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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
大冒険の物語になっているので、おもしろくて夢中で子供が読んでいました。とても、面白かったといっていました。
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(No.13-38) 児童書です。ランサム・サーガ7、上・下巻をまとめて書きます。
『ウォーカー一家のお父さん(イギリス海軍の将校)は転勤で東洋からイギリスに戻ってくることになり、出迎えのため一家はお父さんが帰港するハリッジにほど近い河口のピン・ミルに滞在している。
偶然知り合った青年ジムが、小さなエンジンも持つ帆船ゴブリン号に子供たちを乗せてくれることになった。
ゴブリン号はジムの叔父さんの船だが、叔父さんと合流するまではジムに任されているのだ。
航海している間にお父さんが帰ってきてしまうことを心配するお母さんに、3日間だけ、河の上り下りだけ、海へは出ない、毎日電話連絡する、という条件で、ジョン・スーザン・ティティ・ロジャの四人はゴブリン号に乗ることを許してもらった。
ところがジムがガソリンを買いに一人で上陸している間に天候が悪化。潮の変化で錨を失いゴブリン号は外海に流される。お母さんに決して海には出ないと約束したのに、子供たち4人だけで嵐の北海に・・・・。』
この巻はシリーズの中でも一番はらはらどきどきさせられる話だと思います。
毎回のように子供たちは危ないことをやったり巻き込まれたりしますが、子供たちの居場所を大人の誰も知らないというのはこれだけじゃないかな。
そして子供たちの状況のなんてリアルなこと。
神宮さんのあとがきによれば、ランサムは帆船ゴブリン号をこのような状況で実際に動かしてから物語を書いたそうです。だからこんなにリアルなんだ!
ジョンとスーザンが、現実の状況とお母さんとした約束に引き裂かれるような思いで今後の進む道について論争するところは圧巻です。するべきことと出来ること、自分たちにとって一番大切なことは何か、あと少しで大人、だけどまだ少年少女の二人が必死で考える。ジョンとスーザンにとって、年少の二人を守ることは何より優先すべきことなのです。
神宮さんはこの作品ではティティはやや精彩を欠いていると感じたそうですが、私も作者がスーザンに焦点を当てた結果なのでそれも仕方なかったかなと思いました。
以前旧訳で読んでいるのにものすごく面白くて感動しました!
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まず最初にこの物語を読んでいる途中で気がついたことがあります。 それは「ヤマネコ号の冒険」では KiKi の読み方は間違っていた・・・・ということです。 あの Review で KiKi は
ここまでの「ランサム・サーガ」の物語の Review の中で KiKi はある意味で手放しでキャプテン・フリントを褒めちぎってきたけれど、そんな KiKi の評価はこの「ヤマネコ号の冒険」で地に堕ちました。 ダメでしょう、こういう大人は!!
KiKi の気分としては、この「ランサム・サーガ」がギリギリの境界線で保っていたある種の良心みたいなものがこの1作によって粉々に壊されてしまった・・・・・そんな気分なんですよね~。
などとケチョンケチョンな評価をしたわけですが、どうやらあの「ヤマネコ号の冒険」はツバメ号とアマゾン号のクルーたちがキャプテン・フリントと一緒にとある冬休みの遊びとして創作した「冒険物語」だったらしい・・・・・。 つまり子供たちによる「宝島 & ロビンソン・クルーソー オマージュ作品」という位置づけの物語だったようです。 そうであると分かれば、あの荒唐無稽な筋書きも納得できるものだと思うし、キャプテン・フリントの大人げなさも理解できます。
そしてこの作品を読むことによって、これまでは子供達にかなり自由にやらせているように見えたウォーカー母さん(ツバメ号クルーのお母さん)も「ここまではOK、ここからはダメ」という境界線をかなり明確に持っていた人であるということや、自由奔放に遊びまわっているように見える子どもたちも自分たちの夏休みの行動の自由というものが、母親に言いつけられている「自由の枠組み」からは絶対に外れないという信頼に基づいているということをかなりしっかりと自覚している物語であることが分かります。
この物語に至って、実は子供たちにとって「海」というのが未知の体験ゾーンであったことが伝わってくるし、同時に湖や川以上の危険を孕んでいる「海」はウォーカー母さんの価値観でははっきりとNGエリアだったこともわかります。 にも関わらず子供たちは不可抗力により海に押し流されちゃうことからこの作品のタイトルは実にわかりやすく「海へ出るつもりじゃなかった」(We didn't mean to go to Sea)。 タイトルからして「ごっこ遊び」ではない物語であることがひしひしと伝わってきます。
今回はアマゾン号のクルーもD姉弟も登場せず、ツバメ号のクルーと本シリーズ初登場のウォーカー父さん、そしていつ何時でも「もっとも友好的な現地人」だったウォーカー母さんと常に子供たちの世界から置いてけぼりを食らう末娘のブリジットの物語です。 そして子供達が不可抗力で海へ出ちゃうことになる船(ゴブリン号)を提供してくれたのが間もなく大学生になろうかというジムという青年です。
ジム青年も本当は子供達と一緒に川筋だけをクルーズさせる予定だったのですが、ガソリン調達のために少しの間だけ船を降りている間に交通事故にあってしまいます。 河口付近にちゃんと停泊させたはずのゴブリン号で留守番していたのはツバメ号のクルーたちだけ(つまり子供達だけ)なの��すが、そこは子供ゆえの悲しさ、予定よりも時間がかかりすぎている中で船を係留し続けるために気を付けなければいけないことまでには気が回りません。
潮の満ち引きの影響をもろに受ける河口では水位の変動が激しく、ジムがゴブリン号を停船させた時には必要十分だった碇をつなぐ鎖の長さが足りなくなり、結果碇が碇本来の役割を果たさなくなってしまいます。 しかも急激な天候の変化で濃霧があたりを覆い、視界もどんどん悪くなっていきます。 途中でジョンは碇を引き摺っていることに気がつくのですが、心理的動揺も手伝って上手く処理することができません。
ここからの物語の展開はスリル満点で正直、心臓によくない(苦笑)。 だいたいにおいて各章のサブ・タイトルからしてどんどん状況が悪くなっていることを匂わせています。
第6章: なにも、おこるはずがない
第7章: ジムは、ずいぶん長くかかっている
第8章: ビーチエンド・ブイ
第9章: 霧の中をただよう
第10章: 海へ出る
第11章: 今度は、だれの責任?
第12章: 船酔いのくすり
「濃霧」、「暴風雨」、「母との約束」、「大人不在」、「他人の持ち物」、「まだまだ幼い妹と弟」という様々な悪条件の中、孤軍奮闘する長男ジョンの姿が痛々しくもあり、頼もしくもあります。 ここまでの作品での「安心感の権化」みたいな存在だったスーザンが大混乱をきたすことによる不安感がさらに緊迫度に拍車をかけます。 ジョンとスーザンが、現実の状況とお母さんとした約束の間で引き裂かれそうになり、次に何をするべきかで言い合いとなるシーンは圧巻です。
思いがけないハプニングにより俄か船長とならざるをえず、波にもまれる船を懸命に操るジョンも、妹弟を護り抜く責任感と母親の信頼を裏切るまいとの思いから心理的重圧に必死に耐えるスーザンも10代半ばです。 あと少しで大人だけどまだまだ少年少女の域を出ていない2人が「するべきこと」と「今できること」の違いとか「今の自分たちにとって一番大切なことは何か?」を必死で考える姿には胸が熱くなります。
緊張感と緊迫感の中でも必死で平静を装い、実態はヨレヨレの年長組に対し、年少組はどこかマイペース。 特に末弟のロジャは末っ子ゆえの気楽さもあり、理系男子(ディックほどではないけれど)ということもありで、この大冒険の中ではスーザンに変わってどこか「安心感」「何とかなるはず感」「ジョンに任せておけば僕等は全員大丈夫感」を象徴するような言動が目立ちます。
様々なトラブルに見舞われながらも何とか嵐の北海を乗り切り、思いもよらないオランダに到着しちゃったゴブリン号。 何とか無事に陸地に辿りついた・・・・・と言っても、そこは外国であるうえに持ち金もないときては、その先何をどうすればいいのか(ここで安易に大人に頼ろうとしないところがこれまた凄い!!)途方に暮れていると、そこで登場するのがウォーカー父さんです。
ウォーカー父さんはイギリス海軍の将校で東洋からイギリスに戻ってくる予定になっていました。 そもそもウォーカー一家がピン・ミルという町に滞在していたのはこのお父さんの出迎えのた��だったのです。 思いがけない場所で見知らぬボートに乗り疲労感でヨレヨレの息子を見たこのウォーカー父さんの第1声がいいんですよね。
「こりゃ、いったいどうしたことだ? 誰の船かね? 私の出迎えに、お前たちをここまで連れてくる人があろうとは、考えもしなかったなあ。」
ずっとジョン & スーザンと一緒に緊張し続けていた読者の KiKi もこのウォーカー父さんのセリフでほっと一安心。 そしてさらに安堵感から思わずため息がでちゃうのが、夜の北海大航海では大人顔負けだった子供たちが、ウォーカー父さんの登場と同時に歳相応にお父さんに甘えている姿です。 とは言っても長兄のジョンだけは帰国して出帆した港に帰り着くまではあくまでも「ゴブリン号の船長」(お父さんは船客)として背筋がピンとしているあたりは、いわゆる「甘ったれ」とは一線を画しているのですが・・・・・
本来ならお母さんから禁止されていた「夜の航海」「海へ出る」という2つの大罪(?)を犯した子供達だけど、そのことに対する小言は一切言わず、
「俺のせがれだな、海の男になれる。」
な~んていうジョンが一番聞きたかっただろうセリフを口にし、どこか子供たちを誇りに思っている雰囲気を漂わせているウォーカー父さんの姿に、この大らかさあってのこの子供達なんだなぁと感じました。
そして極め付けがお母さんのことを気にしている子供たちにかけたこの言葉です。
「お母さんはカンカンになって怒るだろうが、それは仕方がない。 心配するよりカンカンの方がいい。」
実に素敵な家族愛に満ちた名言だなぁと感じました。 更に更に・・・・。 ようやく病院で意識を取り戻し、ゴブリン号のもとに馳せ参じて、起こってしまった出来事に恐縮しきりのジムに対しての優しさも際立っています。
さて、結果的に誰一人として大怪我もせず(かすり傷程度はあったみたいだけど)、病気にもならず無事に帰国できたからよかったものの、こんな大事件があった後で子供たちの中に船に対するトラウマやら何やら、お母さんの心配性のエスカレートなどが起こらなければいいのですが・・・・・。(と言いつつも KiKi 自身がウォーカー母さんの立場だったら、なかなか次の航海やらキャンプには「はい、行ってらっしゃい」とは言えないような気もするのですが・・・・・苦笑)。
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よかった、とーーーってもよかったー!!
(よすぎたので、ついつい叫びました。)
この本には、上巻でかわいい
ブリジットが出てきましたね。
そして下巻は…
読んでいる途中で察しがつくかと思います。
困難な船旅を
たった4人だけで切り抜けて、
ついぞ陸地が目の前に見えてきました。
着いた先はなんと…?
後半でなぜジムが
来ることができなかったか真相が明らかにされます。
まあ、災難でしたよね。
でもね、何でかったい頭と2回もいじられますか(笑)
(最初はお医者さん、2回目はある人)
でも本当にこの4人は
多くの人に愛されているし、
子供ながらも、立派に成長しているし
ジョンはもう立派な海の男だよね!!
一番ジーンと来た作品でした。
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設定は第一次大戦直前のヨーロッパ/水先案内人=pilot〜英語では偉そう/母は5番目の子を見ていたが、兄弟姉妹4人を港に迎えに行って満潮がまだなのを教えられた/ウォーカー家の頭首は子らを見て客船から飛降りた/「中佐」lietenant colonel、海軍ではcomonder 税関職員に忖度させるほど偉い。英国の友人に電報を打って、「4人は無事でいる」報せを転送してもらって外国が発信地で心配させないように配慮した/ジムとの対面、「君の失敗は、船長なのに上陸したことだ。petrolを買いに行かせることはできたはず」/戦雲近づく37年発表
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2019年5月14日
霧の中、ブイが近寄ってくる。いやちがう。船の方が動いている。錨がはずれて、船が川から海へ出てしまったんだ。乗っているのは子どもが4人。
(『キラキラ子どもブックガイド』玉川大学出版部より紹介)