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お正月でしばらくあんまり読書できなかったよ。ついに先日試写を観てしまったけれど、やはり文字でストーリーを追う方が重みがあって、きちんと入り込んでくる。
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リョーヴィンの決心からの、キチイを見て翻心。ドリイの教育論と虚栄心。カレーニンのアンナに対する非情な決心。アンナの絶望、ヴロンスキーの迷い。リョーヴィンが農事経営改革案、ニコライの死について悩む。
【四】アンナの離婚、リョーヴィンの結婚
【五】幸せな生活の違和感、ニコライの死、アンナの息子への愛と、ペテルブルク社交界の洗礼
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上巻に比べ、物語により多くの展開があって面白く読むことができた。いわゆる、世間で認められるような一般的なハーッピーエンドという言葉で片付けられる愛は、オブロンスキーとドリイ以外今のところ予想するのが難しい。リョーヴィンとキテイ、ヴロンスキーとアンナは愛の成立の仕方が真逆、つまり表と裏のような関係であるも、どちらも成就する前の抱いた期待には届いていないようだ。相変わらず何か危険な感じを漂わせる。
それにしても、カレーニンは本当にかわいそうに思える。キリストが神人ではなく、人神であるとするならば、彼みたいな慈善深い人を言うのだろうか。愛より野心、ここでいう野心はステータスのようなものだが、そういった類いなものを追い求めるのであれば、どうぞ孤独に頑張って下さいというような感じである。
物語の人間関係は比較的に限られているために、1人1人が相当濃く描かれている。ある種のロールモデルのような、自分のような、もしくは自分がこう生きてみたいという人物が見つかるのではないだろうか。
名前は覚えていないけど、ヴロンスキーの同級生でひたすら出世している友人は、なかなかカッコいいかもなー。愛に関しては、「複数の女を知るより、1人の女を深く知る方が女をよく知ることになる」という言葉に代表されるように、この物語全般に見られるドロドロな愛に比べれば、かなり潔く思える。
深く愛に知り、そう生きようとするのではなく、適当なところで見切りをつけて、お互いあまり詮索せずにいる方が幸せかもね。
そう思うと『アイズワイドシャット』やウディ・アレンの映画になかなか共感できるのではないだろうか。
下巻、そうではない愛に溺れゆくそれぞれの結末はどうなるのであろうか。でも、意外と展開は読めるのかな。まぁ、展開は読めたとしても、そこで行われるやりとりに教訓めいた言葉がそこらじゅうに散らばっており、参考になる。
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※読んだのは藤沼貴訳の講談社文庫版。そしてなぜか表紙写真が逆さまです。
冷淡だった夫カレーニンを捨て、ウロンスキーとの恋に落ちたアンナ。二人はヨーロッパへ向かい、新しい生活を始める。一方で、ロシアの大地で農業経営と信仰を追求するレービンと、ウロンスキーに捨てられた傷から立ち直ったキティもまた愛を育むことになる。
愛とはなにか。人生の意味とはなにか。
それがこの大作のテーマなのだろうが、今の自分にはそんなことは些末に思えてしまう。世界のありようが当時とは違うし、知識量も違う。そうした中で小説の役割も変わってくるのだろう。あいかわらず登場人物に感情移入ができないまま、読み進めている。
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トルストイの『アンナ・カレーニナ』の中巻を読了。3月中には下巻まで読了するつもりだったのだが、中巻だけで700ページもあるんだもの・・・
中巻では、リョーヴィンとキチイが結婚して幸福な生活を始めるのとは対照的に、アンナとヴロンスキーの生活には暗雲が・・・まあ、結末は知ってるんだが。
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リョーヴィンのように、自分の持つ田の草刈りを楽しむ生き方も素晴らしいと思う。地主だからこれをやってはいけないということはなく、やりたいことを汗水垂らしてやる姿は、見ているこちらとしても楽しくなる。
そして、とうとうキチイと結ばれる。キチイは違う男に惚れ、最後にリョービンを選んだのだが、リョービンからしたら疑心を持つのはもっともだと思う。うーん、やっぱ貞操は必要だと思ってしまった。
そして、夫と息子を捨ててブロンズキーとくっついたカレーニナ。やっぱいつの時代も不倫に対する世間の目は厳しいかな。ブロンズキーの世間体とカレーニナの両方の機嫌取りは大変そうだ。
結婚をやっぱり甘く見てはいけないよと。
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農業や農村の描写、公務員というものについての考察には唸らされたが、全体としては退屈に感じてしまい、読み進めるのが辛かった。『高慢と偏見』等と同様貴族が恋愛をして勝手に懊悩しているだけと言ってしまえばそれまでで、そういう小説は苦手なのかもしれないと思った。でもここまでの評価を得ているのだから、何かがあるのだと信じて、読む。最後の方でようやくスムーズに読めるようになってきた。下巻とそれを読む自分に期待。
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前半リョーヴィンと知人との会話、「いや・・・」「でも・・・」の連発には面食らったが、愛する人と結ばれてからは相手を受け入れる心情の変化が生まれた様な。
親が子を愛すること、夫婦でも考えや感じ方が異なること、時代も知識も異なる物語だが、「人として感じる何か」を学んでいるような気がしました。
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アンナは、夫カレーニンと息子セリョージャから去り、ヴロンスキーのもとへ身を投ずるも心の葛藤が。キティはリョーヴィンと結婚する。リョーヴィンの兄の死際が凄まじかった。2016.11.29
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アンナ、不倫の果てに出産、そして駆け落ち!!
(当時のロシアではこんな境遇でもこうして優雅に好きなように暮らせるんだ・・働いてないのに・・と驚いた)
それにしても夫カレーニンの、妻を許そうとする心。
心の中でずっと七転八倒していた末に、ここにたどり着いたのは本当にすごい。
そしてキチイの夫・リョーヴィンも、気骨があっていい人間!
キチイを幸せにしてくれると思うよ。
アンナの愛人ヴロンスキーは、少しずつアンナに飽き初めていて、
アンナもどこか精神のバランスを崩しつつある
ーーー彼らの破滅を予感させる中巻。
それにしても子ども二人はかわいそうだなあ。
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アンナは夫と幼い一人息子の待つペテルブルクへ帰京するが、ヴロンスキーはアンナを追う。二人の関係は急速に深まるが、それを知ったカレーニンは世間体を気にして離婚に応じない。
アンナはヴロンスキーの子供を出産後、重態となる。そこへ駆けつけたカレーニンは寛大な態度でアンナを許す。その一連を目の当たりにしたヴロンスキーはアンナを失うことに絶望しピストル自殺を図るが、未遂に終わる。その後ヴロンスキーは退役して、回復したアンナを連れて外国に出奔する。
リョーヴィンは病気の癒えたキティと結婚し、領地の農村で新婚生活を始める。そして兄を看取ったことをきっかけに人生の意義に悩むようになる。
(あらすじーウィキペディアより抜粋)
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前巻でキティにフラれて失意のリョーヴィンは、失恋の痛手を忘れようとするかのように仕事(農業;彼は地方の地主貴族なので)に没頭するのだった。時に自ら大鎌を手に取り、小作人の間に立ち慣れない草刈りに精を出す。作業をしている間は無心になれるから。純粋で善良で、頑固なリョーヴィンが哀れでなりません!それでも、キティ(愛する女性)の事を忘れられない彼。なんだか切なくて胸がキュンとしちゃいますね。
ヴロンスキーに捨てられ(?)こちらも失恋中のキティは外国へ静養に出る。家族でのんびり温泉地で過ごすうちにキティは尊敬すべき女性と会う、彼女との邂逅で人間的に成長したキティはリョーヴィンに再会し、本当に愛すべき人はリョーヴィンであったことを悟る。
恋しあう2人は不器用ながらもお互いの気持ちを伝えあい、晴れて結ばれることになった。
なんて牧歌的な、素敵な恋愛物語なんでしょう///照れちゃうよ///
一方、本作品の主人公であるアンナは…カレーニン伯爵との結婚生活に“愛は無かった”のだと、ヴロンスキーを愛することで虚構の結婚生活に気付き、夫に愛想が尽きてしまう。
よく世間では、『男性の浮気は大抵遊びだけど女性の浮気は本気のことが多い』といいますが(私比)、愛に目覚めてしまったアンナ。夫に嫌悪感をもつようになり、ついにヴロンスキーと駆け落ちしてしまします。←非常に短慮な女だと思われかねませんが、この結論に至るまでに彼女の中では様々な葛藤があります。愛する息子に会えなくなる苦しみ、社交界での立ち位置はどうなってしまうのか、等々・・・読み手を強く共感させ同情させるトルストイの巧みな技巧^^; 不倫女だけど、アンナは聡明で、快活で、万人に魅力的な女性として映るよう思慮を尽くして描かれています。
ヴロンスキーの子を産んだアンナは一時容体が急変し、死の瀬戸際に立つ。夫であるカレーニンは彼女の枕辺に駆け寄り、それまで抱いていた憎悪をすべて捨て去り、“2人(アンナとヴロンスキー)を許す”と伝える。
(日本人には分かりづらいかもしれませんが、キリスト教を信仰する国ではカレーニンのような冷徹な男(彼はポーズとしてのキリスト教徒だった)の中にも本当の神様がいるのだろうと思いました。)
しかしアンナの容体が回復したところで再びアンナとヴロンスキーは愛の逃避行へ…って、クズだ���~!この2人…
2巻はとにかくイベントが多く息するのも忘れるほどのスピードで読了しました・・・疲れた。
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中巻では本作の主要人物であるアンナ・カレーニナが夫と別れヴロンスキーとの恋に身を投じていく様子と、地主貴族リョーヴィンとキチイの結婚生活の誕生という2つの恋愛が並行して描かれていく。
本筋を追うだけでも十分面白いが、特筆すべきは各登場人物が語る様々な社会・宗教・政治・経済等に関する思想の表出である。例えばキチイとの結婚生活の前にリョーヴィンが最も生産性の高い農場経営に関して思考を巡らす場面は、産業革命以前の段階の社会において、農業の生産性を高めるためにどのような課題を当時の社会が抱えていたのかということを知ることができ、ここだけでも一読の価値がある。
そして、多様な登場人物の鋭い造形の中から、どこか読者は自分と近い価値観を持った人物がいることに気づかされ、さらに物語の深みへと誘い込まれる。
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「道ならぬ恋人たちのアンナとヴロンスキー」「行き違いの失恋になってしまったキチイとリョーヴィン」のカップルたちは、さてどういう展開になったでしょう。
時は19世紀ロシア帝国の末期、貴族階級が近代化に揺れているのであります。しかし19世紀も21世紀も関係なく、このようなテーマは永遠に続くのです。
上巻、この小説の有名な冒頭
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」
のモデルとしてその家庭問題騒動(これも浮気が原因)が描かれる浮気性お気楽なオブロンスキーは、どうも橋渡し役というかピエロ的存在なのです。この軽薄だけど憎めない人物も傑作ですねえ。トルストイさんは登場人物すべて生き生きと描写されています、さすが文豪だと感心します。とにかくそこが読んでいてとても面白いのです。
アンナは夫カレーニンに仮面夫婦でいいから体面を保ってくれと言われたのに、ヴロンスキーの子供を宿し、ヴロンスキーが競馬場で落馬をすれば、観衆の面前で取り乱してしまうのです。
当然「もう、離婚だ」となったカレーニンは、いくらアンナの兄オブロンスキーに頼まれても、崩さない固い決心だったのに、アンナが出産し産褥が酷く死にそうになるとほろりとしてしまい、アンナを許そうとするのです。アンナはその傲然たる(上から目線)がたまらなく嫌で、夫カレーニンとの間の息子に未練を残しながらも、離婚はせずヴロンスキーと外国へ出奔してしまうのです。悪女極まれりですかね。
一方、キチイもリョーヴィンもそれぞれ不如意で孤独な日々をすごしていましたが、キチイは義妹(妻ドリーの)であり、リョーヴィンが親友のオブロンスキーはうまく橋渡しします。トルストイさん、うまくすじ運びましたね~(笑)
その二人の結婚式の様子の描写が、やたらものすごく詳しいのです。こんなめんどくさい結婚式をしたら、二度と結婚式はたくさんだと男性は思うでしょう、とおっしゃっているみたいですね。
ここまで再読してきて、はて?わたしの印象に残っているリョーヴィンの哲学的思索はどこ?と、記憶があいまいに・・・下巻に続く
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キチイに拒絶されたリョーヴィンは兄のニコライの所へ行き、農民たちと草刈りの仕事を始めます。
そこでキチイの姉のドリイに再会し、招かれてドリイの所へ行き「キチイがここにきてひと夏過ごすこと」を聞きますが「会えるわけがない」と言い張ります。
しかし、キチイが箱馬車に乗ってやってくるのを目撃してしまいます。
一方、カレーニンは「妻を改悛させよう」「あれが不幸になるのは当然だが、わしにはなんの罪もないんだからわしが不幸になるわけにはいかんよ」と考えます。
「私たちの関係はこれまで通りでなければならない」「あの男に会わないこと」をアンナに言い渡します。
アンナはヴロンスキーを隠れて家に呼び寄せます。
「あたくしは死ぬんですわ。でもあたくし、とってもうれしいんです。あたしが死んだら、自分とあなたを救えるんですもの」「それだけが、あたくしたちに残されているたった一つの道なんですわ」
そしてアンナに死の影がちらつき、産褥熱で実際にアンナは生死の境をさまよいます。
ここまではカレーニンは悪役です。
そこで仕方なくカレーニンはヴロンスキーを呼び寄せます。「あなたと妻に復讐しようという願いが頭を離れなかったのです」
ヴロンスキーはピストル自殺を図り失敗してしまいます。
そこでカレーニンは妻を赦し、アンナとヴロンスキーを哀れみます。
ヴロンスキーとアンナの娘が生まれてアンナは助かります。
カレーニンが離婚を認めていい人(?)になっていくのは読んでいてちょっと困りました。アンナとヴロンスキーを応援していたのが拍子抜けしてしまいました。全部二人が悪いということになってしまいますから。
アンナは離婚はしてもらいたくないと言い、9歳の息子のセリョージャのことだけを心配します。
1か月後アンナは離婚をはっきり拒絶したまま、ヴロンスキーとともに外国へと旅に出てしまいます。
一方リョーヴィンはキチイと紆余曲折を経て無事結婚し、幸せに新婚旅行に出かけます。そしてモスクワで兄のニコライの死を看取ります。キチイもまた妊娠します。
アンナは一度家へ戻ってセリョージャに再会すると、公爵令嬢と劇場へ向かい社交界に挑戦しますが、絶縁して戻ってきます。そしてまたヴロンスキーと田舎へ旅立ちました。
カレーニンとアンナは愛のない結婚をしていましたが、なんだか悪者だったカレーニンに同情を禁じ得ない巻でした。
これから、アンナは少しずつおかしくなってきます。
結末は有名なので一応知っているのですが、どうなるのでしょうか…。
下巻へ続く
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この中巻の後半部分より、かなり宗教色を増すことになる。本書を「恋愛小説」として読んできた読者は、中だるみであるかのように感じて、間違いなく置いてけぼりを食うことになるだろう。個人的にはとても面白く読めた。