投稿元:
レビューを見る
全体的に興味深く読めました。
従来の宗教と新興宗教の考え方の違いやら、スピリチュアル系列の思想団体とか、わかりやすく話されていますね。
思想家の方がちょっと自分の意見を押しつけ気味なところがありますが、ま、それが思想家ってことでしょうか。
住職さんの方の話とバランスをとりながら読んで、何とか中立って感じ。
新興宗教とかにはしるぐらいなら、こっちを読んだ方がずっと宗教的に考えられるようになるんじゃないかな。
投稿元:
レビューを見る
ところで名前を付けることは、ある意味呪いをかけるのと同じだそうです。人名も襲名も役職も地名も。
名付けはその名の意味に縛られることでもあり、実際それに悩まされるケースは少なくない。そういえば名前を書かれた人間が死ぬというデスノートってマンガがあったな。あれはだんだんルールが追加されてきて、それはそれで面白かったが、複雑になりすぎて理解するのにとても苦労した記憶があります。えっとなんの話だっけ。
内田樹もそうだけどこういう思想家の話や哲学の本でいつも思うのは、ものごとの初期設定を疑ってかかるところに快感を覚える。
投稿元:
レビューを見る
大学の授業の書籍化とあって、二人の熱いトークのドライブ感が気持ちよい。
人の営みや政治・経済、歴史と深く関わる宗教の存在感が目の前に広がってくる。
投稿元:
レビューを見る
読みやすく面白かった。
占いが好きだし神社仏閣を巡るのも好き。パワースポットも好き。何でかはよくわからないけど。
信仰について考えるのが今は面白い。
行事ごとも好きなんだけど、そういうのも占いにはまるのと一緒で何かしらの帰属意識によるものなのかな。
投稿元:
レビューを見る
宗教のことをリラックスして語った本。占いも宗教なんだな〜。自然豊かな学内寮で暮らす学生は感覚回路が全開になる→自分が山登りしてる時の感覚と同じだと思った。名歯科医の話も、現在自分が歯科通いなので、なるほどな〜と感心。
投稿元:
レビューを見る
題名とはやや違ったニュアンスの内容となっており、宗教の本質とは何かということが対談によって議論がなされている。
本書においては、特に内田氏の議論においては、論理的であることが非常に強調されている。私自身論理的であろうと心がけている積りではあるが、まだまだ甘いということを思い知らせる、大変参考になる内容であった。
政治家の靖国神社参拝論については、大筋は私の考えてとほぼ同じであったが、論理構成の鋭さに感心した。
投稿元:
レビューを見る
「霊性」という言葉には、個人的に馴染みはなかったので、スピリチュアルと言った方がわかりやすい。霊、呪い、心理、宗教、など私の興味ある話題ばかりについて、碩学の著者二人がざっくばらんに話した「トークショー」を聴いた気分になれた。いい意味で「軽い」ので、「霊性ってなに?」という方は一読をお勧めする。
投稿元:
レビューを見る
いや~面白かった。
今まで対談の類はたくさん読んできたけど、これほど対談の素晴らしさを伝えている本はないような気がする。
内田氏に関してはすごいことは知っている。ただ、今回の発見は相手役の釈氏である。ここまで内田氏相手に話せる人はいないんじゃないか。
だいたい内田氏がらみの対談を読むと、ほぼみんな相手の人は内田氏のフィールドに引き込まれていく。相手の専門について話をしていても内田氏のロジックとマジックにつられてしまうのである。
しかしこの釈氏は違った。もちろんこの対談のテーマが釈氏にとってはど真ん中ストライクのテーマだということもあろうが、内田ワールドにひきづられながらも、釈ワールドをしっかり提示しているのである。
内田氏相手に「言ってること全然わかんないな~」みたいなことを言ってるところがあったけど、そんなこといえるのもこの人くらいなんじゃないかな~。
投稿元:
レビューを見る
坊さん(釈 徹宗氏)の話は非常に奥深いと感じる一方、対談相手の話に妙なクセがある。このクセは前にどこかで遭遇したような、と思ったら「下流志向」の人でした。
投稿元:
レビューを見る
むらいさんにお借りしました。内田先生と浄土真宗のお坊さん・釈徹宗さんが大学で行った講義を本にしたもの。
霊性、スピリチュアリティというのをキーワードに、現代の各宗教について、日常にある占いや「いただきます」といった行為が持つ宗教的(霊的?)意味について考察。靖国とか、オウムとか、話題が幅広。現代宗教の体系図も。おもしろいです。
印象に残ったのは・・・
・「賢しらに」宗教性を否定することの憎たらしさ(「無宗教葬」の傲慢さ、六曜入りカレンダーと安息日としての日曜日、女人禁制の山と性同一性障害)
・「自分」「自己」が確立するほど幸せを感じづらくなる
・いったん自己を潰す方法
・イヤホンは都会で暮らしていく上であえて感覚を鈍らせるツール
(さわ)
投稿元:
レビューを見る
宗教、オカルトについて語られた対談による講義集。
【引用】
「悟り」のもたらす満足感は「迷い」が深ければ深いほど大きいわけだし、いつか必ず「悟り」に達するという確証がなければだれも「迷い」さえしないですよ。
~内田樹
投稿元:
レビューを見る
・武道では「胆力」と言うんですけど、「驚かされちゃいけない」ということを教える。「驚かされない」ための秘訣は、いつも「驚いている」ことなんです。「驚かされる」は受け身の経験だけれど、「驚く」は能動的経験でしょう。自分から進んで驚く。「へえ、こんなことがあるんだ」「これはびっくり」というふうに、説明できないことを日常化していれば、人知を超えるような経験にたまさか遭遇しても「そういうことってあるよね」で済ませることができる。
・「たそがれ」という言葉がありますね。もともとは「誰そ彼」から来ています。Who is he?ということですが、そこに誰かがいることはわかるのだけれど、誰であるかが特定できないという状況。だから、「逢魔が時(大禍時)」とも言う。悪魔に出会うのはそういう時間帯ですよね。昼と夜の境界線上に、この世のものかあの世のものか、私の知っている人か知らない人か、どちらかわからないもの、帰属が判然としないものが現れてくる。
・境界を通過すると、私たちは何か別のものになる。
・死ぬというのもそれと同じで、たぶん死の瞬間に「なるほど、私の人生の『あれ』は『こういうこと』を意味していたのか」と、それまでわからなかったすべての伏線の意味が明らかになるはずなんです。少なくとも、僕たちはそう信じて今生きている。そう信じなければ生きられない。そう信じていないと推理小説を読むことがができないのと同じで、だって、結末まで読んでも、犯人もわからないし、密室トリックも解明されない。「かもしれない」と思っていたら、僕たちは誰も推理小説なんか読みませんからね。「最後にすべては解明されるのであるが、その答えは私が想像していたものとはまったく違うものである」という確信だけが推理小説を読む快楽を担保している。生きる快楽を担保するのも同じ「不可知」だと思うんです。死の瞬間に「え、死ぬってこういうことだったの!」という発見が意外であれば意外であるほど、その人の人生は「出来がいい」ということになるでしょう。
・僕らは直線的、不可逆的に時間を進んでいって、過去はどんどん忘れられてゆくと思っているけれど、実はそうじゃない。進みながら戻ったり、全容が俯瞰できたと思ったら、視野が狭窄したり。時間は進んだり戻ったり、伸びたり縮んだりしているような気がします。だから、死というのも、そういうダイナミックな時間意識の中でとらえるべきじゃないかと思うんですよ。
投稿元:
レビューを見る
面白かった。
真に宗教的な人間は宗教団体から勧誘は受けないそうである。
宗教的であっても宗教団体に属せない人間がスピリチュアルに行くというのは本当だと思う。
村上春樹氏が世界中で読まれていることにちょっと触れて、世界文学になるような作品は「どうすればいいかわからないときに、どうすればいいか」という難問を扱っている・・とのこと。
へーそうなの!と単純に驚いたが、そういえばそうかな?
御二方の闊達な考察に刺激を受ける。
靖国神社の問題も、もう少し自分の中で整理してみたい。
(本当は日本のマスコミが、毎年騒ぎたてるからややこしいことになっただけだと思うけど。)
投稿元:
レビューを見る
本書は二〇一〇年二月に講談社より刊行された単行本を加筆したものです。
二〇〇五年九月から半年間、神戸女学院大学で行われた「現代霊性論」の講義録をもとに加筆、編集したものです。
投稿元:
レビューを見る
宗教だとか霊性だとかっていうのはよくわからないけど、どっかでいろんな大切なこととつながっているんやろうなぁ、ということを思った。
このお二人が本書のなかでしゃべっていることも、人間にとってとても大切な作法のはず、なんやと思う。