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真打ちになって2年目の1965年に刊行され、それ以降の落語家を目指す若者に大きな影響を与えた本。前座の頃、噺を覚えるために夏の暑い時期は涼みがてら多摩川べりで稽古していたそうです。しかし、大きな声でやっていると、通りすがりの人に変に思われるのでハーモニカを持って出かけて、人がいる時は、そのハーモニカで
映画「シェーン」(1953年)の主題曲「遥かなる山の呼び声」を吹いたそうですよ。
(吹けたのはその曲だけだとか)
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「現代」と言っても一刷は立川談志がその名を継いで間もない 1965年。しかし、笑いの質の低下に対する懸念、噺家という生き方の不安定性、芸の系譜と独自性のバランスなど、どの話題を取ってみても40年前のエッセイがそのまま「現代」で通じるところが家元の凄いところか。
落語は子供のころから好きなのだが、ずっと聞くばっかり。こういう芸談にはあまり興味が無かったのだが、まぁ余命幾許もない(ように見える)談志の遺言として、これだけは読んでおくかと思って読了。
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・絶版本
・立川談志のかつてのベストセラー本
・落語ハンドブックと突き合わせて読むとおもしろい。
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最近の事、ホントに久しぶりに古本屋さんへ足を運び、この本を購入。若き日の談志さんの言葉の数々。読むのが、遅いので、まだ読了していない。
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2011年11月23日・補足
立川談志さんが亡くなられたとの事。
ご冥福をお祈りします。
何度か名古屋での落語を聞かせていただきました。
さよなら、談志さん・・・
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久々に再読。最初読んだときは全然理解できなかったものが醸し出されていく。あのころから談志は先の先まで見通していたのだ。合掌
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「そんなにおかしいですかい・・・(この落語の)この部分が・・・?」と高座から今にも言われそうな感じです。
30になる前に書かれた書、最近よく流される追悼番組でも、著者の落語好きがあらわされていますが、本書を読むとほんとうに無類の落語好きで、いまにも活き活きと落語の場面場面を語ってくれそうな感じです。
そんな著者、どんでもない大師匠ですが、本書の中ではほんとうの努力家と根っから興味をもったらとことんやり遂げるという性格、どんなところにだって弟子入りにいってしまうという行動力。
落語家を目指すひとでなくったって、自分自身を振り返って「よしやるぞ・・・俺も!」という気分にさせてくれるすばらしい書だと思います。
「もっと勉強しろ!」といまにも目の前に現れて言われそうです、師匠に。
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落語を知りたいなーと思っていながら
まごまごしている間に立川談志が亡くなった。
人によれば希代の天才。
あるいは変なバンダナのおっさん。
一体なんだこの人は。
と、知らずにいるのはなんだか惜しい気がするので
本書を手に取ってみました。
なんでも29才の時に書いたものだとか。
前半こそ落語の決まり事を行儀良く書いているものの、
だいたい笑いを説明するなんてな野暮だとか
元も子もないことを言いながらやるもんだから
身が入らないのかなんなのか、
途中から完全に自身の生い立ち、願望になってしまうあたりがらしい感じ。
でも僕が知りたいところはちょうどその辺だったので楽しく読めました。
談志がどれほどの熱量でもって高座に上がるのか、
何を考え、その先に何を見ていたのかがよく分かります。
その視線は至って客観的で、恐ろしく実際的なもの。
さんざっぱら夢を語ったあと、
落語は今後こうなる。というのを最後にひとことで表現しています。
そこにはロマンも幻想もない。なるほど。
とにかく落語は過去のものになりつつある。
と29才の談志は危惧していて、
それは落語の質が低下していくという話ではなく、
客が感じ取れる表現の幅がどんどん狭くなっていく。ということ。
例えば銭湯の番台にまつわる秀逸な話はたくさんあるのだけど、
若い人は銭湯の番台自体をもはや知らない。
「男子のなりたい職業なんてちょっと前まで番台が上位に入ってたようなもんです」
と言ってもぽかんとされてしまう。
落語が表現する「粋」の世界は人間関係のなかにこそあるもので、
人間関係が希薄になった現代では
「粋」という状況そのものがなくなりつつある。
とかく落語はどこまで行っても人間関係の話なわけで、
人間関係に共感できなくなったらもう型を成さない。
それを知りつつも談志は最後まで古典落語をやりつづけます。
やらなきゃならないのです。彼は。
古典落語のなかに、未来に通じる普遍のおかしみを求めて。
そこに天才はいません。
ただひたすらに落語が好きな、不器用な男の姿があるだけで。
「あと20年もしたら、俺は志ん生をじかに聞いたんだぞ、と大声で自慢してやる」
と書いていた談志ももうこの世にいない。
それがどういうことなのか、落語界は何を失ったのか。
ちょっとだけ分かるような。
そうでもないような。
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29歳の時に談志が落語に対して考えていたこと、危惧していたことって、今と全く同じじゃないの。ということは、例えば円朝の生前・没後とか、SPレコード前後、ラジオ前後でも同じように「昔は良かった、今は噺家も客も悪くなってる」的な考えってあったのでしょう。
でもこの本の大半は、その時代の寄席の空気が伝わってきて、とても楽しいものでした。『落語論』の部分はそんなに理屈をごり押しする感じじゃないので、それを期待する人には刺激は少ないでしょう。柳家つばめの『落語の世界』と同じ香りがするのは、同時代の楽屋風景だからかもしれません。
一つ大きな見誤り(だと私は思う)をしているのは、『新作はダメだ』という考え。円丈・三枝からSWA、そしてその次の世代の作る新作落語はダメなんだろうか。客側は受け入れ、古典落語と区別することなく楽しんでいます。ここで『新作はダメだ』というレッテルを貼ってしまったがために、内輪の世界で縛ってしまったんじゃないかとまで思います。
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故・立川談志が1965年に書いた本。古典落語に愛とプライドを持って取り組んでいたことが痛いほど分かる。「最近の客は笑いすぎる」「新作落語はどうしてナンセンスばかりなのか?」といった話が特に印象に残った。思想の全ては理解できていないと思うけど、お洒落で粋な人だったんだなぁ。
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この本欲しい。喉から手が出るほど欲しいのです。今は図書館で借りて読んでます。誰か譲ってくれないかなぁ!
思わずブログに感想文をば。↓
「談志の『現代落語論』
http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-585.html
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落語好き必読の書でありながら、今更。
正直言って、面白くはない。
出てくる名跡の半分以上は先代だし、同意していいのかどうかわからない事柄が多い。
ただ、談志の落語愛と29歳でここまで考えていた凄さは伝わる。
特に、新作落語への考察が良かった。
新作落語は着物を着て、昔口調で喋る必要があるだろうか、と突き放すような問いを投げかけてくる。
“ズバリといえば、落語とは古典落語のことなのだ。”(250頁 本文より)
この辺については、もう一回、吉笑さんの『現在落語論』を読んでみたいと思った。
それから、最近の客は笑い過ぎる、と言っていた。それは、すごくそう思う。本書の中の「最近」は1965年前後の話だけど…。
もう少し、落語に詳しくなってからもう一度読み返した方がいいな、と思った。
私にはまだわからないことが多い。
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この間談志まつりに行って
読みたくなったので購入。
これ30前に書いたのかー。
談志の落語、生で聞きたかったなー。
落語が好きで好きでたまらなかった
談志少年。
愛を感じました。
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談志さんがここまで落語についてのみ語っている本は初めて読んだ気がする。修業時代、落語家とお客さんとの関係など、書かれていたことは落語についてだけど、そこには落語を超えた表現者の生き様みたいなものを感じた。
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◆きっかけ
『夜を乗り越える』のレビューから入ったnaoponhonさんの本棚にあって気になって。2016/12/24
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NHK BS「週間ブックレビュー」2012/01/21 6:30-
特集
[関連リンク]
週刊ブックレビュー: http://www.nhk.or.jp/book/review/20120121.html