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無限 その哲学と数学(講談社学術文庫)

無限 その哲学と数学 みんなのレビュー

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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.7

評価内訳

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紙の本

人文系でもまったく大丈夫な無限論です

2015/08/31 08:49

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る

野矢茂樹氏の「無限論の教室」を読まれて本書に辿りつく方もおられるのではないか。私もそうである。
このようなタイトルの書籍は数学よりか哲学よりかで読者を全く峻別する類で読み始めて落胆するすることを恐れ書評での参考はいるとおもうのである。
ずばり、哲学、人文系からのアプローチであり、さほどの数学的素養は要しない内容である、記号や図式等は本文内でみてごらんというレベルで、これがわからないとあとは理解不能、みたい扱いではなく、あくまで本文読解で片付く。
古代ギリシャから数理論理ではゲーデル、スコーレムまでをカバーしている、哲学書にありがちな注書き参照だらけもなしで、読み進めることに苦労はない叙述スタイルである。
ただ、無限論の教室のあれっと思うような繰り返し読んでなるほど感の愉しみ方はない。あくまで哲学者の視点にたって哲学での無限論をたっぷり最終章に向け展開してくれる。
相当な哲学者の著者だろうけど、当該分野では野矢茂樹氏の書が日本語で読めるのは幸せなんだと今更ながら思う。

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紙の本

便利な概説書

2014/01/30 17:44

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:戎棋夷説 - この投稿者のレビュー一覧を見る

まづ30頁くらいの序文と序章がある。そして、第一部では無限に関する学説の歴史を追う。範囲はソクラテス以前の古代ギリシャから、だいたいヴィトゲンシュタインまでだ。ここだけで300頁もある。そのなかでも、カントールからゲーデルにいたる話題が、第二部の前半でさらにくわしく扱われる。それに90頁をかける。最後に以上の記述をもとにして、第二部後半では著者の無限論が語られる。これが100頁強。注や索引も加えれば、全部で600頁の大冊だ。
 無限の理論を紹介する本なのに、非ユークリッド幾何学に関しては一言も触れられない。触れてないことにさえ触れないのは異様である。第二部後半に明らかなとおり、著者の関心は人間の有限性にある。特に、人間の認識できることの有限性や限界である。だから、リーマンを無視してゲーデルにこだわったのだろう。下村寅太郎『無限論の形成と構造』との大きな違いだ。ほか、文学や芸術もほとんど議論されていない。
 解説がくわしいことと、そのわかりやすさは別の問題である。著者の解説は、すでにライプニッツやカント、ゲーデルなどを読んだことのある者には、よく整理された哲学史として読める。反面、たとえばボルツァーノを読んだことの無い私には、彼の章は無意味だった。無限論に関心のある者として、私はこの便利な概説書を座右に備えておこうと思う。けれど、入門書として人に薦めることはすまい。
 著者自身の無限論には不満を感じる。キリスト教的な部分とそれに反する部分も含めてキリスト教的だ。著者にとってつねに、無限とはひとつの観点から統一された全体である。もうひとつ、こまかいことを付け加えておく。最後の最後に近い箇所だ。著者が「私の死が、私の有限性の中核を成すものではない」と提案するとき、この引用部自体は私も承認できる。ただ、その直前に「こうした考察の下に」とあって、それがどうだろう。もし人間が不死であるなら、その人間は現実的に無限の時間を生きていることになるだろうか。筆者はその種の考えをあらゆるところで否定している。それは正しい。ところが、不死に関する限りそれをしないのが奇異なのである。代わりに、かなり的外れな、「私が不死である場合、私の生がより意味深くなるなどということは定かではない」という論点からの「考察」があって、そして上記の「提案」がなされる。これは、それまでの膨大な記述を無にしているに等しいのではなかろうか。

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2013/07/20 10:58

投稿元:ブクログ

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