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地方都市のサラダ工場とハイテク農場の話。
食の安全って、追及していくと、かえって体に悪そうだわ(メンタル面で)。
これ読んだって、やっぱりカット野菜は便利だし、買っちゃうよなと思った。
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大山鳴動してねずみ一匹。あれだけ抵抗して、負けて、周囲にも裏切られて、諦める。現世の無常を痛感していたら、なんと、最後の数ページでハッピーエンド。いやになるほどリアルなプロセスに唸らせる。
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すでに何処かで起こっているかのような洗練された内容には目を見張る物がありました。フィクションですが複雑になった社会の柵や構造の中でもがく登場人物たちの物語は決して非現実的ではなく考え深い物があります、実際、表面に現れない不都合な真実は沢山あるのかもしれないと考えさせられる内容でした。分厚い本でしたが一気に読んでしまいました!!
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食の安全とこれからの農業について考えさせられた一冊。
完全無農薬をうたい、ハイテク工場で生産された野菜。その野菜はきれいにパックされ、高価格で都会へ出ていく。
その工場では過酷な労働条件のもと、安い賃金で働く外国人労働者。
しかし、労働者や生産地域の子供たちに体調不良、発がん、催奇性が現われる。
これは本当にフィクションなのかと思ってしまう作品だった。いや、フィクションであって欲しいと思う。
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私たちは何を食べているのだろう。「限りなく厳密に管理する方式は、システム自体がブラックボックス」「あちこちで危険度がほんの少しずつ上がって、それが相乗的に作用して、病人が増えたり死人が出たり」「“安全”と“安全とされている”ということの間にある落差」相変わらず硬派な主題を読ませてくれる。最後が御都合主義な感もあるけど、農業と見守ることをやめない三人の姿は、希望を感じさせてくれる。「一日に多品目を食べる必要などない。旬のものを食べることで、一年で自然にバランスが取れていく。」
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深夜のサラダ工場での仕事。
事情があって田舎へ引っ込むとなると過酷な作業しか選択肢がない。確かに、田舎暮らしは快適だけれど仕事に困るもの。
昼夜逆転生活に加え、サラダのために作業場は定温。体に不調を感じるのも当たり前と言えば当たり前。
カット野菜に限らず加工食品って美味しく食べられる期間を長くすることに商品価値があるので、色々工夫されているのはうなずけるけれど…。
田舎暮らしになって近所にコンビニもないし、コンビニ弁当などを買って食べる機会はかなり減ったけれど、スーパーの惣菜でも同じような工夫がされているのかもしれないなぁ。
原料なら大丈夫か? と考えても農薬などの心配もあるし、自分が育てたものしか信用できない世の中になってしまったのか。
野菜の種も微妙なものだけれど。
便利とは何かを少しずつ狂わせていくものなのかもしれない。
食はとても身近なものなので、関心を持って読めた。
正義は勝つって感じで終わるのかと思ったけれど、やはり大規模なものには勝てないってことなのかもしれない。
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毎日当たり前に繰り返している“食”について、かなり考えさせられました。怖かったけど、とても面白かったです。
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生野菜サラダを作る24時間体制の工場に勤める栄美と、その工場に提供する野菜を作っている剛と、土無しのコントロールされた食物生産を画策する企業を軸に、食と農業の未来を問う。
さる事件で会社をやめ田舎に戻りサラダ作成工場に勤める栄美。土無しでコントロールし無農薬に近い野菜を作るろうとする会社にとりこまれていく代々の農家の跡取りの剛。そこにサラダ工場に勤める外国人労働者、あくまで新鮮な野菜サラダを求めるコーヒーチェーン店と客、新しい農業生産組織を作った若者たち、離婚して学校の栄養士になった聖子、その学校で頻発するようにみえる児童のアレルギー、学校給食や病院の食事に進出するファミリーレストラン、など生野菜サラダを中心になにかおかしいのでは?といった事件、事柄が示される。ブラックボックスとは野菜を作る剛の建物である。
最近では当たり前のように買うパック入りサラダやカット野菜。今までそれがどのように作られているかなどあまり考えることなく便利な昼食として利用していた。がこのブラックボックスを読んだ後は買うのをやめようかという気になった。しかし毎日ではないにしろやはり買ってしまうんだろうなあ。
庭先の自家菜園があったとしても、それだけでは賄いきれない現代の食生活。食べる事とは、食べ物を作るとは、を改めて考えさせられる。
設定は海沿いのとある小さな町。40歳くらいに設定された主人公たち、生きるために懸命である。なにか「女たちのジハード」と「ロズウェルなんか知らない」を彷彿させる。
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篠田さんは、世相を反映した女性の視点による小説が好きでたいていは読んでいて、本著も以前から気になっていて読んでみた。
しかし「今の日本を取り巻く食品事情」とも言うべきテーマは、深刻で重いというのは読む前からわかっていたけれど、外国女性による深夜のサラダ工場、野菜農家のリアルな実情などは、いくらフィクション、小説といっても割り切れないものがあり、次ぎに出てくる学校給食にいたる前にページを閉じてしまった。
う~ん、コワイぞ、コワイぞ。何を信じて食べたらいいのか・・・
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今日もスーパーでカット野菜を買い求めている人を何人も見かけました。高齢者も多いようです。家族が少ないと丸ごと野菜を買っても使い切れないから。
農家さんは長年の経験やノウハウで季節や気候に合わせて、たぶん色々工夫をしているのでしょう。それでも規格外だったりロスが出たり。その点、野菜工場ではマニュアルどおりの薬品と作業工程でロスも少なく、入ったばかりの従業員でもできる効率の良さ。
太陽と水と土、自然の恵みを受けた野菜と、完全に制御された工場野菜とでは「氣」が違うように思います。
暑い日も寒い日も土まみれになりながら虫にさされながら手間暇かけて真面目に農業やってる農家さん、ありがとうございます。
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最先端のハイテク農場を舞台に食の安全が語られます。農業が工業化されたとき、それは果たして人間が農業を制したと言えるのか?。かといって、第1次産業従事者だけにお天気任せの泥臭い仕事を押しつけといて「我々は消費者ですから」と涼しい顔をし続けていられるとも思えません。難しい問題です。
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農作物の栽培を巡る様々な人の思惑。挫折。問題。
簡単な正邪で語っては居らず。
話の展開としては極めて地味なものだ。それを取り巻く人々にドラマがある。
結論は出していない。色んな意味での警告を含んでいる。
ドラマには、一応の結果がある。
こんな書き方もあるんやな。
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農薬を使わないハイテク農場、衛生管理が行き届いているサラダ工場、学校給食の現場でふと思った疑問から見えてくる食品の「怖さ」。
研修生と言われる外国人労働者の待遇。
農業、田舎の閉塞感。
二極化。
この話では、悪役とされる会社の自爆で物語は終わっていくけれど、日常生活に潜む気持ち悪さは払拭できない。
お役所が大丈夫と言っていても、気持ち悪いものは気持ち悪い。
この感覚は残留農薬や食品添加物などに限られた話だけではなく、そして、私の中の物差しが今日も激しく揺れる。
web本の雑誌 > 作家の読書道 > 134回 篠田節子さん
「ブラックボックス」について
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi134_shinoda/20130220_5.html
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サラダ工場で働く女性が見た、工場の実態。怪しい薬品や過酷な労働、無菌室で育てられたハイテク野菜の危険性など、明確ではないけどなんとなく気持ち悪い世界。
確かに自分が今、食べている野菜がどうやって作ったか?本当に安全かなんてわからない。 ただ本書でも、何が正解なのか?それは明らかにしていない。あくまで自分で考えなさい。ということかな?
小説としては、ちょっと長すぎ。盛り上がりにも欠け淡々と進んで淡々と終わる感じ。
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篠田節子さんの作品パターンである、日常生活にある「怖さ」がこの本でも伝わってきました。読み応えがありました。