紙の本
なるほど、なっとく
2013/05/11 22:54
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のずち - この投稿者のレビュー一覧を見る
今回初めて曽野さんの著書を読みましたが面白かった。
読む人によっては、癖のある、皮肉っぽいところはありますが、私は好きです。
ここ最近、自分自身の中で自問自答していたことの答えをもらった気がします。
『努力したって思い通りにはならない、世の中というものは不完全なもの、完璧なものなんてない。』その通り!
心が軽くなりました。
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チェック項目11j箇所。戦争を体験した私たち世代は、東日本大震災にあっても、あまり慌てませんでした、戦争中に、あらゆる思想や国家形態が崩れ、今までの生活環境がすべて壊されていくという現実を骨身にしみて知っているからです。選挙になると、「お年寄りも安心して暮らせる社会をお約束します」などと恥ずかしげもなく大声を張り上げる立候補者は多いけど、そういう言葉遣いをする政治家はウソつきか詐欺師、です、また、そんな政治家を求める有権者は、物知らずか、幼稚な人じゃないんですか、人生を知っている大の大人は、なかなかそういう発想にはならないはずです。誰もが、他人にはないものを持っているわけです、だから、それを各々が生かせばいい、生かすことができれば、たいていの人は平凡であるがゆえに、マリン・モンローとは別の幸福を手にできるんです。うまくいくかどうかは、やってみないとわからないけれど、やってみて初めて、自分の能力というものを発見するでしょう、そのチャンスを逃すのは、もったいないことだと思います、自分を卑下することも過信することもなく、自分の持っているものが世間にどう受け入れられるか、ということを楽しんだらどうでしょう。茶道、華道の家元の跡取り主は六月六日にお稽古を始めると聞いています、「道」のつくものは、初めはすべて強制なんです、そのうちに、その人が教えられた部分を離れて、独自の境地を開くわけですからね。人の好意を期待する、というのは、不幸のもとです、期待すると裏切られることがあるでしょう、期待すればするほど、不幸が増えるわけですね。日本でも戦前は、妹や弟の面倒を見たり親の手伝いをしたりする子供はいくらでもいました、子供が家の仕事を手伝うというのは、子供の成熟を促すし、子供に人生というものを理解させる上で非常に役立つ方法だと思います。日本の戦後教育の大きな間違いは、子供たちに「与える光栄」を体験する機会をまったく教えなかったことです、「勉強だけしていればいいのよ」などと言って、子供から与えるチャンスを奪ってしまうから、子供はいつまで経っても大人にならない、もう立派に大人の年齢でありながら、大人の行為をしようとはしない幼稚な人間をたくさん育ててしまったのです。常識は自分の身を守るためでもあるのですが、同時に、人の心を逆撫でしたり悲しませたりしないためでもあるんですね。人間社会はある意味で妥協なんですね、自分がこうありたいと思っても、そうすためには大きな負債を背負うとか、家族を失うとか、相手の心をひどく傷つけるとか、いろいろなトラブルを招く、それを考えると、ほとんどの人は適当なところで折れるわけです。そもそも人間は、一人一人が違う個性を持っています、性格も違えば、考え方や感じ方も異なるし、生活上の好みや習慣も人それぞれです、人は自分とは違う、という深い理解がないと、「そのままで相手を受け入れる」といういい人間関係は続かないでしょうね。
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よくありがちな「願いは必ず叶う!」とか「人生は思い通りになる!」と言うような自己啓発本ではなく、思い通りにならないのが世の中だと言い切る辛口の人生論。
曽根綾子さん自身の複雑な生い立ちや戦争といった理不尽な出来事を経験してきた人だからこその言葉。
不平等で、思い通りに行かない世の中をどう生き抜くか。とても面白く共感を持って読めました。
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曽野綾子さんの人生を通して得た、思い通りにいかない人生を楽しむためのノウハウが色々詰まっていました。
自分はTo do リストを全て消化できないことにイライラすることがあったが、曽野さんは二つ三つできれば良しとするそうです。上手くできない自分への諦めは、人に対しても期待しないことに繋がるし、自分も周囲も楽に生きられる考え方の癖だと思いました。
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『人生一寸先は闇、だから怖くて面白い』という言葉を思い出した。
・・・昔見たドラマに会ったセリフだが、未来の不確かさを楽しめるように強くなりたいと感銘したのを覚えている。自分の言動に責任をもつ覚悟のある文章は心に響く。
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書評:『思い通りにいかないから人生は面白い』曽野綾子著(三笠書房)
評者:本の虫太郎 2019年12月9日
誰しも人生経験を積めば、人生は思い通りにいかないことが多いと思うかもしれない。本書では、「思い通りにいかないから人生は面白い」という興味深い人生の逆説を提示する。さらに「思い通りにならないことを容認できることで、人間はふくよかになっていく」という人間性の豊かさを提示する。十人十色である「それぞれの運命をむしろ土壌にして自分を伸ばそうとするときに、多くの人は運命を変えて偉大になる」とさえいう。得てしてマイナスに捉えられる運命をいかにしてプラスの運命へと変えていくことができるか。本書のエッセーでは、たいてい思い通りにいかない人生を面白くする方法や考え方について、優れた叡智や興味深い事例から教えてくれる。人生の思いがけない挫折や苦悩の暗闇の中で苦しむ人に、救いとなる希望の光を見出す方法やヒントを教えてくれる好著である。
本書の著者・曽野綾子(1931年、東京生まれ)は、作家であり、1995年から2005年まで日本財団の会長を務めた。『人間の基本』や『老いの才覚』などベストセラーのエッセイの著作が多数ある。著者はキリスト教徒であり、神の視点から現世を相対化してみる視点がみられる。著者の多数のエッセイには、小説家としての鋭い人間観察眼から、慈善活動も含めてアフリカや中東など広く世界を旅して見聞した現実的な経験に基づく、実践的な処世の叡智が含まれている。
厳しい世の中を生き抜くためには、現実的な人生観と処世術を学ぶ必要があるだろう。世の中は無常であり、人生の出来事は不可知であり、努力と運の両方が関わっている。人生の不運や失敗は避けられないが、不幸があるからこそ幸福の有難みもわかるという逆説がある。印象派の絵のように、光と影はコインの表裏のように分かち難いのである。思い通りにいかない人生をいかにして面白くすることができるか。その生き方の方法論や考え方の実践的な智慧をさまざまな事例から分かりやすく教えてくれる。
世の中は無常であるために、人生も予測がつかない。「現世は、あっという間に豹変する」ために、「人生は次の瞬間、何が起きるかわかりません」。「自身や台風がこなくても、安心して暮らせる生活などあり得ない」。だからこそ、人間なら、常にあらゆる最悪の可能性を想定し、対処法を考えておくことが必要」である。
さらに不運を国の政策や人のせいにするのではなく、この世には「運の部分が間違いなくあることを認めること」が大切ではないか。「人間の世界には、どんなに頑張っても成就しないことがある。人間の障害の成功は、決して努力だけで達成できるものでもない。その悲しみを知るのが人間の分際であり、賢さだろう」。「人間の世界には、どんなに頑張っても成就しないことがある。人生は、運と自分のささやかな生き方の方向付けというものの相乗作用」といえる。だから「人生は努力半分、運半分」であり、「なせばなる」という言葉は、思い上がりとさえいえる。
著書の小説家としての観察眼から、どんな人でも不幸や苦労を抱えているもの���ある。たとえ「一見、幸福そうでも、みんな重荷を背負っている。見栄っ張りには見栄っ張りの、お金持ちにはお金持ちの苦労がある」ものである。「どんなに親しくしていても、その人の幸不幸というものは、他者が読めないものだ」。だから、「みんな、それぞれの不幸を抱えて、その人なりにけなげに対処している」ものである。
このように無常で不条理に満ちた人生において、どのようにすれば幸福を感じることができるのか。ここで本書の著者は、「幸福を感じる力は、不幸の中で磨かれる」という興味深い逆説と比喩を提示する。「印象派の絵」の比喩を用いれば、「影があるから光が見える」のである。著者は、視力を失いかけてから、手術が成功して再び視力を取り戻した自分自身の経験から学んだ逆説を語る。光を描く方法を絵描きに質問した時、「光を描くには、影を描くより仕方がない」ことを知った。「印象派の絵のように、影を濃く描けば、光が見える。影を深く見つめることによって、光の美しさがわかる」のである。
著者が思い出したもう一つの経験は、ヨーロッパの薄暗い教会の中でステンドグラスを見た時である。ステンドグラスの「バラ窓が世にも妙なる美しい光を放つ条件は、教会の中が暗い」ことなのである。すなわち、「不幸と罪と悲しみの中にいる現世があって、そこに西陽が差した時にだけ、この世ならぬほどの美しさと明るさを見せつける。闇がなければ、光がわからない」のである。光と闇の対比と同じように、「幸福を感じる能力は、不幸の中でしか養われない。運命や絶望をしっかりと見据えないと、希望というものの本質も輝きもわからない」。逆説であるが、不幸からこそ幸福の有難さを学ぶことができるのである。「望ましくなかった経験がむしろ個性となって、その人を静かに輝かせている」すらある。
さらにいえば、幸福と不幸は心の持ち方によって左右されるのではないか。例えば100点満点のテストで50点だった場合、減点法で「50点しか取れなかった」とマイナス評価するか、加点法で「50点も取ることができた」とプラス評価するかは、同じ事実についての見方の相違である。だから「不満を感じない幸福な生き方は誰にでも容易にできる」のではないか。そのためには、「ないものを数えずに、あるものを数えなさい」という視点の転換をすればよい。「足し算の幸福」をすれば、「自分にないものを数え上げるのではなく、今あるものを数えて喜ぶ」ことができる。今あるものを数え上げて、「これもあった、それもあった」と喜ぶことで、不幸の中でも幸福を積み重ねることができるだろう。
しかし、今の日本は、みんなの意識が「引き算型の不幸」となってしまっているのではないか。「水も電気も医療もすべて与えられて当然、と思っているからありがたみがまったくない。常に百点満点を基準にするから、わずかでも手に入らないとマイナスに感じて、どんどん「引き算型の不幸」が深くなっていく」のである。しかし、生きることが大変な人間の原初的な苦悩を抱える「アフリカを基準」に考えれば、病気になって医者にかかること、食事ができること、水を存分に使えることが、いかに贅沢で貴重で恵まれた幸福かが分かるはずである。
さらにアフリカなど世界各地で厳��い現実を広く見聞してきた著者は、「生き抜く力の鍛え方」の実践的な智慧や方法を示してくれる。性善説よりも性悪説から始めること、苦しみに耐える力を培うこと、前に進むときに退路を考えること、理想と現実に「折り合いをつける」という「大人の健やかな強さ」も役に立つだろう。
どうしたら「生き延びる才覚を磨く」ことができるか。「どんなところでも、無一文でも、何とかして自分で生き延びられる」という「サバイバルの力」が必要である。「最悪の状況を考えて、生き残る方法を模索する。何かあったときは政府や国家がやってくれるだろうと期待していたら、はっきり言って、ひどい目に合う」。「どんな場合でも、自分のことは自分でやろうとするのが基本」であり、「人生は個別に才覚でいきていくほかない」という独立自尊の自助論の思想を主張する。そのために、「自分の身の丈に合った暮らしをする」ことも大切である。「将来、年金がもらえなくなるかもしれないと騒がれていますが、もらえないものだと思って備えた方がすっきりしますよ」という最悪の状況を想定した覚悟をすすめる。「経済については最悪の状況を想定する、人が持っていても自分には贅沢だと思ったら持たない、財布は人に頼らない、というのは、昔、小学校さえろくに通えなかった人たちでも身に着けていた平衡感覚」なのである。
思い通りにいかない人生をどうしたら面白く豊かにできるか。著者によれば、よき友、海外旅行、読書の3つが人生を豊かにしてくれるという。著者は、これらの経験を通じて、「いろんな人生をたくさん見ることができて、幸福も幸運もともによくわかった」。人間も社会もみんな不完全なものであり、物事を「すべてか無か」、あるいは善悪二元論で割り切ってしまうのではなく、「すべては善と悪の中間にある」ととらえてみる。「人間は違っていて、いろいろと異なった考えがあることの方が面白く」思えてくる。
生きていく上で大切なのは、「それぞれの適役を見つける」ことであり、「自分を笑い飛ばせるユーモア」の視点も人生を面白くする。そして、「金持ち」よりも「思いで持ち」になろうではないか。「どんな小さいこともすべて、いいなと思ったことを毎日、覚えておく」と良い。多くの人生と出会うことで人生は豊かになる。人生の輝きは、他者との関わりという人間関係によって育まれる。さらに人生が満たされる条件として、「人にもたくさん与え、自分もたくさん受けた」という実感が必要である。人のために働くことで、多くの実を結ぶのである。
人生という旅は、いつでも未完成で未知ではないか。思い通りにいかない「不幸や不運をただ悲しむだけ」ではなく、「面白がれる才能」こそ求められる。「ワンダーフル(Wonderful)」という英語は、「驚きに満ちている」という意味である。人生が「すばらしい」のは、筋書きの予想通りに運ぶからではない。むしろ「予想されないことの連続だからこそ、すばらしい。意図しなかったことではあるけれど、それなりに意味があったのだ」と再解釈して再発見することで、「人生はすばらしい」と言える成功者となることができるのである。つまり物事の見方を変えることで人生の評価や意味づけを転換することができる。
「禍福は糾え��縄のごとし」という言葉は、不幸と幸福が交互に訪れるという意味ではなく、むしろ不幸と幸福がコインの裏表のように分かち難く結びついているという比喩といえるのではないか。不幸や不運に遭遇して、「思い通りにいかない人生」に意気消沈したとき、本書は不幸や不運から幸福を感じる道しるべとなってくれるに違いない。薄暗い教会の中で西陽を受けて光り輝くステンドグラスのように、苦悩の闇の中から希望の光を見出す優れた叡智や実践的な生き方のヒントを学ぶことができるだろう。(了)
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たくさん心に響く言葉が載っていますが、
他人の幸せを考える。
人は受けて与えることで成熟する。
親から受けて子に与える、それは同じこと?と思えば、家族に与えることは自分に与えることと同じ、と(著者は)言われています。本分をおろそかにせず、できる範囲で(例えばボランティアとか、ちょとした何か人のお役にたつこと)。
幸福を感じる力は、不幸の中で磨かれる。
闇がなければ、光がわからない。
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曽野綾子さんのエッセイは、結構前から勧められてて、やっと読めた一冊。思い通りにいかなかった失敗を受け入れる大切さ、自分の経験として昇華していく生き方を学べた。
辛い経験は、嫌なもの。いつまでも引きずる傾向がある人におススメの本です。
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自己啓発本というのは、どの時代でも人気ですよね。確かに素晴らしい事が書いてあり、そんな風になれれば素敵だなと思うのですが、ひねくれてる私は、理想だけが一人歩きしてるような気がして、斜めに見てしまいます。曽野さんの本は初めてですが、本音が語られてて、好みが分かれるだろうとは思いますが、人間味があってよかったです。「闇がなければ、光はわからない。不幸がわかると、幸福がわかる。」「ないものを数えずに、あるものを数えなさい。」
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人生経験を元に、自分では避けられないような想定外を容認する考え方が書かれており勉強になる。
しかし、理不尽な不幸を経験していない自分にとってはあまり刺さらない内容。物の見方も偏っているように感じる。
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うまくいかないことや辛いことがあれば落ち込み、うまくいった時に喜ぶ。その全ての現実を受け止めることによって、人間性は重厚になる。
不幸のない人生はないから、不運を活かせる才能は非常に大切。
不幸によって大抵の人は強く複雑な人になる。人は苦しみの中からしか本当の自分を発見しない。
不幸を嫌なことと捉えるのではなく、自分を成長させるもの、人生を豊かにするものと捉えることができれば、失敗を恐れずに色んなことにチャレンジできると感じた。
エッセイで他人の人生観を見るのは視野が広がるからいいなと思った。