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耳子さんの克服のきっかけが、自己啓発や心理学や、「スピ系」、「あの世系」の本と実践だったということにすこし立ち止まらせ考えさせられるものがあった。
生まれる前の魂がクリアすべき課題を作って、環境を選んで生まれてくるという考え方を知って、耳子さんは自分の人生を肯定することができたという。
「無理をしすぎても義務を果たそうとしてしまう。できないを口にできない。」
アダルトチルドレンの漫画家耳子さんが、どうやって「生きづらい」人生を克服して、本当の意味での「自立」を果してきたか・・・よりも、ここまでの道のりを「コミックエッセイ」という形で振り返ってきたスタイルが、「文章」よりも、堅苦しくない伝わり方。
話は変わるが、
スピ系で、親や家庭問題を克服する物語や体験談は、自分のいたカルトで散々耳にしてきて、その当時感動していた自分がいるので、自分の中が分裂するような混乱を覚えたりしたのだが、
間違っていたのは、すべてを自分の中に取り込もうとする教祖、教団であって、スピ系が悪いのではない。「毒親の乗り越え方」自体は、普遍的に心ある人が研究して書いているのだ。
偉そうな態度の信者達や教祖にむっときたりつい反射的に反応してしまうこともあったが、「ああ、彼らも間違いを通して学んでいる最中なんだな」と思うと、「ほっておこう」と思えるようになたりしました。
本当に、人生無駄なことはないし、もう終わりなんてことはない、学びだなあ、と本書を読みながら膨らませていた考え。
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生きづらさは、それぞれ出来上がる過程が違って、その寛解もまた過程が違うのはわかっているけれど、とてもこころに残る一冊。
毒親だって、毒親になりたくてなってるわけじゃないんだよね。そして、わたしも、毒親にならないように、負の遺産をこどもに渡さないように。
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読む方の境遇にもよると思うけれど、多かれ少なかれみんなに経験のある話しかもしれないと思った。
この作者の両親はかなりの強者だけど、人って親とは切っても切れないのはどんな親でも同じなんですね。
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これを読んでそんなにひどい話とは思えないってやばいのかな。
誰しも多かれ少なかれ経験しそうと思ってしまった。
(似た感じの「母がしんどい」のほうが読んでてしんどかった。)
自分の悩みがどこから来ているのか、冷静に見つめるきっかけになったかも。
自分の親が毒親かわからないけど、親にされて嫌だったことを自分が繰り返さないために、目をそむけないようにしたい内容。
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サクッと読めて良かった。
読むまでには時間がかかったけど。
親とは切り離した人生を歩む。
自分の人生を自分のために生きる。
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借りたもの。
反社会的な父親と、そのため母親が女手ひとつで子供を育てなければならなかったことにより、アダルトチルドレンの分類では“世話役”にならざるを得なかった著者の葛藤と、それを克服しようと奮闘するコミックエッセイ。
現実は、表紙の寒色系のように暗くドロドロしたものだと思うのだが、明るいコミカルなトーンで描かれている。それは著者・松本耳子氏が、そうすることで過去の暗い面を克服する”ワーク”を行っているのではないだろうか?
「トラウマ」がそうだが、“過去に受けた傷”を“今(リアルタイム)”受けたように感じてしまい、条件反射で過剰反応してしまう……
その“過去に受けた傷”を少しでも緩和する作業として、このコミックエッセイはあるのかもしれない。
田房永子『母がしんどい』( http://booklog.jp/item/1/404602884X )の毒親パターンとは異なる。『母がしんどい』は中流家庭の過干渉な母親だが、『毒親育ち』は貧困層で完璧主義の母親だった。共通項は機能不全家族であること。「父親不在」で、どちらも抑圧され劣等感を植え付けられる。
松本耳子氏はインナーチャイルドセラピー、アロマセラピーやヨーガなどセルフセラピーを通して克服することを模索する。これは田房永子氏が精神科医を通して「気づき」と共感を得て、克服への一歩を進めるのと近い。
ついつい比較してしまったが、松本耳子氏の克服は、ある種、両親の他界が契機だった……
ついに親から「してもらいたかった愛情」を得ることは無く、毒親の呪縛とは親が死ぬまで続いてしまうものなのか……(涙)
著者の「自分でやる」という決心に敬意を払う。
私が驚くのは、それでも「両親が好き」と言えること。
あとがきで「不幸自慢はしたくなかった」書く著者は、己の過去の家庭環境を受け入れて、克服しようとする(自分の子には「よりよいバトン」を渡したいという)姿勢に、励まされる。
巻末には精神科医・熊代亨氏のカウンセリングの現場の傾向、毒親病理は子に引き継がれること、毒母の発生原因に母親本人の気質だけではなく、社会的要因(「父親不在」もそのひとつ)を指摘。父親が親子関係を築けることの重要性も説く。
巻末の参考文献は毒親問題の定番著書とスピリチュアル本。
カルトはまずいけど、精神のよすがの必要性は否定できない。「毒親」にはインナーチャイルド然り、その辺りが不安定になりやすいから……
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いわゆる毒親をもつ著者のコミックエッセイ。
「毒親」や「アダルトチルドレン」がどういうものかという一例でもある。
行方不明になったり負債を膨らませながら家庭を顧みず生きる父親、情緒不安定で放任の割りに子供に執着してなかなか子離れ出来ない母親、その両親のもとで生まれ育った著者も大変だが、その弟にあたる長男もまた同情せざるを得ません。
こういった哀しい家庭環境は、稀のようでも実は表にならないだけで身近に多く存在する。解決策だなんて一言で片づけられるものではないし、そんなものもその家庭と個人の数だけ存在する。
ただ、少なくともこの著者は自分が希望する進路を阻まれても諦めずに食らいついた時や、「自立しよう」と決めて猛反対されながらも説得して家を出た時が、確かな分岐点となっている。
その際、寂しそうな母親を見ても罪悪感に飲み込まれずにきちんと「見捨てるんじゃないよ」「私も頑張って親離れするから、お母さんも頑張って子離れしてください!」と思えた事は大きな変化であり、お互いの距離感の再構築や人間的成長には欠かせないプロセスとなった。そして「きっと親自身もトラウマを抱えていて子どもにうまく愛を伝えられなかったんだな」という客観的な視点と、「自分は負のバトンを子どもに渡さないように毒親の連鎖を断ち切ろう」という決意に辿り着いた。
本書の後半に記されている「人生の上書き修正を始めた」という表現も、一見否定的に見えて、その本質はとても前向き。
「私は誰かの期待に応えるために生きてるんじゃない」「先行き不安と取り越し苦労はするもんじゃない」といったこと。大人になるまでの間に身についてしまった考え方の癖はなかなか変えられないけれど、先ず自覚して、コツコツと修正していく姿はその人自身とその人生が美しくなっていく過程そのものだと思う。
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条件だけ見たら(習い事とか)恵まれてる家庭だけど、それだけに精神面で機能不全な家庭で、きっと両親も残念だっただろうな。自らミッションを課して生まれてくる、同意!
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毒親のもとで育ったという松本耳子さんのコミックエッセイ
なかなかのハードな人生なんですが…
耳子さんの語りがおもしろすぎて
笑って楽しく読めました。
だってね、
お父さんの戸籍がなかったことからスタートして
いきなりのバブル生活
でもって、いきなりの破産状態
気分次第のお母さんに
ヤクザな借金まっみれのお父さん
あと、私が好きだったのはおばあちゃんの包丁の話かな…
もうね、耳子さんがグレないでちゃんと生きていたことは、それだけですごいよ!
あとがきでご本人が書いているのですが
「不幸自慢にはしたくなかった。
頑張ったドヤ顔自慢にはしたくなかった。
親に対して恨みつらみをぶちまけるつもりもないし、
責めるつもりもない。
それが世間では「毒親」という恐ろしい呼び名の親であっても、自分の親はやっぱり好きなんです。」
この部分にじ~ん!
親に文句ばっかり言っている子供たちよ~
この本を読め~
いや、そういう私こそ親に文句ばっかり言ってるよね…
ホントすみません。
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親は有難く、親は重い。
子供は親にしたがって生きていくしかないから。自分が親になってから急に、親に対しての寂しさとか理不尽さとかそういうものが溢れだしてきて辛かった。だけど、全ての経験で今の自分が出来上がったこと、それを認めてあげたい。
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あとがきが好きだった
いいこと書いてある!
人生をあなたが輝くために使ってください
素敵な言葉!!
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「毒親」も、ずっと関心をもっているキーワードだ。著者の家庭は、両親ともそれぞれ異なるタイプの毒親で、とくに長女の著者はヤングケアラー的な役割も負わされてきた。
子どもの人格、人生に、親というのは否応なしに影響を与える。それが「親ガチャ」で決まるという恐ろしさ。
著者は、遠回りをしたけれど、自分の置かれた状況を客観視し、マンガという表現方法でそれを吐き出し、自分の人生をリセットさせた。
精神科医の解説にもあるように、「(こころの)病理は世襲する」が「運命は変えられる」。
想像を絶する困難だろう。たどり着けない人もいるだろう。
でも、1人でも多くの人が、世襲の鎖を断ち切って幸せになることを応援したい。
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妹と弟にはそうでもないのに、長女だからと全て背負わされてしまったタイプの毒親育ち。
でも妹は放置ぎみで弟は過干渉な気がするので、それぞれに悪影響があったのだろう。
母の呪縛を解くために、スピリチュアルな本などで考え方を変えようとするのはいいが、やはり頑張りすぎてしまうようなので宗教などにハマらないか心配になってくる。