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最先端の医療研究は時として、誤った方向へ人をいざなう。この本では、心の病に関するアメリカの研究成果のグローバル化の悪い側面を捉えている。中でも抗うつ剤を日本で売るために、病気そのものを巧妙に操作している製薬会社の話は初めて知った話であり、驚きが多かった。と同時に、精神疾患(だけではないが)に対する絶対的な薬など存在しなことを改めて認識する。
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アメリカにルーツを持つ超国籍企業が世界中を席巻しているということは、改めて強調するような話でもないだろう。Apple、マクドナルド、Google、ハリウッド映画… 時代はまさに勝者総取りといった様相を呈している。しかしグローバル化の波が、製品やサービスのみならず、「心の在りよう」というフィールドにおいても猛威を振るっているとは思いもよらなかった。
アメリカで認識されて社会に広められた精神疾患は、今や世界中へと伝染病のように広がっている。たとえば過去20年間で、特定の地域にしか見られなかった摂食障害がエリアを急速に広げ、PTSDは戦争や自然災害に遭遇した人の苦痛に関する共通語となり、さらにアメリカ型のうつは世界中で増加の一途を辿ってきた。
時間や空間の制約から解き放たれて、グローバル化が加速する。その余波は、心の病という領域にも及んでいたのだ。そして一番の問題は、ただ広まったということだけではなく、その土地固有の風土に基づく精神疾患に、取って代わってしまったということにある。
ジャーナリストでもある著者は、4つの異なる国で起きた事例を横断することで、文脈を形成していく。特徴的なのは、グローバル化以前の実態を丹念に取材することで、その変化を浮き彫りにしているという点だ。
最初に紹介されているのは、アメリカ由来の拒食症が地元特有の拒食症を駆逐してしまったという香港のケース。一般的に、欧米の患者によく見られる拒食症の症状というのは、肥満への恐怖を抱き、痩せているのに太りすぎているという間違った思い込みが見られる傾向にある。
しかし香港における患者の症状は、胃の膨満感こそ訴えるものの、自身の痩せた状態を正しく認識しており、食事の分量を気にすることも見られなかったのである。これはまさしく、精神疾患における「昨日までの世界」であった。
ここに変化が訪れたのは、拒食症になった若い女性の死をめぐって、センセーショナルに報道されたことがきっかけであった。そもそも心因性の疾患とは、曖昧で言葉に置き換えづらい厄介な感情や心の中の葛藤を取り出し、苦痛のサインと認識されている症状へ変えようという、言わば表現手段の一種と見なされている。心の中の苦しみを認めてもらおう、正当化しようという潜在意識が、目的を達成できる症状へと引き寄せていくのだ。
一人の若い女性の死によって欧米流の「拒食症」という概念が広く知られるようになったことは、この表現手段のバリエーションを広げるということに他ならなかった。少数の興味深い症例をもとに、医者が公表して議論を重ね、病的な行動を体系化する。新聞や学術誌などが欧米の専門家による医学的な分析を記事にする。そこへ一般女性が無意識にその行動を表して、助けを求めはじめる。そこには、まさに情報が病気を作り出すという構図が存在したのである。
この他にも本書では、アフリカ・ザンジバル島における統合失調症の事例や、スリランカにおけるPTSDの話も紹介されている。ザンジバルでは治療において、憑霊信仰が生物医学的な解釈に次第に道を譲ることとなり、スリランカにおいては、人間の心に及ぼすトラウマの影響について、欧米的な確信に満ちたカウンセラーが後遺症を残した。
安易な善意が事を荒立たせ、狂気を測るための手段が凶器になった可能性も否定できないということだ。そして最終章では、「心の風邪」というキャッチコピーとともにメガマーケット化してきた、日本のうつ病のケースなども紹介されている。
本書の全体を通して意図されているのは、心の病という医学的なテーマを、文化人類学的な見地から分析しようとする試みだ。ここに本書の白眉がある。そして、その実装の有効性は、文化と精神が不可分な関係にあるということからも示されている。
たとえば、統合失調症の患者が体験する妄想や幻覚。これは特定の文化で恐怖とされているものや、魅力があるとされているものを、歪んだ形で反映していることが少なくない。それでなくても多くの地域において、PTSDを誘発しそうな恐怖や暴力の体験というものは、土着の宗教や社会的なネットワーク、伝統的な葬送儀礼などに織り交ぜられていたのだ。つまりこれらの事例からは、単にグローバルVSローカルということだけでなく、科学VS文化人類学という争点をも見出すことができる。
複雑な状況に直面したとき、とかく人はシンプルに現象を理解したいと願う。普遍性を見出し、パターン化して分類し、既知の内容と結びつける。それは必ずしも悪い結果をもたらすとは限らないのだが、そこには功と罪の両方が相並ぶ。普遍性から零れ落ちる多様性は、いつの時代にも必ず存在しているのだ。
多様な世界を多様なままに受け止めるためには、多様なモノの見方が必要である。本書の背後に隠されたメッセージは、まさに読書の価値そのものを表わしていると思う。
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今や世界を席巻する超大国アメリカ。その影響力は他の国民たちの精神にも大きな影響を与えていた。香港で流行する拒食症・スリランカを襲った津波とPTSD・ザンジバルの統合失調症・日本のうつ病。世界中のさまざまな精神疾患をケーススタディとし、その原因に深くかかわる流行しすぎたアメリカ流超内的観・超個人主義を浮き彫りにしている。
『、単にグローバルVSローカルということだけでなく、科学VS文化人類学という争点をも見出すことができる。』と評した内藤順さんのレビューは参考になった。
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第1章 香港で大流行する拒食症
第2章 スリランカを襲った津波とPTSD
第3章 変わりゆくザンジバルの総合失調症
第4章 メガマーケット化する日本のうつ病
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摂食障害、PTSD、統合失調症、そしてうつ病、現代のストレス社会に生きる我々を取り巻く神経性疾患の数々。こうした心の病の存在は莫大な利益を上げんとする製薬会社の大掛かりなプロモーションと隣り合わせであったりする。文章がやや硬い気がするが、メンタルヘルスの重要性を説きながらも異なる視点からの示唆に富む一冊。
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あらゆるもののグローバル化が進んでいるなか、「世界の多様性の喪失という多大なる犠牲を払って」、アメリカ人は、「世界における人間の心についての理解の仕方をアメリカ流にしようとしている」と著者は危機感を募らせる。アメリカ人が「精神疾患の概念をせっせと輸出し、その定義や治療法」を世界標準としたために、数々の問題が起こっていると言うのだ。
本書には、そうした問題の実例がいくつか紹介されており、アメリカによってうつ病の概念が捻じ曲げられ、メガマーケット化されていった日本の現状も、克明な取材で明らかにされる。香港の拒食症、ザンジバルの統合失調症など他の例も興味深く、精神病の本質を問う力作。
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・香港の拒食症
10代の少女はなぜ拒食症になる可能性が高いのか。かつて肥満は富の象徴であったはずなのに。ささいなきっかけで食欲をなくしていくティーンエイジャー。欧米の場合は実質的に痩せていても自己認識が太っているから痩せたがるが香港のケースでは、自己認識では当事者は痩せていると思っている。(この章は結論が分かりにくかった。)
・スリランカの津波(スマトラ沖地震)によるPTSD
文化的背景の理解無しではアメリカの価値観の押し付けにすぎない。その国民に起こりうる事象に対して必要な治癒力がある。
・ザンジバルの統合失調症(タンザニア)
統合失調症って分かりにくい。要するに「おかしく」なってしまうこと。アフリカあたりになると人が錯乱する状態は疾患というより「霊が憑依」という理由の方が重くなる。
・日本のうつ病
90年代後半に過労死が社会問題になってきたころから「うつ病」はポピュラーな病気となった。誰でもかかる可能性がある「心の風邪」である、と。しかしそれは米製薬会社が薬を売るためのマーケティングによるものであった。
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現在は、以前ほど精神科に行くことが推奨される世の中ではないような気がする。その代わりになったのが自己啓発本ブームかもしれない。薬にたよらず考え方のクセを改めることで世間と折り合いがつくようになるかもしれませんよ。
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資本主義、個人主義、アメリカ。アメリカから薬だけでなく、精神病文化まで輸入されたという話。その国の文化の表れである心の不調も、アメリカ医学で診断される事により、その国独自の文化までもが、変容してしまうという。
日本の精神医療はアメリカより20年遅れていると、最近心理カウンセラーに言われたなあ。でも、アメリカ精神医学を鵜呑みにして良いのか⁈
自己実現の文化もアメリカから来て、自己責任の幅が広がったからね。病気に勝つとか負けるとか。日本では、巻き込まれ文化があるから、注意しないと、病気を悪化させる。
パキシルを処方された人達は、今、無事でしょうか?今の日本は精神薬多剤投与で苦しんでいる人がいっぱいいる。減薬は苦しい。人生が変わる事があるのが、精神薬。薬が処方されるのは、頭があまり働いてない時っていうのが…。賢い消費者にならないと、搾取されるのか。
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「一方で、スリランカ人はー貧困や困難や戦争を十分に知っているからこそー恐ろしい出来事を消化してそれに意味を与える力を持つという可能性もある。」
欧米の診療基準が世界に病気をもたらす。心の病気が広く広がっているのはアメリカがそれを広めているからだ、とする本。苦しみの表現は各文化で違う。それを一つに統合し、名前をつける。それは大きな市場になる。実験になる。自分が優れていると認識させてくれる場になる。ラベリングのもつ力の恐ろしさ。病気が自己を特別な存在にしてくれる。悲劇のヒロイン。
抗うつ剤、パキシル。医者や学者が製薬会社と深く結びついた。お金をもらい、嘘の効用を広める。まさに子宮頸がんワクチンに似た事例だ。全員が推しているからと言って、それがいいものとは限らない。
日本のウツは環境と結びつきやすく、アメリカのウツは内面と結びつきやすい、という話は、まさに文化の違いを表している事例だろう。
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抗うつざいパキシルがどのようにして日本で爆発的に売れるようになったかの内膜がよくわかった。医師はこの事実をよく知るべきだ。
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いつの時代も世の中の変化についてゆけない人や、社会に違和感を覚える人は存在する。精神医学のグローバル化が地域性や文化に基づく要因を否定し、アメリカ単独の価値観が疾患を特定するに至った。情報は脳のシナプス構造をも変えてしまう。「昔々、製薬会社は病気を治療する薬を売り込んでいました。今日では、しばしば正反対です。彼らは薬に合わせた病気を売り込みます」(マーシャ・エンジェル)。
http://sessendo.blogspot.jp/2016/07/blog-post_29.html
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第4章「メガマーケット化する日本のうつ病」が印象に残りました。日本のうつ病がアメリカから見た視点で語られており、アメリカに製薬会社(GSK社等)がうつ病の治療薬(SSRI)を販売するために、以下に新たなうつ病感を日本へ持ち込んだかが判ります。
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アメリカの製薬会社が日本を精神病(うつ病)の巨大マーケットして対応してから、日本ではうつ病が増えたのではないか。
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香港での拒食症流行の原因はメディアの報道なのだと思った。テレビを見なくなって5年位経ったかな。病気もしなくなったし、事件や事故とも無縁だし、特に困ったことが起きなくなった。テレビを見る事によって無意識に不幸を頭にインプットしちゃってたのかもしれない。
拒食症にはなった事はないけれど、ダイエットして痩せたら幸せになれるんだと思ってた時期はあった。自分では少しぽっちゃりだと思っていたから。でも健康診断では低体重と書かれる。これ以上痩せる必要ないのに、ダイエット情報を聞くとやってみたくなる。食事は食べ物を胃に詰め込む作業なので基本的に美味しい不味いはあまり興味がない。そもそも子供の時に肉とか魚を食べると具合が悪くなるという謎の体質だったので、人前で食べる行為自体がストレスだったんだよね。吐くの我慢するの辛かったし、肉魚を食べられない事は理解してもらえないし。今は一人暮らしだから自由に食事が出来るので本当幸せ!
拒食症に限らず病気は助けてのサイン。体の声を聞いて、実際に出ている症状と内面の状態を観察しながら行動を変えていけるようになりたい。病気の原因は分かりにくいけど、自分の事は自分で癒すよ。薬や医者は病気を治す為に利用するモノであって、治すのは自分自身。オレを治せるのはオレだけだ。
トラウマって本当にあるのかな?被災で不便な経験したけど普段思い出す事はない。親の葬式思い出すと何となく涙が出てくるけど、悲しいのか寂しいのか切ないのかよく分からん。色んな感情を味わうために今生きてるんだと思ってるよ。自然災害は諦めて状況を受け入れるしかないよ。アメリカの価値観押し付けないでよ。オレはアメリカ人じゃねーよ。