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他人の目。ムルソーの行動が奇異に映るのはそれに依存してるのが人間だからか。
社会や他者との関わりの上で、この状況では、こういった言動をとることが最も自分にとって有益である、という通俗的な価値判断でムルソーは動かない。彼にとっては、自分が感じること、存在することの真理のみが、重要なのかな。周囲からは否定的で、虚無的な姿に映る彼だが、目前に迫った「死」からは逃れようのない状況にありながら、運命の不条理、人間存在の無意味さ、を是認しきった穏やかな姿は印象的。ラスト、他人の目を超越したはずの彼が、処刑の日、大衆が憎悪の叫びをあげて迎え入れてくれるよう望むが、それが逆説的にその真実性を高める最も効果的な表現であったに違いない。そんな気がした。
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常に自分がとても遠い所にいる主人公の「異邦人」ぷり。死刑を宣告されたときにぼうっと聞いていて、でも監獄で「斬首刑とは」と考えたときにようやく死にたくないと思う。しかしやっぱり少しずれていて、斬首刑が斬首台に昇って大きなギロチンでやるものでなく機械のような小さい斧でアッサリ死ぬことが不満なのだ。「私はそんな機械ですごくどうでもいい小さな出来事として死ぬのか」と。とりあえずわたしは「こいつどうかしている」と思った。共感出来ないのに、一人称小説のせいで引きずられそうになる。こんな、自分が他人事のようで感情がよくわからない主人公、いるんだな、と思った。 あと印象に残ったのは女と関係を持ってお部屋でイチャイチャしていて、突然「わたしのこと愛してる?」と女に聞かれ、なんにも悪びれず、当たり前のように、平然と、「愛してないよ」と答えるところ。タイトルの「異邦人」とは、そういう、主人公の異質さを表しているのだろう。「こいつ、本当に人間なのか?」という違和感が最後まで止まらない。
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煌々と太陽光線は照りつけるのに、井戸の底のように冷え冷えとしたがらんどう、というかんじ。わかりづらいか。
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殺人に至る過程がまるで苦手な類いのフランス恋愛小説だった。サガンを思い出した。私はサガンも苦手である。そういうキャラじゃないと成立しない話ではあるけれど、主人公が常に冷静で淡白な語り口で盛り上がりに欠けるし共感するのに時間を要した。常人より冷静な普通の人ってことは判った。殺人を犯したり刑務所で悩んだり、十分普通の感情を持ち合わせていると思ったけれど。普通の人と異なる意見を持つだけで悪人とされてしまう恐怖には共感出来た。主人公の死刑が決まってから少し楽しくなったけどそれからすぐに物語は終わってしまう。
他の人のレビューを読んだ。主人公は異常って意見と、大衆が異常で大衆に流されない主人公は異端とされてしまうって意見が有る様だ。この本はそういった点に着眼すべき本らしい。「異邦人」だものね。どっちもどっちって感じだけど。
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思考と感情が乖離した人間。全く理解が出来ないわけではない。最後の方は周囲の方も狂気じみていたし。
ただ「人間として」「社会性生物として」認めるわけにはいかないギリギリを超えてしまったように感じる。
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最初主人公の性は女性かと思ってたら男性だった。出来事に関して心象とか行動がフェミニンに感じたからか。マリィのめちゃくちゃ好きなところが逆に嫌いなところにもなりえるわ的なことを発したところからノッてきて、しかしこうも急展開になると思わず、先がどうなるかのめりこんだ。
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心がない犯罪者の話だ。
というようなことを、よむまえにきいたけれど
そんなふうにはかんじなかったです。
若者犯罪が騒がれるのと同じように、
主人公よりも周りがうるさい。
犯罪はわるい。あたりまえに。
そういうことをはなしたいんじゃなく、
時と場合によって、思わず犯してしまう罪もあるということ。
それが実際の罪になるか、個人の心にのこるだけか。
ちょっとまわりをみてみると、どうだろうか。
人格を、そのひとのいいように喋っている。
こんなひと、まわりに五万といますよね。
さいきん取り扱われるようになったのは
(商品みたい)
我々が、こころを感じたい、理解したいと
おもいはじめているからじゃないだろうか。
すこしは優れてきているのじゃないかとおもいます。