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生まれてはじめて読んだ戯曲。舞台はアメリカのニューオリアンズ。落ちぶれた名家の娘ブランチは、妹とその夫スタンリーの暮らす家に身を寄せる。「古き良きアメリカ」の時代を引きずりブランチと「新しいアメリカ」の価値観に生きるスタンリーの対立を軸に悲惨な物語が展開される…。
残酷な時代の変化についていけない人の厳しい宿命を感じた。ブランチはあまりに繊細で、新しい時代を受け入れられなかったんだと思う。人間には輝かしい過去を捨て、厳しい現在を生き抜くしたたかさが必要なんだと思う。
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「欲望という名の電車」なんて題名からわかるように、とても象徴的なおはなし。テネシー・ウィリアムスの作品はなぜだかわからないけど、そのストリーがいつも頭の中で煤けた壁に映し出される8ミリフィルムみたいになって流れだす。ことばがクリアにイメージされるんじゃなくて、うす汚れた鏡にことばがうつしだされるような、そんな不透明だがなぜか惹きつけられるような、そんな不思議なイメージの世界。たぶん劇中に流れる音楽であるとか、幕にはられた紗のカーテンとか、作品を象徴化するような舞台装置と、ことば自体によって語れる薄汚れながらも哀愁を感じさせる世界観、そういったものが混じりに混じって彼の作品の魅力を形成しているのだと思う。多分「ガラスの動物園」は、そんな魅力がたくさんつまった作品だ。ただ、「欲望という名の列車」について語るときは、それだけではどうも不十分なような気がしてくる。テネシーは明らかに、処女作の「ガラスの動物園」の延長線上に、そしてそれを突きやぶるかたちでこの作品を書いている気がする。彼が「ガラスの動物園」で「現実の残酷さ」の暗い波を足下ちかくまで忍ばせながらも、ただ一人最後までそれにつかることなく、ひとり美しいまま物語を閉じたローラを、今作は、その例外さえも飲み込むように、「欲望」という列車にのせ、否応なく現実の粗暴さに対面させようとしている。労働者階級と資本家階級、決して交わることがなかった両者がついに完全に向き合わされるとき、ブランチ、いやローラは、混沌に陥り、狂気するのである。そしてその狂気を、象徴性を突き進めるかたちによって描くことで(例えば本作では音が狂気を増幅させるために使用される)、まさに前作でガラスに例えらたれうつくしさが、まるで蝶番が反転したかのように、グロテスさや現実の生々しさに変容する。ぼくはその変容におそれおののきながら、「ガラスの動物園」で描かれていたあのはかないうつくしさは、狂気と隣り合わせであったからこそうつくしさなのだと、いまさらながら気づかされた。( 欲望=ブランチ not スタンリー)
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恩田陸さんの「チョコレートコスモス」に出てきた戯曲で、面白そうだったので。
途中までは主人公のブランチに共感出来て、そこそこ楽しく読めました。
けど最後のあたりは、ブランチがだんだんと壊れていく描写が怖すぎました……。
けど物語に全体に漂う陰鬱とした雰囲気は嫌いじゃないです。
基本的に、登場人物達が内面で悶々と悩むものが好きなのかな。
サリンジャーとかチェーホフとか。
テネシー・ウィリアムズは、作者本人がそんな感じですよね。
実際、名声を得ながらも孤独感を生涯背をいつづけて、私生活も荒れてたらしいし。
ブランチは自分自身であると言っているように、まさにブランチも内面に孤独感や不安感を持ち続けている人。
そんな人が私は堪らなく好きなんだよなぁ…
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この作品の持つ強いリアリティが、劇の進行と共にしだいに暗い影を落とし、やがては陰惨なまでの様相を帯びてくるまでになる。それほどに、この劇の推進力は大きい。とはいっても、劇中にこれといった事件が展開する訳ではない。すべては心理劇であり、それが圧倒的な力でブランチを追い詰めて行くのだ。そして、それはまたアメリカ南部の没落農園主の2人の娘たちと、ポーランド系移民の男スタンリー、それぞれの内的な葛藤をも描き出してゆく。ニューオリンズを舞台に選んだこと、そして背景に流れる音楽もまた大きな効果を上げているだろう。
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たとえサーカス芝居でも どんないかさま舞台でもー
嘘もまことになるのよ ただ 私を信じたら!
ミスブランチという人物は上記の言葉に集約されている。
彼女は真実を嫌い、真実であらねばならないことを語る。
バーチャルな世界がどんどん現実に差し込んでくる現代、ブランチのように現実を直視することを忌み嫌う人が多いのではないだろうか。アイドルなどの偶像もまたそう。
仮にロボトミー手術が現代にも通用するのであれば、たくさんの患者が日本にいるだろう。
ブランチのような結末ではない結末は他にあるのだろうか。つまり夢物語に乗せられた幸福を送り続けること。
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アメリカの人種対立を描いた戯曲。南部地主階級、白人労働者層(アイリッシュ、ポーラック)、メキシカン、アフリカ系アメリカ人、それぞれの生活がモザイクのように重なり合う世界がニューオリンズを舞台に展開されている。1951年発表にして、せまいアパートにも冷蔵庫がありラジオがあり、バスルームがあり、ボーリングや深夜映画が最盛という大衆消費社会である。南部の没落を乗り越えて、下層白人が豊かになっていく。その豊かさは、そのままアメリカの黄金時代(フィフティーズ)へと続く。
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現実に対して無力でしか存在しえない人間もいるのかなと、ただただ脱力させられる。
後半のスタンリーがブランチを襲うシーンはスタンリーでなくブランチの欲望として描かれてるのかなと。
スタンリー個人に対する云々ではなく
ブランチはとにかく欲望の対象とされることでしか自分の存在を認識できず、また欲望することでしか相手や生活、対象を認識できない。
何かを受け入れ落ち着くことができるステラと、自分の妄想以外の何も自分に許すことのできないブランチ。
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ともかく主人公ブランチがぶっちぎりに印象的。
小心者のくせにジコチュー高慢ちき。
そもそも作者がこういう人物を造詣したっていう背景というかそこんとこがかなり蠱惑的。
クラクラ。
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『ガラスの動物園』は追憶の劇であるが、こちらは現在進行形で語られる普通の演劇。自己中心的なブランチと粗暴なスタンリーの姿が読んでいて暑苦しい。とにかく不快だが、登場人物の行動の帰結が気になって読むのをやめられない。そんな戯曲。
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荒れくれ者でDQNのスタンリーがブランチの虚飾を暴く所が面白い。ロシア貴族の没落を描いた『桜の園』を連想する人も多いだろうが、歴史の短いアメリカにも(貴族とは少し違うが)大地主の没落はあった。
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ピューリッツァー賞受賞作。アメリカ社会で多く見られる貧富の差などが引き起こす悲劇。終盤に差し掛かるところで、ヒロインが理想と現実の間で精神崩壊していく様子が真に迫っていて怖い。救いのない話だが、なんとも言えない余韻が残る。
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幻想の世界に生きるブランチが印象的。
でも、出てくる人たちがとにかく不快。
スタンリーの扱いを許して戻るステラにもビックリしたし。
これ、戯曲なんだよね。
見てみようかな。
と思って(映画のつもりで)検索してみたら、12月に舞台やるのか!
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ピュ-リツァ賞を受賞した戯曲。ニュ-オリンズの欲望通り(Desire Street)を走る路面電車の名をタイトルにすえ、欲望に生きる人間の持って生まれた悲しい性の有様を、緊迫感に溢れた筆力で綴られた名編。・・・エリア・カザン監督で映画化され、ヴィヴィアン・リ-の気迫の演技に圧倒された。
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テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』新潮文庫 読了。アメリカ南部を舞台にする戯曲。気位高いブランチが妹夫婦に身を寄せるが、妹の夫で粗暴なスタンリーとそりが合わず、不協和音を織り成す。明快な人物造形ながらもその多面性が顔を覗かせ奥深い。隔りは埋まらず、悲劇的な結末を迎える。
2017/12/05
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劇の台本はあまり読まないし舞台は見に行ったことがないが、文庫化されたものを読むと当たりが多い気がする。
これも面白かった。
普通の小説とは違った面白みがある。