じつは、虐待を受けてないのに受けたんですということがあるとか、そもそも記憶ちがいの場合があります、って。学校の先生の言うことがすべて真実じゃないってことはわかってるけど、でもね、一度でも虐待を受けた人間はずっとおぼえてるの。記憶ちがいとかウソとか、かんたんに言わないでほしい。(p.69)
▼そういえばこのあいだ、たまたまある講演会みたいのを聞きに行ったんだけど、その中で、ある人が「売春は自傷行為だ」「売春は暴力だ」って、売春してる女の子にさとしてる、っていう話があったの。
私はなんとなく違和感があったな。そういうふうにさとしてる人は、少女の売春にくわしくて、なんとかそれを防がなくては、っていつもがんばってる支援者だから、それじたいはすごいな、なかなかできることじゃないなって思うんだけど、でもね、とくに「暴力だ」って、さとす相手をまちがえてる気がするんだ。暴力は売るほうの問題? そうじゃないんじゃないかって。買うほうのおじさんも「こんなことしちゃダメだよ、自分を傷つけるのはよくないよ…」ってよく言うよね? じゃ、どっちもおんなじじゃん?
あと、売春って、ほんとうにデメリットしかないのかな、って思う。…(略)…「自傷行為だ、暴力だ」ってだれかに断言されちゃうと、売春してる女の子や女の人は、どんなタイプでも、どんな事情があったとしても、全員がそれにこたえるように演技するしかなくならない?…(略)…
それにね、なんだかそういう言いかたって、一見、正しいみたいな感じがするけど、本人に本当のことをなんにも話せなくさせてしまうんじゃないのかな。だからなんとなく私は、違和感、感じたんだと思う。…(略)…
…(略)…
話もどるけど、会のとちゅうで、そんなこと頭の中でぐるぐる勝手に考えてたら、主宰者のうちのひとりが「支援者が傲慢になっちゃいけないんじゃないか」って言ってくれたの。私もようするにそういうことが言いたかったのかなって思って、なんとなくほっとした。(pp.71-73)
・ハルエさんの話
▼女性の依存症なんて、あたしだってそれまで聞いたこともなかった。だから自分がそうなんだと認めることは、家族に恥をかかせることだと思っていたし、そんな自分に心底、絶望していたけれど、からだがしびれて、震えて、冷たくて、頭だけ熱くて、めちゃくちゃイライラしていた。地理とかにも混乱していて、知っているところに行きつくことができなくなっていた。(p.90)
▼依存症っていうのは、自分のこころの中に、大きな穴があいたような状態のことなんだ。
じゅくじゅくするような、それでいて空っぽな痛み。
それを忘れるために、「依存」ほど、よくきくクスリはない。…(略)…
…(略)…依存症の人は、いってみれば、ずっと立ち直れない状態が続いているようなものなんだ。こころの痛みがいつまでもとまらない、自分はダメな人間で、生きている資格も意味もない、だから自分なんていつ死んでもいい、と思いつづける。
なぜなんだろう。
あたしの場合、ずっとあとになって気がついたんだけど、自分が楽しく過ごすことは、なくなった友だちたちのことをまるで忘れてしまうみたいで、だからそんなことはぜったいに許せなかったんだと思う。自分だけ生きのびてしまったこと、生き残ってしまったことへのうしろめたさ、って言ってもいいのかもしれない。だからあたしは楽しんだりしちゃいけないんだ、って。長いこと、それはことばにならなかったけれど、こころの奥深いところで、ずっとそう感じていたんだと思う。
でも、そんなことはすぐにはわからないんだ。自分がなにを感じていたのかがわかるには、そしてそれをことばにできるようになるには、長い長い時間が必要だったりするものなんだね。(pp.95-96)
巻末の「もしも、お母さんが「死にたい」と言ったら」の章は、きっと、すごく大事なことだ。おとなも、こどもも、困ったときは「困った」と言っていいし、「助けて!!」と言っていい。なかなか言えなかったりもするけれど、そう言ったときに、ほいきたと助け船を出してくれた人が何人もいたと、ハルエさんは書く。なかなか人を信じられなくて、時間がかかっても、困ったとか助けてと言って、助けてもらえた経験を、ひとつひとつ積んでいくことで、それは自分の〈権利〉なんだと、だんだん感じられるようになるかもしれないのだ。
(2/24了)
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薬物やアルコールなどの依存症の女性たちの回復と社会的な自立を支援する「ダルク女性ハウス」のメンバーのエピソードや、その中でのやりとりの様子がまとめられています。読みやすく濃い内容の一冊です。
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犯罪と書いて「みち」と読む。
薬物依存症のリハビリ施設「ダルク」の代表が著者。
後半の章には、依存症の母親をもつ子供に対するメッセージも。人生に大切なことは、「助けを求めること」ただそれだけだと。
薬物依存は意志が弱いからではなく、圧倒的な渇望であり、障害である。
崖に落とされても、森で道迷っても、落とし穴にはまっても、それでも日の当たる場所へ向かえるような環境をつくらねばいけないのだろう。
読みながら、人間の愚かさと愛おしさ、そして「生きのびたい」という強い思いに心を打たれた。
ただひたすら、ただひたむきに、同じ目線で、耳をすますこと。傲慢さを身に纏わないこと。そして、生きよう。そう感じた。
2013.1.5
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あなたにも私にも人権があるという原点を確かなものにする長い道のり。そしてついたり消えたりして確かなものにならないかもしれないけど生き延びようよ、というメッセージ。
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やっぱこのシリーズは、インパクトがすごい。
本書はおもに依存症をテーマとして、そのようなひとたちがどのような想いで、どんな生活をしているのか、綴られている。
とにかく、壮絶。子どものころからいくつもの友達の死に出会い、自分の死についても考えさせられるなんて、どんな人生やろうか。
「人間に対する不信感」のような感情についても取り上げられていましたが、これもその辺の人間不信とはそもそも根っこがちゃうんかなと思いました。
ほんとうに、読むと自分の世界観が広がる本やと思います。ただ単純に、それだけでも読む価値があると思う。やさしくならなければ。
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問題行動といわれる事の陰には
いろいろな原因がある
困った人は
困ってる人
そうなんですね。きっと
でも自分が実際迷惑を被っちゃうと
優しくなれなかったりするけれど
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薬物・アルコール依存症の女性のための施設の主催者が書いた本。
依存症は自分の人生はもとより他人の人生にも「迷惑」をかけるものだけど、薬物の場合は使う(所持する)時点で犯罪になる。
法律違反なり自傷他害なりの犯罪をおかしてしまうのはなぜなのか。
ここで扱われる人たちの「罪の犯し方」は自傷とリンクしている。
生きていくために罪を犯す。
それはたとえば困窮して食い逃げするような「食うための罪」とはちょっと違う。
精神を死なせないため、自殺しないための目くらましに近い。
怖いものばかりみてきた人は外が怖すぎて動けない。
怖いものをみずにすむように目をつぶりなんとか歩く。だけど目をつぶって歩くのは危険。
そういう危険な歩き方しかできなくなってしまった人に読んでほしいと願って書かれた、「目を開けても大丈夫だよ、怖いものばかりではないよ」というメッセージのつまった本。
ものすごくやさしく書かれているから、むしろちょっと読みにくいと初めは思った。
でもこれは私のための本じゃなくて、自分を助けるための本(情報)に手が届かない、本なんか読んでる余裕のない人のための本だからこれでいい。
「あたりまえ」が環境によって変わってしまうことは知っているつもりだったけれど、具体例(たとえば「選挙」への敷居の高さ)に愕然とした。
人権や政治・社会参加や知識や社会保障、みんな必要な人にほど届かない。
図やイラストは理解の助けになりにくい気がする。
ミーティングで出てきたものをそのまま使っているような感じ。
話し合う場のために描かれたものは、会話の補助にはなるけれど文章の補助にはなりにくい。
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犯罪(みち)なんて、センセーショナルな…って思ったんだけど、読んでるとちょっとだけ自分にも似てるところがあったり、でもぜんぜん共感できないわからないところもあったり。色んな人に読んでほしいなあ。
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衝撃的なタイトルに惹かれて思わず手にとりました。
女性の「依存症」についての本。
改めて「人権」という言葉の重さを感じました。
社会の中で自分の生きている環境以外に目を向けるのは、これからも続けていかなければいけないなと強く思わされました。
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薬はやってはいけない、アルコール中毒にはなってはいけない、なるのはその人が悪い。そういうことばかり教えられてきたが、当人がなぜそのようになったか、どうやったら立ち直れるかなどを教えられなかったと気づかされた。
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女性のための薬物依存症回復施設・ダルク女性ハウスの代表である上岡陽江さんと同施設のスタッフの方々が語る、薬物依存やアルコール依存に至った「あたしだけのつらい体験」。
「犯罪って悪いことなんだよ!」的な正論を声高に叫ぶことが好きな人には読んでほしい。読んでその正論が如何に人を救わないかを思い知ってほしい。
そしてここに、思い知らされた愚か者が1人。私だ。
誤解されそうなタイトルですが、「生きのびるためには罪を犯してもいい」なんて暴論ではありません。「罪は犯したけど生きるためだから仕方ないじゃん」という開き直りでもありません。
薬物依存症患者自らが人生を振り返り、なぜクスリに手を出してしまったのか?これからどう生きていこうか?そのためには何が必要なのか?を模索していく、非常に前向きな内容でした。
私には本書に登場する女性達のような経験はありませんが、だからこそ「傲慢な支援者」になってしまう危険性を孕んでいるのではあるまいか。それに気付かせていただきました。本当に読んで良かったです。
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なんていうか…ほんとに、よく生きのびてきたよね。
私はダルクの人たちよりは全然楽で幸運だったけど、人ごとじゃないなぁ。
〈人権(仮)〉か…。安全な場所…。
武蔵野ダルク(東京)http://www.m-darc.jp/ 0428-43-2204
2013年に開所。結構最近だ。
ジャパンマック あらゆる依存症 http://japanmac.or.jp/ 03-5974-5091
人権 http://jp.humanrights.com/about-us/what-is-united-for-human-rights.html
東京都女性相談センター http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/sodan/j_soudan.html
『あしながおじさん』ウェブスター
『大聖堂』レイモンド・カーヴァー
『ライ麦畑でつかまえて』サリンジャー
『むかし、あけぼの』田辺聖子
『記憶・兆候・外傷』中井久夫
『家父長制と資本制』上野千鶴子
家庭で、まともな会話が一月無いのって、非常事態らしい。
震災の時に、自分に人権があることを感じたという話で、戦災は社会全体の厄災、トラウマだったから、それが個人に与える影響は少ないとカウンセラーに言われたのを思い出した。でもそれって、本当なの?私の実家が、絶えていた方が自然レベルのおかしい家であることに、戦争の影響はほとんどないんだって。えぇ~、…そうなの?
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中学生向け?と思われるが、
ぜひ多くの人に読んでほしい本。
覚せい剤やアルコール依存症にならざるえなかった人、
なってしまうと、変わる世界の秩序など
価値観の相対化に役立つ。
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依存症は病気。
という本。
当事者の本音と実情が読める。
口語体は読みやすいのだけど、もう少し、客観的に書いてあると、尚よいかと思う。
言葉が足りなくて、知らない人には、一瞬なんのことやら?という部分がなくもない。
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「人生の中でほんとうに大切なことは、困ったときに、困っている、助けてほしい!!と言えることだけだと、あたしは思う。」178ページ
「自分がなにを感じていたのかがわかるには、そしてそれをことばにできるようになるには、長い長い時間が必要だったりするものなんだね。」96ページ
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上岡陽江さんの体験談の中に ”「地獄の底」は豊かだった” ということばがあって。「シャーマン」の語源が「闇を見たもの」であることを思い起こした。
ただ、そばにいる。
もし変えるべきものがあるとすれば、それはその人じゃなく、その命が自由にあることを邪魔する環境の方なのだということを、教えてくれる一冊。
傷をもつ人は、傷口がうずく可能性あり。でも、困ったら頼り先の番号も載ってるので「助けて」と言ってみたらいいから、読んでみてほしい。